横山大観展
2005/04/02
日本橋三越で「横山大観展」。この展覧会は、屈指の日本庭園で知られる島根県安来市の足立美術館(昔むかし、一度だけ足を運んだことがあります)の開館35周年記念として、同美術館所蔵の横山大観コレクションの中から、出世作《無我》、華麗な屏風絵《紅葉》、海・山十題のうち《曙色》《海潮四題・夏》《乾坤輝く》《龍踊る》、晩年の《風蕭々兮易水寒》などを展観するもの。
3年前に東京国立博物館で見た《紅葉》は相変わらず息を呑むような美しさでしたし、3年前に62年ぶりに発見された《龍踊る》も人を集めていましたが、この展示の中では、空刷毛の技法で滝が生み出す微細な水蒸気を表現した《曵船》にまず心をひかれました。手前に複雑な波紋を描く緑がかった淵、下3分の1は茶色がかった岩で、その奥左寄りに白く細い滝がかかっているのですが、画面の右上半分は霧におおわれており、下の方にもうっすらと霧が下りてきている様子。そして岩の上に蓑笠姿の3人の人物が長い曵綱で船を曵いており、船は画面の右の外にあって姿は見えないのですが、人物の右肩を上げた前屈みの姿勢やぴんと真っすぐに伸びた曵綱の張り具合で船の存在がはっきりと感じ取れます。このもわっとした空気の表現は当時「朦朧体」と呼ばれ非難の的となったそうですが、上部の微妙な濃淡に覆われた空間と下部の淵や岩の対比、それらを渾然とつなぎあわせる霧と滝、模糊とした自然の情景の中に張りつめた緊張感をもたらす細密な人物と曵綱の直線など、構図と技法の素晴らしさが堪能できます。
《鶉》《龍膽》《晩秋》などが配された一角でも、しばらく足をとめてじっと見入りました。墨・淡彩を基調としつつ、《鶉》では楢の木や笹の葉の落ちついた緑に葉先の枯れかかった写実的な茶色、《龍膽》は左上の若い蜥蜴の背中から尻尾にかけての青と右下のリンドウの怪しく光を放つかのような群青、《晩秋》では柿の木に登って枝に残された柿を食べる栗鼠の薄茶色と柿の実や葉の明るい柿色、といった具合にそれぞれの絵にワンポイントの配色がなされていて、いずれも墨との相性が見事です。屏風二曲一双の《春風秋雨》も、大画面の左双を時雨に濡れる楓、右双を桜の花散る情景として、墨と金泥で描いたものですが、落ち着いた色合いながらより装飾的。そして《朝嶺》《暮嶽》では、谷間を霧に埋め尽くされた中に静かに夜明けを待つ山と暮れなずみ沈みゆく山を水墨だけで描き分けてみせます。
他にも、80歳にしてますます技の冴えを見せる《蓬莱山》、月の下を飛ぶ鶴を枯尾花の中から仰ぎ見るような不思議な構図の《中秋之月》、なんとも奇想天外な《壽》(これは本当に度肝を抜かれる)など見どころはいくつもありましたが、残念ながら会場が狭く、絵も人も詰め込まれた印象がぬぐえないのは、百貨店のギャラリーでの展示では仕方ないかもしれません。要するに、足立美術館に来てゆったり見てください、ということなのでしょう。