生誕120年 奥村土牛

2010/05/05

連休の山行がアクシデントで短く終わってしまったため、快晴の空をうらめしく見上げながら、山種美術館(広尾)で開催中の「生誕120年 奥村土牛」に足を運びました。正確に言えば奥村土牛は1889年の生まれなので、生誕120年は昨年ということになりますが、細かいことにはこだわらずに、画家の作品を堪能することとします。

奥村土牛というと、その名前からの単純な連想で《聖牛》(1953年)を思い浮かべてしまいますが、その雅号の由来は唐代の寒山詩にある「土牛石田を耕す」という詩句で、その号を与えたのは画家の父だそうです。そして、その雅号の意味するようにたゆまず精進を続け、遅咲きの38歳のときに院展に初入選した後、101歳で亡くなる直前まで描き続けたというまさに牛の歩みの中で、《鳴門》(70歳のとき)、《醍醐》(83歳)、《吉野》(88歳)などの数々の名作をものしてきました。

中でも、ダイナミックな渦巻きを深く美しい緑と黄色の重ね塗りで描いた《鳴門》は、船の上で妻に帯をつかんでもらい落ちないようにしながら、短時間に何十枚もの写生を描き、その一度きりの体験をそのまま本画に仕上げたもの。今にも画面の中の渦が音をたてて回り始めそうな写実性に満ちています。うーん、これは凄い。

また、醍醐寺三宝院の枝垂桜を優しいピンクでいっぱいに描いた《醍醐》も、見る者の目を釘付けにする力強さがありました。画面上半部に思い切り広がった爛漫の花びらの明るさもさることながら、白壁の前に立ってがっしりと花々を支える桜の幹の力強さは、百五十年にわたって輝き続けたこの桜木の生命力を堂々と示しています。

これらの作品では、画面全体を穏やかな色彩の顔料で塗り込めるようにしており、日本画に特有の輪郭線や抽象性は薄いのですが、一方で、たとえば上述の《聖牛》に見られるすっきりと描かれた輪郭線や抽象性、《蓮》(1961年)の様式美もまた味わい深いものがあります。また、とりあげられた題材も、自然の景観(《吉野》《鳴門》《那智》(1958年)など)、花(《蓮》《初夏の花》(1969年)など)、動物(《聖牛》《犢こうし》(1984年)など)、人物(《舞妓》(1954年)《踊り子》(1956年)など)、静物(《室内》(1964年)など)といった具合に多岐にわたり、果たしてどれが土牛らしさなのかと迷いますが、それらのベースにあるのは、会場にもいくつか展示されていた写生への真摯な取り組みであるようです。ただし、奥村土牛にとって写生とは外観の形より内部の気持ちを捉えることを目的として行われるものであり、そのことが、画家の絵に独特の気品と優しさをもたらしているように思えました。

なお、この会場に展示された奥村土牛の作品約70点は、例によって全て山種美術館の所蔵品。美術館の創設者である山﨑種二は、まだその評価が確立する前から奥村土牛を支援していたそうですが、その先見の明には感心するばかりです。