伯養 / 班女

2017/06/16

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の定例公演で、狂言「伯養」と能「班女」。今日は珍しく門の外から写真を撮りましたが……。

中に入ってみると、前庭の紫陽花が綺麗でした。

伯養

狂言の演目は後で掛けられる能の曲目と関連があることが多いのですが、この日の「伯養」は旧暦6月19日に京で行われた盲人たちの法要(盲人に初めて官位を与えた光孝天皇の忌日を弔う)である「涼み積塔しゃくとう」を背景とした、いわば時分の曲として選ばれたようです。プログラムの解説に従って盲人たちの職能団体「当道座」に属する盲官の位階を見ると、上から順に検校・別当・勾当・座頭。この「伯養」は座頭が勾当に楯突くという話ですが、現実にはそんなことはあり得ないくらい上下の統制が厳しかった模様。

舞台上には、まずアド/伯養(野村晶人師)が狂言袴・能力頭巾で杖を突きながら登場し、そのすぐ後に長裃姿の小アド/何某(野村萬師)が入ってきます。伯養は「涼み」のために都へ上ろうとするに際し、「萬殿」の良い琵琶を借りて行こうと思うとのこと。訪問を受けた何某は伯養の求めに応じて琵琶を貸そうと約束し、そのまま伯養を奥へ案内しましたが、続いて入ってきたのはシテ/勾当(野村万蔵師)。なるほど沙門帽子も立派、無地の水衣の茶色も長袴も杖の長さまでも重々しく、伯養より階層が上であることは一目瞭然です。自分の琵琶の転手(糸巻き)が修理中なのでやはり「萬殿」のところへ琵琶を借りに来たと語った勾当は案内を乞い、何某に琵琶を借りたいと申し出ましたが、何某は既に伯養に貸してしまったと説明。伯養ごときに琵琶のいるはずはない、自分に貸してほしいと強弁する勾当を、何某は宥めながら直接伯養と話すようにと奥へ招き入れました。

身分の違いを背景に伯養を恫喝する勾当と、必死に抵抗する伯養。見かねた何某は何か勝負をして勝った方に琵琶を貸そうと提案し、それももっともと勾当は歌を歌うことを提案します。伯養は歌になどなじんでいないので渋りましたが、それでは気の毒ながらお前の負けだと何某に言われて仕方なく勝負を受けました。まずは勾当から。

庭中に歯欠けの足駄脱ぎ捨てて 履く用(伯養)なくば谷へほうかす

伯養を履物にたとえて嘲るこの歌にいきりたった伯養に何某が「よいように詠み返せ」とけしかけると、伯養は次のように詠いました。

酒盛のお座敷ゑさへ入れざれば 糟勾当はむやくなりけり

酒粕にたとえた上に勾当に貸しても無駄だと痛烈に皮肉るこの歌、字幕表示器の振舞の座敷へ人の呼ばざれば 犬勾当は門にたたずむと違っていて「?」と思ったのですが、後で調べてみるとこれはどうも「伯養」の原型にあたる天正狂言本「馬借り座頭」での座頭の歌であるようです。ともあれ今度は勾当が激昂する番ですが、何某は勾当をなだめると伯養に「もうひと勝負せい」。だんだん二人の争いを何某が面白がる構図が明らかになってきました。

伯養の提案した相撲勝負に勾当は一度はためらいましたが、応じないなら負けだと言われ仕方なく応じます。行司となった何某の「お〜手〜」の掛け声と共に立ち合ったものの、相撲をしたことがない勾当は杖で伯養を打擲してしまいノーカウント。互いに杖を置いた上で改めて向かい合い、「い〜や〜」と声を上げつつじりじり近づいて「やっとな」と投げを打とうとしましたが、どちらも目が見えないので相手がつかまりません。そこで同時にピンときた二人は、これも同時にどんと大きな音を立てて足で床を踏み鳴らし、相手を誘い込む作戦に出ました。歌舞伎のだんまりのような動きの後に相手の後ろに回り込んだと思った勾当と伯養が「とったぞ」とつかみかかったのは、勾当は目付柱、伯養は脇柱。これを見ていかにも楽しそうに呵呵と笑いつつ二人を止める何某の野村萬師の福々しい笑顔が最高です。

最後に、両人の手を取り合わせようと真ん中に入った何某の言葉に素直に従う勾当と伯養でしたが、「お〜手〜」の掛け声を受けて二人が「とったぞ!」と組み付いたのはなんと何某。困惑しきった表情で押し揉みされた何某はついに床に倒されてしまい、二人が「勝ったぞ勝ったぞ」と大喜びで下がっていった後で何某は「両人とも琵琶を貸すことはならんぞ」と怒ったものの、よい琵琶など持つものではない、南無三宝と手を打ち合わせて終わりました。

仲介者だったはずの何某がいつの間にか二人の勝負事に夢中になっていって、最後は我が身に報いを受けてしまうというのがこの曲のおかしみの構図。名人・野村萬師の至芸のおかげで見所は大笑いでしたが、江戸時代に刊行された狂言詞章の版本『狂言記外五十番』の「琵琶借り座頭」では勾当が伯養に倒される結末となっていて、つまりこれは下克上の話であったようです。

班女

この曲は2009年にセルリアンタワー能楽堂で観ており、そのときも喜多流(友枝昭世師)でしたから、基本的な演出は同じです。この日のシテ/花子は粟谷能夫師、そしてワキ/吉田少将は美声で鳴る森常好師のはずでしたが病気休演に伴い殿田謙吉師が代演(私はトノケンさんのファンなのでこれはこれでうれしい)。同流で既に観ている曲なので細かく詞章を追うことはせず、気が付いたポイントを列挙するにとどめます。

  • シテの粟谷能夫師の声は、水底から響いてくるような深々としたもの。冒頭から一気に異次元へ運ばれてしまった感じです。それにしても、正中に下居したシテの唐織着流の膝の辺りが妙にパツパツな感じ。
  • 〔アシライ〕中入に続いて藤田六郎兵衛師の厳しいヒシギ、続く〈次第〉は帰るぞ名残富士の嶺の、ゆきて都に語らん
  • 〔一声〕では大小がポンポンカッ(!)と特徴的なパターンを打ち、笛が入った後も狂おしいほどの大小の応酬が続きましたが、この辺りから小鼓の飯田清一師の小鼓と謡のように音楽的なその掛け声、そして大鼓の亀井広忠とのコンビネーションに引き込まれました。
  • 右肩を脱いで素早く一ノ松へ進んだシテの祈誓の詞章、そして激しい囃子と共に〔カケリ〕、恋すてふ……の歌と共に扇を前にして見所を見渡すのは賀茂社に既にあるから。そして徐々に鎮静したシテがなほ同じ世と祈るなりと合掌する姿は極めて美しいものでした。
  • 〈クリ・サシ〉と進んで〈クセ〉は最初は居グセ。地謡が徐々に高揚した後さるにても我が夫の秋より前に必ずとで立ち上がったところで、友枝昭世師はシテ柱に近づき背中で寄りかかると空を遠く見上げる型でしたが、この日の粟谷能夫師は一ノ松へ移動し欄干に立ち尽くして胸の前に扇を抱いて遠い目。美しい……。
  • 〈クセ〉の後段をじっくり聞かせた地謡がその最後に絵に描けるの「る」をたっぷり引っ張った後に、どこまでも優美で気品に満ちた〔序ノ舞〕。シテも入り込んでいる様子が伺え、こちらも息を呑んでその様子を見つめました。舞の途中には、扇を前にかざし境内(見所)の人々に見せて回る型あり。
  • 正面に出て形見の扇より、なほ裏表あるものは人心なりけるぞや、扇(逢ふぎ)とは空言やと勝手に高揚(吉田少将は約束を守って野上に迎えに行ったのに)。そして正中に下がって逢はでぞ恋は添ふものをと繰り返してシオリ。〈クリ・サシ・クセ〉から〔序ノ舞〕を経てここまで地謡と掛け合いつつシテの独壇場です。
  • ワキツレから扇を見せてほしいと言われたシテは、一度は形見こそ今は仇なれこれなくは、忘るる隙もあらましものをと言ったくせに、でもやっぱり人に見することあらじと扇を胸に隠してそっぽを向いてしまうのが乙女チックです。
  • 地謡(ワキ)から野上の地名を出され野上とは、野上とは東路の……と問い返すシテの声の震え具合に、驚きと期待が滲みます。
  • キリ、扇を交換して見せ合うシテとワキ。そして立ち上がったシテは常座で背を見せ、立ち尽くした姿で終曲。

久々に観た「班女」でしたが、物狂いの能ではありつつも、しっとりとした情緒と花子の一途な思いのバランスが絶妙でした。この曲は五流にあるようですから、次は他流でも観てみたいものです。

配役

狂言和泉流 伯養 シテ/勾当 野村万蔵
アド/伯養 能村晶人
小アド/何某 野村萬
喜多流 班女 シテ/花子 粟谷能夫
ワキ/吉田少将 殿田謙吉(森常好代演)
ワキツレ/従者 舘田善博
ワキツレ/従者 森常太郎
アイ/野上の宿の長 小笠原匡
藤田六郎兵衛
小鼓 飯田清一
大鼓 亀井広忠
主後見 中村邦夫
地頭 出雲康雅

あらすじ

伯養

盲人の集まる祭礼「涼み積塔」が近づき、琵琶を持っていない座頭・伯養が亭主に借用を申し出る。後から同じく借りに来た勾当と伯養はどちらが琵琶を借りるかで争うが、亭主の仲裁で勝負に勝った方が琵琶を借りることにする。最初の歌の勝負は引き分けとなり、続いて相撲をとることにするが、盲人同士なので相手の居場所がわからない。そこで亭主が双方の手をとり掛け声を掛けたところ、二人は亭主を相手と思ってとりつき、倒してしまう。

班女

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