塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

舞妓の花宴 / 実盛物語

2003/12/14

12月の歌舞伎座は、幕見席で福助丈の「舞妓の花宴」と新之助丈の「実盛物語」。

舞妓の花宴

天保9(1838)年に四代目中村歌右衛門が初演した変化舞踊で、通称「男舞」。白い水干に烏帽子と狩衣、腰には太刀を差した男装の白拍子による厳かな舞から途中で水干を脱いで赤い振袖のくだけた姿に変わって調子が変わり、いったん袖に引いて今度は薄桃色の衣裳に変わり、最後は桜の花びらが舞い散る中での明るい踊りとなって終わります。福助丈も綺麗でしたが、中間で三味線と鼓が難しいポリリズムを聞かせて圧巻でした。

実盛物語

並木千柳・三好松洛が合作した浄瑠璃「源平布引滝」の三段目。この二人は竹田出雲とともに「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」を書いたスーパー作者で、「源平布引滝」もこれらと同時期に人形浄瑠璃用に書かれたものです。見どころは新之助丈が初役で演じる実盛で、花道の出からの様式美と、小万の腕を切り落とした仔細を語る物語。そして最後に幕が引かれた後、花道で馬上での大見得。いずれも成田屋の芸風にかなったおおらかな存在感と威圧感があって、お客は大喜びの大拍手です。瀬尾の左團次丈も、例によって力のある悪役といったらこの人という感じで、それでも葵御前が産んだと言われた女の白腕にぎょっとして扇子でつんつんつついてみたり、実盛の唐土の例を引いた無茶な解説にヤレヤレといった感じで退散するといったコミカルな部分もあってちょっと面白い役。それが、最後に自分の首に当てた刀を孫に引かせるという残酷な趣向につながるのですから恐ろしい……。

この狂言では、実盛は腕を切り落とした小万の遺児・太郎吉に十数年後の再会を約し、しかしそのときには髪も顔も変わって仇とはわからないのでは?との問いにそのときは若作りをしてまみえようと言いますが、それはもちろん、義仲の幼少時にこれを助けて木曽の中原兼遠に身柄を預けた実盛が、後に木曽義仲との篠原の戦いで白髪を黒く染めて勇戦し、ついに討たれて首となって義仲と再会したという『平家物語』のエピソードを下敷きにしています。小万の「腕」という小道具も、実盛を討った木曽方の武士「手塚」太郎光盛の名につなげるため。そう考えると、祖父を自らの手で殺した太郎吉が母の仇である実盛をも後に殺すことがはっきりと予言されているわけで、実盛役者の爽快感というよりも、因果応報というか因縁の連鎖というか、様式美によって表面を中和されてはいるものの救いのない凄惨さを感じないでもありません。

配役

舞妓の花宴 白拍子和歌妙 中村福助
実盛物語 斎藤別当実盛 市川新之助
九郎助娘小万 中村扇雀
百姓九郎助 松本幸右衛門
御台葵御前 市川亀治郎
瀬尾十郎兼氏 市川左團次

あらすじ

実盛物語

琵琶湖のほとりに暮らす百姓の九郎助夫婦は、源氏再興を果たせず絶命した木曽義賢の妻で、懐妊中の葵御前をかくまっているが、身内の密告で、あわや万事休す。平家方の斎藤実盛と瀬尾十郎が、生まれる子の検分にやって来る。追いつめられた九郎助が差し出したのは、赤子ではなく、先ほど琵琶湖で見つけた、白旗を握った女の片腕。この腕は義賢の館から脱出する途中琵琶湖で実盛に引き上げられ腕を斬られた九郎助の娘・小万のもので、白旗は源氏の重宝。悲嘆に暮れる九郎助夫婦に、実は源氏再興を願う実盛が小万の腕を落としたわけを物語ったところへ、村の漁師たちが小万の遺骸を運び込む。小万は本当は九郎助の実の娘ではなく、平家にゆかりのある捨て子だったことがここで明かされる。葵御前が産気付き、男子、すなわち後の木曽義仲を産む。そこへ様子を伺っていた瀬尾が踏み込むが、瀬尾もまた実は小万の本当の父で、九郎助夫婦とともにあった小万の息子、つまり瀬尾の孫の太郎吉に自分を討たせ、それを手柄に若君の家来にさせようという計らいだった。太郎吉は、母の仇である実盛に詰め寄るが、実盛は太郎吉成人後に討たれてやることを約束し、九郎助の家を後にする。