自然居士

2019/06/07

セルリアンタワー能楽堂で、Bunkamura30周年記念「渋谷能」のプログラムの一つ「自然居士」。テーマは「正義」。

この日の公演は、第二夜「熊野」に続く第三夜。喜多流の出番です 。

座席は前回と同じく脇正面の左端、前から二列目。ここからは地謡が正面に見えますが、この日の地謡はなぜか六人編成でした。

自然居士

観阿弥作の四番目物。「居士」とは出家せずに仏道修行する男子の称号で、本曲の主人公・自然居士は、半僧半俗の姿(よって有髪)で話芸や舞を巧みに用い仏の教えを民衆に説く一種の芸能者です。その自然居士が、東国に連れ去られようとしていた少年[1]を救い出すべく人買いと渡り合い、返還の引き換えにさまざまな芸を見せるという趣向のこの曲は、人買い対門前の者、自然居士対人買いという対決が見どころです。2010年に初めてこの曲を観たときには森常好師の人買いのド迫力に圧倒され、おかげで以来しばらくは「森常好師=悪いヤツ」という等式を払拭することができなかったほど。

まず〔名ノリ笛〕があって素袍裃姿のワキ/人商人(大日方寛師)とワキツレ/同(御厨誠吾師)というニヒルな悪役二人が登場し、東国から都へ登った人商人であると名乗った上で、子供を一人買い取ったものの暇を与えたところ戻ってこない、聞けば東山雲居寺[2]の自然居士が説法をするということなのでそこにいるかもしれないから尋ねてみようと思う、と迫力のある声色で説明しました。この曲でこのように最初にワキとワキツレが名乗るのは下掛三流(金春・金剛・喜多)の演出で、他の二流は狂言口開となるそうです。

ワキとワキツレが脇座に移ったところでアイ/門前の者[3](高澤祐介師)が登場し、自然居士が雲居寺造営のための寄進を募るべく七日間の説法を行なっており、今日が結願であると触れて回ります。ついでアイの呼び出しに応えて登場したシテ/自然居士(佐々木多門師)は位の高さを示す紫の水衣に袈裟にあたる掛絡を掛け、下は白大口。面はもちろん喝食[4]です。大小前で床几に掛かったところで、舞台上は雲居寺の境内、見所は雲居寺に集う群衆。一代教主釈迦牟尼宝号……と唱えるうちに柿色の振袖に緑の袴を着用した子方(大村稔生くん)が登場。アイは子方からオレンジの小袖を受け取って舞台上に案内すると、小袖を床に広げ、文をシテに渡しました。シテが読み上げたこの文は諷誦文。我が身を売って得た「蓑代衣」を寄進するので亡き両親を供養してほしいという内容にシテははっと子方を見やって感じ入り、群衆も袖を濡らさぬ人はなしとなりましたが、ここで空気をがらりと変えるごとく、ワキとワキツレが立ち上がって角に座している子方に迫りました。邪悪な顔つきのワキツレが子方の背後から立てとこそと引き立て、これをアイが阻止しようとするとワキは様がある(わけがある)と一喝、さらに食い下がるアイに今度は腰の刀に手をかけて再び様がある。その迫力には見ている方もたじたじです。

いったん引き下がったアイがシテに事の次第を報告すると、シテは諷誦文の内容から少年が人買人に連れて行かれたことを察します。大津松本へ向かうだろうから自分が追いつこうというアイを制して、シテは説法を中止して自ら人買人を追うことにしました。それでは七日の説法が無になってしまうと驚くアイに返すシテの言葉が重要です。

げに説法が無にならうずるよな、さりながら説法には善悪を知らしめんがためなり。今の幼き者は善人、商人は悪人、すは、善悪の二道ここに尽きたり。

法を説くだけではだめなのであり、事の起きたときには善悪を明らかにする行動が必要だ、といった趣旨かと思いますが、「自然居士」が作られた当時、末法の世にあって「正義」を高らかに宣言するこの台詞が観る者に与えたインパクトは相当なものであったことでしょう。このシテの覚悟に地謡も呼応します。

仏道修行のためならば、身を捨て人を助くべし。

アイは、小袖を拾い上げてシテの後ろからマフラーのようにシテの肩にかけ、床几からシテが立ったところで鬘桶を後見に渡すと、切戸口から下がりました。一方、ワキとワキツレは脇座に立って右肩を脱ぎ、手には櫂に見立てた竹棹を持ってそこともいさや白波の(どこへ行くともわからずに)と謡いながらのんびり舟を漕いでいる形です。地謡と囃子方の高揚は、東山から大津への道のりを果たしてシテは間に合うのか?という緊迫感。シテは橋掛リに下がって揚幕の前で足拍子を踏むと、すたすたと常座に出て脇座に対しのうのうその舟へ物申そうと声を掛けました。ここで一転して、シテのいる常座は湖岸、舞台中央は琵琶湖になります。この舟を何舟とご覧ぜられて候ぞと問うワキにその人買ひ舟の事ぞうよと先制パンチをくらわせてワキはああ音高し何と何とと周章狼狽。ここからのシテとワキとのやりとりはテンポよく、まるで言葉のボクシングを見ているようで、徐々に優位に立っていくシテの様子は説教者である自然居士の面目躍如といった感じです。

とにかくこれは返すからと言って小袖をワキに投げつけ[5]、水にざぶざぶと入って舟に取り付いたシテにワキは腹を立てるものの、相手が僧の姿をしているので打つことができないというのは、人買人にも一応の禁忌があると共に、先ほどワキが慌てたようにここが船着場で衆人環視の下にあるという状況にもよるものらしく、これは自然居士の計算に入っている模様。苛立ったワキは子方を打つのですが、扇で棹をばしばしと打つ音が高く響いてこれまた迫力がありました。打たれても声を出さない子方に「もしや死んでいるのか」と心配して駆け寄り立たせたものの、猿轡をはめられていることがわかって一安心したシテは、説法をやめてここまで来たのだ、この子を返せ、人買人に買った者は返さぬという法がある(人買人の掟らしい)というなら、自分にも人を助けられねば寺へは戻らぬという決まりがある(これはおそらく自然居士のアドリブ)、寺へ戻れないのなら自分も陸奥へ行くまでで、とにかく舟からは下りないぞと下居します。ワキが痛い目に合わすぞと脅せば修行と同じことと涼しい顔で応じ、命を取るぞと迫っても怯まず扇で膝を叩いて両裾をからげ座り直し取れるものなら取ってみよと言わんばかり。ああ言えばこう言う、脅しても開き直るといった自然居士の振舞いにワキはとにかくこの自然居士にはつたともてあつかうて候と困り果てた様子で、少し同情してしまいました。

ワキとワキツレは、大小前で肩を直してから作戦会議。どうしようと問うワキにワキツレは、舞の名手であるという自然居士に舞を舞わせ、さらに散々になぶってから子供を返すことにしてはどうかと提案しました。これに同意したワキはシテに舟から下りるように頼むのですが、シテは簡単には下りないよと反発。自分たちも陸に上がっているんだから大丈夫でしょう、とワキが重ねて下船を求め、これに対しシテが船頭殿のお顔の色こそ直つて候へと余裕をかますとすかさずいやいやちつとも直らず候とぴしゃり。さらに舞を所望したワキに対してシテが舞は舞ったことがないのでいで説教を説いて聞かせ申さうと言うものだから、ワキはあら聞きたうもなの説教や候とキレ気味。これら一連のやりとりは、ほとんど現代のコントのノリです。

この後は芸尽くしとなり、大小前で後見の手際良い作業により烏帽子をつけたシテは一段と烏帽子が似合ひて候と皮肉に褒めそやすワキたちの意図を理解しつつもまずは〔中ノ舞〕を舞いました。囃子方の力のこもった演奏に乗ったしっかりした舞は意外にしっかりしたものだと思われましたが、ワキはあまりに舞が短うて見足らず候はいかにと不満顔。では舟のめでたい由来を語って聞かせようと、中国の黄帝の時代に蜘蛛が水面に浮かぶ柳の葉に乗って岸に渡った姿からヒントを得て舟が発明され、これによって海を隔てた逆臣を討って御代を平和に治めたという故事を謡う地謡を聞きながらのクセ舞。自分たちの舟が褒められたように思って悪い気はしないワキが今度は簓を擦ってくれと所望するので、扇を数珠に当てて擦音を出しながらほぼ爆音状態の囃子方と地謡を従えて簓之段を舞いましたが、先に小袖を投げつけたときに水衣の袖に絡んだ数珠の房が縒れてしまったような状態になっており、ここだけは少し残念でした。

最後に鞨鼓を打ってくれと求められてさすがにシテはこの後はふつつとなぶられ申すまじく候)と念押しをしてから後見座で掛絡を外し、肩を上げて鞨鼓を腰に付けました。そしてキリの詞章もとより鼓は波の音……を背に鞨鼓の舞[6]。撥を手に鞨鼓を打ちながら舞台を回り、膝を突き、正先で強靭な足拍子。橋掛リに移動して一ノ松の高欄を撥で叩き、その撥を捨てると子方へ駆け寄って揚幕へと送り出します。最後にシテは扇を開いて舞台を巡り、共に都に上りけりを聞きながら常座で留拍子を踏みました。

事前講座によるポイント解説

  1. ^喜多流では少年(幼き者)、他流では少女(十四五ばかりなる女)。喜多流で少女が出てくる曲としては「雲雀山」の中将姫があるが、位が高くなる。
  2. ^今の高台寺のある地にあった寺。読みは「うんこじ」。子供たちにこの寺の名前を聞かせると笑い声が上がる。
  3. ^この曲のアイは、積極的に演技に参加する上に、鬘桶を扱ったり子方の世話をしたり小袖を敷いたりとすることが多く、気を使う役だ。
  4. ^あらかじめ用意してあったのは輝くように白い面と飴色になった面の二種類でしたが、本番で選択されたのは後者。
  5. ^ここは気合いを入れて投げる。
  6. ^「自然居士」の舞の面白いところは「まともに舞わない」こと。いやいや舞っているのでしっかり舞ってはならず、たとえば鞨鼓の舞でも三つ打つべきところを二つしか打たないなど、省略ポイントが決まっている。しかし、それでも舞として見事でなければならないという点が難しい。

「自然居士」は久しぶりに観ましたが、改めて面白い曲だと思いました。事前講座で佐々木多門師がおっしゃっていたように、これは芸尽くしの曲であるというより「対決」の曲。シテ、ワキ、アイのそれぞれに人間的な強さがあってその気迫が舞台にあふれるところに魅力があり、そのことをこの日の気合い十分の舞台は存分に示してくれていたと思いました。

なお、今回こうして振り返る際に喜多流の詞章と観世流の詞章を見比べたのですが、随所に違いがあってこれも面白い。上述のように子方が少年か少女か、あるいは最初にワキが登場する狂言口開かという演出上の根本的な違いの他にも、観世流ではたとえば、子方をさらわれたアイが取り返しに行くことを進言したときシテは「人買人は代金を払って女を連れて行ったのだから道理で、取り戻そうとするこちらは僻事である」と冷静に説いたり、シテに「こうなったら陸奥まで連れて行け」と言われてワキとワキツレが相談する場面で「人買人がわざわざ都に上って人を買えずに説教者を連れて帰ったなどとなっては大ごとだ」とワキツレが分析したりしていて、こうした点では説明が行き届いています(もちろん、喜多流の詞章の方が充実している部分もあり、どちらかが省略形であるということではなさそうです)。そして、核心部の詞章は観世流ではこうなっていました。

いやいや説法は百日千日きこしめされても、善悪の二つを弁へんためぞかし。今の女は善人、商人は悪人、善悪の二道ここに極つて候ふはいかに。

いずれはさまざまな流儀で「自然居士」を見比べてみて、その違いの意図がどこにあるのかを考えてみたいものです。

配役

喜多流 自然居士 シテ/自然居士 佐々木多門
子方/少年 大村稔生
ワキ/人商人 大日方寛
ワキツレ/人商人 御厨誠吾
アイ/門前の者 高澤祐介
松田弘之
小鼓 成田達志
大鼓 谷口正壽
主後見 狩野了一
地頭 友枝雄人

あらすじ

自然居士

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終演後、今回もアフターパーティーに参加しました。

主役たちが着替えるまでの間を利用して、宝生流の高橋憲正師と和久荘太郎師が次回の「藤戸」をPR。地頭を勤める予定の和久荘太郎師は「宝生流は地謡が八割ですから」とシテを横に置いて大胆な宣伝をしていました。

先に着替えを済ませた松田弘之師が評して、ワキの悪役ぶりはなかなか、シテは「息が深い」なと思いながら聞いていたという話をされた後にその二人も合流しました。お疲れさまでした。

さらに苗字は違うものの兄弟であるという成田達志師と谷口正壽師が場をさらに明るく盛り上げた後、それぞれのテーブルに能楽師の方々が散らばりました。私のいるテーブルにやってきた谷口正壽師に聞いたところ、この曲の申合せはこの日の17時から飛ばし飛ばしで行われたそう。それでも囃子方は常時100曲くらいはストックがあるので大丈夫なんだそうです。また、帰り際に佐々木多門師ご自身に面の選択について聞いてみたところ、落ち着いた雰囲気を出したかったので飴色の方を選んだとのことでした。