白鳥の湖(東京バレエ団)

2016/02/05

東京文化会館(上野)で、東京バレエ団による「白鳥の湖」。今回はブルメイステル版での上演で、これは東京バレエ団にとって初めての取組みだそうです。

バレエ「白鳥の湖」にはさまざまな版があり、それぞれ登場人物やその性格、ストーリーが異なると共に、曲の取捨選択や配置もさまざまですが、1877年の初演から70年余り後の1953年にモスクワのウラジーミル・ブルメイステルによって振り付けられたこのブルメイステル版は、当時のソ連の事情を反映してハッピーエンドになってはいるものの、チャイコフスキーの原曲の構成を重んじ、演劇的要素を強調している点に特徴があります。プログラムの解説によれば、楽曲の配置は次の通りです。

このリストをもとに、iTunesに収めた小澤征爾指揮ボストン交響楽団の演奏を聞きながら、舞台の様子を思い出してみました。

プロローグ

序奏が始まるとすぐに幕があき、そこは暗い湖畔。ふわっとした白い衣装をまとったオデット(上野水香)が舞台に現れ、上手奥の岩の上に咲く白い花を摘んでいましたが、岩塔を一段上がったところへ頭上からロットバルトが長大な翼をかぶせ、オデットの姿をかき消してしまうと、背後の湖に白鳥(となったオデット)の姿が浮かびます。このようにオデットが白鳥に変えられた経緯を見せておいて、いったん幕が閉じた後に輝かしい情景曲から第1幕へ。

第1幕

田園の中の広場では王子と友人たちの楽しげなダンスが繰り広げられ、道化も登場します。ワルツの後に王妃の出が早く、そのときにそれまで楽しく遊んでいた村の娘たちは友人たちに隠されるようにして逃げ去ってしまいました。王妃は気品ある貴族階級の女性たちを引き連れており、その場に落ち着いたところで踊られるのはパ・ド・トロワではなくパ・ド・シス。木管の旋律が悲しげな曲(アンダンテ・ソステヌート)が差し挟まれ、王子のアンニュイな表情からは王子が宮廷の中の暮らしではなく外の自由に惹かれていることが見てとれます。ここで踊られるのは女性のソロ、ついで男性2人のヴァリエーション、女性のヴァリエーション。乾杯!となった後に出てきたのが、黒鳥のグラン・パで使われることが多い弦楽の大らかな曲からヴァイオリンソロで、ここでこれが出てくるのはかなりの意外感があります。ここは王子と令嬢とのパ・ド・ドゥとして踊られましたが、途中から王子は空を行く白鳥に心を奪われたらしく、気もそぞろ。曲が寂しく終わったところでまともに相手にしてもらえなかった令嬢の嘆きがあり、王子がその場を去ってしまうと残された者たちの困惑のマイムが演じられました。しかし、気分を変えるように明るい曲(杯の踊り)に移って道化の大胆な回転技が披露され、鉄琴系の響きによる女性3人の軽やかな踊りから最後は全員が賑やかにダンスを踊って、広場を去っていきました。

第2幕

そこはプロローグと同じ湖畔ですが、幕が上がるときに舞台上を左から右へ急ぎ足で走り抜ける白いダンサーの姿!……は見なかったことにして、背後の湖面を渡る白鳥の映像に続き、ロットバルトが存在感を誇示してから、王子が駆け込んできました。オデットとの出会い、葛藤、ついにその手をとる王子、2人の邪魔をするロットバルト。2人が上手と下手に別れた後に、素晴らしく統率されたコール・ドが入ってきて縦に2列に並んで通路を作り、その中をオデットを探しながら王子が通り抜けましたが、これは「白鳥の湖」の原型であるイワーノフ版に準拠したものとのこと。その後はワルツに乗ったコール・ド、ハープから入りヴァイオリンの旋律が甘美なアダージョ、文明堂の4羽、大らかでリズムが面白い(ワルツの上にところどころ2拍子が乗る)3羽、そして回転しながら対角線を進むオデットのヴァリエーションへと進みますが、アントン・グリシャニンによる指揮は音の強弱が強調された演奏で、このヴァリエーションでそうした特性がはっきりと打ち出されていました。リズミカルなコーダで足技をきびきびと決めたオデットも、短調の終曲に変わると魔力に引き寄せられるように上手へと消えていきましたが、去り際に羽を1枚残し、王子がこれを拾い上げたところで幕が降りました。

第3幕

ブルメイステル版の特徴が最も際立つ幕。王宮内の豪華な広間では、元気いっぱいの5人の道化たちの踊りに続いて、ファンファーレと共に登場したのはオデットの羽をスマホのように手にした王子。花嫁候補たちのワルツがあって、例によって王子はゼロ回答ですが、そこへまたファンファーレが鳴って、緊迫した曲調のテーマ曲のうちにロットバルトとディヴェルティスマン御一行、そしてオディールが登場しました。ここでは各国のダンサーは全員がロットバルトの手下で、王子を誑かそうとしているという恐ろしい設定です。存在感のある奈良春夏さんによるスペイン、明るいトランペットとタンバリンが楽しいナポリ、コサック風の動きが入るハンガリー(チャルダーシュ)、賑やかなポーランド(マズルカ)と魅力的な民族舞踊が続く中でロットバルトが怪しく立ち回り、スペインとポーランドではロットバルトの大きなマントを隠れ蓑に女性ソリストとオディールが素早く入れ替わって王子を翻弄する場面が出現しました。この辺りは大変流れが良く、さらにロットバルトの短い踊りでは御一行が腰に手を当て前傾姿勢に邪悪な目線で悪魔を見つめ、不気味な空気が広間を支配します。

そしていよいよグラン・パ・ド・ドゥになりましたが、ここもブルメイステル版の特徴が出るところで、アダージョと王子のヴァリエーションに使用されるのは、バランシンの「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」で使用される曲。すなわち、初演後に第二キャストでオディールを踊ることになったアンナ・ソベシチャンスカヤがマリウス・プティパにパ・ド・ドゥの振付を依頼し、その際レオン・ミンクスの曲を使用しようとしたところ、これに反対したチャイコフスキーがミンクスの楽譜を取り寄せて振付を変えずに踊れるように作曲し直したというものです。アダージョでは優美な旋律から徐々に高揚していく曲に乗って、オディールのポワントでのバランスや大胆に飛び込んでのフィッシュ・ダイヴが見られましたが、その中で王子が手にしていたオデットの羽はロットバルトの手に渡ってしまうというわかりやすい演出が含まれていました。王子のヴァリエーションは元気のいいワルツに乗って跳躍力を見せるもの、オディールのヴァリエーションは前半の木管のエキゾチックなメロディが印象的なパ・ド・シスの曲が流用されて、回転の速さと正確さを見せつけます。そしてコーダは賑やかな2拍子の中にナポリやポーランドがなだれ込んで来てカオスのようになった背後からオディールが登場してのグラン・フェッテ・アン・トゥールナン。上野水香さんが見事な回転を決めた後も曲は止まることがなく、また王子のグランド・ピルエットもなくて、ディヴェルティスマン一味が2人の周囲を取り巻き王子がオディールを肩の上に乗せたところでグラン・パ・ド・ドゥの終了となりました。真実が見えなくなっている王子はオディールの虜になっていますが、ロットバルトがこれを遮ってオディールとひそひそ。曲がワルツに変わり、王子が婚約の誓いをしようとしたとき、曲調が変わって陰謀の空気が露わになり、暗くなった舞台背後にオデットの姿が浮かび上がります。王子を嘲りながら消えていく悪魔とその手下たち。取り返しのつかない失敗をしたことに気付いた王子は我を忘れ、道化を蹴散らして飛び出していきました。

いったん幕が降りた後に、再び幕が上がってこの幕の出演者たちが客席に向かってレヴェランスをしました。上述のように、それぞれの踊りの後もダンサーが客席に向かい挨拶をして拍手を受けることはせず、最後まで演技の流れを止めずにきたための措置です。ダンサーの技巧を見せることにフォーカスしたプティパ=イワーノフ版とは異なるブルメイステル版の方向性が、この一点をとってもはっきりとわかります。

第4幕

深い霧に覆われた夜の湖畔、悲しみに沈むコール・ドが舞台に進み、次々にフォーメーションを変えながら白鳥らしい優美な群舞を見せます。そこへ打ちひしがれて戻ってくるオデット。白鳥たちを見下ろして羽を振り、雷を鳴らすロットバルト。そこへ王子が駆け込んできましたが、白鳥たちの拒絶に会い、絶望して倒れ伏してしまいます。パ・ド・シスの中の悲壮な曲の中で白鳥たちは王子を取り残し去っていこうとしましたが、オデットが列から離れて王子に駆け寄り、別れのパ・ド・ドゥ。オデットが去り、独り残された王子は岩の上に現れたロットバルトと対峙しましたが、舞台上に水面を示す幕が引き出され、その幕とスモークが起こす湖面の波に飲み込まれて息も絶え絶えとなってしまいました。しかしそのとき、岩の上にオデット(の替え玉?)が現れると、ふわりと空中へ!赤い炎が上がって暗転した後に、再び舞台上が明るくなるとロットバルトが乗っていた岩の最上部は取り去られてなくなり、オデットの姿はプロローグと同じ人間の女性の姿になっていました。最後は、低くなった岩の台の上に2人で登り、オデットが笑顔で白い布を捨て「もう白鳥には戻らない」という意思表示をしたところで、幕が下りました。

ブルメイステル版が原典に忠実であるということから、チャイコフスキーが綿密に構想した調性構造の妙を実感できるかと期待しましたが、残念ながら私の耳はそこまで感度が良くなく、楽曲の配置の変更による新鮮な印象を楽しむことができた程度に終わりました。しかしながら、この演出のドラマティックさは純粋に演劇としての説得力があり、プロローグからエピローグまで一貫したストーリーの展開に没入することができました。ただし、次の二点が疑問として残りました。

  • 王子は第3幕でオディールに心変わりをしたのか、オディールをオデットと混同したのか。これは「白鳥の湖」では常に問題となる点です。ロットバルトとディヴェルティスマン軍団に寄ってたかって誑かされふらふらになった王子は、第2幕で手に入れたオデットの羽をオディールに渡してしまう、というのがブルメイステル版の演出で、どうやら四ヶ国総がかりで王子に迫ったのもその羽を取り上げる(オデットから切り離す)ことが目的だったようですが、王子が羽をオディールに渡すのは、おそらくオディールを羽の持ち主=オデットと同一人物だと思ったからなのでしょう。ただ、この日の第3幕でその羽をロットバルトは床から拾ったように見えました。このいきさつがちゃんと見えていなかったのが残念ですが、もし王子が羽をとり落としていたのだとしたら(さすがにそれはないとは思うものの)、王子はオデットを忘れてオディールに走った、という解釈になってしまうのでコトは重大です。
  • プログラムの解説によれば、エンディングは王子の死をも恐れぬ献身的な愛によって悪魔が滅び、オデットは元の娘の姿に戻って王子と結ばれることになっています。しかし、上記のように王子は波に飲まれて溺れ死にかけたところを、オデットが湖に身を投げたことでなぜか悪魔が滅び、ハッピーエンドとなりました。YouTubeで見てみると、同じブルメイステル版でも王子がロットバルトと取っ組み合ってこれを倒すリアルな演出があって、暴力反対な私としてはそこまでリアルでなくてもいいのですが、それでも今回の演出では、視覚的には面白いものの本来の悲劇をハッピーエンドに変えたこととの辻褄が合いません。

ともあれ、東京バレエ団がブルメイステル版を初演したのは、昨年芸術監督に就任した斎藤友佳理さんの強い意思によるものだったそうで、その思い入れは演出や振付の隅々、さらには衣装の選定に至るまで行き渡っていたそうですが、その思い入れは舞台上の成果と客席からの賞賛をもって十分に報いられたと思います。再演の機会はきっとあるでしょうから、そのときは再び足を運んで、上記の疑問をぜひとも解きたいものです。

配役

オデット / オディール 上野水香
ジークフリート 柄本弾
ロットバルト 木村和夫
第1幕
道化 入戸野伊織
王妃 山岸ゆかり
パ・ド・カトル 河谷まりあ / 二瓶加奈子 / 宮川新大 / 松野乃知
アダージオ 吉川留衣
第2幕 / 第4幕
4羽の白鳥 金子仁美 / 中川美雪 / 上田実歩 / 高浦由美子
3羽の白鳥 二瓶加奈子 / 政本絵美 / 川淵瞳
第3幕
花嫁候補 小川ふみ / 三雲友里加 / 榊優美枝 / 川淵瞳
4人の道化 海田一成 / 高橋慈生 / 中村瑛人 / 井福俊太郎
スペイン 奈良春夏
宮崎大樹 / 松野乃知 / 原田祥博 / 樋口祐輝
ナポリ 沖香菜子
チャルダッシュ 岸本夏未 / 河合眞里 / 岡崎隼成 / 杉山優一
マズルカ 乾智子 / 森川茉央
指揮 アントン・グリシャニン
演奏 東京シティ・フィルハーモニック管絃楽団