塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

攝待 / 千鳥 / 道成寺

2009/04/26

この日は、観世九皐会百周年記念特別公演として、国立能楽堂で能二番、狂言一番。ポイントは、長らく観たいと思っていた「道成寺」ですが、その前の「攝待」もまた面白く拝見しました。

攝待

北陸路を落ち延びて奥州に入った義経主従が、佐藤継信・忠信兄弟の母と継信の子の攝待を受けるという話で、お話の時系列で言えば「安宅」の続きということになります。

最初に間狂言・佐藤ノ下人が出てきて山伏攝待の高札を立てた旨を告げ、狂言座に退く幕開き(狂言口開)が珍しく、ついで〔次第〕で義経主従12人がぞろぞろと登場して舞台上に二列に並ぶのが壮観。その後、義経は脇座で床几にかかり、他の山伏たちが地謡の前から大小前にかけて座り、弁慶が正中に下居します。この曲は弁慶ワキの中でもとりわけ重い曲とされるそうですが、この日勤めるのは人間国宝・宝生閑師。高札を見てどうしようと一同相談の上、知らぬ顔して攝待を受けようという話にまとめます。アイとのやりとりの後に子方/鶴若登場。二ノ松でアイと言葉を交わしてから、舞台上に進んで弁慶とのやりとり。穏やかな口調で鶴若に誰が御子息にてわたり候ぞとかこの攝待はいかなる人の御企かなどと聞いていましたが、子方に高く通りの良い声で12人いるあなた方は判官殿一行ではないのか?と問われてギクリ。いったん子方を後見座へ下がらせて、義経に他の山伏たちの間にうち交るよう進言します。〔アシライ〕囃子に乗っていよいよシテ/老尼(長山禮三郎師)がひっそりと登場しての〈一セイ〉。役柄としては八十歳を超える老女で、重い役です。子方に袖を引かれて常座に移ったシテはこれは故佐藤庄司が後家、継信忠信が母にて候と述べた後、二人の子が屋島や都で亡くなったとは聞いているが委しい事を知るよしもなく、ついてはこの攝待を始めたのである。いづれが我が君ぞどうか身分を明かしてほしい、と切々と訴えます(クドキ)。続く地謡の〈下歌〉〈上歌〉もシテの心持ちを引き継ぎ、この辺り、今は亡き子を思う老尼の悲しくも一途な気持ちが伝わって、泣けてきます。ワキも内心は気の毒に思いながらも、判官一行だというのなら名を当ててみよと試すのですが、ここでシテは意気込んで一の老体は増尾、播磨声は鵯越で苗字を賜った鷲尾と当てていきます。

蛇足ですが、先日聴いた文楽「義経千本桜」の渡海屋でも我れ一ノ谷を攻めし時、鷲尾といへる樵の童に山道の案内させしに、山賤には剛なる者故武者となして召使ひしというくだりがありました。

そして遂には弁慶の正体まで見破ったシテでしたが、ここで地謡が武士(もののふ)も物の哀れは知るものをと引き取ると、片膝で一同を見渡したのち明かさせ給へ人々と余所目も知らず泣きゐたりで崩れるように正座し、俯いてしまいます。この祖母の嘆きに憤った子方でしたが、哀れと思った主ツレ判官にまこと継信の御子ならば判官を指してみよと声を掛けられ、父賜べのうとて走り寄ったところで判官も子方の肩に手をかけ、扇をもってシオリ。ワキもいまは口調を改めて、一行の正体を明かします。

改めて脇座の床几に戻った義経にシテが継信の最期の様子を聞きたいと懇願し、シテの命を受けてワキは、屋島で義経の身代わりとなって平教経が放った矢の的となった継信の死の様子を朗々と、しかし悲痛な面持ちで語ります。ここがワキの主眼の謡所にして、もちろん期待に違わぬ語り口。シテも主ツレも、それぞれに継信を悼んでシオリ。続いてシテは、なぜか立ち上がってあちこちまさぐりながらの〈ロンギ〉となり後見も身じろぎしていたように見えましたが、やがて主ツレに向かって下居すると子方が扇をもって山伏達に次々にお酌。中でもワキとは、心を残して眼差しを交わし合いましたが、夜も明けて山伏達が座を立ったときに子方は君の御供申さうずるにと言い出します。しかしワキは涙を抑えつつ、明日は迎えに来るからと方便を言い、子方は稚き身の悲しさ、弁慶の言葉を信じて再会を待つこととします。橋掛リを下がっていく義経主従を見送ってシテは子方の肩を抱き、やがて下居して静かにシオルと往くは慰む方もあり。留るや涙なるらんと地謡が謡い留めました。

シテの涙は、我が子の消息に接しての涙でもあれば、所縁の一行との永久の別れの涙でもあり、それはまた義経主従を待つ悲劇の予兆に由来するものであったかもしれません。舞事は持たないものの、親子・主従の情愛をしんみりと描いて印象深い一曲でした。

千鳥

太郎冠者をシテとする、いわゆる小名狂言の代表曲の一つです。酒屋へ酒をとりに行って来いという主ですが、ツケがたまっているために渋る太郎冠者。前回は嘘を言って盗むようにとってきたのだと言うと、主は今回もそのようにせよと無茶を命じて引っ込んでしまいます。太郎冠者は仕方なく、今日はどう言い繕おうかと思案しながら酒屋に出向き、いつものように案内を乞いますが、出て来た酒屋は太郎冠者の顔を見た途端、いっぺんに不機嫌に。このへんの機微が、なんとも笑わせます。後ろめたい太郎冠者は下手に出ておべっかをつかうのですが、酒屋はそっぽを向いたまま。いったんは代金の米が届くからと言って酒を樽に詰めさせることに成功しましたが、その樽を持ち帰ろうとすると「米が来ないのに去ぬるということがあるか」と止められてしまい、「はて、堅いことを言わっしゃる」と返しはしたものの作戦失敗。それではと、実は話好きの酒屋に尾張の津島祭見物の様子を語って、酒屋が隙をみせているうちに酒樽を奪取する作戦に切り替えます。まずは、子供が浜辺で千鳥を捕る様子をまねることにして、酒屋に浜千鳥(はんまちどり)の友呼ぶ声はと謡わせ、自分はちりちりやちりちり、ちりちりやちりちりと節を回しながら千鳥に見立てた酒樽を抱えて逃げようとしますが、また見つかってしまいます。以下、ちりちりやちりちり、ちりちりやちりちりと隙を窺う太郎冠者と酒屋の神経戦が展開しますが、あと少しというところでしたたかな酒屋に制止されます。浜千鳥がダメならと山鉾を引く真似をしてみた太郎冠者でしたが、酒屋が一枚上手でこれもダメ。太郎冠者は「これからが面白いところなのに」、酒屋は「面白いところだけしてみせろ」。こうした二人のやりとりは、なんとか酒を持ち帰ろうとするとぼけキャラの太郎冠者と、その作戦に乗りつつも隙を見せまいとするしたたかな酒屋との微妙な緊迫感が、舞台上に得も言われぬおかしみを醸し出していました。最後は流鏑馬の話に切り替えて、お馬が参る、お馬が参る馬場退け、馬場退けの掛け声に乗って舞台を一巡しながら酒樽を奪い取り、してやられたと悔しがる酒屋が追い込みました。

仕舞三番は、前に観たことがある「歌占」から最後の部分(伊勢の国へぞ帰りける)、「小塩」、そして内に力のこもった「景清」は弓流の物語り(苦の骨こそ強けれと)。

道成寺

最後はいよいよ、お目当ての「道成寺」。各流派とも重い扱いの、秘事口伝の多い大曲です。まずは揚幕の前で火打石がかちかちと打たれ、その音は鏡ノ間からも聞こえてきました。地謡、囃子方がそれぞれ着座したところで、狂言方四人が捧げ持つ太竹にぶら下げられた大きな鐘の作リ物が運び込まれました。鐘は人がひとりまるまる入るほどの大きさで、運ぶ様子からするとかなり重そうです。舞台中央に据えられたところで、鐘に巻かれていた綱がほどかれ、同時に持ち込まれた細い竹の棒のうちの一本の割れた先にはさみこまれると、その竹にくるくると巻き付けて舞台の天井の滑車に掛け、そこでもう一本の細竹の先の鉤で引き下ろすという手順ですが、一回目は失敗!綱を巻き付け直して二回目に成功し、綱の端を笛柱の金輪に通して鐘後見五人が鐘を吊り上げて固定しました。

この曲のもとにある道成寺伝説は、熊野詣の山伏・安珍を恋い慕った清姫が恨んで追いかけ、蛇体になって日高川を押し渡ると、道成寺の鐘に巻き付いて中に隠れていた男を鐘ごと焼き殺してしまったという伝説で、はるか以前に川本喜八郎の人形アニメーションで見て以来ずっと心に残っているのですが、今日のこの曲はその後日譚として、鐘が再興される時の出来事を描いています(歌舞伎の道成寺ものも同様)。

〔アシライ〕笛でワキ/住僧(殿田謙吉師)、ワキツレ/従僧が登場し、吉日のこの日に鐘の再興と鐘供養をしようとする旨を語って、アイ/能力に女人禁制を触れさせます。続いて〔次第〕は、厳しい笛、鼓、そして荒々しいほどに力のこもった掛け声で、やがて前シテ/白拍子(桑田貴志師)が登場。美しい唐織を壺折にし、金と黒の鱗箔の鬘帯を結び、しばらく幕前に佇んだ後ゆっくりと鐘をめがけて橋掛リを歩みます。シテの〈次第〉は作りし罪も消えぬべし、鐘の供養に参らん。かつての罪障からの救済を求めて現れたシテはアイに声を掛け、女人禁制ながらアイの一存で鐘を拝むことになりましたが、その代わりにと烏帽子を渡されて一さし舞うことを求められます。後見座での物着の後、一ノ松に立ったシテがぞっとする妖気を漂わせ、きっと鐘を見上げる(執心の目附)と、もはやシテは怨みの心に支配された様子。凄い掛け声と共に大鼓が打たれると、シテは脇正に走り込んで早口になり嬉しやさらば舞はんとて……既に拍子を進めけりと一気に謡った後、元の調子に戻って花の外には松ばかり、暮れ初めて鐘や響くらん。この辺り、シテの自在な謡いぶりが見事です。そして花の外にはを地謡がクレッシェンドで地取った後に、いよいよ緊迫の〔乱拍子〕です。小鼓による渾身の掛け声と鋭い打音、そして長い空白の間。シテは小鼓の気を背中で受けながら、鐘をきっと見上げ、ゆっくり元に戻り、掛け声に合わせて足を遣い身体を傾けつつ、舞台上を鱗形に廻ります。時折〔アシライ〕笛が入りますが、ほとんどシテの一挙一動と小鼓の一声一打の真剣勝負が20分ほども続きました。この間にシテが道成の卿、承り、始めて伽藍、橘の、道成興行の寺なればとて、道成、寺とは名付けたりやと切れ切れに謡い、地謡が山寺のやと入るところから囃子方が突如フルパワーとなってダイナミックな〔急ノ舞〕に移ります。その静と動の極端な対比に圧倒されて見入っていると、ひとしきり激しく舞ったシテは角から烏帽子を扇で脇座へはね飛ばし、鐘の下に走り入って正面を向くと鐘の内側に手をかけ、足拍子を踏んだ次の瞬間に高く跳躍!まったく同時に上から鐘が落ちてきたためにシテの姿はまるで鐘に吸い込まれるように消えて、直後に鐘の重みが舞台を打つドン!という震動音が響き渡り、見所からは息をのむような小さなどよめきが随所に上がりました。

この震動に驚いた橋掛リのアイ二人は、片方は雷が落ちたのだと思って桑原桑原、もう一人は地震と勘違いして揺り直せ揺り直せと悲鳴を上げながら転げ回りますが、やがて鐘が落ち、しかも熱く煮え立っていることに気付きます。ここでワキに黙っているわけにもいかず、アイ二人の間でどちらが報告するかの押し付け合いがおかしいのですが、先ほどのド迫力の鐘入リの興奮の余韻が残っているために笑い声はあがりません。結局、最初にシテを招き入れた方のアイが責任をとってワキに報告することになり、ワキは言語道断。かやうの儀を存じてこそ、固く女人禁制の由申して候にといったんは怒りますが、そこはできた方なのでそれ以上は怒らず、アイはほっとして引き下がります。

鐘が落ちているのを見たワキは、ワキツレにかつて鐘が失われた由来(上述の安珍・清姫伝説)を語って聞かせますが、この間に鐘の中でシテは後見の手を借りず一人で蛇体の姿へと変身中。そしてワキとワキツレがいよいよ鐘を引き上げようと数珠を揉み、ノットの囃子で曩謨三曼荼嚩曰羅赦と不動明王に祈り出すうちに、一度小さく鐘が引き上げられて再び降ろされ、ついで地謡が引き取って鐘の引き上げられる様子を謡ううちに鐘の中からジャン!と鐃鉢を打ち鳴らす音。これは、準備完了の合図だそうです。ついに鐘が引き上げられると、そこには般若の面も恐ろしく、腰に唐織を巻いて打杖を振る後シテ/蛇体。数珠軍団と対峙し、橋掛リに追われたところで唐織を捨て(鱗落し)、さらに追われて幕前でワキと向き合います。一度は打杖を振るってなんとか押し戻したものの、シテ柱に苦しげに巻き付いた(柱捲)後、舞台上で祈り伏せられて飛安座。立ち上がって鐘への執心を見せた後に、日高の川の川波深淵に飛んでぞ入りにけるで幕内へ飛び入ります。最後は望足りぬと験者たちはとワキが扇を振るって(ユウケン)、留拍子を踏みました。

この日は、休憩を除いて4時間ほど、非常に充実した観能となりましたが、わけても初めて観た「道成寺」は、やはり衝撃的でした。小鼓一調とシテの抑制された動きで示される〔乱拍子〕の緊迫感から、〔急ノ舞〕への劇的なまでの変化、シテの跳躍と鐘の落下の見事な同期で吸い込まれるような鐘入り、そして最後は後シテとワキの激しい立ち回りと見どころ満載でした。

ただ、お客のマナーはちょっといただけませんでした。〔乱拍子〕の静寂の中に飴の包みをはがす音が響いたり、シテが幕に飛び込んだらもう帰り出す客がいたり、ワキが橋掛リを下がっていく途中なのに見所からはもうおしゃべりが始まったり。無粋な拍手もたびたび湧いて、余韻を味わえなかったのが残念でした。

配役

攝待 シテ/老尼 長山禮三郎
子方/鶴若 小早川康充
ワキ/武蔵坊弁慶 宝生閑
主ツレ/義経 観世喜正
ツレ/鷲尾 中所宜夫
ツレ/兼房 遠藤和久
ツレ/山伏 奥川恒治
ツレ/山伏 遠藤喜久
ツレ/山伏 鈴木啓吾
ツレ/山伏 古川充
ツレ/山伏 佐久間二郎
ツレ/山伏 小島英明
ツレ/山伏 長山耕三
ツレ/山伏 坂真太郎
アイ/佐藤ノ下人 吉住講
一噌仙幸
小鼓 曽和正博
大鼓 安福建雄
主後見 遠藤六郎
地頭 五木田三郎
狂言 千鳥 シテ/太郎冠者 野村萬
アド/酒屋 小笠原匡
小アド/主 野村万蔵
仕舞 歌占 五木田三郎
小塩 永島忠侈
景清 観世喜之
道成寺 前シテ/白拍子 桑田貴志
後シテ/蛇体
ワキ/住僧 殿田謙吉
ワキツレ/従僧 大日方寛
ワキツレ/従僧 舘田善博
アイ/能力 野村扇丞
アイ/能力 野村万禄
一噌隆之
小鼓 鵜澤洋太郎
大鼓 亀井広忠
太鼓 金春國和
主後見 永島忠侈
地頭 観世喜正
主鐘後見 観世喜之

あらすじ

攝待

義経一行の十二人は山伏に姿を変えて奥州に落ち、討死した佐藤継信・忠信の生家に至る。そこに山伏接待の高札が掲げられており、一行はためらったものの、素性を隠して接待を受けることにする。そこへ継信の子、鶴若が現れて名乗り、継信・忠信の母も接待に出て、判官の一行ではないかと尋ねてくる。一行ははぐらかしていたが、老尼が増尾兼房や鷲尾十郎の名をあて、鶴若も義経に対し父を返して下さいと言って走り寄るので、とうとう素性を明かす。その後、弁慶は老尼のために継信の最後や忠信の奮戦を語る。夜が明けて一行が去ろうとすると、鶴若が御供をしたいと言うが、一行になだめすかされ、涙の別れをする。

千鳥

太郎冠者は、主人からツケで酒を買ってくるように命じられ、酒屋に出掛けるが、酒屋は支払いがたまっているため、なかなか酒を渡さない。酒屋が話好きであることから、太郎冠者はなんとか酒屋を調子にのせ酒をもらおうと考え、まず尾張の津島祭で子供が千鳥をとる様子を話し始める。酒樽を千鳥に見立て、千鳥をとるまねをして酒樽に近づくが、あと一歩というところで見透かされてうまくいかない。そこで次は流鏑馬の話を持ち出し、酒屋が馬場先の人払いの真似に夢中になるうちにまんまと酒樽をとりあげてしまう。

道成寺

鐘の再興がなった道成寺。その日、道成寺の住僧は能力に女人禁制を申し渡す。そこへ一人の白拍子の女が現れて能力に頼み込み、舞を見せることを条件に鐘供養の場に入れてもらう。しかし、女は〔乱拍子〕などを舞ううち、隙を窺い鐘に近づくと、鐘は落下し、その中に消えてしまう。このことを能力から聞かされた住僧は、昔、真砂の荘司の娘に慕われた山伏が道成寺に逃げ、鐘の中に隠れたが、娘は執心のあまり大蛇と変じて追ってきて、鐘に巻きつき山伏を焼き殺した話をし、先の白拍子の女はその怨霊だという。住僧たちが鐘に向かって祈ると、鐘は再び上がり、中から鬼女が現れるが、祈禱の力によって祈り伏せられ、日高川の深淵に飛び入る。