塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

ゴーギャン展

2009/07/11

ポール・ゴーギャンの《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》(1897年)のことを知ったのは、15年前。当時発刊されたばかりの『週刊グレート・アーティスト』の第9冊がゴーギャンで、その中でこの畢生の大作がとりあげられているのを見たときです。以来、この絵はいつか見たい絵の上位に常に位置し続けてきたのですが、今回、ついにこの絵がボストン美術館から来日することになり、嬉々として東京国立近代美術館(北の丸公園)を訪れました。

展示構成は、以下の通り。

  1. 野生の解放
  2. タヒチへ
  3. 漂泊の定め

まず、序章的にブルターニュやアルルでの作品群を置いて、早々に印象派的な作風を離れたゴーギャンが、独自の大胆な色遣いと単純化された形態を形づくる輪郭線、そして現実と非現実が混淆した主題と、どことなく不安をかきたてる構図、といった彼の絵の特質を練り上げる過程を示します。ここに展示されているのは、たとえばいかにも印象派風の《オスニー村の入口》(1882-83年)、輪郭線による色面分割が顕著な《選択する女たち、アルル》(1888年)、熱帯趣味が明瞭な《異国のエヴァ》(1890/94年)、狐の目が皮肉な《純潔の喪失》(1890-91年)など。なおここでは、ゴッホとの共同生活についての言及は、ごくわずかです。

ついで、2年間の第一次タヒチ滞在で得た生命力讃歌と神秘的な土俗信仰への関心が結実した一連の作品群として、野太い肉体を示す女性を描いた《かぐわしき大地》(1892年)、《エ・ハレ・オエ・イ・ヒア》(同)、さらには不気味な存在感を示す野蛮な女神の石膏像《オヴィリ》(1894-95年)、そして自身のタヒチ滞在記『ノアノア』の挿絵として制作された一連の神秘的な連作版画が展示されます。ゴーギャンはなぜ、タヒチを目指したのか?この点について主催者は、次のような解説を行っています。

自らの内なる「野生」に目覚めたゴーギャンは、その特異な想像力の芽を育む「楽園」を求めて、ブルターニュ、マルチニーク島、南仏アルル、そして二度のタヒチ行きと、終わりのない旅を繰り返しました。その過程で、自ずと人間の生と死、文明と未開といった根源的な主題に行き着きます。このような人間存在に関する深い感情や思索を造形的に表現すること、これがゴーギャンの絵画の主題となりました。

しかし、ゴーギャンがタヒチで得たインスピレーションはパリ美術界の受け入れるところとならず、失望したゴーギャンは1895年に第二次の、そして最後のタヒチ行に赴くことになります。

ついに永久にフランスを離れ、タヒチに戻った画家は経済的に困窮し、さらにヨーロッパに残した娘の死の報せにも打ちのめされて死を決意します。彼の遺言として制作されたのが、《我々は……》(1897-98年)です。15年間の憧れの末にようやく対面したこの絵は、それだけで大きな一室が与えられており、比較的すいていたこともあって、じっくりと眺めることができました。139×375cmのキャンバスに描かれた群像画は、暗いブルーの背景(森かげの小川のほとり)の前に黄色や茶色の肌の人物が複雑に配置され、部分ごとに見る者の夢想を喚起するそれぞれの物語を秘めつつ、しかも全体として不思議な物語性を持っているようで、見入っているうちに立ち去ることができなくなってしまいます。

この作品には、ゴーギャンの作品に登場するさまざまなモチーフが集大成されており、右半分《我々はどこから来たのか》にはゴーギャン自身を示す黒い犬、タヒチで生まれ死んだ彼の赤子、原罪を背負った文明人を象徴する2人の着衣の女性、真ん中の《我々は何者か》には楽園で禁断の果実を摘むエヴァ、左半分《我々はどこへ行くのか》にはペルーのミイラの姿態を模した死にゆく老婆、青白い死と再生の月神ヒナなどが配されており、それらの群像の配置から生から死、そして再び生へとつながる連環が見てとれますが、しかし、画家自身はこの絵の意味するところについて明言を避けています。ただし、図録の中にこの点を極めて詳細に検討した魅力的な論稿が掲載されているので、この絵に関心をもつ方はぜひそちらを。

展示は、死のうとして死ねなかったゴーギャンのその後の作品をいくつか置いて、マルキーズ諸島に没した1903年の《女性と白馬》で幕を閉じます。薄い塗り、力のない人物描写の後ろ、遠い高みからこちらを見下ろしているような白い十字架が目を引きますが、その墓地に、ゴーギャンは今も眠っているのだそうです。

美術館内のショップでは図録などと共にタヒチ観光局のとてもきれいな観光案内が置かれていました。豊富な写真に、なんて美しい島なんだ……と改めて感動。高校生の頃に見たミュージカル映画『南太平洋』に出てくるバリハイのモデルになったモーレア島にも行ってみたいし、ゴーギャン終焉の地マルケサス諸島も訪れたい。

展示を見終えてから、浅草へ移動してうっちゃまん女史やありか先生と飲み会の約束で合流。ゴーギャン展に行った話とともに「タヒチにも行きたくなったよ。新婚旅行で」と話すと、2人の反応は「勝手に行けば〜」「お土産よろしく!」……。