塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

ジーザス・クライスト=スーパースター(劇団四季)

2014/08/17

「ジーザスを歌っているのは、イアン・ギランなんだぜ」

日本で映画『ジーザス・クライスト・スーパースター』が公開されたのは1973年12月のことで、当時クラスの同級生たちの間でもこの映画は話題になっていました。そのときに事情通の友人が自慢げに語ったのが冒頭のセリフですが、これには注釈を必要とします。

『JCS』は1970年にTim Rice作詞、Andrew Lloyd Webber作曲の2枚組のレコード『Original London Concept Recording』として発表され、それが好評を得たので71年に舞台化され、さらに73年には映画にもなったという経緯を辿っています。そして、このオリジナルレコード版でジーザス役を歌っているのは確かにDeep PurpleのIan Gillanなのですが、映画の制作にあたりDeep Purpleのマネジメントはバンドのスケジュールを優先してIan Gillanの出演を断ったため、監督のNorman Jewisonは米国で見出したTed Neeleyをジーザスに、Carl Andersonをユダに起用して映画を撮影しました。というわけで、映画館に足を運んだ当時中学生の私は「なんだ、イアン・ギラン(←カタカナ)じゃないじゃないか」と思ったものですが、それでもこの映画に強烈な印象を受けたことには変わりありません。今回、ミュージカルを観た後に映画を観なおしてみたのですが、40年以上前に一度観たきりだというのに、冒頭近くユダがジーザスたちを高いところから見下ろしながら身悶えして歌う場面や、司祭たちが鉄パイプを不気味にぺたぺた叩く場面、ヘロデ王の退廃的な歌と踊りの場面などを鮮明に覚えていたことからも、その印象の強さが窺えます。

さて、こちらは劇団四季の自由劇場での舞台版。映画との間には直接の関係はなく、ダイレクトに『オリジナル・ロンドン・コンセプト・アルバム』に基づくものですが、浅利慶太による二つの演出「エルサレム・バージョン」「ジャポネスク・バージョン」のうち今回観ることとした前者は、イスラエルの荒野を舞台にしているという点で映画と似ています。舞台は客席から恐ろしく近く、傾斜した舞台全面が茶色の荒野の様相を示していて、まるで先日国立新美術館で見た絵画《星に導かれてベツレヘムに赴く羊飼いたち》に描かれた大地のようにからから。舞台装置らしきものは何も据え付けられていません。この歴史劇的な演出の仕方は実はAndrew Lloyd Webberの期待と異なっているらしく、彼は映画の演出を嫌っていたという話が伝わっているほか、YouTubeで見られるいくつかの舞台の演出もモダンなセットと衣装による現代劇として構成されている点は、予備知識として理解しておく必要があります。

ストーリーは、ジーザスの最後の7日間を主としてユダの目から見るというもの。台詞は一切なく、ロックミュージカルとして印象的なナンバーが次々に歌われて物語が紡がれていきますが、そのうちのいくつかを取り上げると……。

彼らの心は天国に("Heaven on Their Minds")
序曲に続いてユダにより歌われる緊迫感に満ちた曲。その歌詞(訳詞:岩谷時子)がストーリーの全貌を端的に示しているので、長くなりますがここに一部を引用してみます。
私は今わかるのだ あしたの事がすべて
神の子と誰も彼を呼ばなくなれば どうなる
ジーザス! あなたまでが自分の事を 神の子だと信じるとは
今までした善い事さえ やがてあなたの仇になるぞ
いつもあなたの側で尽くしてきた 私のまごころ思い出してほしい
片腕のような私の言葉に 耳を傾けてほしい
言うのは辛いけれど あなたを救い主と信じた 群衆たちが怖い
信じたことさえ間違いと知れば 許す筈はないのだ
ここには、流されるままに「神の子」へと祭り上げられてしまった受動的なジーザスと、そのジーザスを同性愛的なまでに深刻な愛憎の気持ちで見つめるユダ、そしてジーザスを押しつぶすであろう群衆という三者の関係が歌われています。
何が起こるのか教え給え / 不思議な出来事("What's the Buzz" / "Strange Thing Mystifying")
男女アンサンブルのゴスペル風合唱とジーザスの掛け合い。ジーザスは俗世から超然とした不思議な雰囲気を醸し出しています。
今宵安らかに("Everything's Alright")
マグダラのマリアがしっとり歌う5拍子の曲。この曲のモチーフは彼女のテーマとしてこの後随所に出てきますが、とても優しい歌い方で、その分印象が薄い感じでもありました。もっともその薄さは、後に彼女自身の苦悩を歌う「私はイエスがわからない("I Don't Know How To Love Him")」で反転することになります。
ジーザスは死すべし("This Jesus Must Die")
映画で司祭たちが"He is dangerous"と歌いながら鉄パイプをぺたぺた叩いていた曲。カヤパの低音の魅力が冴え渡ります。
ホサナ("Hosanna")
「ホサナ」とはヘブライ語で「主よ、お​救い​ください」の意。エルサレムの群衆がイエスを歓呼して迎える歌。この場面は萩尾望都版『百億の昼と千億の夜』でも引用されていました。
ところで、「ホサナ」の最後の歌詞は『オリジナル・ロンドン・コンセプト・アルバム』では「Hey JC, JC won't you fight for me?」(JC、私たちのために戦って下さいますか?)ですが、映画ではもっと深刻な内容だったはずと思ってYouTubeで見直したら、「Hey JC, JC won't you die for me?」(JC、私たちのために死んで下さいますか?)と歌われ、その瞬間のジーザスの戦慄の表情がストップモーションで映し出されていました。劇団四季は、この「die for me」を採用してはいませんが、上述のユダの嘆きに照らせば「die for me」の方がストーリーにマッチするであろうことは言うまでもありません。
ジーザスの神殿("The Temple")
7拍子の不安定なリズムが猥雑な雰囲気を見事に立ち上がらせる曲(この7拍子はジーザスに敵対する群衆のモチーフとして「逮捕」でも使われます)。エルサレムの神殿が商人たちに占領され穢されているのを見て激怒するジーザス。それまで浮世離れしていたジーザスが唐突にキレるので、ここでこの舞台におけるジーザスの性格づけがよくわからなくなってしまいました。しかし、商人たちを蹴散らした後に人々がジーザスを渦を巻くように取り囲んで「金をくれ」「病気を治してくれ」と迫り、そのプレッシャーについに圧し潰されたジーザスが自分で治せ!("Heal yourselves!")と絶叫する場面の悲痛さは胸を突きます。
最後の晩餐 / ゲッセマネ("The Last Supper" / "Gethsemane")
ジーザスが使徒たちの裏切りを予言してユダを追放した後に、1人で神と対話する場面。全編中最もジーザスの力量が問われる場面ですが、舞台上での最高音部はファルセットにとどまっていました。ここはやはりこのようにシャウトして欲しかった。
(by Ian Gillan)
(by Ted Neeley)
ただし、曲の最後の方で披露されたウルトラ・ロングトーンにはびっくりしました。
ヘロデ王の歌("King Herod's Song")
これは抱腹絶倒。このワンシーンだけの登場ながら、ヘロデ王の存在感は抜群です。もともとディキシーランド調のコミカルな曲ですが、このヘロデ王はデーモン閣下と美川憲一を足して二で割ったような顔をしながら、気品があってそれでいて皮肉な表情でジーザスを嘲笑します。観ている間はもっと軽快に踊ったらいいのにと思っていましたが、それも気品を保つためと思えば必要十分なアクションだったと後から思い直しました。
ユダの自殺("Judas' Death")
神に向かってあなたは なぜ私を選ばれたと訴え、なぜだ、なぜだ、とのたうち回るユダ。本来は首を吊っての自殺ですが、この舞台では舞台中央に穴が空き、ユダは悶えながらそこに徐々に吸い込まれていきました。
ピラトの裁判と鞭打ちの刑("Trial Before Pilate (Including The 39 Lashes)")
ここはピラトの見せ所で、その期待に十分に応える熱演が見られました。パイプに両手を結びつけられて舞台上を引き回されながら39回の鞭打ちを受けるジーザスの苦悶よりも、39カウントを数え続けるピラトの苦悶の方がより大きく、悲劇性がさらに高まります。それでもなお死を望むジーザスとジーザスの死を望む群衆に負けて、無罪であることを知りながら極刑を宣告するピラト。そしてパイプの役割の皮肉。「ホサナ」で群衆はジーザスを4本の棒を組み合わせた輿の上に乗せてジーザスを讃えたのに、罪人となったジーザスを縛り付け護送に使うのも兵士たちの手にする4本のパイプです。
スーパースター("Superstar")
このミュージカルのメインテーマが歌われ、それでいて劇中で最も理解困難な場面。死んだユダはあの世からロックスターの姿になり3人のソウルガールを率いて登場し、十字架を担いで歩くジーザスを能天気に揶揄します。この派手なロックナンバーで終わればミュージカルとしては穏当ですが、ユダの姿が消えた後に最後のジーザスの苦悩が待っています。
磔 / ヨハネ伝第29章41節("Crucifixion" / "John Nineteen: Forty-One")
手と足を十字架に打ち付ける重い音。流れる赤い血。背景が静かに星空へ。

今回は予習不足のままで観たために印象を心の中に定着させきれなかったところがあったので、この『JCS』はいつかもう一度観てみたいと思います。「ジャポネスク・バージョン」も評価が高いそうなので、そちらも楽しみ。

配役

ジーザス・クライスト 神永東吾
イスカリオテのユダ 芝清道
マグダラのマリア 野村玲子
カヤパ 金本和起
アンナス 吉賀陶馬ワイス
シモン 佐久間仁
ペテロ 五十嵐春
ピラト 村俊英
ヘロデ王 下村尊則