錦戸 / 胼 / 綾鼓

2017/01/29

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の特別公演で、能「錦戸」、狂言「胼」、能「綾鼓」。

この日は13時から開演。真冬ながら暖かく、コートがいらないほどでした。

錦戸

奥州藤原氏ネタが好きな私にとっては見逃せない稀曲。観世・宝生流にのみ伝わります。

藤原氏三代目・秀衡は源義経を庇護しましたが、その死後、四代目にあたる泰衡は鎌倉の圧力に抗しきれず義経を衣川館に滅ぼし、秀衡の遺言に反した泰衡に反旗を翻そうとした異母弟・忠衡をも討ちます。本曲は、泉三郎・忠衡をシテに、泰衡の異母兄である錦戸太郎(西木戸太郎・国衡)をワキに、この忠衡誅殺事件をダイナミックに描きます。なお、忠衡の死は義経滅亡後のことですが、『義経記』以来その前後を替えて忠衡の忠誠心を強調する話型が生じている、とプログラムの解説にありました。

〔名ノリ笛〕と共にまず登場したのはワキ/錦戸太郎(殿田謙吉師)。黒地の直垂裃出立で堂々と舞台に進み、上述した一連の背景をいつもながらの良き声で説明しますが、誰の告げ口のせいなのか、義経は我々が心変わりしたと思って対面もしてくれないところへ頼朝から御教書があり、泰衡と共に頼朝につくことに決めた……と、義経への裏切りの理由が讒言を信じた義経の側にあるという話になっていて、いわば悪役ながら作者は錦戸太郎に対しても悪意のない目線を送っているようです。ワキが一ノ松から揚幕に向かって呼び掛け、これに答えて幕の前に出てきたのは直面に侍烏帽子、掛直垂に白大口のシテ/泉三郎(金井雄資師)。あら珍しやと正中に進み、脇座に戻ったワキと向かい合いますが、同心を求めるワキに対してシテはゆったり深い声色で、義経の不信は一時のもの、それに秀衡公の遺言もあるのだからと翻意を求めます。ここからこの上もなく緊迫した雰囲気の中、兄の言うことが聞けないのか、親の遺言には背かれない、と兄弟の厳しい対話が繰り広げられ、ついに交渉決裂。ワキは身を起こして扇でシテを指し示しこれまでなりや今ははや、兄と思ふな弟とも、見ることさらにあるまじと地謡に謡わせて下がっていき、シテはこれを立って見送りました。

いったん後見座に下がって受け取った文を手にしたシテは、一ノ松から揚幕に向かって妻を呼び出します。ツレ/泉の妻(小倉健太郎師)は小面に紅入唐織ですから若い女性。ということは泉三郎も比較的若い武者だったのか?ともあれ、一ノ松に立つシテは三ノ松のツレに先ほどのやりとりを説明し、賢人二君に仕へず、貞女両夫にまみえずとあくまで義経を立て兄・錦戸太郎には従わない覚悟を伝えた上で、母からの文に討手がかかるので落ち延びよとあるが、自分はともかくツレは逃れよと呼び掛けると、ツレも夫の最期を見捨てることはできないので自害すると返しました。その健気さに心打たれた様子で一歩下がったシテでしたが、見所を眺めて追手が押し寄せている様子を見やりこの上は急ぎ自害に及び候へ。合掌、二人でシオリ、そしてシテが腰の太刀を鞘のまま手にとって三ノ松でツレに渡すと、ツレは素早く鞘を払って両手を身体の前で一気に交差させて刀を左胸に突き立てる型となり、その場に崩れ落ち(よろよろと倒れ伏しければ)てから幕の内へと後ずさりに下がりました。一方シテは、ツレが倒れた場所まで進んで死骸に取りつき、シオリを見せ(泣くより外の事ぞなき)てから中入。

早鼓が打たれてただちにアイ/早打(野口隆行師)が忙しや忙しやと登場し、一連の経緯の説明の後に、錦戸は泰衡と共に泉を討つことにしたので、15歳から60歳までの男子は徴兵に応じるようにと触れを告げて退場した後、一畳台が持ち込まれて脇座に置かれました。

〔一声〕、再び登場したシテは白鉢巻に側次・白大口。一畳台の隣の地謡前で床几に掛かりました。ついで、同じく側次大口の出立のワキが長刀をたばさみ、立衆たちを引き連れて橋掛リ上に進んできます。藤波の、かかれる木々の梢をば、嵐や寄せて、散らすらん。そしていかに泉の三郎確かに聞け、……尋常に腹切り候へと朗々と呼ばわるワキに対し、いでいで対面申さんと一畳台(櫓)に上がったシテは君臣二つは二体の義、君を重んじ親子の孝行、賢人無双の弓取りに、かへつてとかくの仰せはいかにと大音声で呼ばわり、囃子方も高揚してシテを後押しします。問答無用とばかりに立衆に討入りを命じたワキが列の最後尾に下がるとシテは、主君のために命を捨てるなら兄に矢を放つことを科にはなるまい、惜しからぬ我が身なり、とく寄りて討てや人々と怒声を上げて立衆に向かって手を差し出しました。この辺りの詞章は軍記物さながらの勇壮なもので、舞台上の白熱と相まって胸を熱くさせるものがあります。以下、戦闘の模様を豪快に謡う地謡に合わせての斬組みとなり、まず二人が後見の前に鞘を音を立てて捨てながら舞台に進みましたが、数合打ち合った後にシテに斬られ、舞台上にどすんと落ちて退場。ついで三人が同様に舞台に進み、再びシテと斬り合います。前面で打ち合うだけでなく、斬り込む太刀を頭上に渡した太刀で受ける形も交えた難易度の高そうな立ち回りの後に一人を討ち果たしたシテでしたが、ついに今はこれまでなりと覚悟を決め一畳台(日頃念ぜし持仏堂)に戻って合掌。腹を切る型を見せてから台上から舞台に飛び降り、そのまま見事な連続技で前転して目付柱の近くに身体を横たえました。残った二人の立衆はただちにシテの身体を起こし、敵の兵首を取つて、帰る事こそ哀れなれというキリの詞章と共にシテの身柄を引き立てて幕へ走り込みます。長刀を肩に掛けたワキがこれを常座で見送って留。

50分と短い曲でしたが、緊迫感に満ちた兄弟の決裂、妻の覚悟に哀れを催す夫婦の別れ、そして豪快そのものの斬組と三つの山場を持って淀みなく進むストーリー展開と、シテ・ツレ・ワキの人物描写の厚みに惹きつけられて、印象深い舞台でした。

あかがり

「あかがり」とはあかぎれのこと。季節は冬、主は茶の湯に招かれたので太郎冠者を供に選びます。太郎冠者は、自分は留守をしたいので次郎冠者を連れて行って下さいと辞退しますが、茶の湯に行く以上、供も不調法ではならないのでお前が来いと主に強いられて、渋々同行することになりました。この辺り、主・太郎冠者・そして曲中には登場しない次郎冠者の関係がわかるようなやりとりです。道行の会話は寒さが話題で「茶の湯は霜雪の降る時分にしてこそ面白けれ」などという主でしたが、橋のない川を渡らねばならないところで、太郎冠者に自分を背負って川を渡れと命じました。これは阻止したい太郎冠者は、季節柄「あかがり」が切れて痛むので川には入れないと抗弁。それは気の毒だから背負わなくてもよいが一緒に川を渡れと言われた太郎冠者は、渡れるくらいなら背負っている!怒った主が何のためにお前を連れてきたのかと言うと、だから次郎冠者にしろと言ったではないかと一歩も引きません。

ここで主は懲らしめモードに切り替わり、独白をはさんで太郎冠者に、あかがりを題に歌を詠め、よく詠めたら自分が太郎冠者を背負ってやろうと伝えます。恐れ多いことと辞退した太郎冠者でしたが、強いられて詠んだ歌は次の二首。

胼は春は越路に帰れかし 冬こそ足のもとに住むとも

胼は弥生の空の時鳥 うづき渡りて音をのみぞ鳴く

これらの歌をほめた主は太郎冠者を(舞台上で本当に)背負って、舞台の中央でえいえいと川の中に入る様子を見せます。ところが、川の中ほどまで進んだところで主はさらに一首詠め、詠まねば水の中に落とすぞと左右に揺さぶりをかけました。この迫真の演技に見所が大笑いをしていると、すっかり震え上がった太郎冠者はこう詠います。

胼は恋の心にあらねども ひびにまさりて思はれぞする

あかぎれの痛みを的確に描写してお見事ですが、主は、昔から家来が主の背中に負われたためしはない!と太郎冠者を川中に落とし、高笑いをして去って行きました。残された太郎冠者は袖を絞り「爪先を濡らすまいとしてぼんのくぼまで濡れた」と後悔して、くさめ留となります。

綾鼓

解説によれば、世阿弥の『三道』に「恋重荷、昔の綾の太鼓也」とあることから、(1)古作「綾の太鼓」をもとに、(2)世阿弥が改作して「綾鼓」が出来、(3)これを一新して「恋重荷」が完成したと考えるのが通説とのこと。「恋重荷」は喜多流・高橋汎師のシテで観たことがありますが、観世流では最後に怨霊が心を和らげる「恋重荷」が江戸時代中期から採用され、怨み抜いて終わる「綾鼓」は廃曲扱い(宝生流では現行曲、後に金剛流でも)となっていました。この「綾鼓」が観世流で再び上演されることになったのは2015年に浅見真州師が復曲したからで、したがって本日の観能の眼目は、この日もシテを務める浅見真州師による復曲の意図をつかめるかどうかという点にあります。

最初に笛座前に置かれた作リ物は、四角の立木台に立てられた桂木と、その豊かな葉の中に埋め込まれた鼓。朱色の外枠と白い中心点が鮮やかなコントラストをなす打面が見所から見えており、その上に撥が斜めに掛けられていることもわかります。そして、寂びた笛と共にまずツレ/女御(武田宗典師)が舞台に進み、脇座で床几に掛かりました。天冠を戴き小面を掛け、紅入唐織壺折、大口は黄。次に風折烏帽子、深緑の狩衣、白大口の出立のワキ/臣下(福王茂十郎師)が登場。アイの野村又三郎師も狂言座に着座したところで、ワキの〈名ノリ〉が始まりました。所は筑前の国、木の丸の皇居(=斉明天皇が外征のために現在の福岡県朝倉市に営んだ朝倉宮)。桂の池という名池に御遊あった女御を姿を見掛けた御庭掃きの老人がしづ心なき恋となり、このことを聞いた女御は恋は上下を分かぬ習ひなれば、不便に思し召さるる間池の桂の木の枝に鼓を懸けて老人に打たせ、その音が皇居に聞こえれば姿を見せようとおっしゃるので、老人を召し出してその旨を伝えようと言います。

女御の横に下居したワキがアイ/所の者に老人を呼び出させ、アイの声に応じて箒を手に登場した前シテ/庭掃の老人(浅見真州師)は尉出立(面は木賊尉)。一ノ松まで進んだシテに対しワキが正中から鼓のことを告げ、その招きに従って舞台に入ったシテは桂木に見入ると、この桂木の枝に掛かっている鼓の音が出るならば恋の心を静めることもできるだろうと述懐すると、地謡による〈次第〉後の暮ぞと頼め置く(鼓が鳴ったならその後の暮こそ逢う時)に期待をこめながら綾の鼓を打たふよ。ここは、シテがゆっくりと舞台を巡るその歩みに合わせて地謡と鼓も究極のスローモーションとなり、さらに地取りが加わることでシテの思いがどこまでも深いものであることが強調される演出です。さらに、思案に暮れることの多い老いの身に恋の悩みを添えるとは……と舞台上にがっくり膝を突いたシテは箒を置いて正中に下居し、地謡との掛け合いで恋慕の情に苛まれる我が心を嘆いてみせ、その中で例の忘れんと思ふ心こそ、忘れぬよりは思ひなれ(元歌「面影を忘れむと思ふ心こそ別れしよりも悲しかりけれ」(続拾遺・藤原実氏))が謡われたとき、印象的な笛が入ってきました。さらにしばらくは地謡が心の迷いを嘆くシテ自身の心を代弁していましたが、シテ驚けとてや東雲ので一転。突如身を起こし、箒を手にとり立ち上がって舞台を巡ると、夜明けを告げる時守が打つ鼓の音のようにこの鼓も鳴るならば、待つ人の面影も現れるのではあるまいかと桂木に向かい、箒を足元に捨て撥をとって両手で二度三度と鼓を打ちました。しかし綾鼓が鳴るはずもなく、撥を捨てて下がり打てども聞こえぬは、もしも老耳の故やらんと耳に手を当ててみるものの、池の波音も窓を打つ雨音も聞こえます。手を広げたシテはあやしの太鼓や何とて音は出でぬぞと鼓に向かい、呆然。

そして、引き続く地謡による〈ロンギ〉思ひやうちも忘るると、綾の鼓の音も我も、出でぬを人や待つらんが冒頭からずっと床几に掛かって佇んでいるツレの心中を謡うもの(「我」=女御、「人」=老人)だとすれば、ここでようやく、音の出ない綾鼓を老人に打たせたのは女御の意思であり、その意図は「恋重荷」と同じくかなわぬ恋を諦めさせようとすることにあったことになります。ともあれ、シテと地謡の掛合いの中にシテの心の内には絶望が広がり、ついになどされば、か程に縁なかるらんとシオリかけたと思った次の瞬間、悲しみは激情に変わって右手を掲げ常座で身を翻らせると身を投げて失せにけりで飛び返りがっくりと膝を突きました。次の瞬間、蕭条たる笛が劇的に入ってきて、シテはその音色を背に聴きながら中入となります。

シテが幕の向こうに消えると共にアイが立ち上がり間語リとなりますが、一部始終を見ていた者としての深い同情の念をこめて恋路は甲斐なきものとしみじみ述懐すると、ワキにシテが入水して果てたことを報告しました。これを聞いて驚いたワキはツレにそのことを言上し、老人の執心を恐れてお忍びで桂の池を訪れるよう勧めます。ツレは立ってワキと共に鼓に向かいましたが、いかに人々聞くかさて、あの波の打つ音が、鼓の声に似たるはいかにと中正面に向きながら謡い、ここで取り憑かれたような声色に変わり正面を向いてあら面白の鼓の声や、あら面白やと正気を失いました。驚愕するワキ、鳴らぬ鼓を打てと命じた自分こそ正気ではなかったと語るツレ、そこへ入ってくる囃子方の太鼓。舞台上に妖しい気配が広がり、〔出端〕の囃子と共に出てきた後シテ/老人の怨霊の姿はぼさぼさの灰色がかった白頭に鼻瘤悪尉面、法被半切の上に白い縷水衣、さらにその上に灰色の側次という重ね着です。手には桂木の葉を付けた鹿背杖を握り、執心の恨みを抱いた鬼となって池の面に現われ出でた風情で一ノ松に立つと、なぜ鳴らぬ鼓を打てと言ったのかとツレを睨んで杖を構え、心を尽くし果てよとやと杖で床を突き鳴らすと、さらに舞台に進みました。そして立廻リとなって邪悪な気配を漂わせつつ舞台を巡り、脇座に下居しているツレに迫って足拍子。さらにツレを見下ろし、ついで脇座から舞台中央へ引き出しました。シテは鹿背杖を打杖に変え、鳴るものか鳴るものか、打ちて見給へとツレを打杖で打擲し、足拍子で威嚇します。責め続けられたツレは撥をとって鼓を打ちますが、鼓は鳴らで悲しや悲しやと、叫びまします女御の声。撥を捨てて後ずさったツレは正先に出てへたり込むと両手を上げ、さらに責められて脇座に安座し俯いてしまいます。繰り返されるシテの足拍子、地謡によるシテの呵責の描写。シテは地謡に入水の様子を再現させながら常座で回り、波の藻屑と沈んだ身が死霊となって女御に憑き祟る姿をツレの前から常座への流レ足で示すと、そこに崩れ落ちました。

ここまでの激しい笛から一転、大小の鼓がゆったりと打ち始めると共にシテは緩やかに身を起こし、ここからは橋掛リに位置を移して、八寒地獄のうち紅蓮地獄(ここに堕ちた者の身が酷寒のために裂けて紅蓮の蓮華のようになる)の描写の中に自らも妄執に囚われた恨みをツレに向けるよう。一ノ松の欄干に右足を上げて両腕を高々と掲げツレを見やるかと思えば乱レ足を見せ、打杖を上下して足拍子を踏み、あら恨めしやの繰返しの内に柱に手を掛けてツレを眺めた後、恋の淵にぞ入りにけると後ずさって橋掛リ上に安座し面を伏せて終曲となりました。

類曲「恋重荷」が女御にとっては不気味ながらも一応の大団円をキリに置いているのに対し、この「綾鼓」では女御は最後まで責め苦を受け続け、一方老人の亡霊も妄執に囚われたまま恋の淵に沈んで永遠に成仏できません。その救いのなさを世阿弥は手直ししようとしたのかもしれませんが、こうしてみるとストーリーが単線であるきらいはあっても「綾鼓」には「鳴(な)らぬ恋」の業の深さとその悲哀へのリアリティが感じられて、むしろ自然のようにも思えてきました。前場でシオリをほぼなくしつつ随所に目を瞠る所作を織り込んで前シテ/後シテの性格を芯の通ったものにすると共に、キリの前に〔イロエ〕を置きシテの位置を橋掛リに移してその苦悶を明示した型付と、ドラマティックな地謡・囃子方(とりわけ松田弘之師の笛)による場面転換とが強く印象に残った舞台で、これらもまた復曲に際して浅見真州師が意を用いた点の一部であるなら、その点に関しては師の作劇意図を多少なりとも汲み取ることができたということになるでしょうが、果たして?

配役

宝生流 錦戸 シテ/泉三郎 金井雄資
ツレ/泉の妻 小倉健太郎
立衆/錦戸の郎党 和久荘太郎
立衆/錦戸の郎党 高橋憲正
立衆/錦戸の郎党 佐野玄宜
立衆/錦戸の郎党 當山淳司
立衆/錦戸の郎党 佐野宏宜
ワキ/錦戸太郎 殿田謙吉
アイ/早打 野口隆行
藤田朝太郎
小鼓 鵜澤洋太郎
大鼓 大倉慶乃助
主後見 宝生和英
地頭 朝倉俊樹
狂言和泉流 シテ/太郎冠者 松田高義
アド/主 奥津健太郎
観世流 綾鼓 前シテ/庭掃の老人 浅見真州
後シテ/老人の怨霊
ツレ/女御 武田宗典
ワキ/臣下 福王茂十郎
アイ/所の者 野村又三郎
松田弘之
小鼓 林吉兵衛
大鼓 國川純
太鼓 小寺佐七
主後見 武田宗和
地頭 浅井文義

あらすじ

錦戸

義経をかくまう奥州平泉。三代・秀衡のは義経保護を遺言としたが、返信を告げ口されて対面も絶えた義経を見限り、長男の錦戸太郎は頼朝方に就こうとする。弟・泉三郎は遺言を守ることを主張して兄と決裂。三郎が義経に殉ずる覚悟を妻に語ると、妻も夫の差し出す刀を手に潔く自害を遂げる。錦戸の大軍を迎え撃つ三郎は奮戦むなしく切腹し、敵軍はその身を捕獲して引き揚げる。

茶の湯の客に招かれた主人は太郎冠者を供に連れて出掛ける。途中、橋のない川を渡らねばならぬところで太郎冠者に背負わせようとすると、太郎冠者は「赤切れが痛むので川には入れない」と言い出す。これに怒った主人は、太郎冠者に「あかがり」を題にした歌を詠ませ、うまく詠めたことを口実に自ら太郎冠者を背負って川を渡ると、その途中で太郎冠者を川に放り出す。

綾鼓

筑前の国、木の丸の宮廷の庭を掃く老人がふとした折に女御の姿を見、恋に落ちる。女御は、池のほとりの桂の枝に綾で張った鼓を掛け、これを打って音が聞こえたら再び姿を見せようと仰せを下す。廷臣からこの旨を告げられた老人は必死に鼓を打つが、綾の鼓では音が鳴るはずもなく、女御を恨みながら老人は池に入水して命を絶つ。死者の執念を恐れた廷臣の進言によって池のほとりに立ち寄った女御は、鬼の姿に変じた老人の亡霊に責め苛まれる。女御に地獄の責苦を与えた悪鬼は、恨みの言葉を残して再び池中に消え去る。