塾長の鑑賞記録

蟹山伏 / 仏原

2021/10/06

国立能楽堂の定例公演で、狂言「蟹山伏」と能「仏原ほとけのはら」。ふだん水曜日の午後一番からスタートというこの時間帯の公演を観ることはしないのですが、フライヤーの説明によれば「仏原」は上演機会が少ない稀曲ということなので、この日の午後は仕事を休んでそそくさと国立能楽堂に足を運びました。

蟹山伏

「蟹山伏」は2011年に和泉流・三宅右近師のシテで観たことがありますが、大蔵流のこの日の舞台も筋書はほぼ同じです。細かいところで気付いた違いは、次第の囃子があり後見が地取を行ったこと、蟹の精がかに道楽のかに看板のように爪を左右にゆらゆらさせることはなかった点と、山伏の呪文が山伏の出立の説明(「安宅」の〈問答之習〉のパロディ?)だった点。そして、偉ぶっている山伏の祈りに全然効験がないことを笑い飛ばすこの曲に山本則俊師のあの一貫した仏頂面が見事にマッチして、おかしみが倍増していました。

仏原

『平家物語』巻第一「祇王」に題材をとった曲。奥嵯峨の祇王寺に行ったことがある人なら『平家物語』を読んでいなくても祇王と仏御前の話は知っていることでしょう。祇王は平清盛の寵愛を受けていた白拍子でしたが、加賀から都にやってきた仏が祇王の口添えで清盛の前で今様・舞を見せたところ、清盛の心は仏に移ってしまいます。清盛に与えられていた屋敷を出て引きこもっていた祇王は一度は清盛の召しに応じたものの、その後、妹の祇女、母の刀自と共に髪を下ろして嵯峨の奥に庵を結んだところしばらくして、祇王への申し訳なさを抱え、またいずれ自分の身の上も同じと無常を感じていた仏御前が庵の戸を叩き、以後は四人で朝夕に祈る日々を過ごしそれぞれに往生の素懐を遂げたという話で、その末尾をあはれなりし事どもなりと結んで清盛の驕慢の例示とし、栄枯盛衰の縮図のようでもある挿話になっています。


重厚な大小と流麗な笛が織りなす次第の囃子と共に登場したワキ・旅僧(福王知登師。詞章にはワキツレを伴うように書かれていますが、番組では最初からワキのみとなっています)は常座で鏡板の老松を向いて次第余所は梢の秋深き、雪の白山尋ねん

都から旅立った僧は白山禅定をしようと晩秋の北陸路を辿って加賀国仏の原に着き、そこにある草堂で一夜を過ごそうとしたときにいつの間にか上がっていた幕の内の前シテ・里の女(片山九郎右衛門師)が遠く声を掛けてきました。その出立は紅無(青緑の草文様と白地に茶縞の段替り)唐織を着流しにし、増女面を掛けて純白の花帽子をかぶり右手には数珠を持っていますから出家している姿です。道もなく里もないこんなところになぜ女性が、と訝しむワキの問いに答えてシテは自分を仏の原に住む女だと説明し、ニノ松へと進みながら今日は思ふ日に当たるので御経を読んで下さいませと頼みます。この願いを快諾したワキが誰を供養するのかと尋ねると、舞台に進んだシテは仏御前の名を出して、この草堂こそ故郷に帰った仏御前の臨終の地であると語りました。

仏の原にすだく虫の音を聞きながら、なお仏御前のことを詳しく語ってほしいと求めるワキに応えてシテは正中に下居し、以下クリ・サシ・クセを通じて上記の祇王にまつわる話が物語られますが、祇王が寵を失った後を語るクセになるとこの場にはいない祇王の一人称のようになります。思えばひと時の花の盛りがいずれ散るのも浮世の定め、弥陀の教えにすがろうと嵯峨の奥に隠れ住んだところ思いがけず出家姿の仏御前の訪いを受けたことで世を捨ててはいてもなお残っていた怨みの執心が解かれ、仏御前こそ真の仏であると(ここで一人称を離れて)祇王は手を合わせて感涙を流したと語られました。このクセを謡う地謡ははじめじんわりと無常感を漂わせていましたが、仏御前の来訪のくだりからトーンが上がり今こそ真の仏というところで最高潮を迎えて、舞台上ではシテが時折向きを変えるだけの居クセにも関わらず劇的な効果を感じました。

このクセが終わるとワキの台詞は地謡に預けられ、御身はいかなる人かとの問いに対しシテは草堂の主=仏であるとほのめかして草堂の内に消えていきます。蕭条たる笛に送られてシテが下がった後に立ったアイ・里人(山本泰太郎師)は白拍子たちのことを語り仏御前の霊を回向するように勧め、これを受けてワキがしみじみと弔いを始めると一声の囃子。あら有難の御経やなと登場した後シテ・仏御前の姿は金色の立烏帽子に白地の長絹、薄桃色の大口で、素晴らしく美しくかつ上品な舞人の姿です。

明け方が近く遠くから鐘の音もかすかに響いてくるが夢ばし覚まし給ふなよと釘をさしたシテは、極楽世界の妙なる舞をお見せしようと述べて、ここから序之舞。はじめのうちはとりわけゆったりと玄妙な雰囲気を漂わせて舞っていたシテは、やがて拍子を踏み袖を被きと徐々にその動きを大きなものにしてゆき、ついに正先に出てその輝くばかりの美しさを示した後には両袖を巻いて流れるように舞台上を巡りほぼ満員の見所を魅了しました。

舞い納めたシテは地謡との掛合いで、前仏(釈迦)と後仏の間にある現世をこの夜の夢のように儚いものとたとえ、一歩挙げざる前さきをこそ、仏の舞とは言ふべけれ、すなわち舞い始める(ここでシテは左足を高く上げる型を見せる)前の状態が仏の境地であると達観した言葉を残し謡ひ捨てて失せにけりと常座で静かに終曲を迎えました。


初めて観たこの曲、死者の霊(シテ)が旅僧(ワキ)の前に現れて世の無常を語るという複式夢幻能では定型のパターンながら、執心を抱えたシテがワキに供養を求めるのではなく、舞台には登場しない祇王が仏門に入った後に仏御前が後を追ってくれたことで怨みの心から解放され、往生の導き手として仏御前に感謝するさまが当の仏御前の口を通して語られるという構成がユニークだと思いました。祇王の気持ちはわかりますが、それなら貴女(仏御前)は何のためにわざわざ旅僧の前に姿を現したのか?とシテに問いたくなるところ、詞章を読み返すと冒頭のワキとの対話の中でさなきだに五障三従のこの身なれば、迷ひの雲も晴れ難き、心の水の、濁りを澄まして、涼しき道に引導し給へと求めるシテの言葉からは仏御前自身にも救済を求める心があったことが窺われます。かと言ってワキの弔いがシテの何かを変えたというわけでもなさそうですし、さらにアイの語りによれば仏御前は祇王の歌もえ出るも枯るるもおなじ野辺の草 いづれか秋にあはではつべきに感じ入って髪を下ろすことを決意したということでしたから、むしろ仏御前を仏の道に導いたのは祇王であるとも考えられそう。詞章をしっかり読み込めていないので自分の中ではあやふやですが、この曲を理屈で理解しようとするのは簡単ではなさそうです。

なお『平家物語』には仏御前は加賀に戻ったという記述はありませんが、本曲では仏の原を仏御前往生の地として前場に旅情と寂寥の雰囲気を漂わせることで、後場の白拍子の舞の美しさを一層際立たせていました。この序之舞を堪能できたので、今日のところはこれで十分かな。また、同じ題材を扱った曲に現在能の形式で仏御前をシテ、祇王をツレとし二人の合舞を見せる「祇王」があるとのことですので、これもいつか観てみたいものです。

配役

狂言大蔵流 「蟹山伏」 シテ・山伏 山本則俊
アド・強力 若松隆
アド・蟹の精 山本凛太郎
竹市学
小鼓 幸正昭
大鼓 亀井広忠
観世流 「仏原」 前シテ・里の女
後シテ・仏御前
片山九郎右衛門
ワキ・旅僧 福王知登
アイ・里人 山本泰太郎
竹市学
小鼓 幸正昭
大鼓 亀井広忠
主後見 観世銕之丞
地頭 浅井文義

あらすじ

蟹山伏

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仏原

僧侶の一行が加賀国仏原を訪れると、一人の女が声をかけ、いにしえ平清盛に愛されつつも結局は仏の道へと入っていった仏御前という女芸能者の霊を弔ってくれと頼み、草堂の内へと姿を消す。夜、僧たちが弔っていると仏御前の霊が在りし日の姿で現れ、弔いに感謝し舞を舞う。