奈良の社寺巡り〔十一面観音巡り・正倉院展・談山神社・春日大社〕

何となく恒例になりつつある奈良旅行。前回は東大寺・當麻寺でしたが、今回は日曜日の正倉院展をメインとしつつ、その前後に三つの十一面観音を拝むお寺巡りと二つの神社訪問を組み合わせたもの。日曜日はあいにくの雨でしたが、これはこれで風情があってよかったかも。

2012/11/10

天理から桜井までJRに乗ったのですが、さすがは奈良。こんな列車が走っていました。

談山神社

桜井からバスでぐんぐん登って、談山神社。祭神は藤原鎌足で、この神社がある多武峰で鎌足と中大兄皇子が大化の改新の謀議を語らい合ったことから「談かたらい山」と呼ばれるようになり、鎌足の死後にその墓を摂津からここへ移して十三重塔を建てたのが始まりだそうです。

土産物屋が並ぶ坂道を緩やかに登ると、正面入口。急な石段の上に、拝殿がちらりと見えています。

楼門の奥左手に本殿。こじんまりとして、いい雰囲気です。そして拝殿の中には、多武峯縁起絵巻。由来が由来だけに、スプラッターな場面あり。太刀を振り上げているのが中大兄皇子、弓を手にしているのが鎌足、そして首を飛ばされているのはもちろん蘇我入鹿です。

拝殿の外も風情があります。紅葉は、まだ少し早い感じ。

談山神社と言えば、何といってもこの十三重塔。遠くから見ると小振りな感じですが、見上げるアングルになれば、やはり立派。オリジナルは西暦678年ですが、現存のものは享禄5年 (1532)の再建です。

日本の美は、古来のパワースポットでもあります。

比叡神社と、その境内から見下ろした総社。左が拝殿、右が本殿。

神廟拝所の中(白い箱状の中)には、鎌足公が祀られていました。けまりの庭から十三重塔を見上げて、名残を惜しみつつここを離れることにしました。

多武峯の斜面にコンパクトにまとまった談山神社の全景。来てよかった、と思わせる場所でした。

バス停へ戻る途中で見掛けた見事な紅葉。バス停あたりから見ると、ずいぶん高いところに来ているのがわかります。

聖林寺

談山神社から桜井へ戻る途中で下車して、次は聖林寺へ。ここも、境内はずいぶんこじんまりとしたところです。

しかし、奈良盆地の眺めは雄大。北の方を見た構図での右寄りのなだらかな山は、三輪山です。本尊は、子安延命地蔵尊。ぬべっとしたお顔の、なんともユーモラスな感じの石像でした。

しかし、本当のお目当てはこちらの階段を登った先。無愛想な鉄扉の向こうにいらしゃるのが……。

《十一面観音菩薩立像》〈国宝〉です。天平様式の木心乾漆造、仏身209.1cm・台座77.8cmと背が高く、見上げるととても威厳があります。ちょっと怒り肩をしているように見えますが、指先や纏衣のしなやかな曲線はとても優美。わずかに右腰を前に出した柔らかい姿勢は、女性的でもあり男性的でもあり。光背は傷んでしまい、今は奈良国立博物館に寄託中だそうです。かつて三輪山・大御輪寺の本尊だったこの観音様は、明治の廃仏毀釈を避けるためにこの寺に避難してこられたのだとか。そんな由来を解説で読みながら、しばらくこの仏様の前に立ち尽くしてしまいました。

奈良市内のホテルに投宿して、夕食は前回同様「酒肆春鹿」へ。「春鹿」の醸造元は今西清兵衛商店ですが、このお店はそことは直接の関係がないのだそうな。なんでや?それにしても、たくさん食べてたくさん飲みました。松茸なんて久しぶりです。

2012/11/11

少々二日酔いでしたが、朝からもりもりいただいて、いざ出発。正倉院展は激しく混むので、開館前に行って並んでしまおうという朝駆け作戦です。

正倉院展

正倉院は東大寺にあって、聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとする天平時代を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していた施設。校倉造りの建物自体も国宝ですが、そこに収蔵された宝物や文書も極めて価値が高く(ただし皇室用財産なので国宝・重文等の指定は受けていません)、9,000点ほどもあるそれら宝物の中から毎年70点ほどが選ばれて2週間だけ公開されます。それが正倉院展で、第64回の今年は会期が10月27日から11月12日まで。よってこの日は、会期終了間際の最後の日曜日ということになります。

雨模様で肌寒い道を歩いて、奈良国立博物館へ。出勤前の奈良市民の皆さんに出迎えていただきました。

開館1時間前にもかかわらず、この行列……。博物館の方も臨機応変に、10分ほど早く開館してくれました。

《銀平脱八稜形鏡箱》。平脱技法というのは、文様の形に切った金や銀の薄板を漆面に貼り、いったん漆で塗り込めてから刃物で文様の上の漆を剥ぎ取る装飾技法で、この鏡箱では孔雀を中央に置いた八弁花紋が極めて精緻です。

この展覧会で最も人気が高かった《螺鈿紫檀琵琶》と、その琵琶に付属する《紅牙撥縷撥》。琵琶の表面は後代の修補でシンプルな木目を示すのみですが、背面は写真のように螺鈿(夜光貝)や象嵌(玳瑁や琥珀)によって見事な宝相華唐草文様が施されており、また撥の方は象牙を赤く染めて、その染色が奥まで届かないことを利用して白い文様を彫り出したものです。教科書などによく出てくる、駱駝に乗った楽士が琵琶を弾く図柄の五絃琵琶はストレートネックでインド起源。一方、こちらの琵琶はネックが後ろに折れ曲がっている四弦琵琶で、ペルシア起源。四弦というと、ノーマルなベースギターと一緒ですな。ということは、こういう曲も弾けたりしたんでしょうか?←無理です!

《木画紫檀双六局》。文様の形を彫り込み、そこに柘植、紫檀、黒檀、象牙、鹿角などを極めて細かく象嵌してあって、その細密さには目を見張ります。聖武天皇は、これで双六をしておられたんでしょうか?

《瑠璃坏》。当時の技術では中国や朝鮮半島では作れないそうで、このガラス器は西アジア方面で産し、東アジアに運ばれて台脚を取り付けられたものであろうと見られています。

《紫檀小架》。すっきりしたフォルムにセンスのいい色彩感覚の装飾が施された架け具。織物や掛軸を架けたのではないかと言われていますが、これだけで十分に飾り物としての機能を果たしそうです。

他にも素晴らしい宝物がいくつも展示されていましたが、1300年前にこれほど見事な工芸品が日本に存在していたというのは、信じられないくらい。しかしそれらのいくつかは西アジア産であることを考えると、なるほど奈良がシルクロードの東の終着点と言われるのも無理のない話だということがわかります。

春日大社

市内を循環するバスに乗って、春日大社に足を伸ばしてみました。これは、7月に観た能「春日龍神」の謡蹟詣でといったところ。見えているのは二之鳥居。そこから続く参道に立ち並ぶ石灯籠には、圧倒されるものを感じます。

回廊〈重文〉の南門と、幣殿と舞殿〈重文〉。ちょうど七五三の時期で、着飾った子供たちとその両親の姿がたくさん見られました。この奥に御本殿もあるのですが、こちらはとりあえずここまでにしておいて、御間道おあいみちを歩いて近くの若宮神社へ向かいました。

するとラッキーなことに、何やらありがたげな神事をやっていました。後で調べたところ、1のつく日に行われる「旬祭」であったようです。

お疲れさまでした。

海龍王寺

平城の東北隅にあることから「隅寺」とも呼ばれる海龍王寺。元を辿れば飛鳥時代からここに寺院があったのを、光明皇后が天平3年(731)に伽藍を改めたのだそうです。寺の名前の「海龍王」とは、玄昉が命からがら唐から戻ってきてもたらした経典の中の一つ、海龍王経。東シナ海で暴風雨に襲われた船の上で玄昉はこの海龍王経を唱え続けたことで九死に一生を得、この寺の住持となっても海龍王経を用いて遣唐使の渡海安全を祈願したことから、寺号を海龍王寺と定めました。

西金堂内に安置されている五重小塔〈国宝〉は、あまりにも普通に置かれているので、言われなければ国宝とは思いませんが、奈良時代の建築技法をそのまま伝えてくれる貴重な存在です。また、本堂は江戸時代の建立ですが、中には素晴らしい十一面観音と、なぜかみうらじゅん氏の献酒😅が待っていました。

《十一面観世音》〈重文〉。鎌倉時代の作で、高さは94cmと小振りですが、なにしろ昭和28年(1953年)まで秘仏だったというだけあって、完璧な保存状態です。金色のお体も紅がさされた唇も色彩鮮やかで、これほど美しい仏像は今まで見たことがありません。

境内の片隅にひっそりと建つ経蔵〈重文〉にも挨拶してから、続いて徒歩10分の法華寺へ。

法華寺

今回の奈良旅行の最後の目的地、法華寺。どうやら雨も上がった様子。光明皇后の皇后宮を天平17年(745年)に宮寺としたここは、奈良時代には総国分尼寺とされていました。

巨大な鐘楼〈重文〉の奥には、本尊《十一面観音立像》を収めた本堂〈重文〉。この本堂は、桃山時代に淀君が再興したものです。

こちらが、本尊《十一面観音立像》〈国宝〉です。昔、インドの健陀羅国王が常々生身の観音菩薩を拝したいと願っていたところ、日本国の光明皇后こそ生身の観音菩薩であるというお告げを受け、インド随一の仏師である問答師を遣わして光明皇后の姿を写し刻んだ三体の観音像のうちの一体である、という伝承がこの仏像にはあります。なるほど、左足に体重をかけて右足を緩やかに浮かせた一種妖艶なポーズ、紅をさした唇と緑の長く垂れた髪はいかにも女性的で、また蓮の葉と蕾からなる蓮華光背も独特です。こちらもまた、見惚れてしまってしばらく本堂を離れられませんでした。

後は駆け足で。慈光殿では《阿弥陀三尊・童子像》〈国宝〉を公開中。失礼ながら、でかい!という印象が残っただけ。奈良の寺院にしては庭園がきれいということでしたが、うーん、そうかなあ?

光明皇后が千人の垢を流したという「から風呂」。ただし、この建物は慶長年間に修理されたものです。その周囲にも庭園がありましたが、この蓮池なんかは諸行無常というか、色即是空というか……。

滝口入道との恋に破れてこの寺に入った雑司横笛が住まったという横笛堂を見て、十一面観音ツアーの法華寺編終了。法華寺は、あれやこれやと見るものは多いのものの、なんとなく一体感に欠けるというか整理されていない印象でしたが、そこらへんのアバウトさが奈良らしいということなのかもしれません。ともあれこれで、今回の旅を締めくくりました。