狐塚 / 鳥追舟

2022/07/10

宝生能楽堂(水道橋)で、狂言「狐塚」と能「鳥追舟」。

これは下掛宝生流・野口敦弘師主催「華宝会」公演として開催されたもので、ワキ方が活躍する曲として「鳥追舟」が選ばれ、これに合わせる狂言として田を荒らす鳥を追う場面が共通する「狐塚」が選ばれています。いずれも日本の原風景というべき「田」に対する深い思いが基底にある点に着目したい曲です。

狐塚

まず主(山本則重師)と太郎冠者(山本東次郎師)・次郎冠者 (山本則俊師)の三人が登場し、主の名乗り、豊年の喜びと叢鳥による田荒らしへの懸念の語りが続きますが、山本則重師の朗々とした声色もさることながら、この能楽堂独特のナチュラルなエコーが素晴らしく、のっけから聞き惚れてしまいました。

主に呼び出された太郎冠者と次郎冠者は、主に向かって何か言うときに太郎冠者が次郎冠者に「なぁ」、次郎冠者が太郎冠者に「おぉ」を挟んでから二人声を揃えて申し上げるという息のあったところがまずもって面白い。狐塚の田に鳥追に行くようにと命じられて、それは子供でもいいのでは?と二人して一度は断った(太「誰そ子供を、なぁ」→次「おぉ」→二人「やらせられたがようござる」)ものの、夜のことでもあり悪い狐が出るということでもあり子供はやられぬと言われて素直に承知しました。かくして主はカラカラと音を立てる鳴子を二人に渡して狂言座に移り、二人は狐塚に向かいます。

道々、豊作が我々の働きのおかげだと言ってもらって骨折りの甲斐があった、この仕事が終わったら休息ももらえるだろうからゆるゆると休もう、といった具合に明るい気持ちで狐塚に向かう二人ですが、それにしても気になるのは悪い狐。それでも二人揃っていれば狐にたぶらかされることはあるまいなどと言っている間に二人は舞台を回って橋掛リを揚幕の前まで進んでいます。ここで狐塚まであと少しですが、交代で運んできた鳴子をここからは二人で持ち、鳥を追いながら行こうということになって「ほーい、ほーい」と力いっぱい紐を振って鳴子を鳴らし、その賑やかさに鳥が逃げていくのを見ては呵呵大笑。楽しげに鳴子を振りつつ舞台に戻ってきたところで日が暮れてきたので、小唄を謡うことにします。

面白や 昨日の早苗 今日は穂よ 稲葉のそよぐ秋風に 田の面の鳥を追はんとて 引けや引け引けこの鳴子 いざいざ鳥を追はうよ いざ引くものを謡はん

以下、注連縄であったり牛車であったり舟であったりと引き物尽しの謡が続きますが、謡いながらその詞章に合わせて合掌したり前後に移動したり膝を抱えたりと所作が忙しく、しかもそのところどころに「ほーい、ほーい」と鳴子を派手に振って床に打ち付けるので、鳴子が壊れてしまうのではないか、それよりも舞台の床に傷がつきはしまいかと心配になりました。

やがて鳴子の紐を「いざさし置いて休まん」と床に置いて5分以上も続いた小唄が終わり、主が切っておいたという庵を二人が見つけて中に入る体で正面の左右に下居したところへ、主が労いの酒を振る舞おうと一ノ松から「ほーい、ほーい」と呼び掛けます。太郎冠者、次郎冠者と名前を呼ばれて、あれは悪い狐であろうが返事をせねばなるまいとこちらからも「ほーい、ほーい」。互いのテンポがどんどん速くなって主が舞台に進み、両人を見つけた主に対して太郎冠者も「頼うだお方でござるか」と返しましたが、その声音が何やらほっとしたような声だったので、あれ?太郎冠者は本物の主だと気付いたのか?と思ってしまいました。

ところが「何をしに?」「酒を飲まそうと」「忝うござる」といったやりとりの後に太郎冠者に勧められて主が自分の田を惚れ惚れと眺め独り言を語っている間に、抜足差し足で背後に回った太郎冠者と次郎冠者は目配せをして「何とよう化けおった」。やはりこいつは主に化けた狐だと思い込んでいるわけで、このため主が扇から扇へ酒を注ぐと太郎冠者も次郎冠者も巧みに主の視線をそらせては酒を捨ててしまいます。こうしたやりとりを何度か繰り返した末に、再び田の様子を主に見させている間に後ろで打ち合わせた太郎冠者と次郎冠者は、後見から松葉を受け取り、立ち上がった主を左右から捉えてその顔を松葉で燻し「くんと言え」。さらに主を押さえ付けて鳴子の紐で左右からぐるぐると縛り付け、前に突き飛ばして「こちへおりゃれ」「心得た」と逃げていくと、怒り心頭の主は紐を解いて「やるまいぞ」と後を追いました。

これまで和泉流では2015年2021年にこの曲を観ていますが、今回の大蔵流はかなり違いがありました。

  大蔵流(今回) 和泉流(2015年)
田に赴く者 太郎冠者と次郎冠者 太郎冠者
鳴子の鳴らし方 太郎冠者と次郎冠者がそれぞれ紐を持ち二人で振る 脇柱に紐を括り付け正中の床几に掛かって振る
太郎冠者の心情 次郎冠者と共に「うまく化けたものだな」と感心 暗くなって疑心暗鬼にとらわれる
被害者 次郎冠者と主
(登場しない) 太郎冠者はいったん幕の内に入り鎌を持って戻る
追い込む者 太郎冠者

このように、以前観た和泉流では夕暮れが太郎冠者の心に闇をもたらし、最後は主と次郎冠者に逆襲されるものの引き続き二人を追い掛けていくというダークな内容でしたが、今回の大蔵流では太郎冠者と次郎冠者が鳥追も狐の捕縛も息を合わせ、最後は主を投げ飛ばして逃げていくというからっとしたものになっています。ちなみに、フライヤーに書かれた【あらすじ】では最後に「真の主人と判り、追いかけられる」と書かれていましたが、舞台上では主と気付く様子は示されず、太郎冠者と次郎冠者は主を投げ飛ばすとさっさと逃げてしまっていました。

さらに《小唄入》は大蔵流のみの小書で、太郎冠者と次郎冠者が鳥を追って鳴子を振る際に小唄を謡うものですが、二人の小唄は上記の通り相当に長く、また謡の中にさまざまな所作が含まれるもの。謡い終えたところで太郎冠者が「いや、ことのほかくたびれた」と語りましたが、見所からは「それはそうでしょう」とねぎらうような笑いが漏れました。それにしても驚くのは山本東次郎師の足腰の強靭さで、主に命じられて狐塚に向かう際の足捌きの素早さや、下居しているときのピンと伸びた背筋は年齢を感じさせず、見事に壮年の太郎冠者ぶりでした。

鳥追舟

金剛弥五郎作(室町時代)と言われるこの曲は、金春流では30年以上演じられていないそう。薩摩川内の日暮長者伝説を元に謡曲にされたもので、左近尉さこのじょう・日暮殿ひぐらしどのという二人のワキ方が重要な役割を果たす点が特徴です。しかもシテ方の流儀次第では日暮殿と左近尉の扱い(どちらがワキでどちらがワキツレか)が違う場合があり、今回は金春流との組合せにより両ワキとして演じられるのだそう。その辺りも見どころでした。

最初に子方/花若(中村優人くん)とシテ/日暮殿の妻(山井綱雄師)が静かに登場。シテの出立は秋草(?)文様の唐織着流で、二人が脇座に着座したところで左近尉(野口琢弘師)が登場します。一ノ松で名乗った左近尉は、主の日暮殿が訴訟のため十年間この土地を離れて京にいることをまず述べ、ついでその子・花若と母(日暮殿の妻)を自分が預かっているがこの里で秋に田に浮かべる習わしの鳥追舟に乗せる者がいないので花若に鳥を追わせるつもりだとひとしきり背景説明をした上で、舞台(=シテと子方の住まい)に進んでシテに声を掛けました。

当日配布されていた詞章では子方が取次を行う台詞が含まれていましたが、金春の流儀によるものか中入まで子方に台詞はなく、ここからただちにシテと左近尉のやりとりが始まります。左近尉は、まず日暮殿が秋には戻ってくるという知らせがあったことを告げた上で(わざわざこの知らせを入れた作者の意図は不明)、花若に鳥を追ってもらいたいと淡々と申し入れました。何と花若に鳥を追えと候やと驚き怒るシテ。いや、鳴子を引き鞨鼓を打って遊んでくれと言っているのだという左近尉にシテは「花若は主筋ではないか、これも長年の殿の不在のためと思うと情けないことだ」と慨嘆してみせましたが、すると左近尉の口調ががらっと変わり、十年にもわたって面倒を見てきた自分を薄情だと言うのであれば(とキッとシテの方を向き眉根を寄せて)ここを出ていってもらいたい、と有無を言わさぬ声色でほとんど恫喝。

ここだけとれば左近尉は根からの悪いヤツのように見えてしまいますが、主人不在の中でその妻子の面倒を十年間も見てきたのだから少しくらいは働いてくれ、という彼の気持ちもわからないわけでもありません。ともあれ、このように逆ギレされてはシテも従うほかなく、幼い花若のために自分も一緒に出て鳥を追うことにします。左近尉は、明朝には舟で待つので早々に出るようにと言い捨てて立ち、去り際に常座で花若に対して遅くなりては叶うまじとダメ押しをしてから下がっていきました(左近尉中入)。

思わぬ運命の変転に脇座で向かい合う母子。シテは我が子の不幸を嘆いてシオリ、地謡を聞きながら花若としばらく見つめ合っていましたが、やがて立ち上がったシテが正中に移り再びシオリの形となると、子方がその前を通って先に橋掛リへ向かい、シテもその後に続いて親子伴い立ち出づると大小のアシライのうちに中入しました。

二人の姿が消えるとヒシギが入り、〔次第〕の囃子を聞きながら太刀持の従者(山本則秀師)を従えて登場した帰国途上の日暮殿(野口能弘師)。その出立は、笠をかぶり掛素袍に白大口です。内着は江戸段熨斗目で、これは左近尉に対して格上であることを示す意味がある模様。〈次第〉秋も憂からぬ古郷に、帰る心ぞ嬉しきと能天気に謡い、笠をとって名乗ると従者に対しても「長年の訴訟がすべてうまくいってめでたいことだ、帰国の上はお前を取り立ててやるぞ」と気が大きくなっています。ここで詞章に書かれていない〈着キゼリフ〉が入って、太鼓の音が聞こえるので確かめるようにと従者に命令した日暮殿が脇座に移る一方、従者は常座で懐かしい故郷に着いたことを喜びつつ賑やかな様子を耳にし、さらに揚幕を向き彼方にいる人から鳥追舟である由を聞く体となって、日暮殿に対し常よりも見事な鳥追舟を見物する人々が集まっている旨を復命します。これを聞いて、長の不在のために忘れていた鳥追舟のことを思い出した日暮殿は、自分はここにとどまってこれを見物することにし、従者には先に行って自分の帰国を告げるようにと命じました。

この日暮殿の言葉をきっかけに従者は切戸口から下がると共に、後見が作リ物の鳥追舟を持ち込みます。脇正に置かれたその作リ物は通常の舟の形の枠の左舷側に笹が立てられて鳴子が下げられ、舷側には朱色でジグザグの模様を描く船縁、そして後ろ側に柱が立てられそこに鞨鼓が据えられています(冒頭に掲げたチラシのイラスト参照)。かくして用意が整ったところで〔一声〕となり、前場のモノトーンの袴から色鮮やかな腰巻に替えた花若、笠をかぶり水色の水衣を着用したシテ、それにこの曲の後場での決まり装束であるという二色(金と緑)の地に霞模様の素袍の右肩を脱いで竿を持つ左近尉が現れて舟に乗り込みました。

左近尉の面白や昨日の早苗いつの間に、稲葉もそよぐ秋風に、田面の鳥を追うとかやは『古今和歌集』巻第四秋歌上収載の歌昨日こそ早苗とりしかいつのまに 稲葉そよぎて秋風の吹くによると共に、「狐塚」の小唄に通じて晴れ晴れとした調子なのに対し、意に沿わぬ鳥追に従事させられているシテは我等は心うき鳥のと憂いを隠そうとしません。花若と向かい合い、庵を作り鳴子を掛けて鳥を追う様子を短く謡ったシテは、舟の中で足拍子を数度踏むと舟の作リ物の中央の枠の中を小さく回る〔カケリ〕。続いて二人ともシオリを見せてシテと花若の心情を謡う地謡をじっと聴き、それにしても秋に戻ってくるという話だった夫が戻ってこず花若が不憫だ、母の心痛が恨めしくそのことを父に語りたい、とこもごも悲嘆に暮れつつ舟の中に下居します。しかし、竿を置いて地謡前に移っていた左近尉はモロシオリで袖を濡らしているシテに向かって「嘆くのだったら家に帰って嘆け。見よ、よその田の鳥は立っているのに自分の田の鳥はひとつも立っていないではないか。早く鳴子を引き鞨鼓を打って追い払え」と血も涙もない叱咤を加えます。

その言葉に押されてシテと花若が舟の中でそれぞれ鼓を打つ型を示すのが「鳴子之段」で、シテがあれあれ見よや、よその舟にもと脇正面を眺めると左近尉もそちらを遠見する様子を示した後、いくつもの舟から打たれる鼓や鳥を追う声が響く中、悲しくとも水鳥を追いなさいと鞨鼓を打つ花若に手を差し伸べ励ましつつも、自分が打つときには涙と共に思い乱れて自ら打つ鼓の拍子がしどろもどろになることを恥ずかしく思うシテの心情がメロディアスに謡われます。

鳥が飛び立ったことを喜んだ左近尉はシテと花若をまずは労って御休み候へと声を掛け、二人が笛座前へ着座するのと入れ代わりに自分が舟に乗り込みましたが、ここで脇座の日暮殿が立ち上がって「舟を寄せよ」と声を掛けました。しかし声を掛けてきた相手が日暮殿とは気付かない左近尉は、自分に向かって舟を寄せろと命じるとはどこの馬の骨だ、と邪慳な気配でこれを無視。しかし何とて舟をば寄せぬぞとさらに声を掛けられて竿を使い近づいてみたところで空気が一変し、左近尉は日暮殿に気付いて「やあ!」と驚きの声を上げると竿を取り落とし、慌てて正中に平伏します。左近尉が「下向おめでとうございます。訴訟はいかがでしたか」などと当たり障りない話をしている間に舟は後見の手によって下げられ、日暮殿は笛座前に下居している花若を見下ろしてこれなる稚き者は左近尉が子にてあるか。十年もたてば我が子とはいえ体つき顔形も変わるからわからないのも無理はありませんが、花若からいや日暮殿の子にて候と言われてまたあれなるは汝が母にてあるかと妻の顔を忘れているのはちょっとひどい。もっとも、あるいは左近尉の退路を断つためにあえて確認したのかもしれませんが、案の定、左近尉は平伏したままフリーズしています。

左近尉に「鳥を追わねば親子諸共に追い出す」と脅されてこのような賤しい仕事をしているのだと訴えた花若は、この時点では相手が父であると気付いていない様子ですが、日暮殿は怒りを押さえつつ言語道断の次第にて候ものかな。只今見あい候こそ、おことが本望にて候へ。汝が目の前にて、左近尉を討って捨ちょうずるにてあるぞと言い放つと花若を立たせて脇座へ導き、ここで右肩を脱ぐと共に従者が置いていった太刀を腰に差しました。このとき正中でも左近尉が脱いでいた右肩を戻し、それぞれ姿が整ったところで日暮殿と左近尉は舞台中央に対峙します。詰め寄る日暮殿、後ずさる左近尉。ついに気圧された左近尉が平伏すると、日暮殿は刀に手を掛け凄まじい怒気を発していかに左近尉、汝は不得心なる者かな……やあ何とて物をば言わぬぞと大音声。観ているこちらも圧倒されるほどの迫力でしたが、そのときシテが腰を浮かしてしばらくと割って入りました。曰く乳人の科もさむらわず、ただ久々捨て置きたる、花若が父の科ぞとよ。十年間ほっておいた貴方の罪ではないのかとストレートに問うシテの勇気には驚くばかりですが、続いてシテがかばうように左近尉の前に膝を突いて日暮殿に向かって合掌し、地謡の口を借りて只願わくは此程の、恨を我等申すまじ。左近尉が身の科を、親子に赦しおはしませと助命嘆願すると、日暮殿にはもはやこれを断る理屈はなく、キリの地謡が左近尉の赦免と後に花若が跡を継いで末久しく家が栄えたことを謡ううちに、日暮殿は左近尉に手を差し伸べてから太刀を預け、ついで花若を立たせるとシテがその背に優しく手を当てて橋掛リへ導きます。

最後はシテと花若が一ノ松に立ち、太刀を持つ左近尉を舞台中央に下居させて日暮殿が常座で留拍子を踏みました。

リアルな「威圧」の表現を能舞台の上で見る機会というのはなかなかありませんが(と言いつつ思い出すのは「自然居士」の人買い)、左近尉が花若に鳥を追わせることをシテに承諾させるくだりや舟の上で嘆くシテと花若を叱咤する場面、そして日暮殿が左近尉に無言で迫る場面の迫力には息を呑み、ことに最後のそれは力量の拮抗するワキ方二人が揃ってこそ実現する場面だという点でも貴重でした。

もちろん山井綱雄師のシテは盤石で、鳥追舟の習俗がいわばエキゾチックに描かれる中で、母として我が子を不憫に思い妻として夫の帰りを心待ちにする心情を丹念に謡いながら、クライマックスにおいて左近尉をかばって怒髪天を突いている日暮殿の前に立ち塞がるその一瞬の気迫の発露が見事。ここの説得力がないと一曲が完結できません。

ワキ方のお二人はこの曲での役割についてドラマチックなものを埋め込んでいくのはシテ方の心の動きの表現で、ワキの役目はそのシンプルな場面を展開させていくことだけと語っていました[1]が、この舞台に関しては、日暮殿の能天気な部分を支えた従者の山本則秀師や、朗々と、かつしっかりと謡って安心感のあった子方の中村優人くんも含め、誰一人欠くことのできない緊密な舞台だったと思います。そのため、最初から最後まで、一瞬たりとも目が離せませんでした。

なお、この曲の元になった日暮長者伝説[2]とは次のような内容だそうです。

昔、日暮長左衛門という長者が住んでいた。この長者には、柳御前という妻と、娘お北と息子花若丸の二人の姉弟がいて幸福な日々を送っていた。

長者の家臣左近尉は悪巧みをして、日暮長左衛門と柳御前とを離婚させ、左近尉と親しいお熊の方と結婚させた。その後長者は土地問題で京に行き十年余の歳月が流れる。その間、左近尉とお熊は二人の姉弟にきつく命令し田に集まる雀の群れを追わせた。

来る日も来る日も、雨の日も風の日も鳥追舟に乗って雀を追わなければならず、あまりのつらさに思いだすのは母柳御前のこと。母も我が子二人が恋しくてたまらず、三人は人目を忍んでは母逢の渡しで川をはさんでいつもこの川岸に出て逢って共に涙を流していた。

人目を忍んで母逢の渡しで母の柳御前と対面しては慰めあっていたお北と花若丸だったが、連日の虐待に耐えかねた姉弟は身をはかなんでついに平佐川に身を投げてしまった。村人たちがこれをあわれみ、塚を建ててねんごろにその霊を弔った。

奇しくも四日前に観た「籠太鼓」も同じく九州が舞台、そして「●●の妻」がシテ。九州の女は強し!……と一見思えますが、実はいずれの曲も元の伝承をハッピーエンドに変えたものであることを考えると、それは謡曲へ翻案したそれぞれの作者の優しさがそうさせたのだと考えた方がよさそうです。

配役

狂言大蔵流 狐塚
小唄入
シテ/太郎冠者 山本東次郎
アド/主 山本則重
アド/次郎冠者 山本則俊
金春流 鳥追舟 シテ/日暮殿の妻 山井綱雄
子方/花若 中村優人
ワキ/日暮殿 野口能弘
ワキ/左近尉 野口琢弘
アイ/従者 山本則秀
藤田貴寛
小鼓 鵜澤洋太郎
大鼓 國川純
主後見 金春憲和
地頭 辻井八郎

あらすじ

狐塚

主に命じられ豊作の田の鳥追にやってきた太郎冠者と次郎冠者。鳴子を振って鳥を追っているところに主が酒を差し入れにくるが、付近に出るという噂の悪い狐と勘違いしてしまう。松葉で燻ったり縛り上げたりするが、ようやく真の主と判り、追いかけられる。

鳥追舟

薩摩国の有力者である日暮殿は訴訟のために十余年間在京していた。その留守を預かる身にもかかわらず、家臣の左近尉は日暮殿の妻と子の花若に下人の仕事である鳥追をさせる。やがて帰郷した日暮殿にそれが見つかり、左近尉は不忠の臣として斬られそうになるが、日暮殿の妻に宥められ赦される。

脚注

  1. ^国東薫氏2022年華宝会 能「鳥追舟」の鑑賞ポイント」(2022/07/10閲覧)
  2. ^高橋春雄氏「謡蹟めぐり 鳥追 とりおい」『謡蹟めぐり 謡曲初心者の方のためのガイド』(2022/07/10閲覧。文体等を少し変えてある)