探谷 / 盗王墳 / 秋江 / 泗州城(湖南省京劇院)
2004/10/09
もはや東京における京劇のメッカと化した感のある東京芸術劇場(池袋)で、湖南省京劇院の「探谷」「盗王墳」「秋江」「泗州城」。
長らくSARS騒ぎのために京劇を観る機会を失っていただけに、今回の観劇には大いにわくわくしながらその日を待っていました。ところがなんとこの日、「東日本では観測史上最強」の台風22号が関東地方を直撃。池袋の駅から東京芸術劇場までのわずかの道も猛烈な暴風雨で濡れ鼠になりながらやっとの思いで辿り着きましたが、実は、ここは駅から地下道でつながっていました。速度制限で遅れている山手線内の観劇仲間うっちゃまん女史にその旨を連絡したものの、うっちゃまん女史の方も自宅から最寄り駅までのたった3分の道を歩く間にジーパンがずぶ濡れ……。会場に入って席を確認すると、前から二列目のど真ん中という凄い場所。開演直前に振り返ってみると客席の埋まり具合は六分ほどでちょっと寂しいですが、台風のせいで列車が続々止まっていたから来たくても来られなかった人も多かったに違いありません。
探谷
最初の演目「探谷」は、長編「楊門女将」の最終場面。刀馬旦の劉曦演じる楊家の寡婦・穆桂英が、雉尾羽の翎子や背中の靠旗を鮮やかに翻しながら勇壮な武技で敵将を圧倒する壮快な一幕。豪華絢爛な衣裳と派手な立ち回りは、いかにも京劇の魅力満載です。兵士達の宙返りの連続技も迫力満点。張彪役の任普湘と敵兵二人によるだんまりでの闘いもユーモアよりも緊迫感が勝って手に汗握り、後の立ち回りをより開放感の高いものにする巧みな演出となっています(しかし、こちらの席が良過ぎて役者にはたと睨みつけられたときは、一体どうしようかとどぎまぎしました)。
盗王墳
武丑・周開が怪盗時遷(水滸伝の登場人物)として体術の限りを見せてくれる文句なしに楽しい演目。木のテーブルの上に木の椅子を乗せたものが屋根になったり墳墓への入口になったりしますが、身軽にその椅子の背の上へ片足で立って、宙に飛びながら手で爪先を握った片足の中をもう一方の足にくぐらせるといった技を見せ、コサックダンスのような動きで強靭な脚力も誇示したりして、そのユーモラスな演技とともに一瞬たりとも目が離せません。墓の中の金銀財宝を奪われた王の遺体がキョンシー(?)になって両手を前に突き出しぴょんぴょん飛び跳ねるのが不気味といえばブキミですが、あれだけ好き勝手に財宝を持って行かれては抗議の意思表示をしたくなるのもうなずけます。
秋江
花旦・紀瑶瑶の陳妙常と文丑・肖瑾の船頭による二人芝居。以前中国京劇院によって演じられたこの芝居を観たことがあってとても気に入ったので今回も楽しみにしていましたが、期待どおりに陳妙常は顔も声も仕種も可愛く色っぽく(しかし、これが尼さん?)、船頭はユーモラスでありながらちゃんと仕事をしてくれる頼りになる老人(といっても肖瑾自身はまだ20歳台なのだとか)で、特に船頭が陳妙常に鴛鴦の仲睦まじさを説明する場面など、観ているこちらの気持ちも温かくなってきます。二人の身体の動きのコンビネーションで、船の揺れや思いがけず岸から遠ざかる様子、波を正面から乗り切る情景などが表現されるのももちろん見どころです。
泗州城
最後は、18歳の華やかな顔立ちの武旦・張暁倩の打出手が見どころの「泗州城」。神仙もので武旦による高度な技量の武戯という点では、「白蛇伝」の一幕「水漫金山」と同じです。飛び交う槍と、それを手や足、手に持った槍で見事に打ち返す水母。ほかにも各種の武具を自在に操って見せて、その凛々しく颯爽とした姿に惚れてしまいました。伽藍が振る大旗の下で展開するアクロバティックな体術の誇示も、文句なしにわくわくさせてくれます。
京劇初体験のうっちゃまん女史の劇評では、一番のお気に入りは「秋江」で、ついで「盗王墳」だそう。ただ、今回は若手中心の公演ということで、欲を言えばあちこちに言いたいことあり。「探谷」では唱も大事なのですが、声の通りがいまひとつ。「秋江」では陳妙常がもっと立ち位置を工夫して船の前後を意識させて欲しいし、「泗州城」では武具を取り落とす場面が二つほど。打出手も投げ手の位置がずいぶん近くて迫力不足ですし、孫悟空には終始にやにや笑っていてほしい。しかし、何はともあれ若手俳優たちの溌溂とした演技に精いっぱいの拍手を送りたいし、こうしてまた京劇を観ることができるようになったことを心底うれしく思いました。
終演後、外にでてみると雨は上がっていて風もなく、あのすさまじかった台風はどこへ行ったのか?という感じ。実際、その30分前に台風22号は鹿島灘へ抜けていて、我々は最も悪いタイミングで会場入りしたのだということが後からわかったのでした。
配役
探谷 | 穆桂英 | : | 劉曦 |
楊七娘 | : | 張暁倩 | |
楊文広 | : | 葛倩倩 | |
張彪 | : | 任晋湘 | |
盗王墳 | 時遷 | : | 周開 |
秋江 | 陳妙常 | : | 紀瑶瑶 |
船頭 | : | 肖瑾 | |
泗州城 | 水母 | : | 張暁倩 |
孫悟空 | : | 任晋湘 | |
哪吒 | : | 毛剣峰 | |
伽藍 | : | 曹先哲 |
あらすじ
探谷
宋の時代。西夏との戦いで命を落とした夫に代わり、穆桂英は出兵して適地への抜け道を探す。亡き夫の愛馬と馬丁・張彪の働きもあってついに道を探し出し、奇襲によって勝利を収める。
盗王墳
忍びの名人・時遷は、古い王の墳墓をあばいて埋葬品を頂戴し、梁山泊へ向かう。
秋江
→〔こちら〕
泗州城
修行を経て人間の姿となった水母は、泗州知事の甥に一目惚れして結婚を迫ったが逃げられる。怒った水母は泗州城を水攻めにするが、観世音が遣わした神々との戦いに敗れる。