アリス=紗良・オット〔ドビュッシー / サティ / ラヴェル / ショパン〕
2018/09/25
東京文化会館大ホールで、アリス=紗良・オットのピアノ・リサイタル。ドイツ・グラモフォンでのCDデビューから10周年にあたる今年の8月にリリースしたアルバム『NIGHTFALL』で、ドビュッシー、サティ、ラヴェルというパリに生き、務めをなし、死んでいった3人の作曲家
の作品を取り上げた彼女が、その収録曲を中心に組み立てたプログラムを演奏しました。
長い黒髪が似合う肩と背中を出した黒いドレス(それにおそらく素足)で登場したアリス=紗良・オット。最初にマイクをとってやや低めの声音の日本語で語った内容は、
- NIGHTFALL:たそがれ、宵の口という意味。しかしこれだと演歌っぽくなるので、「逢魔が時」という言葉が好き。光の世界と闇の世界がぶつかり合う特別な時間。人間にもそうした二面性がある。
- 自分は今年30歳になったばかり。この10年間でいいことも壁に当たったこともあったが、10年前に比べて物事を立ち止まって考えるようになった。今年2月に父が心臓発作を起こしたときに、生と死の世界の近さを思った。
- 今日のプログラムは落ち着いた曲が多いので、リラックスして聞いてほしい。音楽を通して、光と闇の世界を味わっていただけたら。
といったものでした。
演奏された曲は、次の通り。
ドビュッシー | ベルガマスク組曲 ・前奏曲 ・メヌエット ・月の光 ・パスピエ |
ショパン | ノクターン ・第1番 ・第2番 ・第23番 バラード 第1番 |
(休憩) | |
ドビュッシー | 夢想 |
サティ | ・グノシエンヌ第1番 ・ジムノペディ第1番 ・グノシエンヌ第3番 |
ラヴェル | 夜のガスパール ・水の精(オンディーヌ) ・絞首台 ・スカルボ |
(アンコール) | |
ラヴェル | 亡き王女のためのパヴァーヌ |
まずは軽やかで潤いのある「ベルガマスク組曲」から。「前奏曲」の最初の一音からぐっと惹きつけられます。そのまま4曲を一気に弾ききっていったん袖に下がり、再び登場して演奏されたのは内省的な「ノクターン」。ところが、「ノクターン 第23番」の後半で慟哭のような感情の高まりを見せ、ついで演奏された「バラード」ではとりわけダイナミクスの変化が強く、最速部・最強音の迫力と技巧に圧倒されました。
後半はさらに夜闇が近づいた雰囲気の中で、ロマンティックな「夢想」、ミニマルな「グノシエンヌ」と「ジムノペディ」(musique d'ameublement - 「家具の音楽」を標榜したサティは、この大ホールでかしこまって聴かれることを嫌ったかもしれない)といった具合に、音符と音符の「間」を聴かせる曲が続きました。しかしこれも、すっかり日が落ちた後の不安に満ちた「夜のガスパール」で一変。第1曲「オンディーヌ」は、人間の男を愛してしまった水の精が拒絶され、傷つきながら水滴となって消えていく様子を緻密に上下行する音の動きの中に感情をこめて描くもの。第2曲「絞首台」では、変ロ音による鐘の音(アリス=紗良・オット自身はこれを死人の鼓動
と解釈)が鳴り続ける中、吊られた男が夕日に赤く染まる陰鬱な情景が不安をかきたてる和音の積み重ねによってステージ上に出現し、そして難曲中の難曲とされる第3曲「スカルボ」では、強烈なスピード感の中に複雑怪奇な両手の重なりを伴う超絶技巧を駆使してグロテスクな妖怪スカルボの暗躍を激しく描きます。この渾身の演奏に聴いているこちらは終始引き込まれていましたが、曲が最後の最弱音をもって不気味に締めくくられた後、しばらくの静止を解いて顔をあげたアリス=紗良・オットの表情もまた精根尽き果てた感じ、あるいは逢魔が時の「魔」に囚われて心が戻って来ていない様子にも見え、その目は潤んでいるようでした。
アンコールには予想通り・期待通りに「亡き王女のためのパヴァーヌ」が優しく演奏され、満場の喝采のうちにアリス=紗良・オットは舞台の袖へと下がってゆきました。
ピアノはスタインウェイ。ステージ上の照明を落とした上でピアノの周りに淡いオレンジ色の光をあて、そこにNIGHTFALLの世界を現出させる演出が見事です。照明を一層落とし気味にしたと思われる後半、鍵盤を照らしすブルーの蛍光が月明かりのようにも見えたのもすてきでした。