現代能楽集VIII『道玄坂綺譚』

2015/11/18

世田谷パブリックシアターで、企画・監修:野村萬斎、作・演出:マキノノゾミの「道玄坂綺譚」。この作品は、野村萬斎師が世田谷パブリックシアターの芸術監督に就任してから立ち上がった連続企画「現代能楽集」の第八弾で、謡曲を近代劇に置き換えた三島由紀夫の『近代能楽集』のうち「卒塔婆小町」「熊野」をミックスしてさらに加工を加えた複雑な構成を持つ戯曲です。当然、原典となる謡曲の「卒都婆小町」「熊野」は共に観ていますが、『近代能楽集』の方は読んだことがありません。しかし結果的には、小野小町と深草少将の百夜通いのエピソードと、「熊野」と書いて「ゆや」と読むということさえ知っていれば、これらの原典・原作に親しんでいなくても十分に鑑賞可能でした。

舞台は能舞台のように正方形で、下手と後方下手寄りに橋掛リのような橋が掛かり、後方の橋の先は暗い色の揚幕で仕切られています。舞台後方の上手寄りにも階段があって舞台下からアクセスできるようになっていましたが、これは客席からは見えませんでした。舞台上は明るい色の板敷きで、下手橋掛リと舞台の接点に視界を遮るモノリス状の黒く高い壁、舞台後方にはカウンターとなる黒く低い壁、舞台上手中央にもパントリーを思わせる黒い構造物が立っています。この舞台が、現代のネットカフェの店内にもなれば、「卒塔婆小町」での洋館の一室にもなり、「熊野」でのデイトレーダーのペントハウスにもなるという趣向です。

開演時刻となり、激しいロック(ももいろクローバーZ「サラバ、愛しき悲しみたちよ」)が流れる中、役者たちが機械的な動きの中で机と椅子を運び込んで舞台上はまずネットカフェに変わりました。以下、上演時間は19時から21時50分までで途中に15分間の休憩を挟むので、休憩前後で舞台の性格が大きく変わるわけではないものの二幕の作品とみなして各場面の様子を再現してみます。

第1幕第1場:道玄坂のネットカフェ

緊迫感のないネットカフェの情景。仕事熱心とは言えない店員のカオルたち、カップ麺用のお湯が切れていることにキレる家出少女ユヤ、長編漫画ばかり読む紳士・宗盛、そして異臭を放つ年齢不詳の老女コマチと映像作家を気どるバイトのキーチ。何気ない会話の中にこの芝居のキーワードと思しき単語が散りばめられ、ネットカフェが時空を超えた場所に通じていることが述べられる。そんな中、今日がバイト最後の日となるキーチはハーブにラリった状態でコマチに話し掛け、一生に一度の傑作を生きた証としたいと夢を語ってコマチからその甘さを論破される(=卒都婆問答の翻案)が、この会話を通じてコマチが99年前からこの辺りに住んでいた絶世の美女であったこと、彼女を美しいと言った男たちはみな死んでいったことを知る。

第1幕第2場:昭和初期の洋館(「卒塔婆小町」)

洋館の応接間で憲兵の尋問を受ける執事。憲兵が追っているのは、この洋館の主人である元華族の美しい令嬢(謡曲では小野小町)のもとに通い続けている深草(同・深草少将)だが、百夜通えば深草の望みをかなえるという約束にもかかわらず、九十九夜目の今宵は来られないと連絡を寄越していた。しかし深草は憲兵の目を盗んでバルコニーから洋館に入り込んでおり、病を押して出てきた令嬢に、大義のために今宵が最後となると告げる。懸命に引き止めようとするものの決意を変えない深草に、令嬢は突然態度を変え、自分は執事を装う成金の愛人だと嘘をつくが、一度は驚いた深草はそれでも気を取り直して雪の町に出て行く。銃声。深草を射殺した憲兵が電話を借りようとするところを拳銃で射殺した令嬢は遺体の片付けを執事たちに命じると、ソファにひとり腰掛けて夢見るような表情になり、あと一夜で思いをかなえられたはずの深草を思いながら、呟く。「でもまあいいわ。きっと別の殿方が、百夜通いをお始めになるわ」。一路真輝さん、怖い……。

第1幕第3場:道玄坂のネットカフェ

100巻以上ある漫画(「浮浪雲」「こち亀」等)をすべて読破しようとしている職業不詳の紳士・宗盛は、補導員を装ってネットカフェにユヤを探しに来た「神」(家出少女をかくまい衣食住を提供する代わりに関係を結ぼうとする男)からユヤを買い取り、ユヤに自分のペントハウスに住むことを提案する。条件はただ一つ、スマホやネットの利用を断つことだけ。名刺を渡されて迷っていたユヤは、カップ麺用の湯がまだ湧いていない(=第1場からほとんど時間がたっていないことを示す)ことを確かめると意を決し、店員カオルの親身の制止を振り切って宗盛に電話を入れる。

第3場の最後にガウン姿の一路真輝さんが登場してミュージカル風に歌を歌ったところで前場が終わり、15分間の休憩となりました。休憩時間が終わると、客席が明るいままに眞島秀和・富山えり子の2人が舞台上に現れて無言のうちにテーブルと椅子の配置を変え、シアターの係員が携帯電話の電源を切るよう注意を促してからおもむろに後場に移ります。

第2幕第1場:12年後のペントハウス(「熊野」)

宗盛(謡曲では平宗盛)はデイトレーダーとしてペントハウスで何不自由ない生活をしており、その手元に引き取った不良少女ユヤ(同・熊野)に文学・音楽・美術の教育を施して、今では見た目も言葉遣いもすっかり変わった自身の生ける美術品に仕立て上げている。訪ねてきていたユヤの血の繋がらない姉・朝子(同・朝顔)に、ユヤが看護師の道を選んだことへの不服を漏らすが、朝子がもたらしたものは郷里の掛川で病床にある母からの手紙だった。それには構わずユヤを花見に連れ出そうとする宗盛を朝子は厳しく非難するが、朝子が本当は姉ではなくユヤの病院での同僚であり、ユヤが手紙をネタに一時の暇をとろうとするのはファーストフードでの無銭飲食の罪を重ねて刑務所に入っていた恋人・薫の出所を迎えにいくためであることを宗盛は見抜いていた。ペントハウスに呼び寄せた薫の言葉から、12年後の日本には徴兵制がひかれており、薫は懲役刑により強制除隊を受けて鬼怒川の実家の和菓子屋を継ぐつもりであったことが明らかになる。ペントハウスに住み続けないかという宗盛の提案を断るユヤと薫。薫を下がらせユヤと2人きりで語り合う宗盛は、実は投機の失敗で無一文になっていた。ユヤは宗盛に「いつか自分を好きだと言わせたかった」と告げるが、ついに宗盛がその真情を言葉にしたときにはユヤの姿は消えていた。愕然とする宗盛を、突然の激痛が襲う。

第2幕第2場:昭和30年代の撮影所(「卒塔婆小町」)

第1幕第2場のラストシーンの再現。しかしそれは、映画『昭和小町伝』の撮影セットでのことだった。主演の大女優・染谷と若く売り出し中の俳優・佐伯が恋人関係にあることは公然の秘密であり、撮影の合間を縫ってセットの中で行われた記者会見でもそのいきさつを問われる。サングラス姿ですかした様子の佐伯は「恋は秘するが花って言うでしょう」とかわそうとするが、女性記者が葉山の日陰茶屋(大杉栄が神近市子に刺されたところ)での逢瀬を暴露する厳しい質問を浴びせかける。記者仲間たちの困惑をよそに激昂したその女性記者は佐伯の婚約者・佐枝子で、女優・染谷の顔に薬品をかけ背後の揚幕へ逃げて行く。その後を追う佐伯と、染谷を介抱する元恋人の監督。佐伯は佐枝子に刺され、染谷を抱きしめて君は綺麗だと繰り返した監督も交通事故で亡くなってしまう。

第2幕第3場:さらに5年後のペントハウス(「熊野」)

病のために記憶がとぎれとぎれになってしまっている宗盛。病院に電話を入れていたユヤは、5年前に結婚してこのペントハウスで3人暮らしをしてきたと宗盛に説明するが、宗盛を病院に送るためのタクシーを呼んできた薫はすっかりグレた様子になっていて何かおかしい。肝臓ガンの末期にあることを告げられた宗盛に対するユヤの態度は途中でガラリと変わり、もとの不良少女の口調に戻って宗盛が食するジャムに発がん性物質を入れていたことを明らかにすると、口汚く宗盛を罵り始める。これは一体?

第2幕第4場:12年後のペントハウス(「熊野」)

暗転の後、第2幕第3場冒頭のユヤによる病院への電話の場面に戻る。第2幕第3場は尿管結石の激痛で気を失っていた宗盛の悪夢に過ぎず、ユヤの宗盛に対する穏やかな態度は変わらない代わりに、宗盛が無一文になったという事実も変わらない。その宗盛の肩を支えてペントハウスから病院へ連れて行こうとするユヤの口調は「はい、ゆっくり歩いてくださ〜い」などと完全に看護師の職業的なもの(倉科カナさんのこの口調の切替が最高に面白い)だが、「温泉饅頭なんか作っていられるか」という宗盛の言葉にもかかわらず、こののち薫・ユヤ・宗盛の3人は、薫の実家の和菓子屋で一緒に暮らすことになるのだろう。舞台から下手へ下がっていく3人の姿にほのぼのとした幸福感が漂う。

第2幕第5場:道玄坂のネットカフェ

スマホでYouTubeにアップされていた『昭和小町伝』のお蔵入り映像に見入るキーチと、そのセリフをなぞって語るコマチ。キーチの夢は、幻の作品とされていたこの『昭和小町伝』をリメイクすることだった。その夢を語り、主役をコマチにオファーするうちに魅入られたようになって様子がおかしくなるキーチ。ついに禁断の言葉「小町、あなたは美しい」を口にしたキーチは苦悶に囚われ、100年後の再会を求めてから舞台背後へ飛び降りていく。しかし、現実が戻ってくるとキーチは脱法ハーブの影響でネットカフェのトイレで死んでおり、検分に来た警察官はハーブ店の店長・宗盛を事情聴取のために連行する。店内に残されたコマチとユヤは母娘としての会話を交わし、現実と向き合おうとするユヤの未来に対してコマチが「Good luck」とエールを送ると「あんたもな」とユヤも返す。そして、コマチはまた1人になってしまった。

エピローグ(「卒塔婆小町」)

登場人物たちが劇中のさまざまなパートのセリフを口々に語りながらネットカフェに登場し、それまでの時空を交錯させながらテーブルと椅子をすべて片付けて去っていった後に残されたのは、冷たい風が吹きすさぶ中で傾いた巻貝のようなオブジェ(=卒塔婆)に座り込むコマチ。そこへ現れた深草の霊とコマチが抱き合って、ここにようやく百夜通いが成し遂げられ(ここが謡曲との決定的な違い)、舞台は暗転する。

令嬢と青年将校の悲恋が映画のワンシーンに転換する入れ子構造、さらに5年後のユヤの豹変が宗盛の悪夢の中のものであったこと、しかしその宗盛がデイトレーダーではなくハーブ店の店長であったことを見ると、すべてはハーブに酔ったキーチのひとときの幻覚の中の出来事に過ぎなかったと見ることもできます。それでも、エピローグでの小町と深草の抱擁はキーチの幻覚ではなくコマチ自身が呼び覚ました遠い過去からの憧憬であったとすれば、キーチをハーブで酔わせただけでなく、そのキーチを冷めた目で見ていたはずのコマチにも夢を見させたのは、道玄坂というこの土地に漂う呪力のようなものであったとも思えてきます。だからこその「道玄坂綺譚」だったのかもしれません。

マキノノゾミ氏はプログラムの中で、自分の作品のテーマはいつも「人間の幸福について」だと語っていますが、この観点からみればこの作品は確かに、渾身の映画を一つ撮って自分が生きた証としたいキーチにとっての幸せ、デイトレーダーとして金銭的に恵まれながらユヤの愛を得られなかった宗盛にとっての幸せ、何不自由ない生活を捨てて饅頭屋のカオルと結婚するユヤにとっての幸せ、そして自分を美しいと言ってくれる男が次々に死んでゆく中で99歳まで生きなければならなかったコマチにとっての幸せと、それぞれに異なる幸せの形を提示してみせてくれてもいます。

上記のように時制の行き来の中で虚構と真実が螺旋を描く複雑な構造でありながら、たとえばボードレールの詩(常に酔っていなければならない、ほかのことはどうでもよい)や、蓄音機から流れる歌曲、冷めた紅茶 / 緑茶を淹れ直すエピソードなどが繰り返し使用されることで複数の場面の間に一体感をもたせ、時にはユーモアやギャグ(まじすか学園)も交えながら、舞台はテンポを失わずに前進を続け、最初から最後まで観客を魅了し続けました。それは、大胆かつ緻密に構築された脚本の力と、複数の役柄を見事に演じ分ける俳優たちの力量との共同作業の賜物であったでしょう。

舞台終了後のポストトークには眞島秀和、水田航生と共に倉科カナさんが登場しましたが、彼女がなんとかマキノノゾミ氏の意表を突きたいと日々演技を変えているという話をしていたのが、ことに印象的でした。

なお、渋谷の道玄坂から百軒店あたりは少し前まで古くてモダン(逆説的ですが)な建物が残されており、かつては賑わいを見せた場所。また数年前には、この辺りの脱法ハーブ店から購入したハーブを道玄坂の路上で吸った少年たちが救急搬送された事件も起こったりしているそうです。

配役

キーチ(深草貴一郎 / 俳優) 平岡祐太
少女(ユヤ) 倉科カナ
男(宗盛) 眞島秀和
カオル(薫) 水田航生
シュウ / 助監督 根岸拓哉
女中 / 朝子 富山えり子
神の男 / 記者 粕谷吉洋
監督 / 黒服の男 神農直隆
憲兵 / 記者 / 警官 藤尾勘太郎
憲兵 / 専務 / 警官 奥田達士
執事 / 黒服の男 長江英和
佐枝子 田川可奈美
女(老婆 / 女主人 / 女優) 一路真輝