興福寺国宝展

2004/11/03

今日は「文化の日」だから一日を文化的な活動に費やそう、それもキーワードは「和」。というわけでまずは、上野の東京藝術大学大学美術館で「興福寺国宝展」。この展覧会はサブタイトルに「鎌倉復興期のみほとけ」とあるように、平安末期の戦渦(平重衡の南都焼討)で興福寺が堂宇ことごとく灰燼に帰した後の復興造営での「慶派」(康慶・定慶・運慶ら)の仏師が造像した素晴らしい彫像が見どころです。

午前10時の開館時刻とほぼ同時に中に入ったら、地下の第一展示室入口は早くも満杯の人。しかし、事前のリサーチで見どころは3階にあると知っていた私は目もくれずエレベーターで上へ移動。するといきなり《無著》《世親》の両菩薩立像〈国宝〉がどーんと立っていて、そのあまりの存在感に呆然と見上げてしまいました。像高2m弱の木像はいずれも運慶一門の作。北インドの高僧を日本人の姿に造形したもので、老人の穏やかな眼差しを示す無著はわずかに猫背で着衣のひだも柔らかいカーブを描き、かたや壮年のエネルギッシュな体躯の世親(無著の弟)はやや胸を張り長い袖のひだも直線的で、これらの対比が見事です。続々詰めかけるお客も一様に度肝を抜かれているようで、異口同音に「凄い……」と声に出してはぽかんと見入っています。

気を取り直して奥に進み、左に回ると十二神将や梵天が並んでいて、中央には巨大な《四天王像》〈重文〉が立ち並んでいます。彼らが身に着けている中国風の装飾的で華麗な鎧姿を見ると、私はいつも『百億の昼と千億の夜』(光瀬龍の原作ではなく萩尾望都の漫画の方)を思い出してしまうのですが、そういえば『百億……』の主人公でもある阿修羅は残念ながら今回は来ていません。来ていたら会場の混雑はこんなものではすまないでしょうが、もっともあれは奈良時代の作だから今回の展覧会にはそぐわないのも事実。それはともかく、四天王はそれぞれ異なる鎧や兜を着用し、異なる仏具や武器を手にしており、足の下には邪鬼を踏みつけているのですが、増長天の下の邪鬼の顔が今にも破裂しそうにぶつぶつに彫られていておかしいというか哀れというか。また広目天が手にしている仏具は縄でできていて館内のかすかな風に揺れているようでしたが、これなどは傷みが早いだろうから時折は取り替えられていたのでしょうか。

奥の間の手前、左右に分かれて右に《行賀》、左に《善珠》の康慶作坐像〈国宝〉。顔がしわしわでお猿さんみたいな《行賀》よりもぱんぱんに顔が腫れふてぶてしく斜めを睨んだ《善珠》の方が人気で、これは唯識を学んでいるうちに熟れた瓜のような頭になってしまったのだそうですが、不謹慎ながらシュワの「トータル・リコール」を連想してしまいました。そして奥の間にも二つの国宝。一つは《龍燈鬼立像》で、それまでの立像に比べると小ぶりながら、ぐっと足をふんばって灯籠を支えている褌姿が凛々しく、白く光る牙は水晶、ギザギザの眉は銅板が埋め込まれているそうです。もう一つは《金剛力士像(阿形)》で、血管が浮き出た贅肉のない筋肉美もさることながら、腰に巻いている裳裾の絵柄が実にきれいに残っていて美しいことに驚きました。吊り目の寄り目の顔は、成田屋の「にらみ」の表情に似ているような気もします。

3階の諸仏をひと通り見終えてから、最初に飛ばした地下の展示室へ。曼荼羅図などが並んでいましたがこれといって目をひくものはなく、映像コーナーで興福寺の堂宇ごとの様子を見てからもう一度3階に戻りました。なんべん見ても、《無著》《世親》には圧倒されるし、十二神将や四天王は華やか、《法相六祖坐像》はリアルで、《金剛力士像》は力感が漲っています。ただ、これがミャンマーなら仏像はいずれも礼拝の対象となって、人々は横坐りのミャンマー風の姿勢で手を合わせているところだろうに、ここ日本では信仰とは関係のない「鑑賞」の対象となってしまうというのが、少々気の毒にも思えました。

残念ながら今回は、大兵馬俑展のときのような「無著ラウンド・ザ・ワールド」といった絵葉書はありませんでした(当たり前か)。しかし、無著や世親が街角にひっそりとたたずんでいたりしたら、けっこうシュールで面白いと思うのですが……。