塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

魚説教 / 藤戸

2012/05/18

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の定例公演で、狂言「魚説教」と能「藤戸」。

魚説教

この狂言は2009年にも観たことがあって、そのときはにわか出家による魚尽くしの説教にシンプルに大笑いしたのですが、今回、この出家がもとは漁師であったというところにポイントがあることをプログラムの解説で知りました。能「阿漕」や「鵜飼」にもあるように、殺生を生業とする漁師は罪深いもの。その漁師が、自分の職業を省みて思うところを得、出家したはいいものの……という構造です。

それでも深刻ぶらないのが狂言の良いところで、大藏吉次郎師のシテ/出家は施主の求めに応じて素っ頓狂な高い声で魚尽くしの説教を行い、施主に「売主」と怒られてもへっちゃらで、魚尽くしでそんなに怒るなと返しながらはっはっはと高笑い。最後も飄々と追い込まれていきます。

藤戸

平家物語の巻第十「藤戸」に題材をとった、世阿弥作(?)の四番目物。後シテは殺された漁師の亡霊ですが、前シテはその化身ではなく漁師の母で、前場と後場が異なる人格として登場し、現在能として進行します。

まずは烏帽子・直垂姿も凛々しいワキ/佐々木盛綱(宝生欣哉師)と従者二人が登場し、〈次第〉は春の港の行く末や、藤戸の渡りなるらん。平家との合戦で先陣を勤めた恩賞にこの地を得たことを述べてあたりを見渡すワキの姿は、威風堂々たるものがあります。入部してまず訴訟ある者はまかり出よとワキツレに告げさせたワキが脇座へ下がったところで、ゆったり間をとった〔一声〕となって橋掛リに現れたのは、紅無唐織着流女出立ですらりと細身の前シテ/漁師の母(観世恭秀師)、面は痩女です。常座に出て老いの波、越えて藤戸の明暮に、昔の春の、帰れかしと痛切に謡うとシオリ。不思議に思ったワキが尋ねるのに対してシテは、科なき我が子が波の底に沈められた恨みを連綿と語ります。まだ疑問が晴れないワキに、シテはあなたが我が子を波に沈めたのではないかと比較的淡々とした口調で迫りますが、これを聞いてワキは声高くああ音高し何と何とと動揺を隠しません。かたやシテは、恨むが如く泣くが如く、隠し立てをせずにその時の様子を明らかにして亡き跡を弔ってくれるなら、少しは恨みも晴れるのにと訴えます。シテの言葉を地謡が引き取った後、シテはワキをじっと見ては面を伏せ、正面を凝視したかと思うと再び曇り、ついに跡とむらはせ給へやの絶唱でわなわなとシオリ。

ワキはこの上は何をか隠すべきと観念すると、去年三月二十五日の夜、平家と対峙している海を馬で渡れる場所を教えてくれた浦の男を口封じのために刺し殺して海に沈めた様子を、床几に掛かって語ります。この重い習とされるワキの語りは朗々、そして盛綱きつと思ふようと殺意を抱くあたりからひときわ高揚し、海に沈めて……を聞くとシテもシオリを見せて、見所を聞き入らせます。聞き終えたシテがはっと顔を上げて、我が子を沈めたのはどの辺りかと問えば、ワキは脇座から中正面方向を見やってあの辺りとシテに教え、同じ方向を見やったシテはこれはどのような前世の罪の報いであろうかと嘆き、そのまま居グセとなって子に先立たれた母親の悲しみを綴りますが、今はもう生きている甲斐もない、亡き子と同じ道になして賜ばせ給へと激情を迸らせると膝を打って立ち上がりワキに迫り、刀を奪って自害しようとします。これをワキが扇で払いのけると、今度は我が子返させ給へと両手をワキへ差し出し、低く座り込んでモロシオリとなりました。これは凄い。ここまで迫真の感情表現には、なかなかお目にかかれません。

さすがに不憫に思ったワキの命を受けて、アイ/従者はシテの後ろに回り、慰めの言葉を掛けながら揚幕の奥へとシテを送り込む(中入)と、舞台に戻ってきて正中に着座し、ワキとの問答になります。ワキが、漁師の霊を弔うため管絃講を催し、さらに七日間の殺生を禁ずる旨を触れるように命じると、アイは常座に立ってその旨を高らかに触れ、下がっていきました。

ワキとワキツレが正面先に向かい合って立ち〈上歌〉を謡い、ついでワキが漁師を沈めた方角を望んで合掌し大般若経を読誦すると、その詞章の最後にかぶさるようにヒシギが入って再び〔一声〕。やがてゆらゆらと現れた後シテ/漁師の霊の姿は、黒頭に白い縷水衣、腰蓑を巻き手には杖を持ち、面は生気のない「河津」です。ワキに向かって御弔ひはありがたけれども、恨みは尽きぬ妄執を、申さんために来たりけりと告げ、自分がワキに藤戸の渡り場所を教えたときの模様を再現し始めたシテは、恩賞を下さるべきであるのに命を奪うとは意外……というあたりから所作がリアルになります。ワキをじっと見込みながら歩み寄ったかと思うと、よろよろと笛座前まで後ずさりつつ藤戸の瀬を見やり、杖を太刀として左手に持ち、それを抜いて見つめ、胸の辺りを刺し通し、刺し通さるれば、肝魂も消え消えとなる処と謡う地謡に合わせて震える手で左脇を二度刺し、よろけるように数歩下がってから目付前に動き、そのまま海に押し入れられてで杖を首の後ろに当て反り返って常座へ下がると、最後は千尋の底に沈みしと常座にがっくり着座。このとき、シテの面は死の淵に沈むように目が閉じていったように見えました。

こうして自分の死の場面を再現したシテ(の死体)は、折からの引き潮に浮いたり沈んだりしながら岩の間に流れかかり、藤戸の水底の悪龍の水神となつて杖を振り上げてワキに恨みを晴らそうと迫りましたが、その刹那、弔いの祈りが届いてシテは杖を下し合掌。杖を棹として弘誓の舟を操る所作を示すと、常座へ行って回り、合掌して何度も小さく足拍子を踏み、最後は杖を捨てて成仏の身となりにけるとの地謡を聞きながら立ち尽くしての終曲となりました。

ここまで劇的な表現が連続する曲を観たのは、おそらく初めて。前場ではシテである母の感情の揺らぎの表現と、ワキの見事な語り物、中入後の堂々たる間語リ、後場でシテが再現してみせる自分の殺害場面の容赦のないリアルさと、どこをとっても間然するところがありません。シテの観世恭秀師、ワキの宝生欣哉師、それにアイの善竹隆司師も加わったトライアングルの力で、緊迫感の途切れることのない好舞台となりました。

それにしても、最後に恨みを晴らそうとワキに迫ったシテが一瞬にして成仏し喜んで彼岸へ渡ってしまうのは、いささか唐突な感がないでもありません。しかし、この曲が作られたときのスポンサーが武家階級であることを思えば、この結末によってシテを殺したワキもまた救済される、というハッピーエンドに一曲を仕立て上げる必要性もまた理解されます。とは言うものの、間語リの中でワキが「これも弓取りの習い」と割り切っていることの拭いがたい罪深さを冷徹に考えれば、シテの成仏によってワキもまた救われたと言い切ることはできず、人を殺すことを習いとする武士であるワキは、やがては自らも修羅の道に落ちていく定めにあると考えた方がむしろ自然です。そのことを思えば、一見ワキにとって都合の良いこの曲の結末は、せめてもの贖罪でしかないのかもしれません。

配役

狂言大蔵流 魚説教 シテ/出家 大藏吉次郎
アド/施主 善竹忠一郎
観世流 藤戸 前シテ/漁師の母 観世恭秀
後シテ/漁師の霊
ワキ/佐々木盛綱 宝生欣哉
ワキツレ/従者 則久英志
ワキツレ/従者 野口能弘
アイ/従者 善竹隆司
一噌庸二
小鼓 幸清次郎
大鼓 柿原崇志
主後見 木月孚行
地頭 坂井音重

あらすじ

魚説教

→〔こちら

藤戸

屋島の合戦に先立ち、藤戸の先陣を果たした功により児島に着任した佐々木盛綱は、訴訟の申し出を受け付ける触れに応じて現れた一人の女性から、罪なきわが子を盛綱に殺された怨みを訴えられる。合戦の際、馬で渡れる浅瀬を教えてくれた若い漁師を口封じのために殺害して海に沈めていた盛綱は、わが子を返せと詰め寄る母を不憫に思い、漁師のために七日間の禁漁と管絃講を約束し、下人に付き添わせて母を送り届けさせる。

盛綱が法要を営んでいると、海上から漁師の霊が現れ、刺し殺されて海へ沈められたさまを再現し、悪龍の水神となって盛綱に襲いかかるが、弔いの功徳によって成仏する。