棒縛 / 竹雪

2019/12/17

宝生能楽堂(水道橋)で、公益社団法人能楽協会主催、第八回能楽祭。年に一度の催しであるこの能楽祭は、例年5月から6月にかけての気候の良い時期に開催されるところ、今年は諸般の事情から師走の開催となったそうです。

最初に能楽協会の理事でもある観世喜正師から、その独特の親しみやすい語り口で能楽協会についての概説と、この日の番組についてのかなり詳細な説明がなされました。また、来年の東京オリンピック・パラリンピックに連動して7-8月に国立能楽堂での12連続公演が企画されていることも告げられて、能楽協会かなり攻めてきてるなーとかなり驚きました。

清経

喜多流・香川靖嗣師の舞囃子。清経が一門の行末への絶望から入水に至るまでの経緯を語った後、死後堕ちた修羅道から晴れて成仏するまで。盤石の重心、一つ一つの型がびしびしと決まって圧倒的。

大原御幸

観世流・観世銕之丞師の〈ロンギ〉独吟。春から夏への季節の移り変わりの瑞々しさと、それとは対照的に寂寞とした建礼門院の心の内を謡う。銕之丞師の身体がそのまま楽器となり、その音(謡)が能楽堂の舞台によりさらに増幅されて見所にしみわたるような感覚を味わいました。

龍田

金剛流・種田道一師の枯れつつも伸びのある謡と松田弘之師の能管、桜井均師の太鼓による気迫の一調一管。最初は蕭条とした音色だった笛が太鼓と共に高揚して〔神楽〕となり、強烈な音圧と共にぐんぐん高みへと引き上げられていくようでした。

昭君

金春流・櫻間金記師の仕舞。韓邪将(呼韓邪単于)が鏡に映った自分の姿を恥じて姿を消す場面が舞われましたが、厳しい顔つきで正先の突端に仁王立ちになって扇を振り上げる姿、重量感溢れる跳躍と足拍子。短いながら、とても70代半ばとは思えない気迫のこもった舞でした。

棒縛

冒頭の観世喜正師の解説の中で「狂言の定番中の定番」と紹介された演目にもかかわらず過去に一度しか観たことがありません。そのときも和泉流でしたが、この日の配役は太郎冠者が野村萬斎氏、次郎冠者が深田博治師、主が野村太一郎師という豪華な布陣です。ちなみに、たまたま数日前に太一郎師が出演したテレビのバラエティ番組の映像をYouTubeで見て、そこでこの「棒縛」を取り上げて太郎冠者=志村けん、次郎冠者=加藤茶、主=いかりや長介、話の筋はドリフのコント、と説明していて妙に納得したのですが、それよりも太一郎師を指導する野村萬師の舞台上では見られない厳しい表情がむしろ印象に残りました。

舞台上の太郎冠者は肩衣の背に大きな蜻蛉の図柄、次郎冠者はささがに。留守中に酒を飲まれることを懸念した主は、次郎冠者と示し合わせて太郎冠者に棒術(見事!)を披露させ、天秤棒のように棒を肩に渡した状態の太郎冠者の両手を縛り上げた上に、これを笑う次郎冠者をも後ろから縛り上げるという裏切りに次ぐ裏切りです。主が出掛けて行った後で意外にあっさり次郎冠者と仲直りした太郎冠者は、肩に担いだ棒を巧みに使ってぴーん!ぎい、がらがらがらと扉を開き、二人揃ってやっとなと酒蔵に入りました。

ここから不自由な状態の二人が息を合わせて酒を飲む場面となるのですが、棒を垂直に立てる体勢で酒壺から酒を汲んだ太郎冠者は、次郎冠者に飲ませることはできても自分では飲むことができません。一杯目は伸びきった右腕の先の杯に口を尖らせて近づけようとして……飲まれんと一度は諦めたものの、旨そうに酒を飲んだ次郎冠者を見て羨ましく思った二度目は必死の形相で、最後は酒を顔にぶちまけて吹いてしまいました。しかし知恵者の太郎冠者は、次郎冠者の後ろ手に杯を持たせて飲むという方法を編み出し、おかげで存分に酒を飲めた二人はいい気持ちになって並んで座ります。

お互いの謡に乗ってまず次郎冠者、ついで太郎冠者が舞を舞い愉快に盛り上がっているところへ帰ってきた主がこの様子に怒り心頭ながらもそっと二人の背後に近づくと、その姿が杯の酒に映ったのを見た太郎冠者は主の執心が映ったものだと勘違いし、二人して主の顔を憎々しいだのしわそうだのと散々にけなします。とうとう肩を脱いだ主が二人を打って、次郎冠者は一目散に橋掛リを逃げていき、太郎冠者も肩の棒で抵抗を見せたものの、これをひょいひょいとかわした主に追い込まれていきました。

面白い筋書きに仕草や表情もサービス満点。むしろサービス過剰と言ってもいいほどで、ちょっと品がないなと思わなくもないのですが、ともあれ楽しい一番でした。

竹雪たけのゆき

今回の能楽祭の眼目となる演目で、世阿弥の四番目物です。継子いじめという珍しい題材を扱った曲で、季節は冬、場所は越後。宝生流と喜多流にのみ伝わり上演機会の少ない曲だというところに惹かれたのが、この日の能楽祭のチケットをとった動機でした。

まず、美男鬘のアイ/直井の後妻(大藏彌太郎師)が現れて地謡の前あたりに座し、ついで〔名ノリ笛〕と共に現れた素袍上下姿のワキ/月若の父(宝生欣哉師)は舞台へ、その後に続いていたアイ/太刀持(大藏教義師)は狂言座へ。ワキは自らを直井の左衛門何某と名乗った後、妻を離別して近くの長松に住ませ、二人の子のうち姉は母のもと、弟の月若は後継として手元に置いて、後妻を迎えたと手短かに状況を説明しました。さらに、宿願の事があって近くに参籠するので月若の事をよく言っておこうと語り、ここで後妻に声を掛けました。

ワキは後妻に、参籠に出掛けること、月若をよくいたわること、雪が降れば四壁の竹を損じるので「召し使う者」に竹の雪を払わせるようにと命じます。ところが後妻は、いつ自分が月若をいたわらなかったというのかと早くもキレ気味。これを軽くかわしたワキが出発するのを常座まで見送った後妻は、夫の姿が消えたところで橋掛リの入り口から月若を呼びました。その声を受けて揚幕が上がり登場した子方/月若(水上嘉くん)は金地の唐織を壺折にし、下は黒地の長袴の出立。夫が月若のことをわざわざ言いおいたが、いつお前に悪しく当たったことがあるというのか、きっとお前が告げ口をしたのであろう、あら面憎や面憎やと声を荒げた後妻は、さらに正中まで出てきた月若に、どこにも出るなと命じ腹立ちやの腹立ちやのと激怒してみせてから地謡の前に戻りました。

正中に座した月若はげにや世の中に月若ほど果報なき者よもあらじと嘆きの謡とシオリ。気負いなく、それでいてひたむきな顔立ちで、その声は見所の隅々までよく通ります。そして大小の〔アシライ〕があり、ふと気付くと揚幕の前にひっそりとシテ/月若の母(今井泰行師)が立っていました。宝生能楽堂のやや暗めの照明の中でそこだけがうっすらと明るく、無紅唐織のシテがまるで闇の中から忽然と姿を現したように思えて少々驚きましたが、シテの〈サシ〉も詫びしい長松の住まいの様子を謡うもの。そこへ月若が一ノ松が声を掛け、何月若と申すかと喜んだシテは月若が一人でやってきたことに驚きましたが、月若が今やってきたのは継母の……と言いかけた言葉をああ暫くと遮り、駆け寄った月若の肩に手をかけてその身なりが粗末なことを嘆きシオリを見せました。その後の問答を地謡がしみじみと引き取る間、月若は数歩下がって下居し、シテも床几に掛かり我が子と向かい合っていましたが、舞台では後妻が立ち上がって雪が降ってきたと独り言を言うと月若!月若!と厳しく呼びました。月若がいないことに気が付いた後妻の呼ぶ声に太刀持が舞台に出て、月若は長松へ行ったのであろうと答えたので、後妻は帰ってきた父のお召しだと言って月若を連れ戻すよう命じます。太刀持は一ノ松から月若に後妻に言われたように告げ、これを聞いたシテも、父のお召しなら帰りなさい、また来て母を慰めよと月若を諭して自分は幕の中に引き上げました。

月若と、月若の後ろに付き添う太刀持とが後見座にクツロいだところで、幕から運び込まれたのは立竹の作リ物。竹垣の中に立つ笹の葉の上に雪をかぶった様子を綿で示したもので、これが正先に置かれると見所の気温がぐっと下がったような気がしてきます。ここで太刀持は月若を正中に移動させ、自分は常座から月若を連れ帰ったことを復命して狂言座に下がりました。すると後妻はいかに月若!、長松へ告げ口に行ったのか、返す返すも面憎やと睨みつけると、父の仰せには雪が降ればあたりの竹の雪を(月若に)払わせよとのことであるから急ぎ竹の雪を払いなさいと命じましたが、さらに肩をくねくねと回しながら腹立たしげな様子を示すとまだ立たない月若に何をうじうじとするぞと迫りその唐織を荒々しく引き剥がして、手にしていた笹の枝を床に叩きつけてこの笹で急いで雪を払えと厳命してから唐織を抱えて「腹立ちや腹立ちや!」と下がっていきました。

月若のさりとては払はでかくてあるならばを地謡が引き取るうちに、月若は泣いて竹の雪を払おうとするものの、風も身にしみる雪の夜更の寒さに帰ろうすれば門が閉ざされていてシテ柱を笹で叩いても音もせず、あら寒や堪え難や、月若助けよと言ううちに終に空しくなって舞台中央に横たわり、その上に後見が白い布を被せて雪に埋もれる様子となりました。

ここで立ち上がった太刀持は月若の死を人から聞いた体で驚いた様子を見せ、長松に知らせようと言うとあらいたわしやのと声を上げながら幕の中へ駆け込んで行きます。ついで大小〔アシライ〕のうちに、まず紅入の腰巻に白の水衣を着用したツレ/月若の姉(大友順師)、後から灰緑色に見える腰巻にやはり白の水衣のシテが、共に戴いた笠の上に雪を乗せ雪かきの朳を手にして登場すると、橋掛リの上で向かい合って子を思う親の心を釈迦如来や阿弥陀の故事に寄せて謡ってシオリ、降るに思ひの積る雪、消えし我が子を尋ねん。ゆったりしみ渡るように謡われるこの〈次第〉からは、越後の深い雪道を元いた家へと戻ってくる母と姉の心情が降りしきる雪を通して遠くぼんやりと聞こえてくるような風情を感じます。

舞台に進んだツレは正中に、シテは常座に立ち、子を思って乱れる心を謡っては笠に積もる雪の重さに手を笠に掛け、漢詩からの引用を重ねつつシテからツレへと謡い継ぎながら雪・月・竹のイメージを広げましたが、孟宗が親のために雪の中に筍を探したという故事に言寄せつつ朳で雪をかく型を見せたシテは、ツレと共に下居してシオリ。下居したことによって笠の影の中に沈んだ面が厳粛な雰囲気を醸し出し、片膝を立てたまま地謡にじっと聴きいる母娘の姿が悲しさを際立たせます。ややあって立ち上がったツレは地謡の側に位置を変え、シテが正中に立って泣く泣く朳を使うと、地謡すはや死骸の見えたるや。ついに月若を掘り当てて、そのとき白練の一部がめくれて子方の黒髪がわずかに見えるようになりました。いかに月若母上よ姉こそ我と二人して呼べども叫べども答ふる聲はなく、朳も笠も捨てて月若にすがり付いたシテは座り込んでモロシオリ。ツレも下居してシオルところへワキが再び登場し、一ノ松で自分の四壁の内から人の嘆く声がすると不思議がって舞台に進み、その場の様子に驚きます。父の問いにツレは顛末を説明した上で父御前は子をば思ひ給はぬぞやと非難しました。継母を恨むまじ、唯父御こそ恨めしう候へとなじるツレ。自分は月若が竹の雪を払えとは言っていないが、やはり自分の科であると言うワキの声も涙声に聞こえました。この後のシテの謡の中「そも継母は」のところで絶句による後見のプロンプトが入りましたが、ともあれシテとワキ、二人の親の嘆きが続くところへ地謡の調子が変わり、虚空から竹故消ゆるみどり子を蘇らせると竹林の七賢の声がして月若は起き上がり、それまで月若を覆っていた白練を持ち去ります。

親子の再会を喜びこの家を仏法を弘める寺とすることを謡う地謡を背に、月若がワキに背を抱えられるように下がり、その後にツレも続き、シテは扇を開いて常座で回ってユウケン。最後は親子の道ぞありがたきと留拍子。

前半は後妻・大藏彌太郎師の迫真の演技にとにかく圧倒されました。また子方の水上嘉くんも、謡・演技とも実に見事。この二人の確かな演技があってこそ、月若の雪に埋もれての死が現実感を持って見所に伝わり、シテの悲しみが自分のことのように共有されるのだと思います。さらにその悲しみも、派手な愁嘆場とするのではなく静謐な雪の情景の中にシテとツレとの連吟をしみ渡らせることで、終盤の竹林の七賢の奇跡での地謡の高揚を効果あるものとしており、そこに作者の確かな作劇術の冴えを感じました。

こうした劇的筋立てを第一義とし、主として問答の積み重ねにより筋を展開させて山場を設ける能を、謡を聞かせ舞を見せる「歌舞(風流)能」に対して「儀理能」と呼ぶのだそうですが、こうしたある種現代的な演出の能もまた室町の昔から見る者の感情移入を招いたのだろうと考えると、人間の心情というのは何百年たっても変わらないものだという気がしてきます。

配役

舞囃子喜多流 清経 シテ 香川靖嗣
寺井久八郎
小鼓 成田達志
大鼓 安福光雄
独吟観世流 大原御幸 観世銕之丞
一調一管金剛流 龍田 種田道一
太鼓 桜井均
松田弘之
仕舞金春流 昭君 櫻間金記
狂言和泉流 棒縛 シテ/太郎冠者 野村萬斎
アド/主 野村太一郎
アド/次郎冠者 深田博治
宝生流 竹雪 シテ/月若の母 今井泰行
子方/月若 水上嘉
ツレ/月若の姉 大友順
ワキ/月若の父 宝生欣哉
アイ/直井の後妻 大藏彌太郎
アイ/太刀持 大藏教義
一噌隆之
小鼓 大倉源次郎
大鼓 國川純
主後見 小林与志郎
地頭 朝倉俊樹

あらすじ

棒縛

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竹雪

越後国の住人直井左衛門は、妻と離別して近くの長松に住まわせ、二人の子の姉を母の方に、弟の月若を自分の方に置いていた。新たに妻を迎えた直井は宿願のため参籠する間、月若のことを後妻に頼んで出掛けたが、その留守中、継母に虐げられた月若は家を出ようと思い暇乞いに実母を訪ねる。継母は実母へ告げ口に行ったのであろうと腹を立て、月若の小袖を剥ぎ取り、薄着の月若に降り積もった竹の雪を払わせたため、月若は遂に凍死してしまう。その知らせを受けた実母と姉が涙ながらに雪の中から月若を捜し出し、悲しみにくれていると、直井が帰宅して事の次第を知り、後妻の無情を共に嘆く。すると「竹故消ゆるみどり子を、又二度返すなり」と竹林の七賢の声がして月若は生き返る。親子は喜びあい、この家を改めて仏法流布の寺とする。