文山立 / 巴

2015/02/27

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の企画公演で、狂言「文山立」と能「巴」。国立能楽堂でときどき行われる「働く貴方に贈る」企画なので、開演は19時です。

最初に、この日の能で地頭を勤める観世喜正師と主後見の味方玄師による実演解説「能に見る道具の扱い」というコーナーがありました。「巴」を題材に、まずは基本的な摺り足での運ビを取り上げ、前シテの里女と後シテの女武者との違いを演じ分けて見せた後、床几に掛かって馬上の姿を示したり、長刀を振るう様を示したり。見所に背を向けて橋掛リ方面から来る敵の軍勢を待ち受ける場面では味方師が「ここで敵の軍勢が見えなければ、皆さん(見所)の感受性がわるいのです。私のせいではないのです」と解説して観世師が「時間がないので()」とツッコまれていました。さらに、扇の使い方で月を見る三態の後、巴の最後の方で出てくる扇を義仲の形見に見立てて左手に広げ持つ形を見せ、シオリの形で締めくくりました。観世喜正師の流暢な解説、味方玄師の美しい所作に魅せられ、「巴」の予習もできて楽しい20分間でした。

文山立

「やるまいぞ!」「やれやれ!」と山賊二人が弓矢、槍を持って揚幕から橋掛リに飛び出してくるところから始まります。弓矢を持つアド/山賊(善竹富太郎師)はギョロ目で体格が良く、やや抜けている印象。槍を持つシテ/山賊(大藏基誠師)はどうやらアドに比べて知恵者風です。二人は言葉の行き違い(「やるまいぞ」と言っているのに「やれ」というから獲物を逃した)から山賊稼業がうまくいかないことに互いに腹を立て、弓矢・槍を投げ捨てると腰の刀に手をかけて取っ組み合いの果たし合いを始めるのですが、後見座方向へ押し込まれたアドが「後ろに茨畔があって痛い」と言えば真ん中に戻り、今度は脇正面へ押されたシテが「後ろに崖があって落ちたら死ぬ」と言えばまた真ん中に戻る、といった具合にユルい対決です。やがて見物する者がいなくては張り合いがないとか、このまま死んでは犬死になるなどと言うことになり、妻子に書き置きを残しておこうと二人並んで正中に座り込みました。最初はアドが出だしを考えるのですが、ボケ役のアドが「新春の御慶」だの「一筆啓上せしめ候」だのと畏まった書き出しをひねり出して見所の笑いを誘います。解説によればこれは、中世に流行した往来物と呼ばれる一種の教科書が下敷きにあるようです。ともあれ、それはないだろうということでシテにバトンタッチ。書置を見事に書き上げて悦に入り、アドのために読み上げますが、二人が喧嘩を始めたくだりの描写に「刀の柄に手をかくる」とあってこれを聞いたアドは飛び上がって本当に刀の柄に手をかけました。やれやれ、それなら二人で読もうとここからは声を合わせての謡になるのですが、書き留めたる水茎の、後に留まる女房や、娘こどものほえんこと、思いやられてあわれなりとなるに及んですっかり涙目。読み終えたとたんにおいおいと泣いてしまいます。結局は思い返し、誰も見てはいないのだから自分たちが了簡すれば喧嘩を止めてもよいではないか、と舞台上で仲直りしたところで終曲となり、静かに橋掛リを下がっていきました。

山立とは山賊のこと。間が抜けていて家族思いの山賊二人が無駄な争いをやめて「犬死せでぞ帰りける」と謡うこの狂言を、中世の鑑賞者(武家階層)はどう観たのか、感想を聞いてみたいものです。そして、自ら死ぬことを思いとどまったこの山賊二人と、主人の死に立ち会いながらその命によって後を追うことができなかった巴御前の姿とが、逆説的ながらどこかで重なり合うようにも思えたのでした。

「巴」は2012年に初めて観て、その引き締まった構成とドラマティックな表現にノックアウトされた曲です。そのときは宝生流で辰巳満次郎師のシテでしたが、今日は観世流・片山九郎右衛門師。平家物語の中でも壇ノ浦の合戦に次いで劇的な場面の一つである木曽義仲の粟津での最期に題材をとり、女であるがゆえに義仲の死に殉じることができなかった「うしろめたさの執心」が主題となる複式夢幻能です。

茶の絓水衣に角帽子のワキ/旅僧(高井松男師)が二人の従僧を伴って木曽から都へ出る途上、近江の粟津に着いたところから物語は始まります。〈次第〉行けば深山も麻裳よひ、木曽路の旅に出でうよ、そして木曽から美濃、尾張へと道行が続き、江州粟津の原への〈着キゼリフ〉。ここで大小の鼓が掛け声を長く引きゆったりと打つ〔アシライ〕出シのうちに前シテ/女が静かに登場しました。深井面、垣根に草花の絡む文様の紅無唐織を着流し、手に数珠を持ち、首にも長い数珠を掛けているようです。片山九郎右衛門師の声は朗々とよく通り、その声に乗ってシテの心情がダイレクトに見所に届いてくるよう。ワキとシテとの対話の中でこの粟津が木曽義仲の終焉の地であり、今は神となって祀られていることが明らかになると、木曽出身のワキは神前に向かい手を合わせ、これを見てシテも正中に下居して手を合わせますが、これはすなわち義仲の死に同道できなかった巴御前の幽霊が粟津に留まり義仲を祀る神社を守ることで義仲に寄り添い続けている姿です。しかし、正中に下居した姿から脇正を眺めて山の端に日が沈み入相の鐘の音が鳴り響くのを確かめたシテは我も亡者の来たりけり、自分の名を知りたければ里人に聞くようにという言葉を残し、常座からワキを静かに見下ろしてから去っていきました。

間語リで義仲と巴の離別、義仲の最期が語られ、シテが巴の亡霊であろうと推量したアイはワキに弔いを勧めます。待謡の後に高い笛の音から〔一声〕、登場した後シテ/巴御前は悲劇性を強調する白大口、そして前場と対照的に華やかな紅入唐織を壷折にし、烏帽子を戴き、面は増髪=乱れ髪をもち力強い女武者の性格をも示す活動的な女神面です。この曲での後シテの装束は演者によってかなり自由に選ばれ、武将としての力強さに力点を置くか女性の悲しさに注目するかによって選択肢が変わってきます。小書《替装束》の下で法被で甲冑を示したり長絹を着たりすることもあるそうです。長刀を振るい力強い足拍子、女ながら武将らしく堂々とした声で、驚愕した面持ちのワキとの対話の内に巴の執心を明らかにすると、長刀を後見に渡して扇を手にし(宝生流の演出では長刀は持ったままでした)、正中で床几に掛り義仲最期の様子を語る居グセ。頃は睦月の空なればからシテの心は義仲のものへと変わり、死に場を求めてひた走る義仲の馬が泥田に足をとられる様を鮮やかなまでにきっぱりと左右を見下ろす型で示し、足拍子を踏んで立ち上がると扇で鞭打つ形。ここはこの日の公演の冒頭の解説で実演されたパートですが、改めてその様式美と写実との両立に圧倒されました。ここでシテの人格は巴に戻り、正先(で虫の息の義仲)のもとに駆けつけて乗り替へに召させ参らせ、この松原に御供し、はや御自害候へ、巴も共と申し出るものの、汝は女なり、忍ぶ便りもあるべし、これなる守り小袖を木曽に届けよと厳命します。この義仲の言葉にシテはがっくりと手をついてシオリますが、ここで立ち上がって振り返れば迫り来る敵の軍勢。後見から長刀を受け取ったシテは修羅の心を取り戻して長刀を舞台に突き、激しく足拍子を踏み、目も眩むような飛び返りから長刀を車輪のように回し振る、恐ろしいまでの迫力で敵を三ノ松まで追い払います。

今はこれまでなりと舞台へ戻りしなに長刀を後見に預け、角から正先を見れば、義仲は既に自害した後。この日の演出では正先に小袖(に見立てた水衣など)を置くことはせず、これも実演解説の中で演じられたように扇を左手に水平に開き持ち、右手をついて形見を泣く泣く預かる形を示しました。そしてその場を立ち去ろうとするものの、シテは常座から義仲の遺骸を振り返り、脇正に膝を突いて扇を置き、太刀を外し、烏帽子も自ら外し、さらに後見の手によって唐織を脱ぐとその下の擦箔の小袖姿となり、太刀を胸に抱いて立ち上がると橋掛リに向かいます。後見の手によって手早く笠を被せられて一ノ松に立ったシテの姿には先ほどまでの女武者の猛々しさは微塵もなく、涙と巴はただひとり、落ち行きし後ろめたさの、執心を弔ひて賜び給へと右手を上げて拝む形をとるその様子は前シテに通じる弱々しいひとりの女性のもの。そして、前回観たときの演出では執心を弔ひてたび給へとワキに合掌してから立ち上がって踏む留拍子に自らの執心に区切りをつける救いのようなものを感じたのですが、この日の演出では巴の魂魄はどこまでも執心から逃れることができず、これからも永劫に義仲の終焉の地に留まり続けるのだろうと思われました。

片山九郎右衛門師のシテは、動と静の対比も鮮やかに巴の心情を演じ、修羅物の躍動感だけではないこの曲の奥深さを見せてくれました。とりわけ最後、わずかな時間の経過と距離の移動の中で完全に人格を切り替えた手際には、見事という言葉では言い尽くせないほど感動しました。ただ、それほどまでにシテの演技が素晴らしかっただけに、地謡がいまひとつまとまりに欠けたように思えたことが残念。それがなければ、この日の「巴」はこれまでに観た舞台の中でもベストの部類に入ったことでしょう。

配役

狂言大蔵流 文山立 シテ/山賊 大藏基誠
アド/山賊 善竹富太郎
観世流
替装束
前シテ/女 片山九郎右衛門
後シテ/巴御前の霊
ワキ/旅僧 高井松男
ワキツレ/従僧 則久英志
ワキツレ/従僧 野口琢弘
アイ/里人 茂山良暢
藤田次郎
小鼓 古賀裕己
大鼓 高野彰
主後見 味方玄
地頭 観世喜正

あらすじ

文山立

二人の山賊が、旅びとを追いかけて出てくるが、取り逃がしてしまう。お互いに言葉のやりとりの不備から不首尾に行ったことを責め合って、ついに果し合いを始めだす。しかし、このままここで人知れず死んだのでは犬死であるといって妻子に手紙を書くことにする。硯は持っていなかったが、矢立を持っているのでそれで書いてみようということになり、一緒に妻子にあてた手紙を読むうちに二人とも泣き出してしまう。ついに果し合いなど止めればいいのだということになって、連れ立って帰っていく。

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