摂州合邦辻

2007/11/18

国立劇場(隼町)で、坂田藤十郎丈の玉手御前による「摂州合邦辻」。すなわち能「弱法師」で知られる俊徳丸のお話ですが、能のストーリーとはまったく異なるようです。

実は国立劇場での観劇は初めてでしたが、ゆったり広く豪華な造りにびっくりしました。歌舞伎座の庶民的な雰囲気もいいですが、こちらのゴージャスさも癖になりそう。今回は二階席からの観劇でしたが、舞台は近く見えるのに花道の見通しが良く、七三の様子もよくわかるのがうれしい造りです。ただしあえて難癖をつければ、前後の席間がやや狭く膝が窮屈に感じます。

「摂州合邦辻」の粗筋はこのページの下の方に書いた通りで、継母の継子に対する恋情と貴種流離という古今東西よく見られる話で組み立てられていますが、特に継母・玉手御前の悲劇をクローズアップする大詰の「合邦庵室の場」のみがもっぱら上演され、今回の通し上演は国立劇場では昭和43年(1968年)以来39年ぶりになるのだそうです。また、藤十郎丈にとってもこの作品は昭和26年(1951年)、扇雀時代に武智歌舞伎で演じて絶賛された思い入れの深いであろう演目であり、それでいて自身が通し上演に挑むのは初めてという意欲作です。

そうした期待に応えるべく、玉手は序幕の「住吉松原」から大暴走。腰元達を去らせ、堅苦しい挨拶はやめにして……と俊徳丸(三津五郎丈)ににじり寄り、鮑の貝の杯で神酒(実は毒酒)を飲ませた後「妹背の固め」を今さらいやとは云われまい、と強引に口説きにかかります。もともと俊徳丸の実母に仕える腰元だった玉手は俊徳丸とさして年も変わらず、元から俊徳丸に懸想していたが心ならずも後妻になったのだと説明して俊徳丸にすがりつきます。この辺りの畳み掛けるような迫り方が凄くて、特に「♫立ち退き給えば縋り付き——」に追いかぶせるようなエエ母呼ばわりは聞きとむないの自在の間に圧倒されます。

二幕目は、勅使高宮中将実は桟図書(秀調丈)の味のあるおかしみと、誉田妻羽曳野(秀太郎丈)のちょっと意地の悪い貫禄が秀逸。特に羽曳野は、「表書院」で病床の俊徳丸を見舞おうとする玉手を皮肉たっぷりな台詞で止めると竹本が「♫真綿で締める首枷の——」と入って会場に笑いが広がり、子のそばに母が行って何が悪いと開き直る玉手に一歩も引かず近年は母御でも、油断のならぬ世間の自堕落とやって大受け。続く「奥御殿庭先」。家を出た俊徳丸を追おうと雪の庭に出た玉手に憎々し気にかける奥様、何処へが極めつけ。一昔前ならはやり言葉になったかもしれません。

「天王寺南門前」は閻魔堂建立勧進の合邦道心(我當丈)の、地獄は極楽の出店、その番頭の閻魔様に気に入られなければ主家の極楽にも行かれまいというワケのわからない理屈に続いて、悪身の教化のミュージカル仕立て(?)が楽しくなってきます。舞台が回って「万代池」は落魄の俊徳丸、その俊徳丸を追って旅に出たという行動力のある浅香姫(扇雀丈)、さらにその浅香姫を追ってきた奴入平(翫雀丈)の絡みで、入平のきびきびとした台詞回しと立回りが清々しく、浅香姫に言い寄る次郎丸(進之介丈)との下ネタがかった応酬も面白かったのですが、俊徳丸に関しては名手・三津五郎丈をもってしても仕どころがなかった感じ。

そしていよいよ大詰め「合邦庵室」。ここまではスピード感のある演出でとんとんとテンポよく筋が運びましたが、見せ所のこの場は闇夜に立つ黒着付・黒頭巾の中に真っ白な玉手の顔がぼうっと浮かんで(フライヤーの写真)、えも言われぬ美しさです。しかし、そうした殊勝なふりも戸を開けてもらって中に入るとがらりと一変、俊徳丸が潜んでいるであろう上手の一間を目指して突進し、その前に父・合邦が座っているのに行き当たります。ともあれ一度は親子の再会を喜んだ三人ですが、玉手が相変わらず俊徳丸に執着している様子に両親は呆れ、意見します。しかし玉手は親のなだめすかしに「フン!」と横を向いたり、尼になどなる気はないと言ってケンもほろろに「キイッ!」と凄んでみせたりとやりたい放題。一度は母に手を引かれて座ったままずるずると奥の納戸へ引きずり込まれますが、俊徳丸と浅香姫が脱出しようとするところを押さえた玉手は恋仇の浅香姫をぶっ飛ばし、ついには簪をくわえて仁王立ちになる玉手の前に浅香姫が海老反りで圧倒される見得となります。しかし、逆上した合邦に刺されてから苦しい息の下で真相を明かす愁嘆場は一転して、藤十郎丈ならではの濃厚な台詞術を堪能できる、この芝居の白眉となります。もっとも、懐剣を鳩尾に突き立てようとするところは台詞を太夫・三味線に渡して引っぱり過ぎるくらいに引っぱりますが、藤十郎丈の「摂州合邦辻」は丸本回帰がコンセプトなので、ここもむしろその冗長さを楽しみたいところ。

最後は継子二人の命を引き受けて身を捨てた貞女として皆に看取られながら玉手は息絶えていきますが、作り事として俊徳丸に言い寄った玉手の本心はもちろん、本当に俊徳丸を慕っていたのです。それなのに俊徳丸の父の後妻にならざるを得なかった自分の運命を半ばの悲嘆と半ばの諦めで受け入れていた玉手は、次郎丸が俊徳丸を殺して家督と浅香姫を我がものにしようとする企みをもっていることに気付いたときに、身を捨てることで俊徳丸への思いを遂げようとしたのでしょう。だから、最期に百万遍の数珠に俊徳丸と二人で囲まれながら息絶える玉手は幸せだったということになるのでしょうが、本当に玉手はこれでよかったのでしょうか?真相を知り、玉手の生き血で業病も癒えて家督相続もなった俊徳丸は玉手に感謝しこそすれ、玉手の心情に応えているわけではありません。浅香姫がいる前でそこまでやってはどろどろの愛欲劇になってしまうから無理な相談だとは思うものの、やはりこれでは玉手は報われない……。

このように憤慨してしまうのは、藤十郎丈の玉手にすっかり感情移入させられてしまったからかもしれませんが。

配役

玉手御前 坂田藤十郎
誉田妻羽曳野 片岡秀太郎
高安俊徳丸 坂東三津五郎
奴入平 中村翫雀
高安次郎丸 片岡進之介
合邦妻おとく 坂東吉弥
誉田主税之助 片岡愛之助
浅香姫 中村扇雀
桟図書 坂東秀調
高安左衛門尉通俊 坂東彦三郎
合邦道心 片岡我當

あらすじ

河内の領主・高安通俊は、若く美しい玉手を後妻として迎える。通俊には既に次郎丸・俊徳丸という腹違いの兄弟がいたが、次郎丸は高安家の跡継ぎに決まっている俊徳丸を殺す陰謀を企んでいる。俊徳丸には浅香姫という相思相愛の恋人がいたが、俊徳丸に向かい恋心をあらわにした玉手は、俊徳丸をだまして毒酒を飲ませ、業病にしてしまう。俊徳丸は病によって醜く変貌した我が身を恥じて家を出奔、落ちぶれた姿となって浅香姫と再会する。その二人に次郎丸の魔の手が迫るが、玉手の父・合邦に助けられ、その庵室にかくまわれる。

やがてそこにやって来た玉手は、父母の嘆きも構わずなおも俊徳丸に言い寄るので、合邦はついに娘を刺す。断末魔の玉手は、俊徳丸への邪恋は敵の手から俊徳丸を守るための恋だったと明かし、わが身の生き血で俊徳丸の病を治して息絶える。