吹取 / 松虫

2014/10/17

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の定例公演で、狂言「吹取」と能「松虫」。秋らしく、名月の夜を舞台にした狂言と松虫(現代の鈴虫のこと)を題材にした能の組合せです。

吹取

独身の男が妻を授かろうと清水の観世音に参籠したところ、御霊夢に名月の夜に五条の橋で笛を吹き、その音につれて出た女を妻にするようにとのお告げを受けます。この男が野村万作師、笛が吹けない男が代わりに吹いてくれと頼む相手・何某が野村萬斎師。親が子に頼み込むという構図です。月を見に行く約束になっているんだけどな……と最初は渋った何某でしたが、男が一所懸命頼むので一肌脱ぐことにしました。しかし、五条の橋まで出てみると月の出が美しく、ついその見事さに歎声をあげて見とれてしまい、早く笛を吹いてもらいたい男はやきもき。この辺り、一種浮世離れした天然系のキャラクターは萬斎師の真骨頂で、一方「月なんかいいから早く吹いてくれよ」と言わんばかりの万作師の姿が笑いを誘います。しょうがないなぁ、という顔で笛を取り出した何某は、まずはお調べ。しばらく吹いてなかったのでいい音が出ない、などとまたしても男を焦らせますが、姿勢を正して吹き出した笛はなかなかに美麗で、萬斎師の笛の腕前に感心しました。

やがて橋掛リに現れたのは小袖を被いた女で、「あれであろうか?」「あれであろう」と恥ずかしがる男とけしかける何某のやりとりの後に男が意を決して女を舞台へ呼び入れたところ、女は男ではなく何某の脇にぴたりとくっついてしまいました。さすがに何某も「これは迷惑」と慌てて「これ万作、連れて行け!」と命じましたが、男が何度引き離しても女は何某の脇に戻ってしまいます。業を煮やした男が女の小袖を引き剥がしてみると、そこに現れたのはお多福面。これを見て男も何某も愕然としてしまいますが、一転して女を何某に譲ろうとする男の画策も虚しく、女が男を夫と認識してくれたことに大喜びの何某は満面の笑顔で先に下がってしまい、後に残された男も「許してくれ、許してくれ」と追い込まれて行きました。

屈託無く楽しめる曲でしたが、少し気になったのは野村万作師の体調です。ときに息が荒くなるのはここ数年変わりませんが、この日は常座に立ち尽くしながら大きなげっぷを連発する場面もあり、思わず心配してしまいました。野村万作師、83歳。まだまだ元気に活躍していただきたいところです。

松虫

ひんやり寂しげな〔名ノリ笛〕に乗って登場したワキ/市人(高安勝久師)は、茶と白の段熨斗目の上に青系の素袍姿で常座に立ち、自分は摂津の国阿倍野の市で酒を売るものだが、いつもどこからともなくやってきて酒を飲んでゆく男に今日は名を尋ねようと語って、脇座に着座しました。

ゆったりした〔次第〕の囃子と共に登場した直面の前シテ/男(岡久広師)の出立ちは、ワキと同じ段熨斗目に茶絓水衣、白大口で黒い笠を戴いています。笠を被らず縷水衣・白大口姿のツレを三人連れて舞台に登場しての〈次第〉はもとの秋をも松虫の、音にもや友を偲ぶらん。これは『古今和歌集』仮名序の松虫の音に友をしのびの下りから引用されたものとのこと。シテとツレの道行の謡が阿倍野の原に近づくのを樽を据え盃を並べて待ち構えていたワキは、シテに早くな帰り給ひそと長居を勧めて、ここからシテとワキとが白楽天の「花下忘歸因美景 樽前勸酒是春風」を引用して酒の徳を讃える謡を交わします。連綿たる笛に乗った地謡による今は秋の風、あたため酒の身を知れば、薬と菊の花の下に、帰らん事を忘れ、いざや御酒を愛せんという詞章には、まこと身につまされるものがあります。

それはともかく、シテもまた囃子に乗って酔いにたゆたうように穏やかに舞台を回りましたが、ここでワキは松虫の音に友を偲ぶと今言ったがどういうことか?とシテに問いました。実際にはシテの直前の詞章の中にはこの言葉はなく、冒頭の〈次第〉の中の言葉を聞き咎めている構図になっているのですが、これに応えてシテは物語があるので語って聞かせましょう、と正中に下居。その物語というのは、昔この阿倍野の原を仲の良い男二人が連れ立って歩いていたが、松虫の音に惹かれた一人が草むらに入ったまま帰ってこず、心配したもう一人が後を追ってみると先の男は草の上で死んでいた、というもの。この物語を咽ぶが如く語っている間にもシテの姿は現し身のものではなくなっていき、シテは友を偲んで姿を変えて出てきた亡霊であると地謡が明かすうちにツレたちは退場。シテもまたこれまでなりと立ち上がって笠をかぶりました。しかしここで、ワキを代弁する地謡との対話(ロンギ)が始まるという珍しい展開になり、一旦一ノ松まで下がったシテは舞台に戻って古今集の歌

秋の野に人まつ虫の声すなり 我かと行きていざとぶらはむ

を引用します。その「とぶらはむ」(尋ねてみよう)を「弔はん」と読み替えて、亡霊となった自分を弔ってくれるのかと感謝の合掌を示したシテは、再び静かに舞台を去り、中入となりました。

間語リは例によって、シテが語った二人の男の逸話をなぞるものでしたが、ここで、実は友を探しに来た男はその死骸を見つけて嘆きのあまり後を追ったので、二人の死骸は一所に埋められたことが明かされます。

アイの勧めに従ってワキが弔いをしているうちに〔一声〕、そしてあらありがたの御弔ひやなと現れた後シテは黒頭、筋怪士面、法被の霊性を白縷水衣で隠し、紫の大口袴の出立。前場とは異なり力強い語り・謡で懐旧の情を述べたシテは、〈クリ・サシ〉では正中に下居したまま再び白楽天の「朝踏落花相伴出 暮随飛鳥一時帰友」を引用し、さらに〈クセ〉では地謡が酒の徳を謡い重ねます。奥山の菊の水、曲水の宴の盃、さらに虎渓三笑の故事を背景にシテも扇で菊水を汲む所作を示しつつ舞いながら友との厚情を示した後に、松虫の独り音に、友を待ち詠をなして、舞ひ奏で遊ばんと袖を翻して黄鐘〔早舞〕。勢いを増した鼓と笛とに乗っての懐旧の舞は、舞台を縦横に巡り、力強い足拍子を交えながらも、しかし哀感を帯びて優美です。

見応えのある黄鐘〔早舞〕がやがて終わり、キリでは機織る音をきりはたりちよう、松虫の声をりんりんりんりんと擬音で示しながら、いろいろの色音の中に松虫の声を聴き分けてなおも舞い続けていたシテでしたが、明け方の鐘の音にはっと気付いたシテはさらばよ友人と草茫々たる朝の原の中に消え、左袖を返して留拍子を踏むと地謡が虫の音ばかりや残るらんと謡って蕭条たる雰囲気のうちに終曲となりました。

金春禅竹作のこの曲、男性同士の思慕の情が主題となっているというのも類例がありませんが、そうした執心を持って現れたシテが成仏を願っているわけではなく、いつまでも友との思い出の松虫(待つ虫)の音に誘われ続けることを望んでいる様子であるところも変わっています。アイの勧めに応じてワキはシテを弔い、シテもまたそのことに礼を述べてはいるのですが、後場で謡われるのは成仏への希求ではなく、友への変わらぬ思慕の思い。キリの詞章の中でシテはさらばよ友人と消えていきますが、もしこれが弔いによって成仏するために二度と阿倍野に来ることができないという意味だとしたら、それはシテにとってはむしろ不本意ですらあり、実は「また来るから待っていてほしい」といったニュアンスをこそ込めたかったのだとも感じられました。それが詞章の本来の意図に合致しているかどうかは定かではありませんが、少なくとも松虫の音が鳴き渡る秋の野の物寂しい気配がこの夜の見所を覆っていたことだけは、間違いがないと思われます。

配役

狂言和泉流 吹取 シテ/男 野村万作
アド/何某 野村萬斎
小アド/亭主 月崎晴夫
観世流 松虫 前シテ/男 岡久広
後シテ/男の霊
ツレ/男 藤波重彦
ツレ/男 北浪貴裕
ツレ/男 松木千俊
ワキ/市人 高安勝久
アイ/所の者 高野和憲
杉市和
小鼓 幸信吾
大鼓 佃良勝
主後見 武田志房
地頭 角寛次朗

あらすじ

吹取

月夜に五条大橋で笛を吹くと妻を授かるという観音様のお告げを得た男は、笛が吹けないので代わりに友人に吹いてもらう。笛の音に誘われてやってきた小袖を被いた女は笛を吹いた友人に寄り添うため、慌てた男は引き離そうとするが、小袖をとった女は醜女。態度を変えて友人に押し付けようとするものの、今度は女が男を夫と認め、離そうとしない。

松虫

摂津国 阿倍野の市の酒売りのもとに、いつも訪れては仲間たちと酒宴をしていた若い男がいた。彼は酒売りに「松虫の音に友を偲ぶ」故事として昔の二人の男の心の交流を語り、実は自分がその男の幽霊なのだと明かして消え失せる。夜、男の霊が酒売りの夢枕に現れ、友と心通わせた日々、友との心を繋ぐ酒の徳などを語り、懐旧の舞を舞う。