野宮
2022/09/02
セルリアンタワー能楽堂で渋谷能「野宮ののみや」。今回の一連の渋谷能のテーマは『源氏物語』で、8月3日に上演された第一夜「夕顔」(金春流・中村昌弘氏)はあいにく渡欧中だったために見逃し、今日の「野宮」は第二夜となります。
現行の謡曲の中で『源氏物語』に題材をとった曲は11曲(五流すべてにある曲はわずか5曲)、そのうち「野宮」は「葵上」と共に六条御息所を主人公とする曲ですが、典拠となっているのは「賢木」の冒頭に描かれた、嵯峨野の野宮を舞台とする御息所と光源氏との最後の逢瀬の場面です。
嵯峨野の野宮神社には2010年に訪れたことがあります。そのときにこの「野宮」のことを知り、いつか観てみたいと思ってから12年間。この間に「野宮」だと思って能楽堂に足を運んだら「野守」だったという珍事もありましたが、今回こそは間違いなく「野宮」です。野宮とは天皇に代わって伊勢神宮に奉仕する斎宮となる皇女が、伊勢に行く前に潔斎のために籠る場で、斎宮の制度自体は南北朝時代に絶えてしまったそうですが、この野宮神社もその旧跡のひとつとして往時を偲ぶよすがとされていたそうです。写真に映っているとおり、樹皮を剥がさないままの黒木の鳥居と小柴垣が特徴的で、これらは「野宮」の中でも作リ物として登場します[1]。
野宮
後見の手によって正先に作リ物の鳥居が据えられ、その左右に張り出すように小柴垣が立てられた後、物寂しい笛に導かれてワキ/旅僧(宝生欣哉師)が登場。常座で名乗ったワキは、中央に出て黒木の鳥居を眺め黒木の鳥居小柴垣、昔に変はらぬ有様なり
と慨嘆しつつ着座して合掌の後、脇座に移って着座したところで〔次第〕の囃子が始まります。ややあって登場したシテ/六条御息所(鵜澤光師)の出立は、紅浅葱段に秋花文様の唐織着流、面は増(洞水作・銕之丞家所蔵にしてあの観世寿夫氏も使用した名品とのこと)、右手に扇、左手に榊を持っています。
じっくりと謡われる〈次第〉花に慣れ来し野の宮の、秋より後はいかならん
は、季節の移ろいを示すと共に「花」に光源氏の寵愛を、「秋」に「飽き」の意を含ませて、光源氏に捨てられた御息所の身の上を暗示する表現。この後に晩秋の野宮の情景の寂しさが繰り返し強調されますが、それは同時に御息所の淋しさであり、短い期間ではあったものの光源氏の愛を得て身も心も満ち足りていた日々に対する御息所の思い入れの深さの裏返しのように思われます。
ともあれ、さまざまな花がしおれていく様子に衰えゆく自分を重ね合わせたシテは、毎年この日(長月七日)の来るたびにこの旧跡に甲斐なくも立ち戻ってしまう自分の執心を嘆きます。この間、たとえば昔の跡に立ち返り
でかすかに足を前後させたり行き帰るこそ恨みなれ
でわずかに脇正方向に向きを変えたりと繊細な型が織り込まれ、シテの心象風景がしみじみと伝わってきました。
ここでワキが着座のまま穏やかな表情でシテに呼び掛けたのに対し、シテは初めはワキに疾く疾く帰り給へ
と御息所らしい容赦のない物言いでしたが、ワキが僧であると知って態度を改め、光源氏がかつてこの場所に長月七日、すなわち今日訪れたこと、そのとき手にした榊の枝を社の垣の内に挿したので御息所が神垣はしるしの杉もなきものを いかにまがへて折れる榊ぞ
と歌った故事を説明しました。さらに荒れ果てた野宮の情景描写を地謡に委ねたシテは、鳥居の前に進んで膝を突くとそっと榊を置き[2]、正中でワキと向かい合った後に常座へ戻りましたが、この間にも小柴垣を見回し、鳥居の内を見込み、火焚き屋の光を目付柱の方角へ遠く見やりつつ自分の内心の思いを見つめたりと、詞章に寄り添う行き届いた型が重ねられます。
この昔語りに引き込まれたワキが重ねて御息所のことを詳しく物語るよう求めて、ここから〈クリ・サシ・クセ〉[3]。中央に着座したシテと共に地謡は、御息所の身の上と光源氏との交わり、そして花も衰え虫の声も涸れて寂しい秋の野宮での再会と別れへと懐旧の情を滲ませてじっくりと謡いましたが、その後、桂川での祓の際に白い幣をつけて流された榊に浮草のような我が身をなぞらえた御息所が伊勢へ向かう旅路の途中で鈴鹿川八十瀬の波に濡れ濡れず 伊勢まで誰か思ひおこせむ
という歌(詞章では誰か思はん
)を送るくだりに向けて地謡の音量が上がり続け、彼方から光源氏に歌の心を届かせようとする御息所の心情のようなものをそこに感じました。
かくしてシテは自分が御息所の霊であることを明かし、常座に移ると黒木の鳥居の二柱に、立ち隠れて失せにけり
で前に少し出てから数歩下がって、物寂しい笛に送られての中入。鳥居の足元に残された木の葉を後見の観世淳夫師が下げてからのアイ/所の者(深田博治師)による間語リは、野宮の由来、秋好中宮(御息所と前坊との間の娘)の野宮での潔斎、光源氏の訪問と御息所との別れ、桂川での御祓と伊勢下向までを、前場での寂寥とした空気を大事にするように淡々と語るもの。
御息所の霊を弔うワキの謡に続いて〔一声〕の囃子となりますが、大小のリズムが意外に強く、かつ長く打たれていることに常とは異なるものを感じていたら、終演後のアフタートークの中で成田達志師からここで打たれた〔一声〕が葛越かずらこしという珍しいものであり、秋の情景と御息所の心象の寂しさを表す目的で鵜澤光師がリクエストしたのではないかという解説がありました。やがて登場したシテの出立は、紫地に金で秋草を入れた籠と群れ飛ぶ蝶の文様が入った長絹と落ち着いた色合いの緋大口。常座に進んだシテは野の宮の秋の千種の花車 われも昔に巡り来にけり
と謡い、この後のワキの台詞でも明らかなように詞章の上では網代車(牛車の一種)に乗っていることになっていて、小書《車之伝》がつくと常座に車の作リ物が置かれシテはその内へ入って謡い出すそうですが、この日の演出では車なし。ともあれワキの問い掛けにシテは賀茂の祭りでの車争いを思い出して語り始めましたが、シテの謡の高い音程が激情をほの見せ、さらに葵上の僕たちが御息所の車をどかそうと迫る場面ではわなわなと身じろぎ、力任せに押しやられる動きを写実的に示して自分の無力を嘆きつつシオリ。ここで一転、地謡がテンポを落としシテは舞台を巡って大小前で小さく回転しつつ輪廻の境涯から抜け出せないさまを示すと、ワキに向かい合掌して妄執を晴らし給へや
と祈りました。
ところが、シテは続けて昔を思ふ花の袖
と謡い、地謡の月にと返す気色かな
を聞いてから〔序之舞〕を舞い始めました。妄執を晴らしてほしいと願いながら、次の瞬間には懐旧の気持ちになって舞う御息所の心境とはいかなるものなのか?開演前の解説の中で、金子直樹先生はこの曲の〔序之舞〕がどういう気持ちを膨らませて舞っているのかがわかりにくいという話をされていましたが、8月26日に開催された事前講座の中で鵜澤光師は「月の光に光源氏を思い出し、つらい気持ちで舞っている[4]」と語っていました。現に、小柄な鵜澤光師の舞のたゆたうような動きや、繊細な扇遣い、控えめな足拍子、さらには静止したその姿からも、大きな情感が見所へと溢れ出してくるように感じました。舞台上の鳥居も御息所の霊を黙って見守っているような存在感を示していましたが、シテが右袖を被いてその影の中にほの白く面が浮かび上がった瞬間、そこに生身の御息所が息づいているように感じてはっとさせられました。
〔序之舞〕の後には夜の野宮の寂しくも懐かしい描写が続き、舞の中で扇で露を払ったり招キ扇で風の茫々と吹くさまを見せたり、さらには鳥居の内を見つめてからすっと下がってシオリとなる印象的な型が続き、この最後の型を示しながら野の宮の夜すがら、懐かしや
と再び懐旧の情にとらわれたところから、短いながらも高く掲げた扇に高揚した気持ちを乗せて舞台を巡る〔破之舞〕が舞われた後、キリの地謡を聞きながらシテは鳥居に近寄って左手で柱を握り伊勢の内外の鳥居に、出で入る姿は
という詞章に合わせて右足を差し出し、そっと戻すという型を見せました。当日配布されたプログラムに掲載された高橋悠介先生の解説の中で光源氏への思いとの葛藤を経て伊勢行きを決めた御息所の心の内を象徴するような場面
と説明された見どころ[5]です。そして扇を高く掲げて正中で足拍子を踏む型で車に戻った様を示したシテは、常座で左袖を返しそのまま足拍子なく終曲を迎えましたが、その最後の詞章は火宅の門をや、出でぬらん、火宅の門
。流儀や演出によって「火宅」で終えたり「火宅の門を」としたりするそうですが、いずれも「迷いの世界の門を出て成仏したのだろうか?」と疑問文で終える不思議な終曲です[6]。
すべてを終えて橋掛リを下がっていくシテの姿を目で追いながら、シテの鵜澤光師は揚幕をくぐって鏡ノ間に戻ればそこで御息所から離れて一人の能楽師に戻れるのに対し、御息所の霊はきっと長月七日の逢瀬を忘れることができず……というより忘れたくない気持ちを抱え続けたままで冥界に戻り、そして次の長月七日には再び野宮に戻ってくるのではないだろうかと感じていました。
終演後のアフタートークは、例によって成田達志師と友枝雄人師がまず登場。友枝雄人師の「彼女(鵜澤光師)が空間(舞台・見所)を完全に支配していたことに驚いた」という発言から始まり、「野宮」が本三番目物の中でも殊に難しいこと、面や葛越のこと(上記)、車争いの場面での型の強さなどを説明していたところに鵜澤光師も合流しました。
体力的に厳しい曲だったと思うがどうかと話を振られた鵜澤光師は、最初の〈サシ〉〈下歌〉〈上歌〉あたり(ワキから問い掛けられる前)が一番つらくて、ここで頭を下げて帰ったらどうなるんだろうと思いつつ、大丈夫・大丈夫と自分に言い聞かせ続けたという話をされました。さらにいくつかの解説を重ねた後に観客に向けての一言を促された鵜澤光師は「みなさまの集中力に助けられた。完走できたのはみなさまのおかげ」と謙虚に語っていましたが、観ていた側の意見としては、ほぼ満員(私がチケットを購入した時点で残り1席)の見所がこぞって2時間集中し続けられたのは鵜澤光師の牽引力のおかげ、と言いたいところです。
事前講座によるポイント解説
- ^この鳥居を結界として意識しすぎると舞台上のできごとが客席から隔てられてしまう。野宮の森の状況・風情(を示すもの)として鳥居がそこにあると考えてもらうといいと思う。
- ^本来ここでは光源氏が結界の内へ榊を差し入れているので、舞台上でシテが榊を鳥居の外に置くときは内外の逆転が起きており、鏡を見ているような気持ちになる。その後くるっと後ろを向いて客席にしっかり背中を見せて去る(能ではあまりないシチュエーション)ところは、去っていく光源氏の姿を見ている六条御息所を追体験する気持ちになる。鳥居の内外のどちらが光源氏でどちらが六条御息所なのか、どちらが聖域でどちらが外なのかがたびたび入れ替わる不思議な現象が起きている。
- ^この間シテはひたすらに座っている。〈クセ〉の後半で立つ人もいるが、六条御息所は主体性を持たず、逃れられない時の流れに取り込まれていくさまを謡う地謡を聴きながら自分の中で咀嚼するのがシテの存在のあり方として正しいのではないか。また、鳥居の中の景色の一部として自分の姿を美しく見せ続けなければならないし、その間、地謡を受身で聞いているのではなく自分の中で能動的に作っていって名乗りに至るという作業があるので、決して休憩ではないし疲れる。
- ^月の光が美しく照っている以上、六条御息所は永遠に光源氏を忘れられない。その中で舞っていることは、決して幸せなことではない。彼女の舞はつらい序之舞だと思う。
- ^何も思わず考えずにふっと足を踏み出してしまったというようなもの。何かを決意したのではなく、何かを越えたいわけでも越えたくないわけでもなく、ただふっと越えてしまったがそれは後悔することでもない、という感じがしている。
- ^「野宮」のテーマは「輪廻は続くよ永遠に」なので、きっとまた同じことが繰り返されるのだろう。解決はないけれど回転することで安定しているのかもしれない。
配役
能観世流 | 野宮 | シテ/六条御息所 | : | 鵜澤光 |
ワキ/旅僧 | : | 宝生欣哉 | ||
アイ/所の者 | : | 深田博治 | ||
笛 | : | 松田弘之 | ||
小鼓 | : | 飯田清一 | ||
大鼓 | : | 原岡一之 | ||
主後見 | : | 鵜澤久 | ||
地頭 | : | 観世銕之丞 |
あらすじ
野宮
晩秋の嵯峨野を訪れた旅の僧が昔の野宮の旧跡を拝んでいると、一人の女が現れる。折しも今日・九月七日は、光源氏が野宮にいた六条御息所のもとを訪れた日。女は往時の様子を語り、手にしていた榊の枝を神前に手向けると、その時の御息所の心の内を明かし、自分こそ御息所の霊だと告げると姿を消してしまう。その夜、僧の夢の中に、牛車に乗った御息所の霊が現れ、賀茂祭の車争いで負った心の傷を語り、寂しげな野宮の様子を見て感傷に浸りつつ舞の袖を翻す。やがて、御息所の霊は再び車に乗ると、ひとり去っていく。
なお、小学館の『日本古典文学全集 謡曲集 (1)』の「野宮」の項には次の解説がありました。
鬘物のなかで、太鼓の入らない〔序ノ舞〕に続いて〔破ノ舞〕が舞われるのは、本曲と「落葉」とのみである。
次回=第三回渋谷能(2023年1月13日)は金剛流専有曲の「落葉」だったのでこちらも拝見したかったのですが、チケット完売によりかないませんでした。別途の機会を探したいと思います。