上原ひろみ The Trio Project

2012/12/09

東京国際フォーラムで、上原ひろみ The Trio Projectのライブ。名手Anthony JacksonとSimon Phillipsと組んでの2枚の作品『VOICE』『MOVE』はしばらく前に購入して聴き込んでいたものの、その作品群を再現するツアーのチケットはまるで手に入らなかったのですが、12月3日になって友人カネコ氏が、一緒に行く予定だった奥様が急遽行けなくなったというアナウンスをFacebook上でしていたのを目敏く見つけ、「それなら代わりに不肖・私が!」と申し入れてライブ参戦の機会を得られたのでした。

そしてなんと、この日のライブは今回の「MOVE」ツアーの千秋楽です。

ソロであったり自身のトリオであったり、あるいは矢野顕子やChic CoreaやStanley Clarkeと組んだりとさまざまなフォーマットで作品を発表してきた上原ひろみが、Anthony JacksonとSimon PhillipsとのThe Trio Projectとして『VOICE』を発表したのは2011年3月のこと。そして、この作品を軸にしたツアーで世界中を巡りながら呼吸をさらに合わせ、ライブを通じて練り上げていった曲をまとめ満を持して『MOVE』をリリースしたのが今年の9月。

このYouTubeの映像はその『MOVE』リリースの直前に公開された、7月中旬のブルーノート東京での演奏ですが、このときの「MOVE」とCDに収録された「MOVE」は趣きが違うし、今日この日東京国際フォーラムで目の当たりにした「MOVE」もまた違っていました。

御岳山でのトレイルランニングレースを終え、軽い打上げの後に有楽町へ移動。東京国際フォーラムのホールA入口の前でカネコ氏と落ち合って、ホールの中に入りました。階段を上がったグッズ売場では20,000字に及ぶロングインタビューを収録したというツアーパンフレットと、CD類が販売されており、さっそくパンフレットを購入しました。このパンフレットのインタビュー、確かに凄いです。上原ひろみは2012年に入ってからこの日(12月9日)までヨーロッパ、北米、アジアを行き来するツアーを続けており、その回数はなんと111回!一部にソロやデュエットも含まれていますが、大半はこのThe Trio Projectでのものです。話題のロングインタビューはこの長いツアーの全貌(ただしインタビュー時点は8月)を詳細に振り返りながら『MOVE』の制作過程も垣間見せるというもの。これを読むと、本人はライブを心底楽しんでいるのですが、それでも体力的・精神的にきつい場面も少なからずあったようで、過酷だ!と思いました。Anthony60歳、Simon55歳、上原ひろみ33歳。もう少し敬老の精神をもたないと……。

冗談はさておき、私自身は上原ひろみのコンサートは初体験。Anthonyの名前はもちろんかなり前から知っていましたが、意識して聴くのはやはり初めてです。唯一、SimonはJeff Beckのサポートで、あるいはTotoのメンバーとして、さらには彼自身のバンド(PSPやソロ名義)でたびたびライブを聴きに行っていますが、この3人の組合せとなった場合にどれだけ余白=自由度を持つ演奏になるのかは、想像もつきませんでした。しかし、このパンフレットの冒頭に書かれている上原ひろみ本人の言葉の一部を引用すると、次のとおりです。

「MOVE」というアルバムの1曲1曲を創っている時、ライブ会場でその曲達が息吹をあげる様子を、何度も想像しました。だからこそ、今回ライブでその夢が毎日叶っていくのを体験する事が、楽しみで楽しみで仕方ありません。今日この場所でしか生まれない音楽を皆さんと一緒に創り上げていきたいと思います。音楽の冒険旅行へ、いざ出発!

ここに書かれたのと同様に、この日のライブの中でのMCでも上原ひろみは、聴衆と一緒に音楽を創っていきたいということを繰り返し強調していました。そして結果としてはその言葉通り、CDとは異次元の、熱い緊張感に満ちた演奏が2時間半にわたって続くことになりました。

定刻を5分余り過ぎたところで照明が落ち、歓声と拍手の中、ステージ上に3人が登場。下手のピアノ、中央のベース、上手のドラムがそれぞれの位置を占めて、上原ひろみの単調な連打から始まったのは、もちろん「MOVE」。リズム隊が入る瞬間に照明が光の束をさっと後方から前方へ投げつけてきて、文字通り目が覚めるような思いがしました。それにしてもこの演奏は強烈、しかもCDで聴いていたものよりずっと速い!目覚まし時計に起こされて、変拍子の嵐に無理矢理の覚醒を促され、ピアノソロとドラムソロに翻弄される、悪夢のような朝の始まり。上原ひろみの気合がぐいぐいとリズム隊を引っ張っていくような演奏ですが、その引っ張られているはずのドラム(いつものTAMAのセット)とコントラバス・ギター(Fodera製の一回り大きな6弦ベース)の音色も音圧もかなり攻撃的で、隙あらばピアノを圧倒しかねないほど。

以下、『MOVE』全曲に『VOICE』からの曲を加え、ソロを1曲足した構成でライブが展開しました。『MOVE』は目覚めから眠りまで一日の感情の動きを音楽にした作品だと言われていますが、ステージ上ではライブならではの躍動感を活かすために曲順が入れ替えられており、これを表にしてみるとこんな感じです。

『MOVE』 ライブ
1. MOVE 1. MOVE
2. Brand New Day 3. Endeavor
3. Endeavor 2. Brand New Day
4. Rainmaker * Delusion(『VOICE』)
5. Suite Escapism "Reality" * Desire(『VOICE』)
Suite Escapism "Fantasy" * Labyrinth(『VOICE』)
Suite Escapism "In Between" 4. Rainmaker
6. Margarita! 6. Margarita!
7. 11:49 PM * Place To Be(『Place To Be』)
5. Suite Escapism "Reality"
Suite Escapism "Fantasy"
Suite Escapism "In Between"
7. 11:49 PM

『MOVE』に続いては、コミカルなシンセサイザー(使用機材はClavia Nord Lead 2)のフレーズとベースの絡みが特徴的な「Endeavor」。軽やかなピアノが続いた後に、ピアノとドラムが作ったリズムの枠の中でAnthonyが自由に遊ぶスペースがあり、音域の広いコントラバス・ギターがギター的な高音のフレーズを聴かせて一瞬のブレイク(指がつりそうだよとすかさず左手を振るAnthony!)ではっとさせてから曲に回帰した後、今度はピアノとドラムの掛け合いがあって賑やかに終曲。

ここで、上原ひろみの天然系のMCが入りました。毎日がお肉・お芋・お肉・お芋というヨーロッパに対し楽屋でおにぎりが食べられる日本にいられることの幸せ、合羽橋で海老フライセットとユッケの食品サンプルを購入した(30年前に買い求めたパフェが壊れたらしい)というAnthony、生中(または中生)・超辛口の熱燗と日本語で注文できるようになりそのうち日本語MCも任せられるようになるであろうSimonの紹介がなされて聴衆の笑いを誘ってから、一転して穏やかで清々しい朝の情景を思わせる「Brand New Day」。リリカルなピアノとベースの絡み、繊細なシンバルワーク……これはうっとりするほど美しい。さらに、印象的なベースとピアノの組合せフレーズで始まり後半に情熱的なドラムソロを配置する「Delusion」、スリリングなリズムパターンからシンセの裏打ちの素晴らしいリズム感とAnthonyのウォーキングベースに腰が浮きそうになる「Desire」と『VOICE』からの曲が続いて、ここで15分間の休憩となりました。

ここまで聴いて、上原ひろみのきらきら輝くようなピアノ音もさることながら、リズムセクションの2人の音が予想以上に強靭であることに驚きました。CDで聴いていた以上に前に出てくるAnthonyのベース音、二つのスネアを巧みに叩き分けながらどんどん空間を埋めてくる(しかしいつにも増してニュアンス豊かなハイハットを聴かせる)Simonのドラム……。

休憩中、暗くなったステージの上で動く人影が?それは、調律をする紳士の姿でした。ピアノにかがみ込んでの作業を終えた後に、アシスタントが押す車椅子に乗って舞台下手の袖に下がっていく様子を見て、あれが上原ひろみが敬愛してやまない「小沼さん」であろうと想像がつきました。そうこうするうちに、セカンドセットの始まり。上原ひろみは前半は白い衣裳だったのが、ここからは明るいグリーンを基調にしたコスチュームに変わっていました。

再開後最初の曲は、やはり『VOICE』から哀感漂うイントロを持つ「Labyrinth」。メロディはどこかで聴いたことがあるような懐かしみを感じさせるものですが、リズム面の仕掛けが一筋縄ではありません。続いて、高音域の雨だれの音から入る「Rainmaker」。やがて一定になった雨音の上でピアノ演奏が続いた後に、ドラムの雷鳴から雨脚が強くなって、そして雨雲が遠ざかっていきます。ベースの特徴的なリフに導かれて始まったのは、ナイトパーティーをイメージした(?)「Margarita!」。キャッチーなテーマを要所に挟み込みながら、昔風にレゾナンスを効かせた音色で大胆にピッチベンドを駆使したファンキーなシンセソロの後にはAnthonyのベース域とギター域を行き来するソロパートを配置、さらにリズムが倍速になって刺激的なピアノソロから、一瞬の間の後に、キメのエンディング。

リズムセクションの2人が下がって、ピアノソロ曲はアルバム『Place To Be』(2009年)のタイトルナンバー。聴く者の心に染み入るような、そしてどこか日本人の琴線に触れるような懐かしさを感じさせる美しい旋律の静かな曲ですが、この曲を弾いているときの上原ひろみは感情の高ぶりを抑えられなかったのか、目に涙をためていました。ツアーに明け暮れる毎日、彼女自身にとっての「Place To Be」とは、果たしてどこなのか……。でもその答は、この日の演奏の最後に彼女の口から明らかにされていました。

最後は、MCを前に置いて、全3曲からなる組曲「Escapism(現実逃避)」。3人のミュージシャンの真っ向勝負で緊迫感溢れる「Reality」、Simonの上品なブラシワークが聴ける穏やかな「Fantasy」、強烈なリズムの炸裂から始まってピアノもドラムも究極の全力疾走を繰り広げる「In Between」。会場は興奮に包まれ、全楽器が最後の一音を鳴らしきった瞬間に、スタンディングオベーションと共に大歓声が湧き上がりました。この曲が終わって上原ひろみが、息の上がった声でメンバー2人を紹介し、さらに調律師の小沼さんを舞台に呼ぶと、老体の小沼さんは静かに舞台袖から登場。4人が並んで会場の歓呼を受けましたが、ハットを目深にかぶって眩しそうな顔をしている小沼さんの背をSimonが手でいたわるようにしていたのが印象的でした。

短い間があって、アンコールとして演奏されたのは『MOVE』の最終曲である「11:49PM」です。一日の終わり(あるいは「一生の終わり」と読み替えてもよいかもしれません)に訪れる哀しみを表現する荘厳なテーマ部からドラムの4/4+6/4拍子の大きなリズムがドラマチックな展開を見せて、いったん沈静化した後にピアノが幅広い音域を上から下へ、またその逆へと小走りに駆け巡り、徐々にドラムが力強さを加えていく中でピアノの両手ユニゾンでの凄まじい高速アルペジオが展開。再びハイハットとリムショットでのリズムキープ上でピアノが切れ切れの和音を響かせ、その音量が徐々に上がってリズムキープの役割がピアノに移ると共に、CDで聴かれる音とは比べ物にならないほどの感情の高ぶりをそのままに示す怒濤のドラムソロになりました。ロックのフィールドにも身を置くSimonならではの渾身の高速ツーバスの轟音と破壊的なチャイナシンバルの連打に圧倒し尽くされたところでピアノが高音を響かせて曲を次のステージへ進行させ、荘厳なテーマ部へ回帰したときには客席も上原ひろみ自身も半泣き状態。最後に、薄れゆく意識の中でひととき華やかだった過去を回想するようなラフでスポンテイニアスなピアノソロをグリッサンドで締めて、ラストに静かな鐘の音(ピアノの高音と、スティックではなく金属片で叩くシンバルの音)が24時の到来を告げて感動的だった演奏が終了しました。

最後の一音の残響が消え去るまでじっと耳を傾けていた聴衆は、無音になった瞬間、総立ちになって最大ボリュームでの歓呼と拍手をステージへ送ります。そして、

ありがとうございましたー!日本サイコー!

この言葉を上原ひろみが客席に投げて、3人の最高のミュージシャンたちは舞台を去りました。

比較的シンプルでありながら美しくセンスの良いライティング、上質のピアノの音とアグレッシブなリズムセクションの音とをしっかりと分離させ共存させたPA、スクリーン上に上原ひろみの表情を(「11:49PM」ではバスドラ高速連打中のSimonの足元をも)的確にとらえ続けたカメラワーク。3人の演奏をサポートした各分野のスタッフの仕事ぶりも見事で、総合的にみても間違いなくここ数年の私にとってのベストライブだったと言えそうです。

場内に明かりがついてBGMとして「MOVE」が流れ、場内アナウンスが終演を告げても、さらなるアンコールを求める聴衆の拍手は一向に収まりませんでした。ついに会場ではなく主催者サイドと思しき男性の声で「Wアンコールはない」ことが告げられましたが、我々はその前にホールを去っていました。もっと上原ひろみのピアノを聴きたいというファン心理はわからないではないのですが、上述のように目覚まし時計の音から一気に覚醒を促す「MOVE」で始まり、終焉の鐘の音で魂を鎮める「11:49PM」で終わる、ストーリーをもったこの日のプログラムの後には、どんな曲が置かれたとしても余韻を削ぐ結果にしかならなかったことでしょう。

ミュージシャン

上原ひろみ piano, keyboards
Anthony Jackson contrabass guitar
Simon Phillips drums

セットリスト

  1. MOVE
  2. Endeavor
  3. Brand New Day
  4. Delusion
  5. Desire
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  6. Labyrinth
  7. Rainmaker
  8. Margarita!
  9. Place To Be (Piano Solo)
  10. Suite Escapism "Reality"
    Suite Escapism "Fantasy"
    Suite Escapism "In Between"
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  11. 11:49PM

終演後、カネコ氏と近くの秋田料理店で感想会。もちろん最初に頼んだのは生中です。素晴らしい演奏を聴かせてくれた上原ひろみに、Anthonyに、そして生中が大好きだというSimonに、乾杯!