牡丹亭
2010/10/16
赤坂ACTシアターで、坂東玉三郎丈と蘇州崑劇院のコラボレーションによる崑劇「牡丹亭」。結論から先に書くと大感動、これは強くお勧めできます。
崑劇は明代に江蘇省昆山一帯で生まれた演劇で、厳しい約束事に沿って歌いながら舞う「載歌載舞」が演技の中心となり、その旋律も変化に富んでいる上に、発音が複雑で繊細な蘇州語を用いるために習得は非常に困難なのだそうです。今回上演された「牡丹亭」は、明代の劇作家湯顕祖が1598年頃に執筆した昆劇の傑作で、55幕もある原作は全てを上演すると10日もの時間を要するのですが、今回の公演ではその中から抜粋して三幕六場に収めています。
ちなみに京劇は、清代に北京に進出した安徽省・湖北省の演劇が変化・発展してでき上がったものとされています。
もともと玉三郎丈は「牡丹亭」を題材に歌舞伎舞踊を作れないものかと蘇州崑劇院へ稽古に赴いたのですが、それがいつの間にか(?)自身が崑劇を演じることになったのだそう。2008年の京都及び北京での公演でその成果が披露され、蘇州、上海と公演を重ねるごとに徐々に玉三郎丈の登場場面を増やして、ついに全幕を玉三郎丈が演じる「完全版」が今回初めて東京で上演されることになりました。
客席が暗くなり、音楽の始まりとともに大きな牡丹と蝶の絵が描かれた紗幕の向こうが明るくなると、舞台には玉三郎丈が一人後ろを向いて立っています。これが、第一場「遊園」の始まり。そして杜麗娘の高い唱が響いてくると、そこはもう崑劇の世界でした。緩やかで美しい旋律に乗った玉三郎丈の唱は、本当の女性の声と思えるほどに滑らかでナチュラルで、歌舞伎座で聞き慣れた女形の声とも異なっています。以下、ところどころに会話を交えながらも、シンプルなセットの舞台は玉三郎丈の唱を中心に進みます。やがて若草色のグラデーションが優しいブレヒト幕が舞台上を区切るとそこは春の庭となり、杜麗娘はとりどりの花が咲く庭をそぞろ歩きながらまだ見ぬ恋に焦がれる唱を歌います。部屋に戻った杜麗娘が疲れてうたた寝をすると、紗幕が下りて第二場「驚夢」。赤暗い明かりの中に道化の扮装をした睡夢神が現れて、柳夢梅を杜麗娘に引き合わせます。ここで舞台上は明るくなり、杜麗娘と柳夢梅との二重唱。柳夢梅は若い男性らしく裏声の高音が特徴的で、京劇などでこの発声法を聞き慣れていないとちょっと驚くかもしれません。ともあれ、二人の極めてゆったりとしたやりとりの中で、杜麗娘は恥じらいながらも柳夢梅に後ろ向きに近づき、その手を柳夢梅がとって二人で上手へ消えました。すると華やかな花神たちがわさわさと現われ、夢で結ばれた二人を見守ると大花神が述べて、舞いながら合唱を聞かせます。花神たちが去り、二人が舞台に再び現れて杜麗娘が元のまどろみの姿に戻ると、柳夢梅も去り、現実の世界に立ち返ります。母に起こされた杜麗娘は夢の中の相手の名を呼び掛けてあわててその場を取り繕いますが、母が去ると「春よ、またあの夢へ戻らせておくれ」と歌います。
ここで第一幕は終了し5分間の休憩。非常にゆったりした時間の流れ方に大陸のおおらかさを感じるものの、もう少しスピーディーでもいいのにと思ったのですが、その考えは第三場以降を見て解消しました。
第三場「写真」は、恋煩いに沈む杜麗娘の憂い。第一幕では桃色だった衣装がこの場では水色に変わっていますが、これは第一幕で杜麗娘と柳夢梅が結ばれたことを示す意味があるのだとか。召使いの春香に促されて鏡を見た杜麗娘は、自分のやつれ具合に驚くと、死を予感して自分の美貌を歌いながら絵に描き、さらに詩を添えて、自分の思いが柳夢梅のもとへ飛んでゆくだろう、と思いを歌い上げる唱。この辺りから悲劇の性格がはっきり出てきて、唱にも悲痛さが加わってきます。そして第四場「離魂」は中秋節の夜。悲しげな曲、白い衣装に身を包んだ儚げな杜麗娘。舞台の中央のみをしんみりと照らす照明の中で、杜麗娘の姿は透き通って見えるようです。春香や杜母の嘆きの様子も胸を打ち、この場は、見ていて本当に泣けてきてしまいました。死を目前にした杜麗娘の姿に顔をそむけて泣く春香と杜母、その間に立ち、最後の力を振り絞って来世での恋の成就を願う絶唱を聞かせた玉三郎丈は、真後ろに歩きすさって、演奏に合った絶妙のタイミングで椅子に崩れ落ちました。
胸がじ〜んとしたまま過ごした少し長い休憩が終わり、第五場「幽媾」は三年後の話。縦に極めて長いブレヒト幕に上手の上方から斜めに照明を当てた印象的な舞台で、コミカルな語りにほっとする石道姑の状況説明の後に、柳夢梅が登場しました。幕が下手に引かれて屋内となり、柳夢梅は花園で拾った掛け軸の美女に見入り、絵の前を行ったり来たり。どの位置に立っても美女に見つめられているようだと喜び、掛け軸の絵に添えられた詩にならって自分も詩を賦してみるものの出来には不満。愚作だ、どうか詩を教えてくださいと心をこめて呼び掛けていると、上手からマント姿の玉三郎丈が本当にふわりと現れて扉(セットはありません)の外から柳夢梅に声を掛けました。そして、ここでも玉三郎丈のかすかに哀しく、かすかに明るい唱が美しく、聞き惚れてしまいます(マイクの調子が悪かったのか、玉三郎丈の唱が強くなるとノイズが入るのが実に残念)。初めは若い女性の夜更けの訪問に戸惑っていた柳夢梅でしたが、それでも柳夢梅と杜麗娘は交互に歌いつつ、手を取り合い、見つめ合い、そしてついに抱き合って暗転の中に消えて……。
第六場「回生」、きっぷのいい石道姑が乗り地であの世とこの世との恋を歌います。そして柳夢梅の祈り、花神たちの登場。柳夢梅が墓に鍬を入れると、音楽の高揚と共に花神たちが二手に分かれ、その向こうに杜麗娘がせり上がってきて舞台上は最大照度の明るさとなり、二人の歓喜の気持ちが舞台から客席へ溢れ出してくるよう。花神たちに見守られて二人は手をとり、二重唱となります。
從今後
把牡丹亭夢影雙描畫
虧殺你南枝挨暖俺北枝花
則普天下做鬼的有情誰似你 / 咱
最後は「相思の人の相そむかずば、牡丹亭に三世の縁」の大合唱となって、幸福に満ちた舞台に幕が下り、会場は割れんばかりの拍手に包まれました。いろいろな意味で、本当に良かった〜と思いながら拍手を続けていると、ずいぶん間を置いてからの三度目のカーテンコールで最後に歌われた合唱部分が繰り返し歌われ、その中に短いパートですが玉三郎丈が一人で熱唱を聞かせてくれる部分もあって、再び感動。
3時間近くの公演で、第一幕はスローモーな展開でしたが、そこでのゆったりした時間の流れが第二幕以降の展開に生きる構成。シンプルながら効果的な舞台装置も洗練されていて、これらは玉三郎丈を初めとする制作陣の勝利。そして、蘇州の俳優たちの比較的はっきりした(京劇にも通じる)演技の中で、玉三郎丈の舞踊的な美しく抑制された身のこなしは杜麗娘の存在感を際立たせていました。さらに音楽も素晴らしく美しく、その優美な旋律に乗せて習得が難しいとされる蘇州語の詞章を心を込めて歌いきった玉三郎丈に、心底脱帽です。
配役
杜麗娘 | : | 坂東玉三郎 |
柳夢梅 | : | 俞玖林 |
春香 | : | 沈国芳 |
杜母 | : | 朱惠英 |
睡夢神 / 石道姑 | : | 呂福海 |
大花神 | : | 杨晓勇 |
花神 | : | 方建国 / 唐荣 / 徐栋寅 / 周雪峰 / 闻益 / 高雪生 / 沈志明 / 柳春林 / 吕佳 / 刘煜 / 周颖 / 胡春燕 |
あらすじ
遊園 | 時は南宋の時代。南安太守の美しく聡明な一人娘・杜麗娘は十六歳。ある春の日、侍女の春香とともに花園へ出掛け、今を盛りに咲き競う花々や鳥の声を愛でながら、ひとときを過ごす。家に戻った杜麗娘は、足早に過ぎ去ってしまう春のはかなさを思ううちに、疲れてふと、うたた寝をする。 |
驚夢 | まどろむ杜麗娘は、夢の神の手引で、柳の枝を手にした麗しい若者・柳夢梅と出会う。瞬く間に恋に落ちた二人は太湖石のほとりで結ばれ、男女の縁を司る花神たちが、二人を祝福する。やがて柳夢梅は去り、幸せの余韻に束の間ひたる杜麗娘。母から呼び起こされ、夢から現へと引き戻される。 |
写真 | 夢の青年が忘れられず、寝食が進まない杜麗娘。春香に言われて鏡を見ると、すっかり痩せてやつれた自分がいた。驚いた杜麗娘は死を予感し、この美貌を絵に描き留めておかねばと、鏡を見ながら絵筆をとる。夢での出会いを春香に話し、自分の思いを詩に詠んで、絵に書きつける。 |
離魂 | 季節は秋。夢の恋への思いは募り、杜麗娘の病はいよいよ重い。雨がそぼ降る中秋の名月の晩、杜麗娘は春香に、自分が死んだらあの自画像を箱に入れ、太湖石の下に埋めるように頼む。そして母に、花園の大きな梅の木下に自分を埋めて欲しいと言い残し、感謝と別れの言葉とともにこの世を去る。 |
幽媾 | 三年後。杜麗娘の墓を守る尼の石道姑は、旅の途中で病に倒れた書生・柳夢梅の面倒を見ている。回復した柳夢梅は花園で掛け軸を拾い、そこに描かれた絵姿の娘こそ、夢で出会った美女だと気付く。愛しさのあまり何度も絵姿に呼び掛けていると、扉の外に掛け軸の美女・杜麗娘が現れる。乙女の夜更けの来訪に戸惑う柳夢梅に、杜麗娘は毎夜ここへ来ると告げる。 |
回生 | 三年前に思い煩いで死んだ杜麗娘が、毎夜、柳夢梅の書斎を訪れていると知った石道姑。杜麗娘を生き返らせたいと柳夢梅に相談され、一肌脱ぐことにする。裏の花園へ出掛けた石道姑と柳夢梅は、大きな梅の木の下で儀式を始める。そして墓を開くと、この世に蘇った杜麗娘の姿があった。花神たちも姿を現し、大団円を迎える。 |