吟三郎聟 / 楊貴妃

2016/02/24

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の特別公演で、復曲狂言「吟三郎聟」と能「楊貴妃」。

この日、最初に関根祥六師と西哲生氏による「おはなし」が予定されていましたが、祥六師が体調不良で出演できなくなったために、祥六師からもらったアンチョコも用いつつ、西哲生氏の一人語りとなりました。その話の中核になるのは、まだ駆け出しの能楽師だった祥六師が小林古径描く《楊貴妃》のモデルになったときの思い出で、昭和26年(1951年)の夏、暑い盛りに装束をつけ、強い緊張を覚えながら画家の言われるがままにポーズをとったこと、そして、批評家の評判は芳しくなかった(それはモデルが悪かったからだと書かれていたそう)というその絵を40数年後に初めて見る機会を得た祥六師は、憂き世なれども恋しや昔と「楊貴妃」のキリの一節を謡いつつ展示会場を去ったこと、などでした。

吟三郎聟

江戸末期の厳島神社に奉納されていたこの曲の台本が宮島歴史民俗資料館に残され、これが厳島神社において平成12年(2000年)試演、平成26年(2014年)再演として復曲された後、この日の国立能楽堂での上演となりました。

最初に登場したのは、長裃姿の舅(茂山千五郎師)と半袴の太郎冠者(島田洋海師)。今日は聟入りなので準備怠りなく……というところは、先日観た「岡太夫」と同様です。続いて登場した聟(茂山千三郎)師は侍烏帽子をかぶり胸に独楽の文様の素袍と半袴。手土産の小竹筒(酒樽)を手に提げていますが、下人(従者)もなしに聟入りするのも体裁が悪いと「丸石やすし殿」に従者を借りることにします。つるつる頭で恰幅が良く、いかにも人の良さそうなこのアド/教え手は、従者が出払っているので自分が従者の役を勤めようと親切にも申し出てくれた上に、恐縮する聟がつい腰の低い言葉遣いをしてしまうので自分を仮名の「吟三郎」と呼び捨てにできるように道すがらの稽古もつけてくれました。

ようやく舅の家に着いた二人が案内を請うと、それまで笛座前あたりで無表情にフリーズしていた舅と太郎冠者が再起動し、初対面の挨拶の後はお決まりの酒宴になだれ込むところですが、ここで聟の命に応じて小竹筒を運び込んだ教え手が門前に下がろうとするときに聟がつい「ご苦労に存じます」だの「吟三郎『殿』」などと丁寧語を使ってしまったため、舅は太郎冠者を呼んで笛座前でひそひそ。きっとあれは戯れ事で聟と従者が入れ替わっているのであろう、見た目もあの人(教え手)の方がよほど聟らしいと決めてかかり、門前に控えていた教え手を強いて呼び入れます。最初は仰天しながら一所懸命否定し、こちらが本当の聟だと釈明していた教え手でしたが、思わぬ展開にこれは面白いことになったと喜んで聟になりすますことにし、正先に飛び安座で抵抗する本当の聟を太郎冠者共々橋掛リへ追い出してしまいます。

舞台上で進められる盃ごとの様子を立聞きしていた聟はしきりにぶつぶつ文句を言っていましたが、どうしても覗き込みたくなってシテ柱につかまり、勾欄の上に立ち上がりました。ところが見所の視線が自分に集中していることに気付くと、あやしいものではござらぬ、自分が花聟でござる、と釈明。そうこうするうちに、引出物の太刀まで舅から教え手に渡されてしまいました。

聟入りの儀をつつがなく(?)終えて帰ろうとする教え手を待ち構えていた本当の聟は、前に立ちふさがってクレームをつけ太刀を取り上げようとしましたが、舅殿があのように思ったのだから仕方ない、下されたものは無下には断れないと高笑いすると、聟を振り切って下がってしまいます。独り残された聟はがっくり肩を落とし、同じく寂しげに残された酒の空樽を手にすると、「これに聟が一人余っておりまする、聟の御用はござらぬか」と虚しく呼ばわりながら下がっていきました。

上演時間約35分。よくできたコメディーとしての筋書きに茂山千五郎家らしいダイナミックな演技が加わって、抱腹絶倒の舞台となりました。

楊貴妃

金春禅竹作のこの曲は、2009年に柴田稔師のシテで観たことがありますが、この日のシテ/楊貴妃の関根知孝師は関根祥六師の甥。1951年生まれのベテランではあるものの、モデルを務めた祥六師の再現ということになりますが、もし祥六師の子息・祥人師が存命であったなら(2010年に50歳で急逝)、あるいはこの日の舞台には祥人師が立っていたのかもしれません。

シテの登場前に現れるワキ/方士(福王茂十郎師)は、唐冠にキンキラの側次、白大口でいかにも異国風。そして冥界を行く方士にふさわしい重々しい声で蓬莱の国への道行を謡います。一方、常世の国の者として狂言座に控えるアイ(松本薫師)は裃に長袴の純和風。問答があってワキが蓬莱宮に辿り着き脇座に落ち着いたところで作リ物の中からシテの深い声音が聞こえてきましたが、とりわけあら恋しの古いにしえやなにはしみじみとした思いがこめられているように感じました。

ワキに声を掛けられてシテを隠していた灰緑色の引き回しが下されると、朱色の屋根を戴いた宮の作リ物には図の通りたくさんの蔓帯が下げられていましたが、その色は金・赤・金。そしてシテの背後に控えた後見の操作でこの玉簾は中央から左右に開くようになっていました。そこに現れたシテの姿は、気品ある増の面を掛け瓔珞を下げた天冠を戴き、明るい色調の唐織を壺折にし、緋大口を見せています。

ワキとの形見のやりとりの中で比翼連理の誓いを遠くを見る目のうちに語るシテの言葉に続き、地謡がされども世の中の、流転生死の習ひとてと謡うところを試みに英語版字幕で見てみたら「So we promised, however, the world is a flux of life and death」と訳されていました。なるほど。ともあれ、玄宗皇帝のもとへ帰ろうとするワキを引き止めて作リ物から出てきたシテは、形見としてワキに渡していた鳳凰の立て物を後見の手により天冠の上に立ててもらうとクセ舞を舞い始めました。亀井忠雄師の長く引く印象的な掛け声を背に聞きながら唐団扇を手にゆったり大きく舞ったシテは、逢ふこそ別れなりけれと会者定離の理を示して〔序ノ舞〕に移りました。この〔序ノ舞〕が素晴らしいもので、この世のものとは思えない笛の音が入ると空気がはっきり変わりました。永遠の恋慕の情をあくまでも優美に、しかし時折の足拍子では高揚をも垣間見せながら舞台を大きく回るシテの姿には時がたつのを忘れましたが、やはり物事には終わりが必ず来るもの。やがて〔序ノ舞〕を終えたシテが再び鳳凰の立て物をワキに与えると、ワキは深々と頭を垂れて下がっていきます。ここで小書《臺留うてなどめ》により〔イロエ〕があり、橋掛リから振り返ったワキが下居するとシテも舞台上で下居してワキと名残を惜しみました。最後はワキが揚幕へと消えていき、独り残されたシテは作リ物の中に入ると開いていた御簾が閉まりましたが、これまた《臺留》によってキリの詞章が終わった後にも囃子の演奏が続き、作リ物の中で一度は床几に掛かったシテが再び前に出たところで終曲となりました。

通常の夢幻能では死者が執心によって現世の(多くは)旅僧の夢の中に現れるという構造が多いのに対し、この曲は現世の人である方士が玄宗皇帝の執心を携えその代理としてあの世を訪ねるという点が不思議で、そこに金春禅竹の工夫を見ることができます。楊貴妃はそのかみは上界の諸仙たるが縁あって下界に現れ皇帝の寵を得たものの、結局は幽明分かれることとなって、今は蓬莱宮に戻り永遠の時間を生きて(?)います。方士の訪いによってひととき玄宗皇帝への慕情に浸る様子が長恨歌を引用した美しい詞章によって描かれますが、やがて方士が帰っていけば楊貴妃は再び宮に戻り、いわばまどろみの中に沈み込んでいきます。喪失の大きさに打ちひしがれるわけでもなく、また宗教的な救済を求めるわけでもなく、そうした劇的なものを超越した諦念の象徴としての楊貴妃の姿を通じて描かれる無常観に、じわりと惹かれました。

配役

復曲狂言 吟三郎聟 シテ/聟 茂山千三郎
アド/舅 茂山千五郎
アド/太郎冠者 島田洋海
アド/教え手 丸石やすし
観世流 楊貴妃
臺留
シテ/楊貴妃 関根知孝
ワキ/方士 福王茂十郎
アイ/常世国の者 松本薫
一噌幸弘
小鼓 大倉源次郎
大鼓 亀井忠雄
主後見 木月孚行
地頭 岡久広

あらすじ

吟三郎聟

最上吉日に聟入りをしようとする聟は、手土産の小竹筒を持たせるために召使いを借りようと何某に頼むが、あいにく皆使いに出しているとのこと。困った聟に、せっかくの晴れの日なので自分が持ってやろうと申し出た何某は、舅の前での呼称を吟三郎と決めて稽古しながら舅宅を訪れる。ところが、聟がつい何某に「吟三郎殿」などと丁寧な言葉遣いをしてしまったために、舅は聟と何某が役割を入れ替えたのだと誤解する。最初は困惑していた何某も調子に乗って太郎冠者と共に聟を追い出し、舅と酒を酌み交わした上に引出物の太刀までもらってしまう。

楊貴妃

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