将軍江戸を去る / 勧進帳 / 浮かれ心中
2008/04/13
4月の歌舞伎座夜の部は、真山青果の江戸城総攻三部作の最後にあたる「将軍江戸を去る」、歌舞伎十八番の内「勧進帳」、それに井上ひさしの「手鎖心中」を原作とする「浮かれ心中」の三本。
将軍江戸を去る
タイトル通り徳川慶喜が大政を奉還して江戸を離れる前夜の慶喜の葛藤を描くもので、慶喜を諌める山岡鉄太郎が狂言回し的な役回り。三津五郎丈の慶喜は怒りや苦悩にも品があり、鉄太郎を迎える際の太刀の取り回しによる感情表現がことに巧みでした。橋之助丈の鉄太郎が上野大慈院の場で障子越しに影と声のみで芝居をするのが面白い演出。この後の「勤王論」の問答はあまりに重厚で、筋書きで鉄太郎の主張をあらかじめ読んでおかないと「?」となってしまいそう。そして千住の大橋の場は、夜明けの徐々に明るくなる情景の中で、橋のセットの不思議な遠近感が照明とともに劇的な効果をあげていました。
勧進帳
仁左衛門丈の弁慶、勘三郎丈の富樫、そして玉三郎丈の義経。玉三郎丈が男性役を演じるのを観るのは初めて、のような気がします。この芝居ではなんと言っても仁左衛門丈が素晴らしいものでした。堂々たる風格、豊かで的確な表情・口調、しかも仁左衛門丈らしい颯爽としたところがあって、團十郎丈や幸四郎丈とはまたひと味違った豊饒な弁慶。もともと上方の人なのに、この弁慶にしろ助六にしろ、成田屋の家の芸が合うのは不思議です。勘三郎丈の富樫は、冒頭の名宣りからカン高い声を張り上げるのがちょっと耳につきました。この役に関しては、八年前に観た菊五郎丈を超える富樫を知りません。また玉三郎丈は、花道での最初の台詞がやはり高過ぎて違和感がありましたが、判官御手では気品のある義経振りでした。
浮かれ心中
富樫で気迫に満ちた武士を演じていた勘三郎丈と、苦悩する将軍役を演じていた三津五郎丈が、一転しておかしみに満ちた戯作者仲間を演じるのが楽しいし、二人とも妙にはまっている感じ。人を笑わせることが大好きな若旦那の栄次郎が絵双紙作者として世間に認められようと悪戦苦闘し、その果てに……というお話で、にわか仲人を勤めることになった遣り手が着物を裏返すと羽織姿に変身したり、太助が花魁帚木にぞっこんになるところが籠釣瓶のパロディだったり(その直前、二人が吉原に現れるところでは一階席後方から入ってきた勘三郎丈と三津五郎丈が私の席のすぐ横の通路を通過してびっくり)、自作自演の夫婦喧嘩で栄次郎の妻のおすず(時蔵丈)が突如地声で「何言ってやがんでぇ」と男言葉を使ったかと思えば地面に転げ落ちた妹お琴(梅枝)がえび反りしたりと随所で笑えます。極めつけは、狂言心中のはずが本当に死んでしまった栄次郎が花道のすっぽんから今年の干支であるネズミに乗って宙に浮かぶ「ちゅう乗り」。瓦版や手ぬぐいや、果ては紙吹雪や蜘蛛の糸を撒き散らすサービスぶり。しかし、その前に太助が幽霊になった栄次郎としみじみと語り交わす戯作の素晴らしさ、そこに命をかけた二人の満たされた思い、といったものがこの芝居をただのドタバタに終わらせないでいます。
配役
将軍江戸を去る | 徳川慶喜 | : | 坂東三津五郎 |
高橋伊勢守 | : | 坂東彌十郎 | |
山岡鉄太郎 | : | 中村橋之助 | |
勧進帳 | 武蔵坊弁慶 | : | 片岡仁左衛門 |
富樫左衛門 | : | 中村勘三郎 | |
源義経 | : | 坂東玉三郎 | |
浮かれ心中 | 栄次郎 | : | 中村勘三郎 |
太助 | : | 坂東三津五郎 | |
三浦屋帚木 | : | 中村七之助 | |
大工清六 | : | 中村橋之助 | |
おすず | : | 中村時蔵 |
あらすじ
将軍江戸を去る
江戸の街が薩長を中心とした官軍に包囲される中、徳川慶喜は上野寛永寺に謹慎し、恭順の姿勢を示している。ところが幕臣の主戦論者の言葉を聞いて慶喜は恭順を翻意するので、高橋伊勢守や山岡鉄太郎は、慶喜のもとへ向かう。しかし慶喜は薩長軍にこれまでの無念を晴らすのだと言い、諫言を受け入れない。恭順を翻意すれば江戸は火の海となり、罪もない庶民たちが被害を蒙ると言う山岡の必死の言葉を聞き、ようやく慶喜は自らの誤った決断に思い至る。こうして慶喜は江戸を官軍に明け渡すことを決意し、その名残を惜しみながら、水戸へと旅立っていく。
勧進帳
→〔こちら〕
浮かれ心中
大店伊勢屋の若旦那の栄次郎は、戯作者になろうと決意し、世間の耳目を集めようと悪戦苦闘している。今日も話題作りのために、番頭の吾平の心配をよそに、自ら親に申し出て勘当を受け、顔を見たこともない長屋の娘おすずと婚礼を挙げることとなったが、仲人の太助が来ないので、大変な騒ぎ。やがて無事におすずと夫婦になった栄次郎だったが、自らの書き下ろした黄表紙が評判にならず、おすずや栄次郎の妹お琴がなだめてもしょげ返るものの、尚も吉原の花魁の帚木を身請けしたり、幕府の法に触れた者に課される手鎖の刑を受けようと役人の佐野準之助に頼み込んだりする始末。そんな栄次郎の様子を見て、父の太右衛門は呆れるばかりだが、栄次郎は帚木と心中をして、さらなる話題作りを狙う。しかしそこへ帚木の間夫の清六が現れ、狂言心中のはずが刺されて本当に死んでしまう。皮肉にも、栄次郎の死後に黄表紙は評判を呼び、残された太助はあの世の栄次郎に戯作に生きる決意を語り掛ける。