鬼継子 / 忠度

2018/01/19

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の定例公演で、狂言「鬼継子」と能「忠度」。今年最初の国立能楽堂は、冷え冷えとした空気の中にいつものように佇んでいました。

今回は珍しく脇正面からの観能で、席は揚幕の中の「オマ〜ク」という声も聞こえる位置でしたが、この角度で観るのはとても新鮮な感じがします。

鬼継子

シテ/鬼は石田幸雄師、アド/女は野村萬斎師。最初に美男葛に白い着流しの女が登場しますが、この女は越中芦倉の里に住んでいたものの、夫の藤五三郎と死別したために忘れ形見の子供と共に実家へ向かうところ。よって胸に赤子の人形を抱いているのですが、これがちゃんと着物を着て目鼻も髪も描かれた人形であるというところがリアルです。心細い道もいつしか日が暮れてしまい、そこへ「人くさい」とブツブツ言いながら怖そうな鬼がやってきました。鬼の姿は、金の三角帽に赤い髪、段の法被(?)を着て、濃い茶色の面を掛けています。

鬼は女を捕らえて食べようとするものの、その容貌を見て女に身の上を尋ねてみれば、夫の三郎は生前伯父の老馬を盗んで若馬に見せかけて売った罪で地獄に落ち、この鬼の手で舌を抜かれ臼で挽かれ篩にかけられといった責め苦にあっていました。それを聞いた女は悲しみ、三郎を極楽にやってくれるよう閻魔大王にとりなして欲しいと鬼に頼みました。すると、鬼は女が再婚していないことを確認した上で、自分の言うことを聞くなら三郎を極楽へやってやる、まずはこの綻びを縫ってくれと袖をさし出しましたが、これを聞いただけで女は鬼が自分を妻にしたがっていると察して恐ろしがったので、鬼はかえって女の勘の良さを好ましく思い、ストレートに求婚しました。一度は拒んだ女も、それならとって食うぞと脅されて仕方なく求婚を受け入れることにしましたが、その代わり忘れ形見の息子を可愛がってくれるならと交換条件。鬼は片手を伸ばして人形の襟首をつかんでしげしげと眺め、これはうまそうだ…と言い出したために女は大慌て(見所は大笑い)。

結局は女の主張が通って鬼は女と赤子をまとめて住まいへ連れ帰ることになったのですが、住まいはどこかと聞かれた鬼の答えは「地獄じゃ」。死んでからでも行きたくないのに、生きながら地獄へ行くとは、と渋る女に鬼は「名を聞けば恐ろしいが、住み慣れれば住みよいところじゃ」と説得。そこで女が地獄へ行く支度をする間、子守を任せられました。子守などしたことがないと憮然とする鬼でしたが、女に言われるままに赤子を抱いてみるとその笑い顔に鬼もうれしくなってしまいます。「ちょうち、ちょうち」と呼べば手を叩き、「塩の目」と言えば目をしょぼしょぼさせるので、鬼は大笑い。その大声に泣き出した赤子をあやそうと、鬼は舞いながら謡い出しました。

鬼の継子を肩に乗せて、御所へ参ろう、御所へ参ろう。でろでろでろや、どろろん、どろろん。

赤子が泣き止んだところで女に言われるままに人形を床に置いた鬼は、なぜか無言になって、人形を右から左から覗き込むような仕草……ここでふっと空気が変わるのが遠くからでもはっきりわかりました。不安に思った女が「のうのう、これは何をさっしゃる?」と問うと、鬼は「…あぁぁ、うまそうな。一口に頬ばろう!」。先ほどまでの人の良さはすっかり消え、鬼の本性がストレートに迸り出ました。女は慌てて赤子を抱き上げ、「助けてくれい」と逃げていき、鬼は「とって噛もう」と追い込んでゆきました。

最後の部分は逆に女が怒って鬼を追い込むという演出もあるそうで、これなら喜劇ですみますが、鬼が女を追うこの結末では、女と赤子は逃げ切れたのだろうか(逃げ切れまい)?と想像すると、実はかなり怖い話だという気がします。

忠度

平忠度は平忠盛の六男、清盛の年の離れた異母弟で、熊野に生まれ育ったとされる文武に秀でた武将でしたが、一ノ谷の合戦で討死をしました。この平忠度を主人公とする能としては以前「俊成忠度」を観ていますが、どちらも『平家物語』巻七「忠度都落」と巻九「忠度最期」に題材をとった二番目物ながら、内藤河内守作の「俊成忠度」は『千載和歌集』に詠み人知らずとして収められたさざなみや志賀の都はあれにしを 昔ながらの山櫻かなの歌を主題とし、撰者・俊成のもとへ忠度の霊が恨みを述べに来るという一場物の現在能の中に修羅の闘争の様子が織り込まれているのに対し、世阿弥作のこちらの「忠度」は、忠度の箙に付けられていた短冊に書かれていた歌行き暮れて木の下蔭を宿とせば 花や今宵の主ならましを一曲の中心とする複式夢幻能。場所もまさに忠度が討たれた須磨で、『源氏物語』の「須磨」を思い起こさせる表現を散りばめながら、クライマックスでのシテは修羅道ではなく自身が討たれた場面を再現して見せます。

修羅の厳しさを予感させるヒシギ、そしてふくよかな小鼓と簡潔な大鼓の音による〔次第〕。着流僧出立のワキ(福王和幸師)とワキツレ二人が登場しての〈次第〉は花をも憂しと捨つる身の、月にも雲は厭はじ。藤原俊成の身内であった彼らは、俊成が亡くなった後に出家し、今は西国行脚の途上。道行の詞章が深くゆったりと詠われた後に須磨に着き、ここに桜の木が立っていることが明示されました。この若木の桜は『源氏物語』「須磨」に登場する桜であると共に、後に忠度の墓標でもあることが明かされます。

〔一声〕に呼び出されるように登場した尉出立の前シテ/老人(佐野登師)の面は三光尉。左手に木の葉を持っていますが、小書《替之型》の場合はシテは後の詞章薪に花を折り添へてに対応し桜花をさした柴(塩を焼くための薪=塩木)を負った姿で登場することになっているようです。以下〈サシ〉の中で海士としての辛い境遇を嘆き、在原行平の歌藻塩垂れつつ詫ぶと答へよを引いて須磨の浦の寂しさを説明すると、逆縁(通りがかり)ながらと言いつつ脇正のある人の亡き跡のしるしの木の前に木の葉を手向けて静かに手を合わせました。ここからシテに声を掛けたワキとの問答となり、海士=山人、浦風に山桜が散る、など、藻塩を焼くための柴集めという仕事や、山が海に迫る地形といった須磨ならではの事情が地謡も交えて謡われましたが、そうした中で両手を前に重ねて中正面遠くを見やるシテの立ち姿には気品が漂います。

ここでワキが、日が暮れたので一夜の宿を貸して欲しいとシテに求めたところ、シテはや、この花の蔭ほどのお宿の候ふべきかと意外な答を返し、これに対しワキがげにげにこれは花の宿なれどもさりながら、誰を主と定むべきと問うと、ここでシテは行き暮れて……の歌を持ち出して、その歌を詠った人もこの下にいると告げ、この木が薩摩守忠度の墓標であることがここで明かされます。俊成の身内であったワキたちにとってもこれは不思議の縁と回向の声を桜の木に向けると、中央に下居したシテはこれを我が事として喜び、合掌。不思議に思ったワキの問い掛けにシテは、僧に弔われようと思ってここまで来たのだと自分が忠度であることをほのめかし、夕べの花の蔭に寝て、夢の告げをも待ち給へ、都へ言伝申さんと言い残して、無音の中をゆっくりと下がっていきました。

所の者(高野和憲師)による間語リは、桜の謂れと忠度の最期を朗々と語って見事。そしてワキとの問答のうちに蕭条とした笛が入り、ワキが旅寝に入ると共に〔一声〕となって、後シテ/平忠度が橋掛リに登場しました。その出立は、梨打烏帽子に中将面、白地に亀甲紋が美しい厚板の上に浅葱色の長絹を肩脱ぎにし、下は白大口の裾に浜の松と扇の絵を茶で墨絵風に描き、短冊をつけた矢を腰にさして一ノ松に立つその姿は平家の公達らしく気品に溢れるものです。

こうしてワキの夢に現れたのも、千載集にとられた「さざなみや」の歌が詠み人知らずと書かれたことを妄執とするものである、俊成亡きいま、その身内であったワキには定家に作者名をつけるよう頼んでほしい、と物語るとシテは一気に舞台へ進み、正中で床几に掛かる間、地謡、ワキは忠度の和歌への造詣に言及するものの、情景描写はテンポよく平家都落ちの場面となりました。落ちる途中で都に引き返し藤原俊成に千載集へ自身の歌を入れるよう頼んだ忠度は西へ、そして須磨へと転戦しましたが、舞台上に扇を構えて足拍子を踏み鳴らすシテの姿には武将としての力強さが漲ります。シテが橋掛リに移り、二ノ松から一ノ松へ戻ったときには早くも、一ノ谷の合戦は平家一門が海上に逃れようとする場面。自分も船に乗ろうと正中へ戻ったところで、背後から迫る岡部六弥太との悲壮な一騎打ちとなりますが、組み合って馬から落ち、六弥太を上から押さえつけている姿でその首を取ろうと刀を手に掛けたとき、追いついてきた六弥太の郎党に右腕を斬り落とされて扇を持つ右手をはらりと落としました。覚悟したシテは巻いていた左手の袖を外へ振って六弥太を投げ捨て、安座すると左腕一本で拝んで十念を唱えるうちに六弥太に首を落とされるさまを首の近くに掲げた扇で示します。

六弥太心に思ふやう

シテのこの言葉から、その視線は忠度ではなく六弥太のものとなるのがこの曲の独特なところ。公達の出立のままのシテが東国武者である六弥太を演じるのは本来なら違和感があるべきところですが、世阿弥は「忠度最期」に描かれた短冊を見つける場面を省略することができず、見所の観客もまたそれを是としています。その六弥太が傷はしやと忠度の死骸を見下ろして錦の直垂に身分の高さを見て取ったところ、その箙には短冊を付けた矢。装束を重ね面で視界を限られた中でこの矢を背から抜き取るのは至難らしくこの日のシテも後見のサポートを得ていたものの、後見の動きは淀みなく自然で、戦場だと言うのに静かな悲しみが舞台上に漂ううちに、シテが短冊を眺めてこの曲のクライマックスとなる歌「行き暮れて」が謡われました。

行き暮れて木の下蔭を宿とせば 花や今宵の主ならまし

流儀や演出によって、上の句と下の句の間に〔立回リ〕を入れたり、何も入れなかったり、異なる位置(海上へ逃れようとする場面)に〔カケリ〕を挿入したりするそうですが、この日の演出では、初句行き暮れての後に感情の高ぶりを示す〔カケリ〕。舞台上を廻り足拍子を踏むシテの姿には深い悲哀が漂い、佐野登師の身体と心とに討った六弥太と討たれた忠度とが同化したかのように見え、観ているこちらも舞台上に現出した八百年前の須磨の浜に引き込まれるような錯覚を覚えました。そして〔カケリ〕の後に歌の残りが謡われ、短冊に忠度と書かれたりと六弥太は自分の討った相手の名を知って悲しみにくれたところで、シテの人格は忠度の霊に、時制は現在の旅僧の夢の中に戻ります。

我が跡弔ひて賜び給へ 木陰を旅の宿とせば 花こそ主人なりけれ

このキリの詞章と共に、シテは常座で左袖を返して留拍子。ここでワキの旅僧の夢が覚めるのと同時に、見所もまた正気を取り戻したのですが、そのときの見所はまだ現代の国立能楽堂ではなく、旅僧が忠度の霊と言葉を交わした須磨の浜のままであったように思いました。

「行き暮れて」の歌は『平家物語』にしか登場せず、したがって本当に平忠度作であるかどうかはわかっていません。しかし世阿弥によるこの「忠度」を観れば、この点をあえて疑おうとはもはや思いません。

配役

狂言和泉流 鬼継子 シテ/鬼 石田幸雄
アド/女 野村萬斎
宝生流 忠度 前シテ/老人 佐野登
後シテ/平忠度
ワキ/旅僧 福王和幸
ワキツレ/従僧 村瀬慧
ワキツレ/従僧 矢野昌平
アイ/所の者 高野和憲
森田保美
小鼓 森澤勇司
大鼓 石井保彦
主後見 宝生和英
地頭 辰巳満次郎

あらすじ

鬼継子

昨秋に夫と死別した女は、わが子と共に実家に帰ろうとする途中、鬼に出会う。女の容貌に興味を持った鬼は、夫を地獄の責め苦から救うことを条件に女に自分の妻になれと迫り、女は一度は拒んだものの、息子を可愛がってくれるなら妻になろうと返答する。妻が支度している間、妻に教えられながらあやしてみると赤子が喜ぶのが楽しくなってきた鬼だが、下に置いたところ鬼の本性が蘇って赤子を食べようとし、驚いた女は赤子を抱いて逃げていく。

忠度

藤原俊成の旧臣である僧の一行が須磨の地を訪れ、由緒ありげな桜の木のもとへ至ると、一人の老人が現れる。僧たちは老人と言葉を交わし、宿を借りたいと願い出るが、老人は「この桜の蔭ほどの宿があろうか」と言い、俊成の弟子であった平忠度の和歌を教えると、夢中での再会を約して消え失せる。その夜、僧たちの夢の中に平忠度の霊が現れ、俊成が撰者をつとめた『千載集』に自らの歌が選ばれたものの、朝敵の身を憚って「詠み人知らず」とされてしまったことの未練を述べ、次の撰集の際にはきっと作者の名をつけて自分の和歌を採ってくれるよう俊成の子・定家に伝えてほしいと語る。忠度は、平家都落ちの只中に都まで引き返して俊成に自らの歌を託したこと、討死に際しても歌の短冊を箙に挿していたことなどを明かし、歌道への執心のほどを述べると、花の蔭に消えていく。