月見座頭 / 道成寺

2020/07/31

四日前に続いてこの日も国立能楽堂で「能楽公演2020」。一連の公演の中で私がどうしても観たかったのは初日の「翁」とこの日の「道成寺」です。

例年になく長引いた梅雨もそろそろ明ける気配。この日の国立能楽堂の上には青空が顔を覗かせました。

野村四郎師による舞囃子。醍醐帝による延喜の治世、神泉苑の池のほとりに佇む鷺が治まる御代を讃えて舞を舞うというめでたい曲のうち猶々君の御恵から鷺の舞を経て最後の心嬉しく飛びあがりて、行くへも知らずぞなりにけるまでが舞われました。ゆったりした舞の中に片足を上げてから音静かに足を下ろす型が出てきて鷺らしい軽やかさが表現されていましたが、野村四郎氏の表情は思い詰めた様な、あるいは今にも泣き出しそうにすら見える切迫感に満ちたもの。舞を終えてからのキリの地謡のクレッシェンドも力強く、最後はシテが扇を前に掲げ飛び去るさまを示して終曲となりました。

月見座頭

五年前に大藏彌太郎師の座頭、大藏吉次郎師の上京の者の組合せで観た、狂言らしからぬ(?)不条理で寂しい味わいの曲。今回は山本東次郎師が座頭、山本則俊師が上京の者です。

筋書きは五年前の記事に詳しく記したのでここで繰り返すことはしませんが、黒づくめに近い出立の東次郎師の座頭が鳴くわ鳴くわと虫たちの声に耳を傾ける場面は、そのまま座頭の心の美しさを示しているよう。そこへやってくる則俊師の上京の男も最初は善良そのもので、腰に下げた銀色の瓢箪から酒を注いで座頭に飲ませては二人で謡ったり舞を披露したりして気持ちよく盛り上がっていきます。

それだけに、橋掛リを下がっていく中で一ノ松を通る時点では座頭と月見ができてうれしやと喜んでいた上京の者が二ノ松を過ぎたところで「いまひとしおの慰みに」座頭に喧嘩を仕掛けてみようと舞台へ戻っていく、その心の変化についていけなくなります。

突き飛ばされて舞台に突っ伏した座頭を尻目に上京の者が足早に去っていった後、引き回されて方角を失った座頭はどうにか杖を拾い上げ、杖を頼りに下京へと戻ろうと語りながらも一人我のみ泣きにけりと謡ってシオルと、咽ぶがごときくさめを二度。杖を突き突き静かに去っていきました。

座頭は最初に気持ちよく酒を酌み交わした上京の男と後から現れて自分を酷い目に合わせた男とが同一人物だとはわかっていませんが、見所の我々はもちろんこれが上京の男の心変わりであることを知っています。しかしそのことを愚かだと嗤うことは、どうやらできそうにありません。「二人」が同一人物とは思わず上京の男との良い思い出を残すことができたことが座頭にとっての救いであり、思わぬ災難をもくさめの中に諦めることができた理由だったとしたら、むしろ我々の方に救いがないことになりそう。東次郎師のしみじみと味わい深い座頭の後ろ姿を見送りながら、この曲が投げ掛ける問いにまたしても心穏やかならざるものを覚えることになりました。

道成寺

金剛流の「道成寺」は10年前、今日シテを勤める金剛龍謹師の披キとして観たところですが、今回は小書《古式》付きとなっています。Wikipediaの教えるところによれば《古式》は次のような演出になるそう。

古式 前シテの面が曲見から孫次郎になり、装束も無紅唐織から紅入唐織となる。烏帽子は前折、〔乱拍子〕が八段から六段に変わる。後シテは不動頭を被る。

つまりシテは若々しくなり、プログラムの表現を借りればより鮮烈な演出ということになります。

今回はワキの登場前に鐘が吊り下げられるパターン。狂言後見二人は手際良く鐘の吊り紐を滑車に通して鐘後見に渡します。鐘が所定の高さに吊り下げられたところで鐘後見はいったん切戸口から下り、ついで〔名ノリ笛〕と共にワキ/住僧(宝生欣哉師)が一人で登場。能力(山本泰太郎師)による女人禁制の触れによって舞台上と見所とが一体と化したところでいよいよシテの登場となりました。

〔習ノ次第〕に乗って幕の内からまるで浮いてくるかのようにすっと前に出てきた前シテ/白拍子(金剛龍謹師)の出立は、菱形の文様を連ねた紅入唐織を壺折にし、黒地に縦に金の波紋が入った中に丸紋を配した縫箔腰巻。舞台に進んでの〈次第〉作りし罪も消えぬべき、鐘のお供養拝まんの声色の深さと芯の通った強さは能楽堂の隅々にまで詞章を届かせます。

能力とのやりとりの後、物着により黒い烏帽子を戴いたシテは後見座で足拍子を響かせてからゆっくり橋掛リを下がり、二ノ松で振り返ると音圧を急激に高めた大鼓に呼応して数歩勾欄に寄って鐘を見やってから一気に舞台へ。このとき、鐘もずずっと音を立ててわずかに引き下ろされています。

〈次第〉花の外には松ばかり、暮れ初めて鐘や響くらんから小鼓との一騎討ちとなる〔乱拍子〕は、前回の小鼓は幸流の曽和尚靖師だったので掛け声が短く間合いが長いタイプだったのに対し、今回の小鼓は幸清流の幸正昭師なので掛け声を長く引くタイプ。また、以前観たときは目付柱近くで左回りに角度を変えながら回りつつ次々に様式的な動きが繰り返されましたが、今回も位置が変わらない点は前回と同じであるものの、最初に正面、ついで鐘方向を向き、その後ぐるりと回って再び正面に向かって後はずっと正面を向いたままでした。そしてこの間にも鐘は高さを下げ、白拍子の目線からすると鐘が近づいてくる形となります。

ついに〔急ノ舞〕となり、シテはひとしきり激しく舞台上を駆け巡った後に扇を掲げ鐘の内側に差し入れてその距離を確かめると、扇を用いて烏帽子を自分の後方(目付柱の方向)へ跳ね飛ばしてからすっと鐘の真下に滑り込み、一瞬の跳躍。その刹那に鐘が落ちて見事な鐘入りとなりました。五年前に観たときはこの鐘入りでアクシデントがあったので心配していたのですが、入り方の違いもあってか、それは杞憂に終わったようです。

最初の能力と〔急ノ舞〕が始まると同時に狂言座に入っていたもう一人の能力(山本則孝師)の二人による切羽詰まった、しかしコミカルなやりとりの後にワキへの報告がなされ、助かりや助かりやと去っていった能力と入れ替わりにワキツレ/従僧二人が登場。道成寺の鐘の由来にまつわるワキの語リを経て三人が数珠を構え鐘に迫ると、一度かすかに浮き上がった鐘はいったん下ろされ、ついで中から激しい鈸の音が鳴り響いたところで鐘が引き上げられました。中から出てきた後シテ/蛇体の頭髪は赤ではなく金色。同系色をした般若様の面を掛け、着付は明暗の金色の鱗文様の摺箔、そして縫箔の上に唐織を腰の周りで巻いています。

座ったまま三人の僧を見上げたシテはゆっくり立ち上がりながら唐織をほどいて背中側に大きく広げて周囲を威嚇し、ついで胸に巻いて打杖を手に目付柱に向かいました。ここから三人の僧との対峙となり、一度は橋掛リの果てまで押し込まれたもののそこから一気の反撃。ものすごい速度で後ろずさるワキを舞台に押し込んだ後、シテ柱に背中で絡みつくようにして橋掛リ側へ移る際に唐織を勾欄上に脱ぎ落としたシテは、再び舞台正面に戻ってワキ・ワキツレたちに挑みます。打杖を構えて奮戦を続けたシテはしかし、祈りの力の前についに力を失い、激しく膝を突いて安座、断末魔の足拍子、飛返リ、膝行。最後に縫箔の裾が割れかけてはっとしましたが、構わず橋掛リを走ったシテが揚幕の中へ飛び込み、ワキが常座で留拍子を踏みました。

地謡五人一列という制約の中で音圧の不足は否めない「道成寺」でしたが、金剛龍謹師の謡・舞・立回りはいずれも寸分の隙もないもの。それだけに、この制約の多いタイミングで龍謹師の「道成寺」を観ることになったのはもったいなかったようにも思います。と言っても龍謹師はまだまだお若いので、これからも「道成寺」を勤められる機会はあるはず。次は京都の金剛能楽堂で、フルセットでの「道成寺」を拝見したいものです。

なお、附祝言は供ふる所も愛宕の郡。捧ぐる供御も日の本の君に。御調物こそめでたけれと謡う「氷室」。ちょっと珍しいような?しかしこの供御の氷が、日本中のウイルスに対する鎮めとなってくれないものかと期待しないわけにはいきませんでした。

配役

舞囃子観世流 シテ 野村四郎
一噌庸二
小鼓 幸清次郎
大鼓 亀井忠雄
太鼓 三島元太郎
地頭 坂井音重
狂言大蔵流 月見座頭 シテ/座頭 山本東次郎
アド/上京の者 山本則俊
金剛流 道成寺
古式
前シテ/白拍子 金剛龍謹
後シテ/蛇体
ワキ/住僧 宝生欣哉
ワキツレ/従僧 野口能弘
ワキツレ/従僧 則久英志
アイ/能力 山本泰太郎
アイ/能力 山本則孝
杉信太朗
小鼓 幸正昭
大鼓 山本哲也
太鼓 前川光長
主後見 松野恭憲
地頭 今井清隆
主鐘後見 金剛永謹

あらすじ

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道成寺

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