阿漕

2014/11/02

観世能楽堂(松濤)のハッピーアワーチケットで、仕舞四番と能「阿漕」。この「阿漕」は「鵜飼」「善知鳥」と共に三卑賤の一つであり、西行にもゆかりのある曲で、前々から観たかったものです。

まずは仕舞四番。「和布刈」は飛び返りなども交えたスピーディーなもの、「兼平」は力強い足拍子を入れて勇壮、「誓願寺」は地謡の響きが声明のよう、そして「歌占」は端正そのもの。

阿漕

世阿弥作、四番目物。三卑賤、すなわち鵜匠、猟師、漁師といった殺生を生業とする卑賤の者を主人公とする曲の一つで、中でも禁断を犯したために沈められた主人公が成仏も叶わず亡霊となって現れるという点では「鵜飼」とこの「阿漕」は共通しています(「善知鳥」については〔こちら〕を参照)。この曲には、平安時代の『古今和歌六帖』の逢ふことを阿漕が島に曳く網の 度重ならば人も知りなんや『源平盛衰記』伊勢の海阿漕が浦に引く網も 度重なれば人もこそ知れが下敷きとしてあります。特に後者が西行発心の起りを申すも恐ある上﨟女房を思懸け進らせたりけるを、あこぎの浦ぞと云ふ仰を蒙りて、思ひ切りと伝えている(その意味するところは〔こちら〕を参照)ことを踏まえて、この曲の〈クセ〉において西行=佐藤義清(詞章では「憲清」)のエピソードを持ち出している点も注目です。

物寂しい〔次第〕、熨斗目の上に素袍長袴のワキ/旅僧(工藤和哉師)がワキツレ二人を連れて舞台に入り、心づくしの秋風に木の間の月ぞすくなきと〈次第〉を謡ってから、参宮を思い立った旨の〈名ノリ〉、そして淡路、須磨を経る道行の後に阿漕が浦到着の〈着キゼリフ〉。人を待って所の名所を尋ねようと脇座に着いたところで〔一声〕となり、前シテ/漁翁(観世恭秀師)の登場となります。元気いっぱいの大鼓、息も絶え絶えの小鼓を聞きながら、熨斗目着流の上に茶絓水衣、腰蓑。尉髪の下に三光尉面、釣竿を肩に掛けて橋掛リを進み、常座で〈一セイ〉の謡となりました。かく浅ましき殺生の家に生まれ明暮物の命を殺す事の悲しさよと自分の業を呪ううちにワキが声を掛けました。

シテとワキは問答の中で伊勢の海逢ふことをの二つの歌を引き合い、『菟玖波集』草の名も所によりて変はるなり 難波の蘆は伊勢の浜荻を引用しつつ、繰り返す「藻塩の煙」に葬送の気配を漂わせて、阿漕が浦の名の謂れを問うワキに答えるシテの語リとなります。シテは正中に下居して釣竿を右に置き、時々ワキを向きながらの一人語り。その由縁は上述の通り、禁断の漁を度重ねた漁師の阿漕が遂に露見して縛られ浦の沖に沈められたものですが、顛末を語った後に重ねて重き罪科を受くるや冥途の道までもと謡うところからシテの人格は幽霊のそれとなり、〈下歌〉で地謡に度重なる罪弔はせ給へやと謡わせつつワキに向かって合掌。さらに西行の「阿漕が浦ぞ」を織り込んだ居グセの最後に、ワキを見込んでシオります。シテが幽霊であることに気付いたワキとシテとの〈ロンギ〉の途中で、影もほのかに見えそめてからシテは憑依した様子で立ち上がり、舞台上の空気ががらっと変わりました。高揚の度を増した地謡・囃子、網を使う阿漕の姿を描写する地謡を聞きながら、シテは遠くを見る形から素早く姿勢を変え釣竿を振るって糸を巻き取ったところ、俄の疾風に海面が暗くなるとあたりを不安げに見渡し、漁りの燈火を消されてこはそも如何にと恐怖におののき釣竿を投げ捨て両耳を塞ぐ形。昏い海上で繰り広げられる迫真の描写に見所は身じろぎもできませんでしたが、悲痛なシテの声も波にかき消されて跡はかもなく失せにけりと気配を消し、中入。

アイ/浦人(三宅近成師)から改めて阿漕処刑の昔語りを聞き、その勧めに従って弔いの待謡を謡うところへ、厳しい笛からスローテンポな〔出端〕の囃子となって後シテ/阿漕が現れました。その出立は熨斗目の上に白縷水衣、腰蓑を巻き、黒頭の下には痩男面。前場の釣竿に変えて四手網を肩に掛け、凄惨な雰囲気を漂わせて一ノ松に立ち海士の刈る藻に棲む虫のわれからと 音をこそ泣かめ世をば恨みじと謡う、その諦観の深さ。そして今宵は少し波荒れて、御膳の贄の網はまだ引かれぬよなうと震える声はその心が漁師の本能に囚われた様子です。道を変え、人目を忍び、一人夜の海に漕ぎ出してなほ執心の網置かんと密漁を試みるシテ。脇正から角にかけて四手網を仕掛け、はっと立ち上がって辺りを見回し、そろりと橋掛リに戻って二ノ松へ下がってから一ノ松へ進み、左手で額の前の黒髪を掴みつつ勾欄越しに網を見やるシテ。そこには漁師の業である殺生の期待を隠しようもありません。しばしの後、後ずさりつつ背を伸ばして網を眺めたシテは、舞台に入って左、右と手で魚を追い込む形を示し、両手をひらめかせて網に駆け寄ると四手網の紐を手にします。ここでシテの謡伊勢の海、清き渚のたまたまもが入り、以後シテと地謡による謡が続きましたが、ワキの法華経の祈りは耳には聞こえていても殺生の悦びに囚われた心はシテに網を引き上げさせ、その刹那、波は猛火となってあら熱や、堪えがたやと悲鳴を上げたシテは四手網を舞台中央へ投げ捨て両手を上げてかがみこんでしまいました。この網を後見が素早く取り片付けるうちにシテは背から扇を取り出し、地獄の業火に焼かれ、かつて獲物とした魚類が悪魚毒蛇となってシテの身を傷め骨を砕く責苦に苛まれる姿を激しく舞い続けます。最後に、ワキの目の前に立って罪科を済け給へや旅人よと救済を求める絶望的な詞章の後に、シテは常座でまた波に入りにけりと扇で顔を隠しつつ下居した後、静かに立ち上がって小さく留拍子。囃子方の留撥を遠い表情で聞きつつ終曲となりました。

初めて観た「阿漕」の破壊力は、凄まじいものでした。破壊力という言葉は能楽にはふさわしくありませんが、そういう不謹慎な単語を使いたくなるほど、この曲が極め付きの写実で描き出した殺生(暴力、と置き換えてもよいでしょう)の魅力から逃れられない人間の業の深さと報いの容赦なさ、救いのなさは、類例のないもの。しばらくはこの曲の余韻に、うなされそうな気がします。

ところで、現在の観世能楽堂は来年3月で閉場し、2016年末に銀座の複合ビルにて再開するそうです。自宅から徒歩圏内にあって便利に通えていた観世能楽堂の移転は、とても残念……。

配役

仕舞 和布刈 藤波重孝
兼平 寺井栄
誓願寺キリ 野村四郎
歌占キリ 津田和忠
阿漕 前シテ/漁翁 観世恭秀
後シテ/阿漕
ワキ/旅僧 工藤和哉
ワキツレ/従僧  
ワキツレ/従僧  
アイ/浦人 三宅近成
杉信太朗
小鼓 亀井俊一
大鼓 安福光雄
太鼓 桜井均
主後見 坂井音重
地頭 武田志房

あらすじ

阿漕

日向から伊勢参拝の旅路に出た男が、伊勢阿漕ヶ浦で年老いた漁師に出会う。この浦を読んだ古歌に興じ、この地の謂れを尋ねると、昔から神宮に供える魚を捕る所なので禁漁となっていたが、阿漕という漁師が密漁して捕らえられ罰として沖に沈められて死後もなお苦しんでいる、菩提を弔ってほしい、と語り、舟を漕ぎ出し網を手繰る様を見せ、やがて闇に失せていく。不思議に思って浦人に故事を聞き老人の話をすると、それは阿漕の亡霊に違いないと回向する事を勧められる。法華経を読誦していると阿漕の亡霊が四手網を手に現れ、密漁の有様と地獄の苦しみを見せるが、再び救いを求めながら波間へと姿を消す。