蝸牛 / 道成寺

2014/11/30

三日前に引き続きこの日も宝生能楽堂(水道橋)で、柴田稔師主宰の青葉乃会「道成寺」。柴田稔師の舞台生活三十周年記念で、師にとっては16年前の披キ以来二度目の「道成寺」なのだそうです。

配布されたプログラムの解説によると、「道成寺」は先行曲「鐘巻」から道成寺縁起など話の展開に直接関わらない部分をばっさり削除し、《シテの白拍子をめぐる物語》としての性格と引き換えに、女の執念を〔乱拍子〕〔鐘入リ〕という一連の演技の流れに凝縮することによって技巧中心のドラマティックな作品に生まれ変わったとのこと。柴田稔師も、自身のブログの中で「道成寺」を能の技術の集大成ととらえ、16年間で自身がどれだけ進歩したかを問いたいという趣旨のことを書いておられますが、私自身にとっても「道成寺」を観るのはこれが六度目。どれだけ鑑賞眼が育っているかを確かめる観能ということになります。

まずは、観世銕之丞師による仕舞「西行桜」。見渡せば、柳桜をこき交ぜて、都は春の錦、燦爛たりと老桜の精が桜の名所を数え上げる〈クセ〉をたっぷりと舞って、「道成寺」に向けて見所を春の気分へと誘います。

蝸牛

シテ/山伏を演じる山本則重師の存在感が舞台を引き締めた好演。葛城山での修行を終えた出羽・羽黒山の山伏が旅に疲れて藪の中で寝入ってしまったところへ、主に頼まれて寿命長遠の薬になるという蝸牛を捕まえに来た太郎冠者。蝸牛を見たことがない太郎冠者は、主から「藪におり、頭が黒く腰に貝を着け、時々角を出す。年を経たものは人ほどの大きさもある」と聞かされていたために、頭巾を着けた山伏が藪の中で寝ているのを見てこれが蝸牛であろうと勘違い。山伏の方も、太郎冠者をなぶってやろうといたずら心を出して……という話です。

則重師はあの則俊師の長男であるだけに剽げたところはほとんど見せないのですが、藪に入るときの軽やかな所作や、太郎冠者からあなたは蝸牛ではないか?と問われて思わず脱力するさま、なぶってやろうと決めてからの太郎冠者への口調に微妙に含まれる笑いの気配など、見事なエンターテイナーぶりです。太郎冠者に囃させて自分は「でんでんむしむし」と踊る場面では片足跳びや飛び返りなどの身体能力も見せて、最後はクレームをつけにきた主と太郎冠者の二人を囃子に巻き込んで揚幕へ意気揚々と引き上げていきました。

こう書くと他愛のない喜劇のようで、実際、この曲を初めて観た2010年2月の式能のときは「理屈抜きの賑やかな狂言」だと思ったのですが、どうやらそうではないらしいということにこの日気付きました。山伏をとっちめてやろうとその前に立った主と太郎冠者は、山伏が突き出した腕の動きに操られるように囃し始めるのですが、これは山伏がその法力によって二人を操ったのに違いありません。それはあたかも「道成寺」で白拍子が鐘に近づくために能力をたぶらかしたように。そう思ってみると、踊りながら入っていった幕の中から山伏が高笑いを聞かせたこの「蝸牛」は、相当に怖い話だという気がしてきました。

道成寺

このページの下部にある表に見られるように、ものすごい豪華な配役での「道成寺」。まず裃で盛装した囃子方・地謡が着座し、狂言方が鐘を運び入れて滑車に吊るします。見事一発でセットを決め、引き締まった空気のままに冷え冷えとした笛がワキとワキツレを舞台へ導いて、舞台上は桜の咲き乱れる紀州道成寺の境内。女人禁制を告げて回る山本東次郎師の触れは絞り出すように重々しく、続いて〔習ノ次第〕は亀井忠雄・成田達志両師の大小がまったくムラのない打音を完璧にシンクロさせ、そこへ藤田六郎兵衛師の笛が妖気を漂わせます。作りし罪も消えぬべし、鐘の供養に参らん鮮やかな紅入唐織を壺折にし増女の面を掛けた前シテ/白拍子(柴田稔師)の美声は、常座で向こうを向いた姿からでも、脇正面の最後方の席にいる私のところまできれいに届いていました。地取の後にもう一度〈次第〉を謡ったシテは〈サシ〉から道行、そして〈着キゼリフ〉を経てアイ/能力と問答を交わしましたが、能力がシテの前に力を失って鐘への道を開かれると万感をこめてあら嬉しや。ここから笛と大鼓がアシラううちにシテは後見座で物着となり、この間に鐘は鐘後見の手によってさらに高々と上げられました。

手際良く烏帽子を被って白拍子の姿になったシテは、立って一ノ松に位置を移すと、そこからゆっくり、しかし怨みの心を露わにして鐘を見上げました。この「執心の目附」に対し大鼓が裂帛の気合で強打音を連打すると同時にシテは感情を高ぶらせた姿で舞台へ進み嬉しやさらば舞はんとてからの詞章を一気に謡うと〈次第〉花の外には松ばかり、暮れ初めて鐘や響くらん。これを受けた地取が徐々にスピードアップした最後の瞬間に小鼓が短く鋭い掛声を発して、ここから長大な〔乱拍子〕となりました。

極めて長い間をとりつつ、小鼓一調で幸流の短く鋭い掛け声に合わせて進められる〔乱拍子〕は、足の運びの中に前の足を浮かせながら後ろの足を引き寄せる独特の動きが入っていたように見えました。かなりの時間をかけて左回りの三角形を終えたシテは、扇を前にワカ道成の卿を謡い出し、うけたまはりで向きを変えると逆方向へ三角形を描き始めました。小書《赤頭》に伴う「鱗返シ」です。見所で観ているだけでも相当の疲労感を伴うのですから、これだけの時間、舞台上で気迫と姿勢を維持し続けることは、余程の気力の充実がなければなし得ないことでしょう。その、無限に続くかと思われた〔乱拍子〕にもついに終わりが訪れ、一気に〔急ノ舞〕へ突入。舞台上を激しく舞い廻り、烏帽子を扇で打ち落としたシテは、鐘の下に入ると足拍子を踏んで跳躍!銕之丞師の落とす鐘もぴったりのタイミングとなり、シテの姿は鐘の中に吸い込まれました。

山本東次郎師の情けなさ全開の能力に見所がほっとして笑いを漏らした後、ワキの宝生欣哉師の朗々とした口調による物語があって、リズミカルな鼓によるノット。やがて鐘の中から鈸の音が響き、引き上げられた鐘の下には白練をかぶってうずくまるシテの姿がありました。やがて起き上がったシテの出立は、赤頭に緋長袴となっています。ここからは、ワキとの戦いとなり、自然体での鱗落シ、苦悶の様相の柱巻キ、正中でがっくり膝を突きとワキの法力とのバトルに押し込まれたシテは、キリで左膝を浮かせて崩れ落ちる型を見せた後、橋掛リへ下がります。一ノ松から恨めしげな目線を舞台に送ったシテは、三ノ松で膝行を見せてから幕の中へ消え、最後はワキ留めとなりました。

さすが、新人の精いっぱいの披きとは異なるベテランらしい行き届いた謡と舞を見せた「道成寺」でした。しかし、それよりも〔乱拍子〕でのあの緊張感の持続は凄い。柴田稔師のこの再演に賭ける思いの強さを実感した、この日の舞台でした。柴田稔師自身は、この日の出来栄えについてどう思っているのでしょう。師のブログの更新が待たれます。

配役

仕舞 西行桜クセ 観世銕之丞
狂言 蝸牛 シテ/山伏 山本則重
アド/主 山本則秀
アド/太郎冠者 山本凜太郎
道成寺
赤頭
前シテ/白拍子 柴田稔
後シテ/蛇体
ワキ/道成寺住僧 宝生欣哉
アイ/能力 山本東次郎
アイ/能力 山本則俊
藤田六郎兵衛
小鼓 成田達志
大鼓 亀井忠雄
太鼓 観世元伯
主後見 浅見真州
地頭 山本順之
主鐘後見 観世銕之丞

あらすじ

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