月見座頭 / 水無月祓

2015/07/03

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の定例公演で、狂言「月見座頭」と能「水無月祓」。いずれも初見です。

梅雨の最中の国立能楽堂には、外国人観光客(フランス語圏)の姿が多く見られました。

月見座頭

座頭頭巾をかぶった下京の座頭(大藏彌太郎師)が一人、心持ち両足を開き気味にして足元を杖で確かめながら揚幕から舞台へと進んできます。そこは名月の夜の野辺で、人々は月を愛でるであろうが自分はもとより目の見えぬ身なので、虫の音を楽しもうとするということを述べると、野辺のあちこちを巡りながら、あれはこおろぎ、きりぎりす、はたおり、ひぐらし、松虫(今の鈴虫)、くつわむし……などと草叢にすだく虫の音を心から慈しむように聞いて回ります。穏やかな野辺の情景が目に見え、虫の音さえ聞こえてきそうなこの最初の場面には、見所をじんわりと舞台へ惹きつける哀感が漂い、そのまま一人芝居にしても充分に成り立ちそうな風情です。

そこへすたすたと現れたのは、月を眺めるために野に出てきた上京の者(大藏吉次郎師)。座頭がいるのを目に留め、月は見えぬはずなのにと不思議に思って声を掛け、虫の音を楽しんでいるという座頭の返事に納得したところから二人の会話が始まります。お互いに歌を詠もうということになって、まず上京の者が詠んだのはこちら。

天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも(安倍仲麿)

これに対して座頭はこう。

きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣片敷きひとりかも寝む(藤原良経=後京極摂政前太政大臣)

かたや月、かたや虫ながら、いずれも百人一首に入っている古歌ですが、互いにそのことを指摘し合って笑うと打ち解けて、上京の者の勧める酒で宴を始めました。座頭の求めに応じて上京の者が謡ったのは月をもともに眺めばやの 望みは残れり この春の望み残れりと謡曲「泰山府君」の一節です。一方、座頭の謡はただ松虫の独り音に 友待ち詠をなして 舞ひ奏で遊ばんと「松虫」から。目の見える者が歌う空の月、目の見えぬ者が歌う地の虫。仲良く歌い交わしているように見えてその実、接点がありません。さらに、上京の者を地謡として座頭は盲目の悲しさを謡う「弱法師」を舞いました。難波の浦、住吉の松原の景勝の中を徒らに歩き、目が見えないために人につきあってはよろめき転び、笑われる我が身を思へば恥かしやな、今は狂ひ候はじ。今よりは更に狂はじと嘆く詞章と写実的な舞は悲惨ですが、この「弱法師」のシテ/俊徳丸が狂いから覚めて父と再会するというクライマックスは、次の能「水無月祓」に通じていきます。

最後に上京の者がざざんざと小謡を謡いながら酒を酌んで気分良くなったところで宴はお開きとなり、それぞれ良い楽しみをしたと感謝し合いながら上京と下京へ別れていくのですが、楽しかった、急いで帰ろう……と一ノ松から揚幕へと帰りかけた上京の者の心の中で、何かが変わります。あるいは変わったのではなく、それが上京の者の本性だったのかもしれませんが、まるで「弱法師」の俊徳丸の舞の中で見られた突き飛ばされよろめき倒れる盲目の者の様子を再現しようとするかのように、舞台に戻った上京の者は帰路に就く座頭にあえて肩から当たり、作り声を用いてさんざんに引き廻すと座頭を突き倒してしまいました。このときの吉次郎師の顔つきも声色も、座頭と心を通わせながら穏やかに酒を酌み交わしていた先ほどまでの上京の者と同一人物とは思われません。地面に這いつくばった座頭を見下ろしての高笑いにも嘲りの色を含ませた上京の者が、登場のときと同様にすたすたと歩き去っていった後には、無残に取り残された座頭。あたりを探って杖を見つけ、どうにか立ち上がった座頭は、今のやつは先ほどの上京の者にひきかえ情けのないやつだと嘆くと一人我のみ泣きにけりと寂しく謡ったところでくしゃみを二度。これは狂言独特の留め方で、よろよろと揚幕へ下がっていく座頭の背中に哀愁と無常感がいや増します。

座頭は、楽しい時を共に過ごした上京の者と自分を引き倒した男とが同一人物だとは気付きませんでしたが、一人の人間の心の中に住む明るい部分と暗い部分が野辺を去る瞬間に切り替わってしまったのは、座頭には見ることのできない月の光のせいだったのか、そんなものがなくても人はいつでも善悪の振幅を行き来するものなのか。それにしても、目の見える上京の者の方が胸の内に闇をひそませていたとは、一種逆説的です。そして、座頭は上京の者と楽しい時間を過ごしたと思っていましたが、目開きと盲目、上京と下京、月と虫といった具合に、二人の間は実は最初から最後まで重なり合っていません。

笑いの要素をほとんど排した、深い主題を持つ曲。しみじみとした彌太郎師の名演に心動かされた舞台でした。

水無月祓

今は旧暦の水無月ですから、季節的にぴったりの演目。この狂女物の作者は不明で、観世流だけで現行曲とされているものの、一時は番外曲扱いされ、江戸末期に復曲されて前場を省略した一場物の形で演じられるようになったものだそうです。プログラムの解説によれば、この日の演出は山本順之師・観世銕之丞師が演出検討に加わり、江戸初期の謡本に基づいて前場の男女の別れを復活させ、間狂言の詞章にも手を加えたとのこと。このため、この日のプログラムに載っている詞章にはアイの語りがすべて掲載されていましたが、これは異例と言えるでしょう。さらにアイの位置づけが単に前場と後場を繋ぐだけでなく、後場でワキをシテに引き合わせ、シテが物着にかかるまでの間ワキと対等の演者としての役割を担っている点も特徴的でした。

舞台上に囃子方と地謡が揃った後、唐織着流のシテ/女(観世銕之丞師)がゆっくり舞台に進んで地謡前に下居した出し置きの形。面は孫一とのことですが、艶然とした美しい女性の顔でした。そして〔名ノリ笛〕に導かれて、暗緑色の素袍長袴姿のワキ/男(殿田謙吉師)が登場し、常座で名乗ります。曰く、播磨の国室の津での仕事が終わったので都へ帰ることになったが、この地で相馴れた女にその旨を告げ、後日迎えを寄越そうと思う。そしてシテを訪ねたワキはこのことをシテに伝えると、シテは独り残される月日を思ってシオリましたが、ワキは必ず迎えを寄越すから安心していて欲しいと言って、去っていきます。一ノ松から名残惜しそうにシテを振り返るワキ、それを見て舞台中央から1、2歩歩み寄るシテ。常座でシテがシオル内にワキは揚幕に消え、ついで囃子方の〔アシライ〕を聞きつつシテも中入となりました。この前場は短時間の静謐な応答でしたが、その中でシテが感じた別れの寂しさつらさを見事に描写し、後場の物狂いへの重要な伏線となっていました。

段熨斗目に裃姿のアイ/上京の者(山本則秀師)が登場し、今日は六月晦日の水無月祓なので糺ただすの賀茂明神へ参詣しようとする旨をその由来と共に語ります(したがって舞台上は都に移っていることがわかります)が、わけても重要な台詞はこの糺の御神は、鴨川、高野川、二つの流れの落合なれば、男女夫婦の縁仲立ち、妹背の道を守り給ふ、誓い尊き御事にて候というところ。ここへ、明るい色の素袍に白大口の姿で登場したワキが一ノ松から自分も一緒に行かせて欲しいと声を掛け、これを快諾したアイと大小前で向かい合いました。この日の番組にはワキは単に「男」と表記されていますが、設定としては下京の男であるようで、このアイ(上京)とワキ(下京)の組合せも「月見座頭」に呼応します。さてアイがワキに、これから向かう賀茂明神に水無月祓の輪をもった若い女物狂がいて茅の輪の謂れを語り面白く舞うということを教えているうちに糺に着いてみると、殊の外の群衆がいて(と二人で中正面方面を見やり)、二人もそこで女物狂を待つことにします。

ここで〔一声〕となりますが、笛に続いてポンポンと強い小鼓の連打が二度入って、これまで未体験と言ってよいほどに強靭な大小の鼓の打音と掛け声がしばらく舞台上を支配し、その音圧に圧倒される思いで聞き入っていると、シテが再び登場しました。髪を左右に一筋ずつ垂らし、肩には狂人のシンボルである笹。ただし、その笹に小さな茅の輪がくくりつけられているのが変わっています。笹の葉の色に合わせた緑の縫箔腰巻の上に白い水衣の出立で、思う人の後を慕って都に上ってきたことを窺わせつつ茅の輪くぐりを人々に勧める〈一セイ〉を一ノ松から謡うと、舞台に進んで狂乱の〔カケリ〕。恋路をただす神ならば、などか逢ふ瀬にならざらんと期待をこめ、さらに男との再会を願って上京してきた自分の境遇の儚さを謡う頃には落ち着きを取り戻したかに見えましたが、糺の神に頼みをかけて男に巡り会いたいと願い再び狂う様子を示しました。これを見たワキがアイに勧められてシテに夏越の祓の謂れを尋ねたところ、シテは常座で朗々と、天照大神が皇孫を日本の主に定めようとしたときに邪神の光を祓い清めたのがその初めであると説き、ついで地謡に詞章を引き継いで足拍子を繰り返すと、茅の輪をまたぎ越す型を示しながら、人々に茅の輪くぐりを勧めつつ笹を手に舞い遊びます。今日は夏越の、輪を越え参り給へやと笹を前に掲げる姿には神々しさが漂い、ついで自分も身を清めて参詣しようとシテは笹を捨て、膝を突いて賀茂の神に参らんと合掌しました。

これを見てアイは、烏帽子をつけて面白く舞うようにと衣装をシテに渡し、〔物着アシライ〕の内に常座で物着となりました。正中に下居したアイが見守るうちに二人の後見の手によって衣装を替えたシテは、烏帽子を被り長絹をまとった姿となって立ち上がると、昔、藤原実方が竹の葉を挿して神前で舞って尋ねる人に会えた故事にならいたいと祈るような口調でゆったり謡い、小さい〔イロエ〕から一ノ松に移って胸を抱きつつ昔しのぶの露の間も、げに思ひ出の身になして、今この水に影を映すと勾欄越しに御手洗川の水面に映る自分の姿を眺めました。アイの姿はいつの間にか消え、脇座からワキが見守る中、ここから始まったシテの〔中ノ舞〕は最初はゆっくりと、やがて囃子方のボリュームアップと共に高揚の度を高めながら舞台いっぱいに舞い続ける見応えのあるもの。前場では小ささが目立ったシテの銕之丞師の姿が、ここにきてぐっと大きさを増したように感じられ、特に舞台正面に進んで前に差し出した両袖を返したその姿には胸を突かれるほどの感動を覚えました。

〔中ノ舞〕を終えたシテはみそぎ川、浮き沈むなる、夕山影の、賀茂の神と謡い、角の最前部に進んでじっと舞台下を見込みじっと静止しましたが、このときの地謡の詞章は御手洗川に、映る面影、映る面影、映る面影と「映る面影」を三度も繰り返すもの。そして、歯鉄漿も眉も乱れた恥ずかしい自分の姿を水面に見たシテはよろけつつ後ずさり扇で顔を隠すと、左袖を高く掲げた次の瞬間に舞台中央に崩れ落ち、泣き伏してしまいました。

ここで女物狂が室の津に残してきた女であることに気付いた男の呼掛けを地謡が謡うと、シテはその声をただ夢とのみ思ひかね、胸うち騒ぐばかりなりとおののきながらゆっくりとワキを眺めます。そしてそこに思う人の姿を認めたシテはワキと共に揃って立つと大小前に並んで座り、賀茂の宮居に向かって拝礼。向かい合って再び立ち、舞台中央で互いの周りを美しく回り合い、キリの詞章祈念も時移れば、帰るさになりにけり、はや帰るさになりにけりを背にシテが一ノ松、ワキが常座に立って、ワキの留拍子で終曲となりました。そして、常座のワキが橋掛リを下がるのを一ノ松で待ったシテはワキの後ろにつくと、無音の中を連れ立って下がっていきました。

本当に、素晴らしく劇的な舞台でした。シテの写実的な心情表現と圧倒的な舞の魅力に思い切り感情移入させられ、シテの心象を映し出す囃子方の強靭さにも心を揺さぶられました。また、再会を感謝する祈りの後に互いの周りを回り合い、終曲後にも連れ立って下がって行く姿には現代的と思えるほどの愛情表現が窺え、行き届いた演出の妙を見ることができました。おそらくこれは、これまでに見てきた能の舞台の中でも最高の部類に入ることでしょう(それだけに〔中ノ舞〕の途中で長時間続いた携帯電話の着信音が残念でなりません)。またこの曲が、銕之丞師以外のシテならどのような舞台になるかも見てみたいものだと強く思いました。

水無月祓、または夏越祓とは、春夏の終わりの日に茅の輪をくぐって半年の穢れを清める習俗で、賀茂神社の夏越祓は昔から名高く、秋の気配を感じさせる藤原家隆の次の歌にも歌われています。

風そよぐならの小川の夕暮れは 禊ぞ夏のしるしなりける

なお、本曲の一場物の演出では最初にワキが登場し、播磨の国で室の津の女と知り合ったこと、都に帰った後に迎えを遣わしたところ既にその地にいなかったこと、そして賀茂の明神に参拝して再会を願おうとしていることが語られるそうです。このワキの台詞がないために、ワキがシテとの約束を守ろうとしたのか、そしてなぜ賀茂明神へ行こうとしたのかは、この日の演出では明らかになりません。

配役

狂言大蔵流 月見座頭 シテ/座頭 大藏弥太郎
アド/上京の者 大藏吉次郎
観世流 水無月祓 シテ/女 観世銕之丞
ワキ/男 殿田謙吉
アイ/上京の者 山本則秀
松田弘之
小鼓 鵜澤洋太郎
大鼓 安福光雄
主後見 山本順之
地頭 浅井文義

あらすじ

月見座頭

八月十五夜の名月の夜、一人の座頭が月を見ることはできなくとも虫の音を楽しもうと言って、野辺に出掛ける。すると月見に来た男と出会い、二人は歌を詠みあい、意気投合して酒宴となる。謡い舞って良い気分のまま別れたが、男は途中で気が変わって立ち戻り、座頭に喧嘩をふっかけ引き倒してしまう。座頭はさっきの人と違って情のない人もいるものだと言って、独り野辺で泣く。

水無月祓

室の津の遊女と結婚を約束した男が行方知れずになった女を尋ねて、賀茂の明神に祈願をしに行く。時は六月の晦日、この日に茅の輪をくぐると悪を祓うと参詣客に熱心にそれをすすめる狂女がいる。見ると自分の捜している女で、女も男を尋ねて賀茂神社に来ていたのだった。賀茂神社の縁で二人はめでたく結ばれる。