名取川 / 踊躍念仏 / 誓願寺

2020/11/06

国立能楽堂にて第15回山井綱雄之會。番組は狂言「名取川」、時宗 踊躍念仏ゆやくねんぶつ、そして能「誓願寺」です。

最初に山井綱雄師が舞台上に登場して挨拶と解説。狂言「名取川」に関しては、山井師の友で新型コロナウイルス感染症のために今春に若くして亡くなった善竹富太郎師への追悼の意を示すと共に、この日演じる父の善竹十郎師の気さくな人柄(普段の振舞いが狂言)が紹介されました。また能「誓願寺」はゆったりしたテンポで2時間かかる上に踊躍念仏が作った舞台上の空気を維持するため休憩なしで続くので覚悟するようにと予告した上で、能は癒しの芸能だから寝てもいいんですと観客を安心させました。

ついで、大津・長安寺の長澤昌幸師を舞台に招いて踊躍念仏の解説が行われました。そも踊躍念仏とは何かということについては、フライヤーの裏面に次の解説が掲載されています。

平安時代に空也上人が創始し、鎌倉時代に一遍上人が流布。念仏を唱えながら鉦や太鼓などを叩きながら踊る。時宗開祖・一遍上人は、「踊り念仏」とお札を配る賦算で全国を遊行し、民衆を極楽浄土へと導いた。踊り念仏は、「南無阿弥陀仏」を称えながら踊ることによって、全ての人が阿弥陀仏に救われ、その喜びのあまり自然に体が踊り出したことに由来。その後の能楽や歌舞伎にも大きな影響を与え、盆踊りの起源ともされる。

長澤昌幸師からはさらに、山井綱雄師との問答を通じて概略以下の説明がなされました(順不同)。

  • 踊躍念仏は声明が原形、これが芸能化して能・狂言にもつながる。もとは踏みしめるものだったが今は能にも通じる静かなすり足が用いられているのは、どこかの時代に芸能から逆輸入されたのではないか。
  • 本来は日中礼讃の後に行われるが、今日は誦経は省略。
  • 阿弥陀様の化身である導師を中心に九人で行われるが、時宗の僧侶なら誰でもできるわけではない。今日ここに来たのは精鋭部隊である。

名取川

解説に続いては狂言「名取川」です。今の宮城県に流れる名取川は古くから歌枕として知られる川で、また能では「名取の老女」も名取の里を舞台とする曲です。


笠をかぶり薄緑の水衣を来て登場した出家(善竹十郎師)が舞台上で名乗るところによれば、自分は遠国の法師で、このたび京都へ上り比叡山で受戒をした際に、大稚児からはこの歳になるまで名がないとは稀代なというので「きたい坊」、小稚児には掛けがえ(予備?)の名がほしいと言って「ふしょう坊」という名を得たが、自分は物覚えがよくないのでそれぞれ左の袖と右の袖に書き付けてもらって帰国するところ。

ところが、そうした説明をしたそばから「き、き……」「ふ、ふ……」と名前が思い出せず、早速袖の書きつけを見て思い出す始末。しかし国元に戻って名前を聞かれたときにいちいち袖を見るわけにもいくまいと、名前を覚えるために名前を復唱しながら歩きます。この復唱の場面が芸尽くしになっていて、最初は単に復唱しながら歩いていたものの、人に見られては怪しまれると重々しく勤行節に乗せて唱えてみてうまく唱えられたので会心の笑い。次に平家節で言ってみようと「そ〜も〜そ〜も〜きたい坊と申すはふしょう坊がことなり〜」と平知盛風。最後に踊り節で言ってみようと笠を扇で叩きながら軽やかに節をつけて踊り歌います。

徐々に踊りに勢いがついてきたところでぶつかったのが増水した大きな川。「えいえいやっとな、ちゃんぶり」と一歩目は浅そう、「えいえいやっとな、どんぶり」と二歩目で深くなり、三歩目でついに流されてしまいました。どうにか対岸に上がった出家は両袖を見て、大切な名を流したと仰天します。流された名を掬おう、とここから川尽くしの謡を謡いながら笠で水底を掬う仕草を繰り返し、ここも聞かせどころとなりますが、その出だしの詞章は流れは果てじ名取川、流れは果てじ名取川。底なる我を掬わん

後でわかるように出家はこの川の名前を知らないはずですが委細構わず名取川から始まり、さらに伊勢の御裳濯川、熊野の音無川ほかの様々な川の名を織り込んで謡いつつ掬い続けたものの、掬ってみれば雑魚ばかり。我が名はさらになかりけり。

そこへ土地の者らしい名取の某(善竹大二郎)が立ち上がって川を渡ろうとしたところ、出家が魚を掬っている様子に驚いて声を掛けました。もしや漁業権侵害?しかし魚を掬っているのではない、名を掬っていると説明して取り合わない出家を何某がさらに問い詰めると、出家は逆に何某に問い掛けました。「この川は何と申す」「名取川」「向こうの宿は?」「名取の宿」「あなたの名字は?」「名取の某です」。これを聞いて出家はこの男が「名を取った」のであろうと合点すると、一計を案じます。近頃はやるものは弓であると何某から聞き出した出家は、自分は腕の筋を見て射手になれるかどうかを見分ける方法を都で習ってきたと方便を使い、まずは弓手(左手)を見てこれをほめ、次に馬手(右手)を見るとみせて「がっきめ」とねじ伏せてしまいました。

驚く何某に出家は名を返せと思い切り締め上げましたが、何某が「稀代なことを言う御坊じゃ」と悲鳴を上げたので出家は「きたい坊」の名を思い出し、ついで掛け替えの名を返せと両手を絞る出家に何某が「不祥なところへ参りかかった」と身の不幸を嘆いたことで「ふしょう坊」の名前も取り戻します。最後は「二つの名をば取り返し……」とめでたく謡留めで終わりました。


筋書きそのものも面白いのですが、何より善竹十郎師のおおらかで品のある語り口による一人語りや芸尽くし・川尽くしの謡が楽しくて耳に心地よく、それだけで幸せな気持ちになれる30分間でした。

ここでいったん休憩が入り、その後に踊躍念仏〜誓願寺の長丁場となります。

踊躍念仏

揚幕から登場した僧侶九人は、白の法衣に黄色ないし緑の袈裟。始めはシテ柱と笛柱近くに御番頭と相番が座り、舞台中央の導師と正先で導師と向かい合う調声(長澤昌幸師言うところのリードヴォーカル)が立ち、残りの五人は橋掛リに控えるフォーメーションです。調声が高い澄んだ音色の鉦を鳴らしゆったりした独特の節回しで「南無阿弥陀仏」と唱えると、他の僧も「南無阿弥陀仏」と唱和し、そこに導師のやや低い割れた音色の鉦が重なりましたが、二つの鉦の音程が西洋音階にない不協和なものなのが一種新鮮でした。

その後も独唱と斉唱を繰り返しつつフォーメーションを変え、その中で僧が導師に近づく場面では傾き気味に俯いた姿勢でのすり足の移動が見られました。しかしそのステップは一様ではなく、足拍子を踏む場面もあり、さらに念仏のリズムやテンポが変わったり節回しが変わったり念仏から和讃に移ったりと、全体の構成は意外に複雑です。にもかかわらず僧たちの念仏は一糸乱れず、さすがは精鋭部隊。そして始めは違和感を持って聞こえていた鉦の音が徐々に耳に馴染んでくると身も心も念仏の中に吸い込まれるような心地になり、中世の民衆の熱狂の一端を味わうことができました。

最後は全員が鏡板の松に向かい坐しての祈りとなり、導師の「南無阿弥陀仏」で締めくくられました。そして導師以下の僧侶たちが退場するとややあって囃子方のお調べが入り、そして囃子方と地謡が舞台上に現れました。

誓願寺

能「誓願寺」は世阿弥作の蔓物、季節は旧三月、場所は京都。次第の囃子と共に登場した高僧の出立のワキ・一遍上人(殿田謙吉師)と従僧二人による次第は教えの道も一声の、御法を四方に広めん。三熊野に参籠して神託を得たので「四句の文」を諸国に弘めるため都に上るところであると名乗り、道行・着ゼリフとなります。

一遍の賦算(念仏札の配布)を求めて誓願寺に集まり来る貴賎群集の様子がワキによって語られるところへ幕が上がり、前シテ・里の女(山井綱雄師)が紅白段文様の唐織着流出立にて登場。一遍一行が脇座に移ったところで一ノ松からしっとりと謡い始めました。鐘の音、称名の声、雑踏の響き、松風の音……誓願寺の賑やかな境内の情景描写の中にも弥陀頼む心は一声と自らも御札を得ようとするシテの信心の深さが伝わってきます。

しずしずと舞台に進み、ワキの手ずから御札をもらったシテが正中に下居して言うには「御札を見ると『南無阿弥陀仏 六十万人決定往生』と書かれているが、六十万人より外は往生できないのでしょうか?」。これに答えてのシテの説明は「『六十万人』とは神託の四句の文の上の字をとったもの。その四句の文とは『字名号一遍法 界依正一遍体 行離念一遍證 中上々妙好華』(南無阿弥陀仏と唱えることの尊さを示す頌)であり、阿弥陀の光明は十方を遍く照らすのであって、六十万人と人数を限るものではない」。

このワキの説明を聞いたシテはさては嬉しや心得たりと得心の面持ちで、さらにシテ・ワキ・地謡が謡を連ね重ねて南無阿弥陀仏と唱えることの有難さをしみじみと謡います。そうこうするうちに日が傾き夜念仏の時間となりましたが、ここでも念仏により救済を受けられることの喜びをありがたやと謡う詞章が繰り返され、踊躍念仏が舞台上にもたらした宗教的な雰囲気が味わい深く増幅されて法悦の境地となり見所に広がってゆくよう。

すると、ワキを拝んだシテはいかに上人に申すべき事の候。ここから舞台上の空気が変わります。「誓願寺」の額をのけて一遍上人が書いた六字名号に替えるようにというシテの提案にワキは思いもよらぬことと驚きましたがい〜や〜これも御本尊の御告にて候ものをと厳かに宣言したシテは、自分の栖は和泉式部の墓と言われるあの石塔であると正体を明らかにして石塔の石の火の、光と共に失せにけり

所の者(善竹大二郎師)による間語リは、あたりに住む面々の夢に額を掛け替えるようにとのお告げがあったことの一人語りと、ワキの問いに答えて御本尊の由来と和泉式部が歌道から仏道へ傾倒し当寺にて往生したことの説明。そこでワキが仔細を説明すると、さては和泉式部が御本尊の使いとして現れたのであろうから六字名号を額にすべきであろうと意見を述べたアイは、ワキの求めに応じてこの旨を朗々と触れて回りました。

御本尊の御告の通りに額を掛け替えると、不思議なことに香りの中に花が降り下り妙なる音楽が聞こえてきます。鐘打ち鳴らしで太鼓が入り、南無阿弥陀仏弥陀如来と一心に祈りを捧げたワキが脇座に下居すると共に、一声の囃子を聞きながら登場した後シテ・和泉式部の霊の姿は頭上に蓮花をかざした天冠、紫地に金の萩・菊丸文様の舞衣、緋大口。一ノ松であら有難の額の名号やなと謡う声も高らかです。仏果を得て極楽に歌舞の菩薩と変じたシテが堂内の灯明を極楽世界に見立て、誓願寺の御本尊を讃えるクリ・サシに続き、ひたぶるに阿弥陀如来の救済を願う衆生が目指す浄土こそこの誓願寺であると謡う地謡を聞きながらのクセ舞の中でシテが正先の際まで出てきたときには、その神々しさに圧倒されそうになりました。引き続いて序之舞になると、舞台上の空気がすべてシテ一人に収斂してシテの姿が大きくなったように見えるマジックが起こり、目が釘付け。どこまでもゆったりした序之舞なのに見ている側も緩むいとまなどなく「寝てもいい」なんてとんでもない。今ここで観ているのは国立能楽堂ではなく、誓願寺の舞台での奉納の舞なのではないかと錯覚するほどです。

最後の場面は、人々が去って喧騒が消えた誓願寺。一人静かに名号を唱えるシテの周囲に音楽の声と共に異香薫じ花降り、来臨してきた菩薩たちが六字の額を一同に拝するという奇瑞がしめやかに謡われて、シテは常座で留拍子を踏みました。


誓願寺のウェブサイトの記述によれば、同寺では清少納言と和泉式部が共に往生を遂げているそうです。特に和泉式部については、娘(小式部内侍のことか?)を亡くした苦しみから救われたいとの願いが和泉式部を誓願寺に結びつけたとされていますが、能「誓願寺」の前場には、この話も含めて前シテが化けて出る動機(執心)となりそうなエピソードは見当たりませんし、さらに言えば紫式部もその歌才を認め(ると同時にその奔放な素行を批判し)た情熱の歌人・和泉式部の歌が一首も引用されていないのも何やらもったいない話です。

この能「誓願寺」は、和泉式部を和泉式部たらしめているそうした生前のエピソードを詞章からは捨象し、ひたむきに信仰の力にすがって往生を遂げることを願う女人として和泉式部を描いていますが、この曲が書かれた頃の教養ある鑑賞者にとっては、和泉式部というだけで「あの多情な」とただちに艶めいた逸話の数々が想起されたはず。中世においては和泉式部を遊女とみなした上で女人救済のモデルとする説話群が見られたそうなので、本曲もこの文脈の上に位置付けられるのかもしれません。もっとも、今回舞台を観た限りでは女人救済よりもシンプルに寺の縁起と念仏の称揚に力点を置いているように思えましたし、その方が素直な見方かもしれません。

かくして一遍手蹟の六字名号の力を借りて和泉式部が歌舞の菩薩となりめでたしめでたしと終わる「誓願寺」に対し、同じ世阿弥(金春禅竹とも)の作品である「東北」では、和歌の徳によって歌舞の菩薩となることを得た和泉式部はそれでもなお昔の日々を恋しく思い袖を濡らす、いわば生身の存在として描かれているそう。能「東北」は未見ですので、このたび「誓願寺」を観る機会を得たことを機縁として、そちらの方も早い機会に観てみたいものです。

配役

狂言「名取川」 シテ・出家 善竹十郎
アド・何某 善竹大二郎
踊躍念仏 導師 超関寺 神田普照
御番頭 長善寺 大朏心山
相番 長安寺 長澤昌幸
調声 来迎寺 林陽善
一番 應願寺 高木灌照
二番 現聲寺 桑原聡善
助一 西念寺 柴山拓也
助二 遊行寺 石田晃音
助三 泰徳寺 木本仁
能「誓願寺」 前シテ・里の女
後シテ・和泉式部の霊
山井綱雄
ワキ・一遍上人 殿田謙吉
ワキツレ・僧侶 大日方寛
ワキツレ・僧侶 則久英志
アイ・所の者 善竹大二郎
竹市学
小鼓 田邊恭資
大鼓 安福光雄
太鼓 林雄一郎
主後見 金春憲和
地頭 金春安明

あらすじ

名取川

比叡山で受戒をした遠国の僧は「きたい坊」「ふしょう坊」という二つの名をつけてもらうが、物覚えが悪いのでそれぞれ両袖に書き付けて帰途につく。道中、この名を平家節や踊り節などの節にのせて口ずさみながら行くうち、大河に行き当たる。歩いて渡ろうとするが、深みにはまってずぶぬれになり、袖に書いた名前が消えてしまう。流れたわが名をすくおうと川尽しで謡いながら笠ですくっているところへ、在所の者が通りかかる。川の名は名取川、男の名は名取の何某と聞き、名前をとられたと思った僧は、名を返せと詰め寄る。困惑した男が希代なことをいう人じゃというのできたい坊を、不祥な所へ来かかったというのでふしょう坊を僧は思い出し、喜び謡う。

誓願寺

一遍上人が「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」の札を人々に配る。上人は「南無阿弥陀仏と唱えれば遍く一切が往生できる」と説く。すると芳香漂い花が降り、歌舞の菩薩となった和泉式部が現れ、誓願寺の縁起を語る。そして、念仏の功徳と一遍上人を称える舞を舞い、現れた二十五菩薩と共に一遍自筆の額に合掌礼拝する。