塾長の鑑賞記録

入間川 / 楊貴妃

2009/12/13

観世銕仙会所属の能楽師・柴田稔師が主宰する「青葉乃会」を、喜多六平太記念能楽堂で観ました。初めて行った喜多能楽堂は目黒駅から徒歩10分くらい。外観は巨大なコンクリートの箱といった感じですが、中に入るとこじんまりとした空間に舞台と見所が肩を寄せ合うように納まっていて、演者と観客との間にかなり濃密な一体感があります。

最初に、林望先生による「楊貴妃」解説。たいへん面白い話だったのですが、要点をまとめるとこんな感じです。

  • 能「楊貴妃」のもとになっている白楽天の「長恨歌」は、ラブロマンスとして書かれたものではなく、故事(白楽天から見た玄宗皇帝は、今の我々にとって昭和のはじめくらいの感覚)を引いて時の皇帝に諫言する諷喩詩であった。
  • 楊貴妃の言行を知るためは「長恨歌」のほかに「長恨歌序」「長恨歌伝」をあわせ読む必要があり、「楊貴妃」もこれらをとりいれている。
  • それにしても玄宗皇帝と楊貴妃の歳の差は34歳。何と言うか、悩ましい(嘆息)。
  • 「楊貴妃」は中入なしの一場構成。主人公は霊魂ではあるが現実なので、これは現在能。
  • 長恨歌を踏まえて書かれた源氏物語も「楊貴妃」の下敷きとなっており、日本風の長恨歌の読み方がこの曲に投影されている。
  • 詞章の美しさ、ぜいたくに盛り込まれた舞の美しさを鑑賞してほしい。

次に、観世銕之丞師による仕舞「忠度」。銕之丞師の素顔は、地謡では何度か拝見していると思うのですが、今回ちゃんと認識しました(ぎょろりとした目が力強く、立派な押し出しは一度見たら忘れられません)。舞われたのは、一ノ谷の合戦で岡部六弥太に討たれ、その後に歌によって忠度と知られる場面。忠度が六弥太を組み敷いたときに六弥太の従者が後ろから忠度の右の腕を打ち落とすと、シテは右手を下げる形。左手で六弥太を投げ飛ばし、安座して左手で合掌。経を唱えるうちに扇で頭をさし首を落とされてしまうと、今度はシテは六弥太の立場になって常座に立ち、忠度の箙に付けられた短冊に行き暮れて木の下蔭を宿とせば 花や今宵の主ならましと書かれているのを見ます。そこでシテは再び忠度の立場に戻り、留めまで。地謡のまとまりに少々難が感じられたものの、平家物語の世界を眼前に見る思いでした。

入間川

最初に大名が太郎冠者を連れてもの凄いスピードで舞台正面に突進してくると、これは東国に隠れもない大名です、と粗っぽい名乗り。このサイトでもたびたび紹介していますが、「……です」というのは当時はかなり下品な言い方です。京での訴訟が終わって帰京することになり、嬉しそう。どうやら人使いの荒い大名のようですが、最後まで仕えてくれた太郎冠者には帰京したら出世させてやろうなどと言いながら、舞台狭しと歩き回る道行の中で富士山、武蔵野などの様子を語ります。やがて橋掛リに入って二ノ松から戻ってこようとしたところで、大きな川に出たことになります。出し置きで笛前に座っていたアドが対岸に立つところへ大名は横柄に呼び掛けたのですが、アドに横柄に返答されたので瞬間湯沸かし器の大名は激怒。太郎冠者に刀をよこせと命じますが、国では大名でもここでは丁寧に話しなさいと諭されて、それももっともだと今度は丁寧に呼び掛けると、返事も丁寧だったので大名は満悦。なんだか憎めない役柄です。ここは入間川、自分は入間の何某と聞いた大名は、ここは深いから上流へ回れというアドバイスになぜかざぶざぶと川に入っていき、案の定おぼれかけてしまいます。ここでアドの二人が大名を助けるときにいつの間にかどちらかが川を渡っている状態になるのですが、まあ細かい詮索はなし。大名は、このあたりでは入間様いるまようと言って逆さ言葉を使うはず、深いというのは浅いという意味ではないかと怒って何某を斬ろうとしますが、敵もさるもの、大名に「弓矢八幡、成敗いたす」と誓わせて、成敗すると入間様で誓ったのなら斬られることはあるまいと涼しい顔です。ところが大名は入間様を聞けたので相好を崩し、もっと入間様を聞こうと「扇子……でもないもの」を「進ずる……でもおりないよ」などとワケのわからないことを言いながら次々に何某に与え、一方の何某はそのたびに「祝着……にもござらぬ」と答えて大名を喜ばせます。この返事を待つ間の大名のわくわく感が、何ともユーモラス。お前も何かやれと言われた太郎冠者が自分は何も与えるものを持っていませんと返すと、しわいやつだな、と大名は顔をしかめ、とうとう自分の小袖裃まで脱いできちんと畳んで何某に渡してしまうのですが、何某はそろそろ潮時と思って帰ろうとします。あわてて呼び止めた大名は、真実嬉しいか嬉しくないか言えと詰め寄りますが、これが罠。最初は入間様で返答していた何某が、とうとう忝いと答えた途端に大名はそれまで与えていた品々をとりあげて逃げてしまい、何某が追い込みます。

とにかく、山本東次郎師の大名のキャラクターの面白さが楽しい一番でした。

啄木 / 楊真操

琵琶秘曲の演奏。プログラムに記された解説によれば、

八三八年、遣唐使の藤原貞敏が唐の廉承武から伝授された「流泉」「啄木」「楊真操」の三秘曲を、琵琶の銘器青山、玄象とともに、日本に持ち帰った。この秘曲は数多の芸能の奇瑞譚を生み、能の題材ともなったが、秘伝のあまり伝承が途絶えた。

のだそうです。今回は、平安時代末期に書き残された楽譜をもとに復曲した後二者を、狩衣姿の岩佐鶴丈氏が舞台中央に座して演奏するもの。「啄木」は緩やかな和音のパターンが繰り返され、ところどころにハンマリングやプリングが装飾的に交えられ、さらに撥の根元で琵琶の本体や弦を数回つつく場面が出ています。続いて調弦を改めて演奏された「楊真操」は、流麗なメロディをもつ動きのある曲で、そのオリエンタルな響きが華やか。楊貴妃の作曲と伝えられているそうです。琵琶の演奏を見る機会などなかなかないことで、たいへん興味深く拝見しました。

楊貴妃

錦のポタラ宮といった趣きの作リ物が大小前に置かれ、鋭いヒシギ。今日の笛は藤田六郎兵衛師で、例によって難しい顔をして吹いているんだろうなと思いましたが、脇正面の私の席からは作リ物の陰になって笛が見えません。まず登場したワキ・方士(殿田謙吉師)がわがまだ知らぬ東雲の道をいずくと尋ねんと次第、名ノリ。そして常世の国の道行では、源氏物語の「桐壺」から訪ね行くまぼろしもがな伝つてにても 魂たまのありかをそこと知るべくがそのまま引用されました。アイ・蓬莱国ノ者との問答を経てワキが脇座に下居したところで、震えるような、この世のものと思われない笛の音が流れ、その後の静寂の内に作リ物の中からシテ・楊貴妃(柴田稔師)のあら物凄の宮中やな、昔は驪山の春の園に共に眺めし花の色……と今の身を嘆く深〜い声が響き渡ってきます。見所は息を飲んで聞き入る様子。ワキとの問答があって、地謡による「長恨歌」を引用した美しい詞章の内に引回しが除かれると、葛桶に座したシテの姿が現れました。華やかな天冠、銀色に輝く縫箔、赤地の模様大口、そして面は増(柴田稔師のブログによれば甫閑(江戸中期の能面作家)作)。手には中国っぽい唐団扇。

帝に復命したいワキが形見の品を所望すると、後見がシテに渡したのは鳳凰の立て物ですが、これを簪として受け取ったワキはこれでは世の中にあるものなので証拠にならない、何か帝と妃の間だけで言い交わした詞をしるしとしたいと求め、これに応えて地謡によって謡われるのが比翼連理の誓いです。これは「長恨歌」の

臨別殷勤重寄詞 詞中有誓兩心知
七月七日長生殿 夜半無人私語時
在天願作比翼鳥 在地願為連理枝
天長地久有時盡 此恨綿綿無絶期

を踏まえたもの。「長恨歌」は私も高校の漢文の授業で全文を丸暗記しましたが、とりわけこのくだりはクライマックスの名文句としてよく覚えています。この詩文、ラブロマンスとして読むのがやはり日本人としては普通でしょう。

ともあれここでようやくシテは作リ物の宮から外に出て団扇でワキを制し、いったん簪を返させると物着。天冠の上に立て物をたてたシテが舞うのが、霓裳羽衣げいしょうういの曲です。あはれ胡蝶の舞ならんからイロエ、クリ、サシと展開してクセは団扇を構え優美に舞われますが、面の表情にこの世のものではない気配が徐々に強まり、舞に凄みが加わって舞台上から見下ろされると、こちらは射竦められるような気持ちにさせられました。しかし会者定離の理から逃れられない運命にあったことを悟る楊貴妃は、さらに繊細な足遣いの序之舞。シテと囃子方が一体となって舞台から見所までを支配しきり、一瞬の緩みも揺らぎも感じられない、見事な舞でした。

最後は、鳳凰の立て物をはずして手にとりじっと見つめると、これをワキに与えて見送ります。都へと帰るワキが一ノ松あたりに差し掛かったところで団扇でいったんはとどめますが、やがてワキは幕へと下がり、シテは作リ物の中に入り、正面を向いて団扇を上げて留。


予習の段階では「楊貴妃」は謡の曲で、詞章に通じていないと忍耐を要する曲だと認識していたのですが、この日の「楊貴妃」はシテ・柴田稔師の美声と練り上げられた舞に、ワキの殿田謙吉師や囃子方、地謡陣(地頭は観世銕之丞師)の好演も相俟って最初から最後まで緊迫感が厳しくも心地よい舞台でした。

配役

仕舞 「忠度」 観世銕之丞
狂言 「入間川」 シテ・大名 山本東次郎
アド・太郎冠者 山本則秀
アド・入間の何某 山本則孝
琵琶秘曲 「啄木」「楊真操」 岩佐鶴丈
「楊貴妃」 シテ・楊貴妃 柴田稔
ワキ・方士 殿田謙吉
アイ・蓬莱国ノ者 山本則秀
藤田六郎兵衛
小鼓 観世新九郎
大鼓 亀井忠雄
主後見 山本順之
地頭 観世銕之丞

あらすじ

入間川

訴訟のため在京する遠国の大名と太郎冠者。晴れて帰京する事となり、途中大きな川に出た二人は、対岸の男からこの川は入間川といい、この辺りは深くて渡れないと教えられる。それを聞いた大名は何を思ったか川を渡り始め、案の定深みにはまりずぶ濡れとなる。昔から入間様といってこの辺りでは物事を逆に言う。深いというのは浅いという意味ではないかと大名は怒り、何某を斬ろうとすると、何某は「心安や」と入間様。入間様が聞けたことに気を良くした大名が太刀を与えると、今度は「有難うも存ぜぬ」。大名は入間様を聞きたいがために次々と物を与えたが、そろそろ頃合いと思った何某がその場を立ち去ろうとすると、これを止めて物を与えられたことが真実嬉しいか嬉しくないか言えと迫る。とうとう嬉しいと答えてしまった男から大名は与えた物を全て取り上げ逃げて行く。

楊貴妃

唐の玄宗皇帝の命を受けた方士が、今は亡き愛妃、楊貴妃の魂魄の行方を捜し求めて蓬莱宮へと赴く。やがて太眞殿から玄宗皇帝と過ごした日々を懐かしむ楊貴妃の声が聞こえ、玉簾を引き上げて楊貴妃が姿を見せる。楊貴妃の死後、帝は悲しみのあまり政も手につかず、病に臥していると知った楊貴妃は帝を慕い、涙を流す。帝のために形見の品を求める方士に楊貴妃は簪を手渡すが、方士はこれは世に数あるものであるから、二人が交わした契りの詞を証しとしたいと言う。楊貴妃は七夕の夜、二人で誓った「天に在らば願わくは比翼の鳥とならん、地に在らば願わくは連理の枝とならん」という睦言を証しとし、次の逢瀬を心待ちにしていると皇帝へ伝えるよう頼む。また、かつて天上界に住んでいた自分も仮に人間界に生まれ、帝と出会うことができた、しかし結局は二人も会者定離の理からは逃れられなかったのだと語り、嘆き悲しみつつ舞を舞う。やがて方士が都へと帰って行くと、楊貴妃は昔を恋しがり、帝とはこの世で再会することはないだろうと、世の無常を儚んで一人伏し沈む。