太子手鉾 / 松風
2008/07/16
国立能楽堂(千駄ヶ谷)の定例公演で、狂言「太子手鉾」と能「松風」。
太子手鉾
職場を出るのが遅くなったために、狂言「太子手鉾」は冒頭を見逃してしまい、席についたときには太郎冠者が主に怒られているところでした。なぜ主が怒っているかというと、旅から戻った太郎冠者が主のところへ挨拶に来ないからなのですが、太郎冠者は大雨で雨漏りがひどく外に三つ雨が降ると、家の中には十降る
ので、と言い訳。なんで修理しないんだ、という主のツッコミにはだって去年の切米ももらっていないではないかと切り返す太郎冠者。これにたじたじとなった主は話題を変えて、かねて聞く「太子手鉾」(たいしのてぼこ)を見せろと命じます。これを聞いた太郎冠者、心得た
と一ノ松まで下がって、主をなぶって帰そうと存ずる
と悪企み。後見から受け取って戻ったところを見れば、手にしているのは長い竹の先に錐のようなものを付けたもので、これでござります
と差し出された手鉾(?)に主はや、たっ、それは何じゃ?
と仰天します。由緒ある手鉾なら結構な袋に入っているはず、と不審顔の主にもっともらしく聖徳太子の故事(物部守屋を止める=実は漏屋を止める、の語呂合わせ)を語(騙)り、さらに謹んで謂われを問えと言うものだから主は何でお前に!とムカつきます。しかし、結局はかしこまって由来を問うと、してやったりの太郎冠者は謡にのって手鉾であちこちの穴を突き塞ぐさまを舞います。ついでに主の鼻先で天井を突いて主をのけぞらせたりした後何と合点がまいりましたか?
と問い、主にさんざんに叱られて終わります。狂言の終わり方と言えばどたばたのうちに幕へ追い込むパターンが多いのですが、この「太子手鉾」では、舞台上での演技が終わってからシテとアドが連れ立ってしずしずと幕へ下がります。
松風
「熊野松風に米の飯」(名曲「熊野」と「松風」は米の飯と同じで何度観ても飽きない)と言われるくらいの人気曲で、田楽「汐汲」を観阿弥・世阿弥が改めたものとされています。古の在原行平に愛された松風・村雨の二人の海女の亡霊が主人公なので夢幻能ですが、前シテ/後シテの複式夢幻能の形態をとらず、舞台上に登場しているシテ/松風とツレ/村雨が途中で正体を明かす形をとります。
後見が松ノ立木の作リ物を正先に置き、切々とした〔名ノリ笛〕とともにワキ/旅僧(福王茂十郎師)とアイ/須磨の浦人が登場し、松の木の由来についての問答がしばらく続きます。すなわち、この松こそが松風村雨の墓標だということで経念仏して弔ううちに秋の日も暮れ、ワキは近くの塩屋で一夜を明かそうと述べ、脇座へ着座します。ここで後見が水桶を乗せた汐汲車を角に置き〔真ノ一声〕の囃子。前傾姿勢で打たれる大鼓が裂帛の気迫で、その鋭い音色に驚いていると、白い水衣姿のツレ/村雨(東川光夫師)とシテ/松風(寺井良雄師)が登場し、一ノ松と三ノ松にそれぞれ立って向かい合います。かなり長い時間、そうして見合ったままでいましたが、やがて汐汲み車わづかなる、浮世に廻るはかなさよ
と〈一セイ〉を謡います。
以下シテとツレ、それに地謡も加わって、風吹き波寄せる須磨の浦に汐汲車を引く海女の暮らしの寂しさ侘しさを謡い、地謡の寄せては帰る片男波
で囃子方が最高潮に達すると、扇を開いて水を汲み、浦尽くしの汐汲歌の〈ロンギ〉。地謡と掛け合うシテの聴かせどころ。そして先月の狂言「棒縛」でパロられていた月は一つ / 影は二つ
。シテが汐汲車の引紐を長〜く引いて大小前まで行きかかり、はらりと紐を放します。この辺り前半の山場で、動きは少ないながらも夜の海に月影を汲む二人の海女の情景が目に浮かぶようです。しかし、私の隣に座った若い外国人カップルは、この辺から夢路を辿るように……。
シテは大鼓前で床几にかかり、ワキは塩屋に泊まりたい旨を申し出ます。ひとしきりのやりとりの後に許されたワキが松風村雨の松を弔った旨を語ったところ二人の海女がシオり、この世に執着の心が残って涙が袖を濡らすなどと言うので不思議に思い名を問うたところ、松風村雨二人の幽霊これまで来りたり
と正体が明かされます。二人の海女の霊は、かつて在原行平が須磨に下っていた三年の間行平に愛された姉妹でしたが、都に戻った行平がやがて亡くなった後も恋心に焦がれて在りし日を思い出すばかり。一度は身にもおよばぬ恋をさへ、須磨のあまりに罪深し跡弔いてたび給へ
と合掌して見せましたが、シテは形見の烏帽子に藤色金千鳥紋の長絹を手にとると形見こそ今はあだなれこれなくは、忘るる隙もありなん
と見入るうちにだんだん思いが高ぶってきて、長絹を捨てたり抱いたり、立ち歩き、あるいは崩れ座し、そして物着で烏帽子・長絹を身に着けると完全に正気を失って松の木に向かいあら嬉しやあれに行平のお入あるが、松風と召されさむらうぞやいで参らう
と駆け寄りました。その刹那、ツレがシテの袖に手を掛けてあれは松にてこそ候へ
と必死に止めましたが、その村雨も松風の狂気の虜となっていきます。このくだりの緊迫感は鬼気迫るものがあり、決して報われることのないその心情が哀れで悲しくもありました。
優美な〔中ノ舞〕、そして行平と見えた松にすがりついたシテは、大小前に下がってシオリ。続いて松の周りを廻り、囃子方にも触れそうになりながら短い〔破ノ舞〕、しかし二人の海女は妄執のために僧の夢の中に現れたことが地謡によって明かされ、我が跡弔ひてたび給へ
と僧に頼むと、後に残るのは松吹く風の音ばかり。常座でシテが留拍子を踏み、左袖を返して一曲を終えました。
配役
狂言和泉流 | 太子手鉾 | シテ/太郎冠者 | : | 松田高義 |
アド/主 | : | 野村小三郎 | ||
能宝生流 | 松風 | シテ/松風 | : | 寺井良雄 |
ツレ/村雨 | : | 東川光夫 | ||
ワキ/旅僧 | : | 福王茂十郎 | ||
アイ/須磨の浦人 | : | 野口隆行 | ||
笛 | : | 杉市和 | ||
小鼓 | : | 飯田清一 | ||
大鼓 | : | 亀井忠雄 | ||
主後見 | : | 近藤乾之助 | ||
地頭 | : | 佐野萌 |
あらすじ
太子手鉾
主人は太郎冠者が所持する、聖徳太子が物部守屋退治に使ったという「太子手鉾」を見たがる。しかしこの鉾とは、守屋と漏り屋を引っ掛けた、ただの雨漏りを防ぐ道具だった。
松風
月照らす秋の須磨の浦、汐汲車を引く二人の海人乙女は、かつて貴公子、在原行平に愛された松風と村雨姉妹の霊だった。ゆかりの松を弔った旅の僧に正体を明かした二人の霊は、形見の烏帽子と狩衣を見て亡き行平を思うが、妄執にとらわれた松風は松を行平に見立てて舞を舞う。やがて松風と村雨は僧に回向を頼むと姿を消し、後には松吹く風の音だけが残る。