古代ローマ彫刻展

2004/04/24

国立西洋美術館(上野)で「古代ローマ彫刻展」。

ヴァチカン美術館所蔵の、紀元前3世紀の共和政ローマ時代から初期キリスト教時代までの肖像彫刻などを展示したものですが、意外に素朴、というか稚拙なものが多いな、という印象をもってしまいました。後から考えると、どうもローマ&彫刻→ミケランジェロと勝手に自分の中で混同を起こしていたようですが、古代ローマ人にとって彫刻は芸術作品である以前に、自分や愛する家族の姿を残すための似姿であったり、あるいは棺や墓などを飾る装飾品であったわけで、つまりは日常生活に近いところにあったものなのですから、それぞれの経済力に応じてさまざまな出来具合(ランク)のものがあって当たり前です。また、例えば棺の中には側面に浮き彫りが施されているもののその中央の被葬者の顔を彫る部分は未完成のままのものがあって、これはおそらく量産品の棺に死者の顔だけをその都度彫るシステムだったのでしょうが、こうした「実用性」も美術展の展示品とは一線を画するものです。

かたや、皇帝の肖像彫刻はやはり当代最高の彫刻家を動員して制作されたと思われ、(皇帝ではありませんが)カエサル、初代皇帝アウグストゥス、悪名高いカラカラの肖像はいずれも素晴らしい出来映えです。この時代の皇帝肖像彫刻は、皇帝の権威を領土内にあまねく知らしめるために制作され、各地の主要建築物に配備されたものといいますが、とりわけフライヤーの表面にも採用された、3世紀の皇帝カラカラ(本名マルクス・アウレリウス・アントニヌス)のそれは、眉間に寄せた皺と太い鼻梁、引き締めた口元が意思の強さと猜疑深さを如実に表しており、しかもキッと左を向いたことで左眉が上がり右眉は逆に下がり気味になって、そのリアルな不機嫌さが他の皇帝肖像を圧する異色のものになっています。カラカラ(188-217)は211年の父帝の死後、共同統治者だった弟を暗殺して唯一の皇帝となるとローマ軍の支持を得て暴虐と遠征を重ねたと言い、この哲人風ではなく武人風の肖像画も軍人たちからの人気を考えてのものだったそうですが、最期はパルティア遠征中に護衛隊長によって殺害されたのだそうです。