二人悟空真贋争(湖北省京劇院)
2015/06/17
東京芸術劇場(池袋)で、湖北省京劇院の「二人悟空真贋争」。
京劇と言えば孫悟空……という時代はさすがの日本でももう過ぎていると思いますが、それでも西遊記モノはやはり圧倒的な体術がもたらす血湧き肉躍るワクワク感が魅力です。これまで観てきた孫悟空の演目というと、
といったところがありますが、今回の「二人悟空真贋争」はその名の通り真贋二人の孫悟空が出てくるというユニークなもので、しかも本物悟空が2000年の湖北省京劇院での主演だった程和平、偽物悟空が2007年の吉林省京劇院での主役だった董宏利。董宏利は昨年湖北省京劇院に移籍したところだそうですが、ベテラン程和平の後継者として見込まれたというところなのでしょうか。
演出はモダンで、プロローグ的に紗幕の向こうで孫悟空の活躍を見せた後、舞台手前でその様子を苦々しげに観ていた六耳獼猴とその手下の妖怪三人組の悪巧みに続きます。同じ猿の出でありながら、片や高僧の従者、片や洞窟に身を隠す日陰の身というところが気に入らないわけで、そこから孫悟空に成り代わって天竺に行ってやろうという決意につながり暗転します。
第二場、身なりは立派ながらなんだか間の抜けた山賊たちに囲まれた三蔵一行は、宿を探しに行っていた悟空の機転で難を逃れます。かわいい小坊主に化けた悟空は「金は自分が持っている」と山賊を騙して三蔵たちを解放させ、その後に耳元から取り出した銀の小さな棒を投げ上げると空中で長さが伸びて如意棒に変わりました。その重さを持ち上げられない山賊たち、涼しい顔で如意棒を操る孫悟空。ついに如意棒に押しつぶされた山賊の頭目二人は脳をはみ出させて死んでしまい、そのことを戻ってきて知った三蔵は悲しみ、悟空を叱ります。ここで三蔵の弔いの祈りは、乱暴したのは孫悟空なので、閻魔様の前では私(三蔵)のことは訴えないように、というかなり自分勝手なもの。おまけに八戒の求めに応じて八戒と沙悟浄も訴えないように、阿弥陀仏…‥と悟空一人に罪をかぶせる祈りをするので、悟空は「え?オレだけ?」と割に合わないよといった表情を示しました。この辺り、程和平の表情での演技はさすがに熟練したものですし、八戒のキャラも早くも全開で客席はどんどん引き込まれていきます。
第三場、楊老人の家に泊めてもらうことになった一行は、山賊一味で先ほど難を逃れた老人の息子・楊三たちの襲撃を受けますが、あらかじめ計画を耳にしていた悟空の術で楊三はたぶらかされてしまいます。最初のうちは悟空が楊三にわざと切りつけさせ死んだフリをしてみせたりとゆっくり静かな運びが続くのですが、やがて山賊一味との立ち回りになると急転、極めてスピーディーな動きに変わります。そしてそこへ突如六耳獼猴の手下の妖怪三人組が乱入し、これを追って悟空が消えたところへ六耳獼猴の偽悟空が登場すると、これも素晴らしいスピードの立ち回りで山賊どもを次々に殺してしまいました。この辺りの展開の速さは実に見事で、さらに楊老人の命乞いも虚しく楊三を殺し、三蔵の目の前で楊老人までも打ち殺すと悪態をつきながら三蔵から天竺への通行証を奪ってしまいます。偽悟空が去り、本物の悟空が戻ってきたところで三蔵は怒りに任せ、八戒や悟浄の諌めも悟空の弁明も聞かず緊箍児(頭にはめた輪っか)を締め付ける呪文を唱え、痛みに耐えかねた悟空はついに堪忍袋の緒を切って去ってしまいました。下手袖に悟空が消えた後、觔斗雲が飛び去る電子音が鳴り、八戒は目で客席の上を追いながら「アーニキー!ドーシヨー!」。ここでいったん幕が降りて休憩となりました。
第四場、幕が上がるとドライアイスのひんやりと分厚い雲が客席になだれ込んで、美しい観音様の前に登場する悟空。その悟空=程和平による傷心と怒りの唱はこの日一番の聞きどころとなり、それまでにないほど厳しい表情に力のこもった歌声には、客席から驚きにも似たどよめきと拍手が沸き起こりました。その叫びにも似た唱は、師と慕ってきた三蔵に信じてもらえず破門された悟空の怒りと悲しみが感情の奔流となったものだったのでしょう。これを聴けただけでも、この日のチケットを買った甲斐があったというものです。
第五場で旅の途上の三蔵・八戒・悟浄は同じ出で立ちの偽物に出くわし、悟浄同士、八戒同士で対決(八戒対決のときはなぜか演奏がアイリッシュダンス音楽のように聞こえてしまいました)。そして四対三ではかなわない、と諦めかけたところへ本物の悟空が颯爽と登場。ここから二人の悟空の対決となりますが、如意棒を振るっての立ち回りはやはり目もくらむほどに速く、見応えがありました。しかし、二人の悟空は体格も体術も互角で八戒・悟浄にも見分けがつかず、三蔵も困惑するばかり。客席から見るとおおむね立ち位置が上手寄りの悟空が豊かな表情で本物、それに対して下手側に立つ悟空は少々邪悪な笑みをもらすところがいかにも偽物です。しかしそうとはわからない三蔵は見分けをつけるためにまたしても緊箍児の呪文を唱えようとしたところ、ここで八戒が手で「タイム!」のサインを作りストップをかけたために客席は大笑い。また唱えたのでは客席も飽きるし猿も疲れる、他に方法はないのか?という八戒に、三蔵は一言「ありません」。どうもこの三蔵は、思考が短絡的というかなんというか……。しかしそこを補うのが八戒のキャラクターで、竜宮・冥府・天宮で判定をもらってはどうかと提案しました。
暗転した舞台に竜宮でも冥府でも判定がつかなかったとあっさりアナウンスが流れて、第六場はいよいよ天宮。諸神を従えて玉帝が登場し舞台中央奥に位置を占めたところへ二人の悟空が戦いながらなだれ込んできました。驚いた天帝でしたが、まず李靖に命じて宝鏡を取り出させます。鏡を模した巨大な輪が天井から降りてきて、まず本物の悟空が輪の向こうに立ってみせ、ついで偽物。少々ドキドキの様子で輪の向こうに立つと姿が写っ(たことになっ)て大喜び。ついで舞台中央に降妖柱が立てられ、二人の悟空はその柱に付けられた輪を握って立つと神将達がさんざんに切りつけましたが、まったくこたえません。さらに雷神が雷を落としてもダメ。ついに玉帝は李靖に天兵を率いて悟空を捕らえることを命じます。つかまる方が偽物というわけですが、ここで舞台の両袖から如意棒が投げ込まれて二人の悟空がそれぞれこれを受け止めると、ここから激しい立ち回りになりました。
ひとしきり大勢入り乱れての戦いに続いて、本物悟空と哪吒との一騎打ちは悟空が哪吒を翻弄するゆとりの立ち回りで、棒と輪を組み合わせたテクニカルな小技が次々に繰り出されます。次に雷神が剣を二本持って登場すると悟空も得物を短い二本の棒に持ち替え、これを両手でトワリング。その棒を親指の上に立ててくるくる回す小技を見せてから、偽物悟空も入って棒での立ち回り、さらに抜き身の剣を投げて空中で鞘に納めるパフォーマンス(一度も失敗なし)を揃って見せました。ついで偽物悟空の見せ場となり、槍と錘(棒の端に巨大な重りをつけたもの)との対決になりますが、ここでも錘二本でのトワリングや、投げ上げられた双錘を空中で錘の上に受け止めるといった技が繰り出されました。そして、銀色に輝く如意棒が残像を残して素晴らしい速度で回転した後に再び二人悟空となり、共に如意棒で周りを囲んだ天兵が次々に投げつける錘や双錘、剣を空中で打ち返します。そして床に組み合わせて置かれたこれらの武器を如意棒で同時にぐいっと投げ上げ、天兵たちがそれぞれにこれらの得物を受け止めたところで天兵たちがなだれ込んで、後は息をもつがせないバク転・空中回転の体操技の連続。客席の興奮が最高潮に達したところで如来が登場し、真贋論争に決着をつけました。「嫉妬心は必ずや身の災いを招く」「人を傷つければ終には己をも傷つける」といった言葉に色を失った六耳獼猴は上手袖へと逃れましたが、スタントの偽物が舞台中央に引き立てられて如来の前で繰り返し定点バク転を繰り返すと力尽きてしまいます。最後に紗幕が降りてセットが天宮から旅路へと入れ替わり、エンディングテーマの歌を聞きながら三蔵一行が再び旅立つ様子が描かれて、幕となりました。
いやー、面白かった。現代的な演出を大胆に取り入れ、あまつさえ日本語のセリフも組み込んだ点は昔ながらの京劇ファンには気になる向きもあるでしょうが、それでも京劇役者ならでは体術の数々で目を瞠らせ、随所にユーモアも交えてエンターテインメントとして完成度の極めて高い芝居でした。程和平はもうベテランの域だと思いますが、動きにキレがあり、まだまだいくらでも孫悟空でいけそう。それ以上に、上述の通り豊かな感情表現を見せ、圧倒的な唱を聞かせてくれたところに感動しました。董宏利の偽物=悪役ぶりも堂に入ったもので、やはりその体術だけではない演技力に惚れ込んでしまいます。そして、冒頭の六耳獼猴の語りにあるように、孫悟空と六耳獼猴とは同根の存在。つまりは表と裏。裏が表に嫉妬して邪心を起こし、三蔵ですらその邪心の罠にかかって真贋を見分けられなくなってしまうのですから、人の心はままなりません。孫悟空モノも、こうしてみると幅が広く、奥も深いな、と思わせられました。
配役
孫悟空 | : | 程和平 |
六耳獼猴(偽孫悟空) | : | 董宏利 |
三蔵 | : | 王銘 |
猪八戒 | : | 談元 |
沙悟浄 | : | 裴学君 |
偽三蔵 | : | 李正紅 |
偽猪八戒 | : | 鄧隠 |
偽沙悟浄・銭大 | : | 路慶辰 |
楊老人・玉帝 | : | 王小蟬 |
楊三 | : | 周丹 |
孫四 | : | 曹中華 |
趙二 | : | 呂蒙 |
観音 | : | 万暁慧 |
如来 | : | 裴咏傑 |
小坊主・哪吒・紅孩児 | : | 陸芸君 |
李靖 | : | 馮軍 |
雷公 | : | 顧譲 |
あらすじ
第一場:嫉妬心を起こす | 三蔵法師一行の天竺行を助ける孫悟空の活躍を面白く思わない六耳獼猴は、孫悟空に取って代わり天竺に行くことを心に誓う。 |
第二場:孫悟空 盗賊を殺める | 山道で銭大を頭とする山賊に取り囲まれ、孫悟空は小坊主に化けて三蔵たちを逃したが、銭大ら二人を殺してしまう。三蔵がこれを厳しく叱ったことから、三蔵と孫悟空との間にわだかまりがうまれる。 |
第三場:仲を裂き孫悟空を追い払う | 宿を借りた楊老人の家に、楊老人の息子で山賊の一味である楊三が帰ってくる。三蔵たちが泊まっていることを知った楊三は深夜襲うことにするが、これを知った孫悟空は術を駆使して山賊たちを翻弄する。ところが立ち回りのさなかに孫悟空に化けた六耳獼猴が入れ替わって山賊たちを楊老人もろとも皆殺しにしてしまい、三蔵から天竺への通行証も奪って逃げる。怒った三蔵は、戻ってきた孫悟空の弁明も聞かず金箍を締め付ける呪文を唱えたため、痛みに耐えかねた孫悟空は師のもとを去る。 |
第四場:観音 疑いを解く | 南海の観音菩薩のもとにやってきた孫悟空は、金箍を外して花果山に帰らせて欲しいと訴えるが、これを観音が諭しているところへ沙悟浄が追いつく。二人の話から観音は、孫悟空がもう一人いるらしいと気付く。 |
第五場:真贋見分け難し | 三蔵一行と偽三蔵一行が対峙する。見た目も同じ、力も技も五分五分の二人の孫悟空の真贋を明らかにするため、猪八戒は竜宮・地獄・天宮で見分けてもらうことを提案する。 |
第六場:如来仏 妖を除く | 竜宮でも地獄でも見極めがつけられなかった二人は激しく戦いながら天宮の玉帝の前にやってくる。鏡に照らしても、柱に縛り付けて打っても雷を落としても見分けがつかない二人は、ついに神兵たちを相手に大立ち回りを演じるが、最後に釈迦如来が真贋を見極める。六耳獼猴は捕らえられ、三蔵一行は再び天竺への旅路につく。 |