塾長の鑑賞記録

縄綯 / 箙

2012/03/02

国立能楽堂の定例公演で、狂言「縄綯」、能「箙」。見所はやや空いていますが、なぜか外国人の姿がちらほら。欧米系の家族連れの姿もありました。国立能楽堂なら前の座席の背後のディスプレイに英語字幕も出るから、英語がわかる人なら日本語の詞章が読めなくても鑑賞しやすいでしょう。それに今日の「箙」は修羅物だから、理屈抜きで楽しめそうです。

縄綯

賭け事好きの主(山本則孝師)と何某(山本則俊師)の間で、賭け事のカタにやりとりされる太郎冠者(山本東次郎師)。その太郎冠者が、主のもとへ戻ってきて足に縄をはさんで綯いながら何某の悪口を言う仕方話の見事さが、この曲の眼目です。40分間と狂言としては長い方でしたが、東次郎師の話芸に引き込まれてまったく長さを感じませんでした。


最初に主の独白。何某=則俊殿と賭け事をしたものの、散々の不仕合わせ(不運)で金銀はおろか太郎冠者までもつぎ込んでしまった主は、正直に伝えたのでは太郎冠者が納得しないだろうからと、適当に言い繕って何某のもとへ遣わすことにします。主に文を持たされた太郎冠者は、あんなに負けてばかりで何が面白いのか、とぶつぶつ言いながら何某の家に着きましたが、そこで自分が賭け事のカタにされたことを知って憮然とすることになります。主からの文を読まされて納得はしたものの、山一つ向こうへ使いに行けと言われれば持病に脚気があるので馬でなければ行けぬ、縄を綯えと言われれば不調法で左綯いになってしまう、と一向に働こうとせず、ついに水を汲みに行け(=手に技術のない者がすること)と命じられて自分は水を汲んだことなどない!と逆ギレ。匙を投げた何某は、やっぱり鳥目(お金)で返してもらおうと太郎冠者の主のもとへ出かけました。ちなみに何某を演じる山本則俊師は、ぶすっとした顔とぼそっとした語り口がトレードマークですが、この狂言での何某はまさにはまり役という感じがします。

太郎冠者は働き者のはずだが、さては本当のことを言わなかったのでふてくされたのだろうと察した主は、太郎冠者を自分のもとに戻してもらい、そこでの働き振りを何某に見てもらうことにしました。いったん戻った何某から、今の間に主と賭け事をして負けたので面目ないがお前を帰すことにしたと言われて、それは残念なことと心にもないお世辞を言いつつ、とっとと主のもとへ戻ります。

主と再会した太郎冠者は正直に事情を話してくれなかった主にいったんはキレて見せたものの、堪忍してくれと言われれば素直にハイと態度を和らげ、主の求めに応じて賭けに勝った鳥目を束ねるための縄を綯うことにします。大きく編まれた白い麻紐(ぼうじ)を後見から受け取った太郎冠者が正中にどっかと座ると、主もその右後ろ=脇正面側に座って紐の端を持ちました。ここから、太郎冠者は紐を足にはさんで縄を綯いながら機嫌よさげに何某の家でのあれやこれやを語り始めるのですが、これがもう抱腹絶倒。まずは何某の家に行ったときのやりとりを、まるで練達の落語家が語る噺のように一人二役で再現し、ところどころに主へ間の手を求めて、主もこれに澄ました顔で応えます。前述のとおり何某が太郎冠者の主のもとへ出て行った後、今度は家の中の様子。竃の数が多いが今では蜘蛛の巣ばかりだとか、子供たちがやたら多くて一度にあれこれ言うのでやかましいとか、お内儀は美人ではなくて鬼神だとか、ところどころにアッハッハといかにも愉快そうな笑い声をあげながら語り詰めに語ります。そうこうしているうちに主は狂言座で待っていた何某に合図をし、両人頷き合って入れ替わります。しかし、そうとは気付かない太郎冠者のおしゃべりは止まらず、何某のお内儀がいかに醜女であるかを事細かに描写すると、今度は守りを命じられた幼子が憎たらしいので拳で叩いたり足をつねったりと幼児虐待まで説明して、これには見所から「ひゃー」という声が上がっていました。しかし、泣き声を聞きつけたお内儀が幼子をとりあげて睨みつけた顔が鬼瓦そのもの……と言ったところで何気なしに振り替えると、そこには主ではなく、扇を振り上げて激怒の態の何某。紐を持ちながら抜き足で脇柱の方へ逃げようとした太郎冠者でしたが、紐が伸びた刹那、何某の山本則俊師がぐっと紐を引くと、麻紐の束は見事に後見の手元へと床を滑っていきました。座り込んでしどろもどろになった太郎冠者でしたが、とうとう橋掛リへと追い込まれてしまいました。

梶原源太景季が主人公の「箙」は、修羅物の中でも、義経を主人公とする「屋島」、坂上田村麻呂を主人公とする「田村」と共に、勝者を主人公とする勝修羅かちしゅらと呼ばれる作品の一つ。作者は観世元雅とも言われています。


次第の囃子に乗って登場したワキ・旅僧(野口敦弘師)とワキツレ・従僧二人、向かい合って春を心のしるべにて、うからぬ旅に出でうよと謡います。ワキの野口敦弘師はずんぐり小柄で、ひょこひょこ歩いてとつとつと語る感じ。筑紫の国から都へやってきたというワキとワキツレは、道行の後に生田川に到着しました。ここに美しい梅の木があるのに気付いたワキは、立ち寄って眺めることにし、脇座へ下居します。続いて出てきた前シテ・男(津田和忠師)の出立ちは千鳥文様の水衣に白大口、直面で、次第の謡は来る年の矢の生田川、流れて早き月日かな。髪が黒かった頃の児玉清を連想させるシテの津田和忠師は表情も所作も謡も極めて折目正しく、妄執にとらわれる定めの我が身を嘆く内にワキに声を掛けられます。梅の名を問われて「箙の梅」であると答えたシテは、ワキの重ねての問いに対して、源平の生田合戦(いわゆる「一の谷の合戦」での大手口が生田の森)の際に梶原平三景時とその息子・源太景季が梅花を一枝折って箙に挿し、これが笠印となって功名につながったことから、景季が梅の木を八幡の神木としたという由来を述べました。そして、その由来譚を語る最後で足拍子を踏み、舞台を回って正中に下居したシテと地謡の謡は、やがてアップテンポとなるうちに合戦が始まろうとする様子を勇壮に描写するクリ・サシとなって気迫が漲り、時しも如月上旬の空の事なればから始まるクセでのシテは、下居のまま地謡の表現力をじっと受け止める形。シテ・地謡の物語が源平双方いよいよ衝突しようかとするところで、地謡(ワキ)はシテにはや夜となってきたので宿を貸してくれるよう頼むと、シテは我は宿りも白雪の、花の主と思し召さば下臥に待ち給へと答えます。驚いて花の主と思えとは?と問うとシテは、自分は景季の幽霊であると明かして立ち上がり、ワキを見込んでから消えて行きました。

間狂言は、所の者が旅僧の求めに応じて箙の梅の仔細、梶原景時・景季父子の奮戦振り(取り残された息子を見て景時が「源太討たすな続け」と敵陣に斬り込んだ「二度駆け」のエピソードなど)を、血管がキレるんじゃないかと心配になるほど顔を真っ赤にし、声を嗄らしながら熱弁しました。

そのアイの勧めに従ってワキとワキツレは景季の弔いをすることとし、箙の梅の木蔭に臥して寝入ったところへ空気を一変させるヒシギが入り、大小の鼓が妖しく打たれるうちにシテが登場しました。シテの姿は烏帽子を戴き、キラキラ輝く法被半切出立で片袖は脱ぎ、背には白梅を挿して、面は無骨で屈強な武士の姿を表わすという「平太」。血が川を赤く染め、白刃が骨を砕く修羅の様子をお目にかけようと力強く緊迫感に満ちた謡でワキに語りかけると、カケリとなって短くも激しくキビキビとした舞。剣が雨と降り、山も海も鳴って雷火乱れ、悪風が紅焔の旗を靡かして、生田川周辺が修羅道の巷となる恐ろしいさまを力強く舞い謡うと、シテはついに正中に下居します。いったんは心の平静を取り戻して自分が昔の春の生田にいることを見出したシテは、扇を用いて梅の一枝を手折り、腰に挿す雅びな型を見せましたが、それも束の間、敵に取り籠められ兜も打ち落とされて / 大童の姿となつて腰の刀を抜き、扇を楯に刀を打ち込んでは、飛び返りや膝行、激しい足拍子などの乱戦の様子を示しました。しかし、夜が明け白んでくるとともにシテは刀を捨て、これまでなりや旅人よとワキに一礼。最後は常座で回り、よくよく弔ひて賜び給へと合掌して留拍子を踏みました。

配役

狂言大蔵流 「縄綯」 シテ・太郎冠者 山本東次郎
アド・主 山本則孝
アド・何某 山本則俊
観世流 「箙」 前シテ・男
後シテ・箙御前
津田和忠
ワキ・旅僧 野口敦弘
ワキツレ・従僧 野口能弘
ワキツレ・従僧 野口琢弘
アイ・所の者 若松隆
槻宅聡
小鼓 古賀裕己
大鼓 亀井実
主後見 武田宗和
地頭 岡久広

あらすじ

縄綯

賭け事好きの主が、勝負に負けて家来の太郎冠者まで賭け事の相手に取られてしまう。使いに出された相手の家でその事実を知った太郎冠者は、ふてくされて全く働こうとしない。あまりの怠けぶりに匙を投げた相手は、いったん太郎冠者を主のもとへ帰らせる。帰宅した太郎冠者は、主の命で銭縄を綯いながら相手の悪口を言い始めたが、いつの間にか主と入れ替わっていた相手にさんざんに怒られる。

旅の僧が摂津国生田川を訪れ、通りかかった男に川辺に咲く由緒ありげな梅の名を尋ねると、男はこれが「箙の梅」で、一の谷・生田の合戦で源氏の武士・梶原源太景季が梅花一枝を箙に入れ、功名を遂げたところから名付けられたと語る。男はさらに合戦の様子を物語ると、自分こそ景季の幽霊と名乗って姿を消す。夜、梅花のもとで臥す僧の前に若武者姿の景季が現れ、骨を砕かれ血飛沫をあげて戦う修羅道の永遠の苦しみを語る。そして、兜まで打ち落とされた一の谷・生田の合戦での激闘の様を再現するが、空が白み始めると旅僧に回向を乞い、再び消えてゆく。