ジョン・ノイマイヤーの世界(ハンブルク・バレエ団)

2018/02/07

ハンブルク・バレエ団の2年ぶりの公演を観るために、上野の東京文化会館に足を運びました。2016年に観たのは「リリオム」と「真夏の夜の夢」でしたが、今回はそのときにも話題になった「ジョン・ノイマイヤーの世界」です。

この作品は、2年前の日本での初演時に初日の公演でセンセーションを巻き起こし、その評判がSNSを通じて拡散したために2日目には当日券を求める長蛇の列ができたというエピソードが有名です。ハンブルク・バレエ団を率いる稀代の振付家ジョン・ノイマイヤーの作品群の抜粋によるアンソロジーという体裁をとっていますが、ノイマイヤー自身の言葉で語られるそのバレエとの出会い、作品の一つ一つにこめた思いなどが、この作品を単なるガラではなくノイマイヤーの自伝的作品に仕上げています。

舞台はマイクを片手にしたノイマイヤー自身の登場と「私の世界はダンス」という言葉から始まります。「Dance」という単語が繰り返しさまざまな人物、言葉(日本語も)で響きあううちに、ステージ上にダンサーたちが次々に現れて最初のパートである「キャンディード序曲」へシームレスに移行します。

キャンディード序曲
レナード・バーンスタイン作曲のミュージカル「キャンディード」の序曲に乗って大勢のダンサーたちが陽気に踊る一幕は、1998年初演の「バーンスタイン・ダンス」の冒頭。少年時代のノイマイヤーはリビングでこのレコードをかけ、踊っていたというエピソードが語られます。
アイ・ガット・リズム
続いてこちらは「シャル・ウィ・ダンス?」からで、音楽はジョージ・ガーシュウィン。シルクハットに燕尾服の姿で瀟洒に踊るのはシルヴィア・アッツォーニとアレクサンドル・リアブコのペアです。アナウンスの中にジーン・ケリーへの言及がありましたが、自分もミュージカル映画を集中的に観た一時期があったことを思い出しました。ハンブルクとミュージカル?という組合せは意外に思えますが、実はノイマイヤーはミルウォーキー生まれのアメリカ人であり、彼の作風が古典バレエに米国流のダンスの要素を組み込んだものであるとされるのも、こうしたバックグラウンドあってのことなのかもしれません。
くるみ割り人形
おなじみの「くるみ割り人形」も、ノイマイヤー版では少女マリーは人形の代わりにトウシューズを贈られ、そしてバレエの世界への憧れを夢の中で実現するストーリーになっていて、これはノイマイヤー自身のバレエとの関わりの始まりを再現するものでもあるのですが、この舞台はトウシューズを得たマリーの背後にレッスン用のバーが現れて舞台が明るく輝きだし(曲は「クリスマスツリーの中で」)、そこでのレッスンがやがて成熟したパ・ド・ドゥに変わって行きます。バレエの喜び(踊る者にとっても観る者にとっても)が最もストレートに伝わる場面です。
ヴェニスに死す
舞台上では冒頭から登場しているノイマイヤーの分身であるロイド・リギンズが、カロリーナ・アグエロとアレクサンドル・リアブコの2人にパ・ド・ドゥを振り付ける姿が描かれ、ノイマイヤーのコリオグラファーとしての自覚が表明されます。ここでは片手リフトなども交えながら、ダンスがクラシックバレエの枠を徐々にはみ出していくさまが見てとれます。
間奏曲
ストラヴィンスキーの音楽を用いた、初演時にはなかった短いパート。神話の世界からオルフェウス、ディアナとシルヴィア、オデュッセイア、さらにはアーサー王も登場しますが、いずれも出立ちは神話風ではなく現代的。そして舞台上に雪が降り始め、背後に階段のセットが登場してイプセンの戯曲「ペール・ギュント」の世界へ移ります。
ペール・ギュント
唯一の客演ダンサーであるアリーナ・コジョカルとカーステン・ユングの「リリオム」ペア。暗く長い北欧の夜を思わせる舞台上で、ペール・ギュントとソルヴェイの悲痛なまでに情感がこもったパ・ド・ドゥが展開しました。
マタイ受難曲 / クリスマス・オラトリオⅠ-Ⅵ
ノイマイヤーが語るダンスとは、人間の魂、精神の深み、そして至高の望み……信仰の悦びをも映し出すという言葉を体現する作品たち。バッハの「マタイ受難曲」によるイエス・キリストの受難は、両手を水平に広げて横たわるイエスによる十字架のイメージや、具象的とすら思えるペテロの否認などの場面を組み込みながら全体としては極めて様式的で宗教的厳粛さに満ちたものでしたが、同時にその長さがつらいものでもありました。
しかし、その後に続く「オラトリオ」は暖色系の衣装に身を包んだダンサーたちによる歓喜の感情の爆発が素晴らしく、ここでどうにか生き返ることができた感じ。

その後の25分間の休憩はあっという間に終わり、第2部へ。

ニジンスキー
今回のハンブルク・バレエ団の来日公演のプログラムは「椿姫」「ジョン・ノイマイヤーの世界」そしてこの「ニジンスキー」。かなり迷った末に「ジョン・ノイマイヤーの世界」だけを観ることにしたのですが、このパートを観て「ニジンスキー」を選択しなかったことを強く後悔しました。このパートは抜粋に過ぎないはずなのに、その異様なまでのテンションに押し潰された感じです。巨大な光の輪の存在感、兄スタニスラフの狂気と時代の狂気(第1次世界大戦のイメージ)、精神を病んでゆくニジンスキーの絶望、怯え、叫び。そしてついに抜け殻となり、ロモラの曳く台車に乗せられる抜け殻のようなニジンスキー。
ハムレット
若いハムレットがヴィッテンベルクへ留学に出発する前にオフィーリアと過ごした別れのひととき、というダンス。旅への期待に胸を膨らませつつ、一時の別れを悲しむオフィーリアをなだめ、愛を語る場面ですが、オフィーリアの愛らしさの背後にある精神の脆さが見事に表現されていて、後の悲劇を十分に予感させるものとなっていました。
椿姫
アルマンとマルグリットの幸福のパ・ド・ドゥ。アリーナ・コジョカルのマルグリットは(産休明けにもかかわらず)、高級娼婦という身の上を忘れさせる清純さを漂わせています。「マノン」を劇中劇として鏡像のように取り込み、ショパンのピアノ曲で彩ったこの作品も、いつか観てみたいと思う作品の一つです。
作品100―モーリスのために
モーリス・ベジャールの70歳の誕生日のガラ(1996年)のために振り付けられた作品で、サイモンとガーファンクルの「旧友」「明日にかける橋」の2曲が用いられ、アレクサンドル・リアブコとイヴァン・ウルバンの2人がしみじみと、今はなきベジャールとノイマイヤーとの交流を綴ります。「旧友」はストリングスとアコースティックギターが中心の編曲で上品さがあり、バレエへの親和性も高いと思いますが、「明日にかける橋」はそれだけとれば通俗すれすれ。しかしこの難曲(?)をバレエ曲として使い切ったノイマイヤーの手腕に驚かされます。
マーラー交響曲第3番
このアンソロジーの掉尾を飾るのは、マーラーの交響曲第3番ニ短調第6楽章「愛が私に語るもの」。美しい弦楽合奏から木管楽器、金管楽器が徐々に加わって壮大に終わる曲で、この曲の進行に寄り添うように、シルヴィア・アッツォーニとカーステン・ユングの歌い上げるようなパ・ド・ドゥに群舞(何組もの男女の愛の姿)が加わって客席を大きな感動で包み込みます。最後に登場したノイマイヤーはカーステン・ユングと抱き合って主役を代わり、舞台最後部から、舞台最前方を上手から下手へとゆっくり通り過ぎるシルヴィアに向かって決して届くことのない手を伸ばした姿を示して、終幕となりました。

なるほど初演時にセンセーションを巻き起こしたというのも頷ける、感動的なガラでした。ノイマイヤーのバレエは演劇的要素が強く、ダンサーのためではなくコリオグラファーのためのバレエとしての色彩が濃厚なのですが、こうしてノイマイヤーの作品群(「作品100」以外は抜粋版)をノイマイヤー自身のコメントと共に観ると、1973年から今に至るまでハンブルク・バレエ団の芸術監督の地位にある彼がバレエを通じて描こうとしているものの大きさがよくわかりますし、しかも一見アンサンブル重視でありながら、主役級には技巧と芸術性の両面で際立つダンサーたちを揃えてその生身の表現力を作品の深みの一部としていることも見てとれました。

今年79歳になるノイマイヤーがあと何年現役でいてくれるかわかりませんが、ぜひもう一度、ハンブルク・バレエ団を率いての来日を果たしてもらいたいものです。その思いは、終演後に熱烈な拍手と歓声とをノイマイヤーとダンサーたちに贈っていた観客のすべてに共通のものだったことでしょう。

配役

キャンディード序曲 ロイド・リギンズ / 菅井円加
有井舞耀 / コンスタンティン・ツェリコフ
フロレンシア・チネラート / アレイズ・マルティネス ほか
アイ・ガット・リズム シルヴィア・アッツォーニ / アレクサンドル・リアブコ ほか
くるみ割り人形 ロイド・リギンズ
フロレンシア・チネラート / アレクサンドル・トルーシュ
アンナ・ラウデール / カーステン・ユング ほか
ヴェニスに死す ロイド・リギンズ / カロリーナ・アグエロ / アレクサンドル・リアブコ
間奏曲 オルフェウス アレクサンドル・リアブコ
ディアナ パトリシア・フリッツァ
シルヴィア 菅井円加
オデュッセウス エドウィン・レヴァツォフ
アーサー王 ロイド・リギンズ
ペール・ギュント アリーナ・コジョカル(イングリッシュ・ナショナル・バレエ) / カーステン・ユング
マタイ受難曲 ロイド・リギンズ / ダリオ・フランコーニ ほか
クリスマス・オラトリオ I-Ⅵ ロイド・リギンズ / ルシア・リオス / パク・ユンス
ワン・リズホン / 菅井円加 / ヤコポ・ベルーシ
ニジンスキー ロイド・リギンズ
  ニジンスキー アレクサンドル・リアブコ
ロモラ エレーヌ・ブシェ
スタニスラフ アレイズ・マルティネス
プロニスラヴァ パトリシア・フリッツァ
ハムレット アンナ・ラウデール / エドウィン・レヴァツォフ
椿姫 アリーナ・コジョカル / アレクサンドル・トルーシュ
作品100―モーリスのために アレクサンドル・リアブコ / イヴァン・ウルヴァン
マーラー交響曲第3番 シルヴィア・アッツォーニ / カーステン・ユング ほか