塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

平安の秘仏 滋賀櫟野寺の大觀音とみほとけたち

2016/11/19

雨模様の土曜日、会期中のどこかで行こうと思っていた「平安の秘仏 滋賀櫟野寺の大觀音とみほとけたち」展を見に行くことにしました。渋谷駅大改造工事の一環でこの日は銀座線が渋谷駅から出ておらず、山手線の外回りでえっちらおっちら上野へ。木の葉がいい具合に色づいている上野公園を抜けて、東京国立博物館へ。お天気が悪いせいか人もあまりおらず、すんなりと本館に入ることができました。

この展覧会は、滋賀県甲賀市の天台寺院・櫟野寺らくやじに伝わる重要文化財指定仏像すべてを展示するというもので、中でも本尊の秘仏《十一面観音菩薩坐像》が寺外で公開されるのは初めてのことだそうです。櫟野寺は延暦11年(792年)に最澄が延暦寺の建立に際して良材を求めて当地を訪れ、櫟いちいの霊木に観音像を刻んだことがその始まりと伝えられる古刹ながら、その仏像すべてと言っても全部で20体なので会場は本館特別5室一室で足りるこじんまりとした規模のものですが、中に入るといきなり会場中央に聳える本尊のお姿に度肝を抜かれました。

いや、これはすごい。丈六仏なので一丈六尺(4.8m)の半分(坐像だから)の高さ2.4mということになるのですが、それは髪際までの高さに過ぎず、実際には髪際の上に十一面を戴いていて像高は3.12m。そして高さ1.6mの台座と3.7mの光背も含めれば総高は5.3mにも及び、これは重要文化財に指定された像の中で日本最大の十一面観音菩薩坐像なのだそうです。しかも頭と体は1本の大木から彫り出されたものだそうで、その堂々たる体躯はそれだけで見る者を圧倒し、思わず手を合わせずにはいられなくなりますが、さらによく見ると、身に纏った衣には彩色が残り、ふくよかに整ったお顔の上には頂上に仏面、髻の周囲に菩薩面三、瞋怒面三、牙上出面三、大笑面一を巡らせ、正面中央に化仏立像を立たせています。櫟野寺では33年に一度ご開帳があるそうですが、大きな厨子の中に納められていることからすると、このように仔細に観察することは難しいでしょう。特に暴悪大笑面などはこうしてオープンスペースに出てきていただかないことには見られないはずですから、確かにこの展示は本尊のお姿をくまなく拝見するまたとない機会であるわけです。それにしても、こんなに大きな仏様をどうやって運んだのか?

なお、この像がどのような経緯で制作されたかは実ははっきりとしていないそうですが、時期としては10世紀。櫟野寺が延暦寺の勢力をこの甲賀の地に拡大する拠点であったことから、延暦寺の手配で配下の仏師・工房が赴き造像したものと考えられると図録の解説に記されていました。

本尊の後方には像高2.22mの《薬師如来坐像》(12世紀)、さらに会場の周囲をぐるりと取り囲む仏像の中では穏やかなお顔の《地蔵菩薩坐像》(1187年の銘あり)、すらりと優美な《観音菩薩立像》(10-11世紀)、坂上田村麻呂が鈴鹿山の山賊追討成就の御礼に納めたというユーモラスな顔立ちの《毘沙門天像》(10-11世紀)が目を引きます。ほかにも十数体の観音菩薩、地蔵菩薩、吉祥天の立像が並びますが、これらは10世紀半ばのグループと11世紀後半から12世紀にかけてのグループの二つに分かれ、前者は本尊《十一面観音菩薩坐像》の様式を受け継いで「なで肩で長身の体型、下膨れの顔、目尻を吊り上げた細く厳しい目、太い鼻、厚い唇」といった特徴を持ち、一方後者は優しい表情と丸みを帯びた体つきを持つものが多いそうです。甲賀地方の仏像に共通するこれらの特徴は「甲賀様式」と呼ばれていますが、実際には櫟野寺の様式が周辺に影響を及ぼしたものであるので「櫟野寺様式」としてもよいとのこと。また、本尊の観音菩薩坐像に加え11体もの観音菩薩立像がこの寺に伝わるのは古くからこの地が観音の聖地であり、天台宗が勢力を伸ばしてきたときに観音菩薩を本尊とする先行寺院を天台寺院化した可能性が指摘されています。

白洲正子さんの『かくれ里』にも登場する櫟野寺では、2018年秋に33年ぶりの本尊御開帳を予定しているとのこと。滋賀県の寺院はいつか巡ってみたいと思っていたので、2年後が楽しみです。

時間にゆとりがあったので、引き続き本館内を散策してみることにしました。

この日のみどころは、《樫鳥糸肩赤縅胴丸》〈重文〉、《車争図屏風》〈重文〉、《寛平御時后宮歌合絵巻》〈国宝〉、《東北院職人歌合絵巻》〈重文〉、《十二神将立像 巳神》〈重文〉です。

狩野山楽《車争図屏風》(1604年)。左の2台の車が争っているのはわかるのですが、どちらが葵上でどちらが六条御息所?

《寛平御時后宮歌合絵巻》(11世紀)。かなの美しさにはうっとりします。

《東北院職人歌合絵巻》(14世紀)と《十二神将立像 巳神》(左から辰巳戌・13世紀)。

最後に東洋館に立ち寄って、篆刻も見て帰りました。たった1,000円の入場料でこれだけ楽しめるのですから、東京国立博物館は最高です。そういえば外国人の姿も多くみかけましたが、フランス語比率が比較的高かったように思えるのは、フランス人のジャポニスム趣味が今でも続いているということなのでしょうか。