薩摩守 / 紅葉狩

2017/11/30

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の企画公演で、狂言「薩摩守」と能「紅葉狩」。国立能楽堂がときどき実施してくれる「働く貴方に贈る」シリーズなので、19時開演と勤め人にはありがたい開演時刻です。

薩摩守

「さざなみや」や「行ゆきくれて」の歌の作者で悲劇の主人公・薩摩守忠度の名前が「タダ乗り」に引っ掛けられるという、忠度ファンの私にとってはなんだかなぁな曲。2008年にも見ており、そのときのシテ/出家は大藏千太郎師、アド/茶屋は善竹忠一郎師、アド/船頭は大藏彌太郎師。今回は船頭は同じで、シテが大藏基誠師、茶屋が大藏彌右衛門師です。

こちらは二度目なのでネタはわかっているのですが、それでも茶屋が出家に、船賃を求められたら薩摩守と答えよ「その心はただのり」とアドバイスすると客席から「おぉ!」と納得する声が上がってなんだかうれしくなってしまいました。ともあれ同じ大蔵流ですから演出も2008年とほぼ同じですが、強いて言えば出家が船に乗るときのゆらゆらがあまり強調されてはいなかったように思いました(前回は京劇「秋江」を連想するほどだったのですが)。その代わり、船頭が艪を操る動作に合わせて前に座った出家がゆらゆらと左右に揺れる動きの同期具合が実に見事。最初は船頭の掛け声に合わせて揺れていたと思うのですが、途中から会話に入ると共に出家の揺れに船頭が合わせるようになって、その自然な切り替えに感嘆しました。

それにしても今回改めて不思議に思ったのは、出家の人格です。青い水衣を着て爽やかな出立の出家は、最初は茶屋で茶を飲むのに代金が必要なことも知らない無垢な世間知らずに描かれており、茶屋から茶代りを免じられた上に船賃代りとなる秀句まで教えてもらったことに「旅は情け、人は心」などといたく感謝していたのに、神崎の渡しで船頭と対峙するとかなりのずる賢さを発揮して船に乗り込み、途中で多少の動揺は示しつつもまんまと対岸に渡りきるあたりはしたたか。最後は秀句の心を忘れて船頭に怒られ、面目ござらぬと出家が恐縮したところで終曲となり、二人の狂言師は演技を離れて静かに舞台を去るのですが、そこに狂言作者の冷徹な人間観察の眼が感じられて少しばかりの戦慄も覚えました。

実演解説 装束付け

続いて、この後の「紅葉狩」で地頭を勤める山階彌右衛門師がマイクを握っての装束付けの実演解説。モデル一人と着付け数名も舞台に上がって、縮緬の胴着の上に金の摺箔(菊菱小葵文様)、蔓を付け元結で留め、赤地紅葉総文様の唐織を着て蔓帯を結んで……と進む途中で随時解説が入ります。曰く「蔓は馬の毛が通常だが、女性の髪を使った本蔓は亡霊役で使う。これが顔に触ると気持ち悪く、そこに邪心が生まれてくる」「唐織の柄はシテだと紅白段、文様も花や蝶などをあしらって豪華。文様が重いほどランクアップします」「唐織の胸元を菱形に開くのは、着付に当たった光が反射して面が照る効果があるから。よって『隅田川』などでは逆に襟を立てない」「着流しの褄に斜めの線を作るのは、女性らしく足を細く見せるため」などなど。そしてここまでの装束付けは楽屋で行うものですが、最後に鏡ノ間で面に一礼をしてこれを掛け、心を込めていくと、一見無表情な能面に表情が出てくるという解説には凄みを感じます。そしてサービスとして「船弁慶」の静のクセ舞が仕舞形式で舞われましたが、地謡が横に揃う間、その前に面を掛けて立っているシテの立ち姿が、ある瞬間を境に静の心象世界に移行していることに気付いて強い衝撃を受けました。さっきまでの男性の姿は消え、そこに立っているのは間違いなく静御前なのです。

舞が終わった後に、一人残った山階彌右衛門師がおまけで扇の絵柄=玄宗皇帝+楊貴妃+女官たち=「梨園」の説明を行いましたが、梨園は別に歌舞伎だけのものではないし、むしろ歌舞伎の梨園は「離縁」ではないか?などとジョーク。そして「紅葉狩」の説明で締めくくりました。ぼったくりバーもかくやの宴会の後に、今日の演出は小書《鬼揃》によってシテ以外に五匹も鬼が出てくる豪華版ですが、江戸時代に能楽師が将軍をそそのかしてこの「紅葉狩」を演じたところ、後で老中から「経費がかさむから勝手に将軍に《鬼揃》を勧めるな」とお叱りがあったという記録があるそう。確かに、続いて観た「紅葉狩」はこれでもかというくらいの登場人物(?)の多さで、舞台が狭く感じるほどでした。

紅葉狩

こちらは2009年に松濤の観世能楽堂(当時)で武田尚浩師のシテで観ていますが、そのときはシテに従うツレは三人で、後場の立回りも一対一。それに対して今日は小書《鬼揃》がついているため、ツレは五人に増量しており、前場での舞は入れ替わり立ち替わり、後場の立回りも六匹の鬼が次々に打ち掛かるというもの。ただでさえ劇的な展開が得意な観世信光の作品である上に、こうした派手な演出が加わってもみじ葉の嵐が吹き荒れるような舞台でした。これは楽屋も大変なことになっていただろうなと、変なところで心配にもなりましたが……。

大小前に一畳台、その上には朱色の引回しの上に緑と紅の葉を載せた作リ物の山。連綿とした笛とリズミカルな大鼓の掛け声が印象的な〔次第〕の囃子に乗って、色とりどりの唐織に赤大口のシテ(観世芳伸師)とツレたちが舞台上に進んで向かい合いました。面は、シテが孫次郎、ツレが小面です。時雨を急ぐ紅葉狩、深き山路を尋ねん。〈名ノリ〉から「八重葎茂れる宿の淋しきに」(拾遺集・恵慶法師)を引用した詞章、そして地謡の初同が紅葉の山の情景を謡う間に女たちはシテを先頭とした鱗型の配置へ、さらに木の下に立ち寄りてを聞きながらシテが脇座で床几に掛かりツレがその向こうへ居並ぶ形となりました。絢爛豪華な唐織の女たちによるこのフォーメーションの変遷の流れるような美しさには、うっとり見惚れてしまいます。

しかし、惚れると言えばついで〔一声〕と共に出てきたワキ/平維茂(則久英志師)の美声。梨子打烏帽子に長絹を肩脱にして左手に弓、右手に矢という武者の出立ですが、〈一セイ〉面白や頃は長月二十日余り、四方の梢も色々に、錦を彩る夕時雨……と朗々と謡うその堂々たる存在感は素晴らしいものでした。これを受けて従者と勢子も声を張り上げ弥猛心の梓弓とワキの力強さを強調します。ところが、向こうに見えるのは女性たちの宴会の模様。ワキツレとアイとの問答の後にワキは酒宴の邪魔をするまいと馬から降りて通り過ぎようとしたのですが、ここでシテがワキに「せっかくだから寄っていきなさいよ」と声を掛けました。これを固辞して立ち去りかけたワキも、角までやってきて「立ち寄らないなんて情けない、見捨てないで」とワキの袖を引くというシテの大胆な勧誘(なるほどこれが「ぼったくりバー」か)にさすが岩木にあらざれば、心弱くも立ち帰ることになってしまいます。このシテの積極攻勢にワキがたじたじとなって後ずさるあたりから、孫次郎面で成熟した魅力を発揮するシテの妖しさ満載。正中のシテによってワキは脇座に押し込められたような配置となり、両者下居して〈クリ〉げにや虎渓を出でし古も・〈サシ〉林間に酒を煖めて紅葉を焚く(白楽天)を聞くうちにワキはシテの虜になっていく様子です。そして〈クセ〉に入りシテは立ち上がって常座で床几に掛かると、ツレNo.2がワキにお酌。ツレNo.3と4が扇を手にゆったりと舞い始めました。〈クセ〉の上ゲ端はこのツレ二人が謡い、さらに〈クセ〉が終わると再びNo.2がお酌。そして舞い手はNo.5と6に交代し、これまた優美な合舞が続き、地謡が堪へず紅葉と謡ったところから、リズミカルな大小と浮き立つような笛に乗っての〔中ノ舞〕。ややって二人は元の位置に戻りシテが立ち上がって〔中ノ舞〕を引き継ぎましたが、この頃にはすっかり酔ったワキは左手の中啓を浮かせた姿で寝入ってしまいました。これを見たシテは静止し、ゆっくりワキに近づいてこれを見込むと、突如囃子方と共に全速力での〔急ノ舞〕となります。その激変とスピード感に圧倒されているうちに夜の嵐の凄まじい情景が謡われ、シテはワキに向かって夢ばし覚まし給ふなよと足拍子を踏んで威嚇すると、作リ物の中への中入。〔来序〕の囃子が奏される中、ツレたちも静々と下がっていきました。

アイは武内の神(大藏吉次郎)。八幡大菩薩の命で飛んできたというその甲高い声での説明によってここが戸隠山でありワキはその鬼を退治する使命を帯びていたことが明らかにされると共に、まだ寝入っているワキの膝の前に神剣を置いて、目を覚ませと足拍子を踏んで下がっていきました。

ワキがようやく目を覚まし、剣を押し戴くと後見の手を借りて烏帽子を鉢巻に替え、長絹を脱いで敵を迎え撃つ態勢に入ったところで、揚幕から唐織を被いた後ツレの鬼たちがぞろぞろと登場しました。そして、山の中からも鬼の形相のシテが登場。シテのみ黒頭でツレはみな赤頭、しかも紅葉の枝を手にしていますから、橋掛リの上は極彩色の華やかさです。そしてここから〔舞働〕。二人一組で入れ替わり立ち代わりワキに迫る動きは極めてスムーズで、般若面により視界が制限されていることを微塵も感じさせないほど。これをはねのけられたツレたちがいったん橋掛リに退き一斉に紅葉の枝を構えると、シテも山に手を掛け打杖を振り上げてワキを威嚇しました。しかし維茂少しも騒がずして剣の鞘を払い、乱入してきたツレたちで狭くなった舞台上でシテと組み合い、いったんは圧倒されて膝を突いたものの剣で切り払います。これにツレたちは一目散となって橋掛リを逃げていき、シテも山に逃れようとしましたがシテに追いつかれて刺し通され、がっくり前のめりに安座。最後はワキが剣を構えて威勢を示したところで終曲となりました。

なるほど!小書《鬼揃》の豪華絢爛さを存分に堪能しましたが、大勢いることで見た目に華やかというだけでなく、大勢のツレたちの一糸乱れぬ動きの鮮やかさにこそ、この小書の価値があるのだと感じました。それにしても、一度この小書つきで観てしまうと、常の演出で見る気にはなれなくなってしまうのではないかとちょっと心配。それぐらいのインパクトがあった、この日の「紅葉狩」でした。

配役

狂言大蔵流 薩摩守 シテ/出家 大藏基誠
アド/茶屋 大藏彌右衛門
アド/船頭 大藏彌太郎
観世流 紅葉狩
鬼揃
前シテ/女 観世芳伸
後シテ/鬼
ツレ/侍女・鬼 清水義也
ツレ/侍女・鬼 角幸二郎
ツレ/侍女・鬼 武田宗典
ツレ/侍女・鬼 坂口貴信
ツレ/侍女・鬼 木月宣行
ワキ/平維茂 則久英志
ワキツレ/従者 大日方寛
ワキツレ/勢子 野口琢弘
ワキツレ/勢子 御厨誠吾
アイ/供女 大藏教義
アイ/武内の神 大藏吉次郎
竹市学
小鼓 清水晧祐
大鼓 飯嶋六之佐
太鼓 大川典良
主後見 上田公威
地頭 山階彌右衛門

あらすじ

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紅葉狩

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