加山又造展-か・た・ち-
2004/01/11
新宿から日本橋に移動して、三越で「加山又造展-か・た・ち-」。加山又造の展覧会を見るのは1998年以来です。
加山又造といえばやはりその極度に抽象化された様式性、金や銀、プラチナなどを巧みに利用した工芸的技法の駆使が特徴で、この展覧会でも対象の本質以外を大胆にそぎ落とした《渦潮》、金地屏風の上に強烈な赤い空と海を対峙させ火流がのたうちまわるような山肌を描いた《火の島》、図案化された鶴が空に波形を描く《千羽鶴》、切箔技法などの技をこらした《しだれ桜》などが出展されていました。しかし、こうした絢爛豪華な作風にまじって水墨画の作品も半ば唐突に展示されており、鳥取の大山の寒々しく雄々しい姿を描いた《凍れる月光》や、写実的とさえ見える《長城》には目を奪われます。以前観たときはカラフルで装飾的な作品群に魅了されたものですが、今回福田平八郎の展示会に引き続いてこれらの作品を見るとあまりにもエネルギーに満ち溢れていて圧倒され、水墨画でもまったく揺るぎのない厳しさがあって息が詰まりそう。やまと絵のデザインが取り入れられて一見温和そうな《雪月花》(フライヤー表面)もよく見ればうねる波とはじけるような花が生き物のようで、かろうじて、穏やかな金銀の上に萩や桔梗、女郎花、薄などを優しく配した《秋草》に救われる思いがしました。
この展示会での売り物の一つは、浮世絵美人画を念頭に置いて制作したという裸婦画群。裸婦の表情もポーズも自然でリアリティーのあるものですが、そこにうっすらと透けて見える黒く細かい文様のレースがかかり、背景もその文様で埋め尽くされてみると、途端に裸婦が生身の女性からデザインの一部であるかのように変貌するから不思議です。そして、打掛や振袖などの着物、鉢・皿といった陶器、さらには棗や羽子板、ティアラなどの装飾品に至るまで、「実用」工芸に即した作品群もこの展示会のもう一方の主役で、衣裳図案家の家に生まれ育ったという加山又造の本領が感じられます。
この展示会には「加山又造展 -か・た・ち-」というタイトルがつけられており、その意図するところは画家の作品の「装飾性に富んだ様式美に注目し、探ってみようとする試み」だとのことですが、全体で40数点と少ない展示の中でこの意図が果たされていたかどうかは不明。実際、「えっ、もう終わりなのか?」とあっけなく見終わってしまいました。もっとも、会場がとりわけ狭いわけではなく、屏風絵など一つ一つの作品が大き過ぎるせいもあるのでしょう。ただ、画家自身の以下の言葉とあわせ見ると、展示意図に対する理解は格段に深まるかもしれません。
「とにかく、日本の美の在り方、昇華し、純化したエキスを表現する、日本独自の装飾感、私は、それが日本美術の卓越した特性であると考えている。
日月星辰、山川草木、鳥獣魚虫、さらに、霧、霞、雲、雨、雪、火炎、流水、波涛、そして人物、さらに霊獣、世の物象全てが、様式化され、美しい生命感を持って表現される。それは、あるいは象徴的であり、抽象的であり、情緒的であり、日本独自の美の呼び方、“わび”“さび”の世界を造り出したりもする。
私は、こうした考えを基盤にして、絵画はもとより、さまざまな美の分野に自分の身を置く喜びを感じている」(『加山又造全集』1990年)