北斎展
2005/11/23
ロックのライブに行く場合に必要となる身体的条件とは何か。それはもちろん、聴覚の良さ……などではなくて、身長の高さ。オールスタンディングになってしまえば背の低い観客は群衆に埋没して、ミュージシャンの姿を見ることすらかなわなくなってしまいます。
同じことが、東京国立博物館で開催中の「北斎展」についても言えました。何しろ世界の北斎、その北斎の作品が大英博物館、ボストン美術館、メトロポリタン美術館などから集結して一堂に会するというのだから凄いこと。実際、これだけの規模での北斎展は1901年ウィーン以来といいますから100年に一度の壮挙。そんな展覧会が混まないはずがありません。平日午前にわざわざ休みをとって観に行ったという山仲間ユウコさんから、その尋常ではない展示数と尋常ではない混み具合についての情報を得てはいたのですが、私が上野に着いた午前10時の時点で既に東京国立博物館平成館の前には長蛇の列ができており、入館までの待ち時間が30分。2時間たって出るときにはこれが60分になっていました。
当然、中に入ってもじっくり鑑賞するという感じにはならず、人垣の後ろからつま先立ちして主立った作品を目に収めて、後は図録でゆっくり見ようという作戦にならざるを得ません。しかも、この展示では北斎の20歳から90歳までの画業を画号によって6期に分けており、順に
- 春朗期 :20歳〜
- 宗理期 :36歳頃〜
- 葛飾北斎期 :46歳頃〜
- 戴斗期 :51歳頃〜
- 為一期 :61歳頃〜
- 画狂老人卍期:75歳頃〜90歳
と年代を追って鑑賞できるようにしているのですが、朝のうちは最初の方の展示室がごったがえしているため、係員さんの誘導で先に後半から見るようにしたので、展示意図もへったくれもありません。見る側がよほどしっかり作戦をたててかからなければ、疲労感だけが残る結果になるでしょう。
……などと不平不満を書き連ねつつも、やはり凄いものは凄い(というか、全部凄い)。とりあえず絶対押さえておきたい為一期の《富嶽三十六景》のいくつかの作品はじっくり見ることができて、北斎のそれこそ尋常ではない構図の切れ味と緻密な描線、それに摺りの美しさを堪能できました。《富嶽三十六景》では、大波にもてあそばれる小舟と漕ぎ手たち、その彼方に小さいながらも泰然と姿を見せる富士が印象的な《神奈川沖浪裏》や通称「赤富士」と呼ばれる《凱風快晴》、それに雪を戴いた富士の中腹右下に赤い稲妻がモダンな《山下白雨》の3作が特に有名で、《神奈川沖浪裏》は残念ながら最も状態が良いメトロポリタン美術館所蔵品ではなくなっていました(東京国立博物館所蔵品に展示替)が、《凱風快晴》は3種、それも摺りの異なるバージョンが並べてあるのを興味深く見ました。しかしそれ以上に、《信州諏訪湖》と《御厩川岸より両国橋夕陽見》の強烈な遠近感、《甲州石班沢》のダイナミズムは、息をのむほど。
遠近感と言えば、戴斗期の《北斎漫画》は絵の手本集ですが、その中に上から3分の2のところに地平線を引いて画面の四隅から線をその地平線へ集約させる「三ッワリの法」、つまりは遠近法の表し方が模式図で説明されているのに驚きます。しかし、後から宗理期のところに回ってみると、実は北斎はこの頃に西洋風景画を熱心に研究し、木版画の技法で銅版画のような効果を出そうとした作品も制作していたことがわかって納得。浮世絵が印象派に影響を与えたのは周知の事実ですが、一方的な影響ではなく、時代を異にしながら相互に感化し合っていたということなのでしょうか。
それにしても、北斎の生涯を通じての創作エネルギーには本当に圧倒されます。何が、北斎にこれほどまでに膨大な質量の作品を生み出させたのでしょうか。画狂老人卍期に至って北斎は、長寿を得たならばその絵は神妙となり、さらに生きるがごとき絵になっていくだろうと記したというし、死に臨んで「天我をして5年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」と言い遺したとのこと。実際、たとえばこの時期の《柳に烏図》の緊迫感溢れる構図や《弘法大師修法図》の大胆過ぎるほどの色使いと様式性、そしてサイズの大きさは、とても80歳を過ぎてからの作品とは思えません。
さて、《富嶽三十六景》の近くのコーナーに《琉球八景》と題された、沖縄の風景を描いた連作が展示されていて、いかにも琉球っぽい石組みのはるか向こうに円錐形のきれいな山のシルエットが描かれているのを見た若い女性2人の会話が聞こえてきました。
「沖縄からも富士山が見えるんだ!」
「見えねーよ!」
抱腹絶倒のこのやりとりに吹き出しそうになったのをしおに、人混みをかき分けて出口に向かうことにしました。