小商河 / 双下山 / 貴妃酔酒(上海京劇院)
2002/06/29
天王洲のアートスフィアで、上海京劇院の「小商河」「双下山」「貴妃酔酒」。上海京劇院は先月も「白蛇伝」を観ていますが、今回は小品三本を並べたものです。
小商河
重装備の武生による勇壮な立回りを中心とする武戯。楊再興役の奚中路は鎧を模した重厚な衣裳に四本の旗を背中に立て、長槍を持って威風堂々と登場します。このいでたちではあまり動きはないのだろうと思っていたらとんでもない誤解で、身体を斜めに傾け片足を軸にしてぐるりと回転したかと思えば、槍をぶんぶん振り回したり宙に投げ上げてくるくると落ちてきたところをはっしと受け止めて見得を切ったり、敵方との立回りでもかなりスピーディーです。特に敵将・金兀術(楊冬虎)との一騎討ちは重戦車同士の激突のようで、しかも目もくらむような槍術のやりとりが凄い迫力。最後は敵の矢を身体中に受けて背中からどうと倒れて終わります。いや、いきなりノックアウトされました。
双下山
この演目が自分としてはお目当てで、「白蛇伝」の小青役で愛らしい演技がすっかり気に入ってしまった花旦の劉佳に、道化役のセンスと非凡な体術をあわせ持ち日本にファンが多い厳慶谷の組み合わせです。「双下山」は、若い僧・本無と尼僧・色空がそれぞれに仏門を捨てて寺を逃れる途中で出会い、いつしか惹かれあっていくというストーリーの楽しい芝居。前半は本無が寺を出るまでの間のさまざまな仕草がおかしみを誘う場面で、特に佛珠をフラフープのように首の周りで回し、その回転が横軌道から縦軌道になったと思ったらはっと佛珠が宙に飛び、それをそのまま首にすっぽりと受け止めて回し続けるという技が披露されて拍手喝采。本無が俗世を目指す中盤から劉佳の登場で、その際立った表情の華やかさで舞台がぱっと明るくなります。あいにく劉佳は風邪をひいていたのかすすり上げる場面が多かったのですが、そこは彼女の愛嬌に免じて見逃すこととして、最後は本無が色空を背負って冷たい川を素足で渡り、さらに置いてきてしまった靴をとりにもう一往復徒渉を繰り返さなければならなくなる場面。この芝居は昆曲にルーツがあるので、本来ならここでは蘇州方言が使われるところですが、たぶんやるぞ、と思っていた通り厳慶谷は得意の日本語を使ってくれて、「つ、つ、冷たい!」というセリフに対して電光字幕に「冷、冷、冷的」と出たから完全な確信犯で、こうした滑稽味やアドリブが許されるのは丑(道化役)である彼ならではです。本無と色空が手に手をとって見つめあいつつ舞台は幕。幸せな気分で15分間の休憩となります。
貴妃酔酒
後半は、梅蘭芳の代表作で京派京劇の伝統演目「貴妃酔酒」で、これを芸風が異なる上海京劇院の史敏が演じるところがポイント。史敏演じる楊貴妃は、皇帝から百花亭で酒宴を張るよう言われて楽しみにしていたのに、皇帝は西宮の梅妃のところへ行ってしまい、高力士(金錫華)・裴力士(王世民)の二人の宦官や女官たちを相手にやけ酒をあおる、というだけの話なのですが、何しろ史敏の表情の移り変わりがとてもコミカルかつドラマティック。最初のうちは皇帝の寵愛を受ける貴妃としての誇りに満ちた姿でしたが、皇帝にドタキャンをくらったと知ってショック。開き直って酒を呑むことにしたものの、二番目に出てきた龍鳳酒の名前の由来が皇帝と妃が共に飲む酒だからと言われたときはあからさまに「ムカツク!」という表情で一気に飲み干してしまいます。くいくい酒をあおった後の酔眼がかなりすわっていて、その様子におろおろする二人の宦官のやりとりがしゃべりも仕草もまるで漫才のようで笑えます。愛でていた花をポイと投げ捨てたり、えびぞりになって酒を飲んだりとしたい放題の楊貴妃、ついには身振りだけで高力士と裴力士に無理難題を与え、これを断った二人はビンタをくらってしまって気の毒ですが、なるほど酔った女性が身振りだけで男に指図をしようとするのは唐の時代も一緒なのか、と妙な感心をしてしまいました。しかし、こうした中にも場面の進行に応じた史敏の唱が朗々と美しく、最後は悄然として帰っていく楊貴妃の悲しみの唱に感情移入させられました。
なお、梅妃と楊貴妃が玄宗皇帝の寵を争ったことは『梅妃伝』に記述があり、また高力士は玄宗皇帝の下で権勢を振るい、安史の乱によって四川に逃れた玄宗皇帝から楊貴妃が死を賜ったときには妃を縊る役を担った人物でもあります。
カーテンコールはまず「貴妃酔酒」の助演陣が揃い、次に厳慶谷が佛珠を回しながら登場。女官の中から劉佳を引っ張りだして、二人で挨拶をして喝采を浴びました。次に「小商河」の面々があの扮装のまま現れたのには驚きました。自分の出番が終わってから2時間近くも、重い衣裳を着け化粧を落とさずに待っていたのでしょうか?トリはもちろん史敏で、スポットライトを浴びながら史敏が舞台の真ん中に登場すると会場は割れるばかりの拍手。そのまま役者たちは二手に分かれて舞台を降り、手をふりながら客席の通路を通り抜けて行ってくれました。
配役
小商河 | 楊再興 | : | 奚中路 |
金兀術 | : | 楊冬虎 | |
双下山 | 本無 | : | 厳慶谷 |
色空 | : | 劉佳 | |
貴妃酔酒 | 楊貴妃 | : | 史敏 |
高力士 | : | 金錫華 | |
裴力士 | : | 王世民 |
あらすじ
小商河
南宋。金兀術率いる金の軍勢が中原を侵犯し、岳飛は楊再興に命じて抗戦させる。楊再興は降雪に乗じて小商河に至り、金を大敗させる。かなわぬと見た金兀術は、小商河の橋に兵を潜ませ、追ってきた楊再興に矢を射かける。
双下山
若い僧・本無は、修行の辛さ、寂しさに耐えきれなくなり、寺を抜け出し山を下りる途中で尼僧・色空に出会う。色空もまた浮世に憧れ仏門を捨てて逃げるところだった。意気投合した二人は、手に手をとって俗世を目指す。
貴妃酔酒
唐の玄宗皇帝の寵愛を受けた貴妃・楊玉環は、百花亭で酒宴をはることを約束する。待てど暮らせど皇帝は来ず、結局、西宮の妃のもとに行ってしまったことを知る。怒った楊貴妃は、高力士・裴力士を侍らせ、独り酒にしたたか酔い、蕭然として帰る。