義経千本桜

2008/02/24

国立劇場(隼町)で、文楽「義経千本桜」の「伏見稲荷の段」「道行初音旅」「河連法眼館の段」。いずれも歌舞伎では何度も見ていますが、文楽では初めて。歌舞伎だと四の切での澤瀉屋のケレン味たっぷりの演出が有名ですが、文楽はまさかそんなことはないだろうと思っていたら実は凄いケレンのオンパレード。私が浅はかでした。

「伏見稲荷の段」は、まだおとなしい方でした。運びはだいたい歌舞伎と同じで(文楽の方が原作なのだから「歌舞伎と同じ」という言い方もおかしいですが、自分の中では歌舞伎が先にありきなので、以後もこうした比較の仕方をします)、はっきり違う点といえば逸見の藤太にコミカルな要素がなく、あっさり出てきてあっけなく忠信に殺されてしまうところです。その分テンポよく進んで、あっという間に幕間休憩に。しかし、改めてこうしてみると人形はどれも十頭身くらいで凄いプロポーション。劇中一人だけ女性の静御前は、女形ではなく人形が演じるだけにかえって生身の女性を感じます。

続く「道行初音旅」は、歌舞伎ではいつも退屈してしまうところなのですが、この日はまったく目を離せませんでした。恋と忠義はいずれが重いの語り出しから四人並んだ三味線ががんがん激しい重奏を繰り広げるさまは、まるでベース+トリプルギターのIron Maiden並みの迫力(←想像)。そして満開の桜に見とれている静御前の前に現れた白狐、遣い手の桐竹勘十郎も薄紅の斑を散らした白い装束ですが、下手寄りの桜の茂みに尻尾だけ出して隠れ、その桜が前にぱたんと倒れると忠信が立っていて、勘十郎も衣裳が改まっているという趣向。この後、拝領の着長に初音の鼓を乗せて義経に見立てて二人が踊り、「波風荒く御船を、住吉浦に吹き上げられ」で静が扇を空中に投げ上げ一回転。さらに忠信が兄・継信の討死の様子を物語るところでは囃子方の鼓と掛け声が入って大夫の語りも謡曲風になり、忠信と静がどんどんと足を踏み鳴らしながら立回りを演じたかと思うと、放つ矢先は恨めしや、兄継信が胸板にで静が後ろ向きに扇をひょうと投げ、3m離れた忠信が宙で受け止める大胆な型。なんたる妙技!

「河連法眼館の段」は、もっと強烈。河連法眼が飛鳥の心を試すくだりはなく、その後の本物の忠信を詮議する場はオーソドックスに進みましたが、忠信が上手に消え大夫と三味線が替わるとともに下手には鼓方が登場して、静の動作に合わせて鼓を打ちます。そして打ち終えた鼓を黒漆の箱にしまい、箱に紫の布がかけられたと思ったら、白狐がいきなりその布の下から顔を出し、箱がばらけて飛び出してきました。館の中で鼓にじゃれついた白狐から忠信に人形をスイッチした後、沈み込んで縁の下から前方に出てきた勘十郎はまたしても一瞬のうちに衣裳が変わっており、そこで受け取った黒い衣裳の狐忠信も「さてはそなたは狐ぢやの」で引抜きにより火焔の刺繍が施された白い衣裳に早替り、髪もざんばら。白狐の姿に戻って上手の木の陰に引くときには見えない位置で台に登ったのかずいぶん上の方から顔を覗かせていましたし、義経が呼び返すと一度は上手側の障子を破って顔を出したと思ったら、下手の庭の灯籠がくるりと前に回って白狐が登場し、次の瞬間狐忠信に替わるといった具合です。

しかし、もちろんこうしたケレンだけがこの段の見どころではありません。冒頭の本物の忠信の、眉を寄せた厳しい表情と所作は武士の風格に満ちているし、狐忠信が鼓の由来を語る場面では悲痛な面持ちで目を閉じ、天を仰ぎ、身悶えし、ついには仰向けになってじたばたし、そこに咲大夫と燕三師の思い入れたっぷりの義太夫節が入って感情移入させられます。

こうしたものの全てが、最後の場面、勘十郎師の宙吊りに結実します。鼓を与えられて大喜びの狐忠信が僧兵の来襲を予言すると、下手側から引き入れられた二本のワイヤーが勘十郎の腰にとりつけられ、そのまま人狐一体で宙に浮きました。その途端、館のセットが義経や静御前を乗せたまま沈み込み、満開の桜の雲海の上を狐忠信が下手から上手側へ舞いながら飛び去るように浮いて幕が引かれます。ここまでやるか!と終演直後は驚いていましたが、後からじっくり考え直してみるとこの幕切れも、単なるサプライズの演出ではなく、親狐の皮でできた初音の鼓を手にした狐忠信の喜びと、やがては兄に討たれることとなる義経が我が身の業から解放されたいと狐忠信に仮託した報われぬ願いとが空に昇ったものと見えました。ケレンの奥に隠された、開放感と無常観。

18時開演、20時50分終演、途中に25分と10分の休憩はありましたが、密度の濃い3時間でした。文楽、おそるべし。

配役

伏見稲荷の段 豊竹松香大夫
野澤喜一朗
道行初音旅 静御前 豊竹呂勢大夫
狐忠信 豊竹咲甫大夫
  竹本相子大夫
豊竹つばさ大夫
豊竹靖大夫
鶴澤清治
鶴澤清志郎
鶴澤清
豊澤龍爾
鶴澤清公
河連法眼館の段 竹本津駒大夫
鶴澤寛治
豊竹咲大夫
鶴澤燕三
ツレ 鶴澤寛太郎
〈人形役割〉
九郎判官義経 吉田文司
亀井六郎 吉田蓑一郎
駿河次郎 吉田一輔
静御前 吉田和生
武蔵坊弁慶 吉田勘市
逸見の藤太 吉田玉勢
忠信実は源九郎狐 桐竹勘十郎
佐藤忠信 吉田玉志
軍兵 大ぜい
近習 大ぜい

あらすじ

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