塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

宗論 / 海士

2009/05/09

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の普及公演で、狂言「宗論」と能「海士」。

まず最初に、甲南大学の田中貴子先生が登場して「龍女と宝珠」と題した解説。きれいな京都のイントネーションとピンクレディーのMieを落ち着かせたような美貌の田中先生のお話は、龍宮の宝蔵にある如意宝珠を人間がとってくるという説話パターンがベースにあり、その際に異界との媒介となるのが海女=巫女のような存在で、その働きによって志度寺から興福寺への系譜を統べる藤原氏の権威を正当化するのがこの「海士」という曲だということ。そうした話の合間に、『007は二度死ぬ』で登場する浜美枝さんは海女という設定で、だとするとジェームズ・ボンド(イアン・フレミング?)はこの「海士」を観たのではないか、といったお話も混じって、とても楽しい解説でした。

宗論

何というか、抱腹絶倒。この狂言では途中まで囃子方がついていて、まずは笛が短く鋭いヒシギ、そして小鼓と大鼓による静かな〔次第〕の囃子に乗って登場するのは法華の僧。身延山参詣の帰りで、その有り難さを語るうちに都へ通じる街道に着きました。続いて現れたのは浄土の僧。こちらはこちらで、善光寺参りから戻るところです。お互いに都までの道連れが欲しいところだったので、意気投合して一緒に歩くことになりますが、お互いの素性を語り合ううちに、法華の僧が京都六条本圀寺の出家だと言うと浄土の僧はホーン!と急に蔑むような目をして、ひそかに道々なぶってやろうと独白。その様子を訝しんだ法華の僧の問いに、浄土の僧が東山黒谷の寺僧だと言うと法華の僧も相手を見下してホーン!。もうこのへんから二人のバトル全開となるのですが、どうやら軽妙な浄土の方が強情一辺倒の法華よりも一枚上手らしく、何とか逃れようとする法華につきまとい、数珠を頭の上に置こうとして法華をさんざんにからかいます。

一方的にやられている法華は時折「あっ!」と声を上げてキレるのですが、結局たじたじ。とうとう法華が宿に逃げ込んでも、浄土は追撃の手を緩めません。法華が嫌だというのに一つ間に押し掛けた浄土は、宗論を行ってどちらなりとも有り難いと思った方が相手の弟子になるというのはどうだと持ち掛けたところ、防戦一方だった法華も宗論には自信があるらしく、この提案には乗り気になりました。そこでまず法華が「五十展転随喜の功徳」を芋茎にかけて説き何と御坊、有り難いことではないかと感極まったように語り掛けますが、浄土は何ぢゃ、それが法問ぢゃ?いつ釈迦が芋茎を料理して召し上がったというのかと大笑い(そりゃそうだ)。ところが、悔しい法華の求めに応じて今度は浄土が「一念弥陀仏即滅無量罪」を麩やら牛蒡やらのたくさん(無量)の菜がアラうまやアラ有難やと感極まって語るのですから五十歩百歩、法華に有財餓鬼だと笑われます。しかし法華の反撃にも動じない浄土は、もう寝ようとごろりと横に。これを見て法華の方は、袖を巻いて横回転しつつ勢い良くどんと寝て、こうしたところにも二つの宗旨の雰囲気が現れているようです。

やがて夜明け前のお勤めを始めた浄土になまうだなまうだと安眠を妨げられた法華は、負けじと南無妙法蓮華経。互いに競り合いながら唱えているうちに双方エスカレートして、踊念仏と踊題目の戦いとなり、だんだん調子に乗ってハアなまうだハア蓮華経などと踊り狂いながら舞台を回っているうちについ念仏と題目を取り違えてしまい、思わず顔を見合わせて口を押さえる二人の姿に見所は大爆笑。最後は二人仲良く、釈迦は昔霊山においては法華と名乗り、今西方においては法華と名乗り、またこの世においては観世音として示現する。法華も弥陀も隔てはあらじと荘重に謡い、舞い納めました。

もとより、当時の僧侶の排他性を風刺した辛口の内容をもつ狂言なのでしょうが、とにかく二人の僧のおよそ聖職者とは思えない掛け合いが理屈抜きで楽しく、笑いの絶えない舞台でした。

海士

五流にあって「海人」とも記しますが、藤原北家とつながりの深い興福寺に勤仕する金春権守の作という説もあり、内容的にも藤原家の繁栄を寿ぐものであることは冒頭の田中先生の解説の通り。世阿弥系の夢幻能の構成とは異なり前場に力点があるなど、古くからある曲であるようです。

亀井忠雄師の気迫のこもった大鼓に導かれて、ワキ/房前の従者(宝生閑師)が二人のワキツレ/従者と子方/房前大臣を伴って入場。この日の座席は正面最前列でしたので、目の前5mの位置にあの宝生閑師を見上げるかたちになりました。まずはワキとワキツレの〈次第〉に続いて、子方が亡き母の追善のために讃州志度の浦に下った旨の〈サシ〉を謡います。この子方の小早川康充くんは、先日の「攝待」でも鶴若を演じたばかり。どちらも子方の台詞の多い曲ですが、高くよく通る声で少しの弛みもなく謡ってみせました。

さて、ワキの〈着キゼリフ〉に続いて子方が床几へ掛け、その場へ絓水衣に縫箔腰巻姿で鎌と海松藻(みるめ)を持って現れた前シテ/海士(角寛次朗師)の〈一セイ〉海士の刈る、藻に栖む虫にあらねども、われから濡らす袂かな。続く〈サシ〉と〈下歌〉を省いて、ただちにワキとの問答に入ります。ワキに水底に映る月を見るために海松藻を刈ってほしいと頼まれた海士は、昔も明珠をこの沖の龍宮から取り戻すために潜ったことがあると語ってワキを驚かせます。その珠は、玉中の釈迦像がどちらから拝んでも同じ面を見せることから面向不背の珠といい、唐の高宗から興福寺へ他の二つの宝=華原磬(かげんけい)、泗浜石(しひんせき)と共に贈られたものの、珠だけが龍宮に奪われてしまい、そのときに志度浦に下った藤原淡海公(不比等)がこの地の海士と契って生まれたのが今の房前の大臣だと言います。これを聞いて、やおら子方がやあこれこそ房前の大臣よ、あら懐かしの海士人や、なほなほ語り候へと語り掛け、今度は海士の方が驚きましたが、たとえ賎しい海士の子として生まれたとしても母は母、という子方(地謡)の言葉に喜び(居グセ)、ワキの求めに応えて珠を取り戻したときの様子を語ります。ここからが「玉之段」、この曲の見どころ。

海士はもしこの珠を取り得たらば、この御子を世継ぎの御位になし給へと淡海公に願った上で、縄を腰につけて海に入ります。この辺りの所作は、鎌を持って正先に立ち、拍子を踏み舞台上を大きく回って、と極めてダイナミック。子の出世のために我が身を犠牲にしても構わないという、母の切迫感が伝わってきます。龍宮に至って見れば八大龍王やら凶悪な魚や鰐やらが口をあけていて一度は怯むものの、囃子方・地謡の高揚とともに思い切って手を合わせ南無や志度寺の観音薩埵の力を合はせて賜び給へと利剱を額に飛び込み、正先から珠を盗み取ります。しかし、珠を守護していた龍神に追いつかれそうになり、かねての企みの通り自ら乳の下を掻き切って(と鎌で乳の下を切る仕種)、珠を押し込め倒れ伏しました。龍宮は死人を嫌うので龍神も近づくことをせず、その隙に縄を引いて地上の人々に引き上げてもらいます。

ここからまた雰囲気が変わり、朱に染まった海士を見て嘆く大臣に苦しい息の下でわが乳の辺りをご覧ぜと珠を渡します。ここで時制はすんなりと現在に戻って、シテは子方に向かい今は何をか裹むべき、これこそ御身の母、海士人の幽霊よとゆったり歌うような抑揚で幽界の雰囲気。これを引き取った地謡が地の底から響くような声で弔いを求めた後、シテは別れがたい風情を示しつつ中入しました。ここまでの前場がこの曲の眼目で、母・海士の悲壮な自己犠牲と霊となっての子との再会の哀れさに、思い切り感情移入させられました。

間狂言により、一連のいきさつのおさらいがなされ、さらに追善のため房前が管絃講を催し七日間を殺生禁断とする旨の触れがなされましたが、これは前シテから後シテへの時間つなぎという演出上の理由によるもので、古くはアイの場面はなかったようです。

そして後場もいわば付け足しなのですが、息子による供養、法華経の功徳によって成仏できたことの喜びが舞われます。〔出端〕の囃子で泥眼・龍戴に舞衣の龍女の姿となった後シテが橋掛リに登場、常座であらありがたの御弔ひやなと朗々と謡ってシテと向かい合い、経を開いて地謡との掛け合いで読み、《懐中之舞》の小書により経巻を巻いて懐に入れて〔早舞〕となります。囃子に乗って最初はゆったりした、しかし末尾は急調になってダイナミックな舞が舞われ、経巻が子方に渡されて舞が終わると、最後は地謡が讃州志度寺のコマーシャルを謡ううちにシテは左袖を返して留拍子を踏みました。

複式夢幻能の完成された構成と比較すると、この「海士」は前後場のバランスがおかしいと言えばおかしいのですが、前場の悲壮な「玉之段」と後場の歓喜の〔早舞〕とはやはり見事に対応していて、十分に引き込まれました。たとえ藤原家の顕彰や志度寺の宣伝という動機がベースにあるにしても、何よりも母の愛の偉大さこそが痛切に伝わってくる曲でした。

「海士」に面向不背の珠と共に興福寺へ贈られたという華原磬は、4月の「国宝 阿修羅展」に出品されていました。

精悍な表情の獅子の台座、その背中から上に伸びる柱に複雑に巻き付いた4頭の竜が中空に輪を作って、その中に鉦が吊り下げられた精巧なデザインで、極めて魅力的な一品〈国宝〉でした。

そこでそのときの図録を引っ張り出して解説を見てみたところ、どうやらこれは唐からの舶載品ではなく、日本国内で興福寺創建の少し後(734年)に鋳造されたもののよう。

華原磬 奈良時代 天平六年(734年) 興福寺

しかも、龍の方は治承の兵乱(1180年)で失われ、その後の興福寺復興事業の中で再造されたものなのだそうです。

配役

狂言和泉流 宗論 シテ/浄土僧 野村万蔵
アド/法華僧 野村小三郎
小アド/宿の亭主 荒井亮吉
観世流 海士
懐中之舞
前シテ/海士 角寛次朗
後シテ/龍女
子方/房前大臣 小早川康充
ワキ/房前の従者 宝生閑
ワキツレ/従者 宝生欣哉
ワキツレ/従者 大日方寛
アイ/浦人 奥津健太郎
藤田次郎
小鼓 亀井俊一
大鼓 亀井忠雄
太鼓 三島元太郎
主後見 木月孚行
地頭 武田志房

あらすじ

宗論

身延山から帰る法華の僧と善光寺参りをした浄土の僧が、旅の途中で道連れになる。初めは仲良くしていたが、相手の宗旨がわかった途端にいがみ合い始める。宿屋に着いても論議は続き、はては踊題目と踊念仏の掛け合いとなるが、熱中したあまり気が付いてみると法華が「南無阿弥陀仏」、浄土が「南無妙法蓮華経」と唱えていた。そこでやっと仏の教えに二つはないと気付き、仲直りをする。

海士

房前の大臣が亡き母の供養のため志度の浦へ行くと、海士が現れて、面向不背の玉を一人の海士が龍神から取り返した〈次第〉を語って海中に姿を消す。房前が追善供養をすると、母の亡霊が龍女の姿でふたたび現れ、法華経の功徳によって成仏したことを示す。

後日観た野田秀樹の演劇「ザ・ダイバー」もこの「海士」を下敷きにしたものであったことを付記しておきます。