卒都婆小町

2022/11/17

銕仙会能楽研修所で、観世流能楽師の清水寛二師と西村高夫師が主宰する「響の会」第61回公演。番組は仕舞二番を前に置いて能「卒都婆小町」。

照明がかなり落とされ暗くなった能楽堂の中に浮かび上がる舞台の上で、仕舞は「白楽天」(鵜澤久師)と「野宮」(山本順之師)。鵜澤久師が謡い、舞われる姿を観るのは実はこれが初めてでしたが、その気迫には圧倒されました。厳しい表情、びしっと伸びた背筋から全体重を大地に踏み込む足拍子、そして揺らぎない回転運動の軌跡。かたや山本順之師は六条御息所が現代まで生きていたらこうなるだろうなと思わせる枯れてか細い味わいで、舞台を回る途中でバランスを崩しかけこちらが息を呑む場面もあったものの、そのことが逆に舞台の上で能楽師がいかに精緻な体遣いをもって舞を舞っているかを示していました。

卒都婆小町

この曲は2011年に野村四郎師のシテで拝見しており、舞台進行もそのときの記事に詳細に記録しているので、ここでは今回の舞台を観て気づいたり印象に残った点をかいつまんで記すにとどめます。


冒頭〔次第〕の囃子は強く澄んだヒシギから大小がゆったりと。ワキ/高野山の僧(大日方寛師)とワキツレ/従僧(御厨誠吾師)の謡も重々しく、曲の重さにふさわしい荘重な雰囲気を漂わせます。

着キ台詞の後、再びヒシギがあってさらに地にうねるように重々しく〔習ノ次第〕が奏され、幕が上がってそこにシテの姿が現れても、シテはじっと舞台を見つめ続けたまま。やがて笛が入ってようやく前へ出てきたシテ(出立は〔後述〕)は、いったん幕前に杖を突いて息を継ぎながら積み重ねてきた齢の重みを支えているようでしたが、かろうじて一ノ松まで進むと見所に背を向け歳経た老女のくぐもった声で身は浮草を誘ふ水、なきこそ悲しかりけれと〈次第〉を謡い、地取を聴いてから〈サシ〉を謡い始めましたが、翡翠の髪状……と謡われたところでドン!と物の落ちる音がしたので驚いて謡本から目を上げると、一ノ松に立つシテの足元に笠が落ち、面があらわになっています。その姿にははっとさせられましたが、シテは何事もなかったかのように謡い続けているので「これは演出?」と訝しんでいるうちに、切戸口から入ってきた後見の観世銕之丞師がそのまま一ノ松まで足を運んで笠を取り上げ、これを持って後見座に引き下がりました。一方〈サシ〉の詞章は若き日の華やいだ姿が今では賤の女にさえ穢まれる百歳の姥となってしまったと嘆き、その百歳ももとせの姥となりて候でシテは一二歩前へ出ましたが、これは野村四郎師曰く「過去から現在までを現す一足」です。

そして繰り返される月諸共に出で行くの終わりからシテの言葉に力がこもり始め、舞台へと進むその姿から目が離せなくなってきます。とはいえ、常座から左手を上げて桂川をゆく川瀬舟を見やる姿には哀愁が漂い、苦しいのでこの朽木に腰をかけて休もうと語って大鼓の前あたりに着座(床几はなし)するシテの姿はやはり老女そのもの。このとき後見が笠を持ってその左横に座り、シテに笠を手渡して体の前に立てさせたので、やはり先ほど笠が落ちたのはアクシデントだったのだと得心しました。

ところがシテが腰掛けた「朽木」は卒都婆だったのでワキはこれを見咎め、ワキツレと共に挟撃するかたちになってシテを問い詰めますが、この「卒都婆問答」を通じてシテが若き日の才気煥発を取り戻してゆく変化が見事。ワキの呼び掛けを受けて答えていたシテがいつの間にか攻守ところを変えてワキとワキツレに道理を問う立場になると共に、シテの口調に力がこもり腰の位置も高くなり、ついに問答のテンポが上がり切りクライマックスを迎えてとんと杖を突き僧二人を圧倒した刹那、地謡が入ってシテの言葉にワキたちが感じ入ったことが謡われ、ワキとワキツレは並んで着座しシテを礼拝しました。これに対しシテは極楽の内ならばこそ悪しからめ そとは(卒都婆)何かは苦しかるべきと戯れ歌を詠むと、地謡にむつかしの僧の教化やと悪態をつかせつつ杖にすがって立ち上がります。

ところが、ワキに問われて自らを小野の小町がなれる果にてさむらふなりと名乗ったところから空気感が変わって、ワキ・ワキツレと地謡とに今の老残の境遇を傷わしいと言い募られると共にシテの面はかすかに曇り、ふとワキを見てから笠で顔を隠してしまいます。しかし〈ロンギ〉の詞章は引き続き容赦なく、首に掛けたり背に負った袋の中身をあばき、蓑笠衣服の傷み具合も描写して悲惨な境遇にあるシテを徹底的に追い詰め、聴いているこちらが息苦しくなるほど。すると一度は笠を手に持って物乞いの型を示したシテは、ついに狂乱の心が募って深草少将の霊に取り憑かれてしまいます。この変身がまたすごい。杖を捨て、声も立ち方もがらっと変わってあら人戀しやと嘆くシテの姿は壮年の男性のそれに近いのですが、しかし深草少将の霊が取り付いているのは老女の肉体であり、老女の声帯をもって話しているのであって、その微妙なニュアンスが見事に表現されていました。

後見座での物着を経て烏帽子・長絹の姿になったシテの百夜通いの再現は、左袖を被き扇で面を隠して人目を忍ぶ姿。深草少将が地謡陣にも取り憑いたのではないかと思わせる重厚な地謡を受け止めながら、九十九夜を数えてあと一夜となったときにあら苦し目まひやと喚きながら扇を心臓に当ててかがみ込む苦悶の写実。そのままよろよろと大小前に下がって崩れるように安座すると、深草少将の死と共に憑き物も解けてシテが正気を取り戻した瞬間(かやうに物には狂はするぞや)に、高揚の頂点に達していた地謡と囃子方が完全にシンクロしてのブレイク→無音の間。

一転して大地にしみわたるような静けさで地謡が花を仏に手向けつつ、悟りの道に入らうよとキリの詞章を謡う中、合掌の姿を示してから常座で左袖を巻いて終曲を迎えました。


前回の観能の後で「たとえば10年後にこの曲を観たらどれだけ豊穣な感動を得られるかと、今から楽しみ」という感想を記録しており、今回はその言葉がかなう機会となったのですが、かえって今回の方が難しい観能になってしまいました。冒頭のシテの老残、卒都婆問答での利発、憑依されての狂乱と百夜通いの写実、そしてキリの静謐と曲の進行に応じて変化するシテの姿を清水寛二師が見事に造型していて、演能が終わったときには素朴に感銘を受けていたのですが、こうして振り返ってみると何かつかみきれていないものを感じます。

それはこの曲の最後に置かれた悟りの道に入らうよによるもので、この曲自体は夢幻能ではなく現在能でシテは存命の人物ですから、成仏できずに彷徨う魂を救済してほしいと僧に頼んでいるわけではなく、ただ悟りの道に入りたいと願望を述べているに過ぎないと思えます。それなら卒都婆問答の中でワキツレが菩提心あらばなど浮世をば厭はぬぞと問うたようにさっさと出家をすれば良さそうなものですが、歳を重ね惨めな老いの身をさらしてもなおこの世に生き続けているのはいにしえは優女にて花の貌輝き、桂の黛青うして白粉を絶やさず、羅綾の衣多うして桂殿の間に餘りしぞかしと謡われた華やかなりし頃の自分の記憶に引きずられているためではないか、そして物着までしての憑依の姿もシテ自身の中の深草少将の記憶が物狂いとして現れたのであって実は(「通小町」とは異なり)深草少将の霊というのは実在しないのではないか、だとしたらシテの悟りの道に入らうよという願いに対して僧たちは何ら処方箋を提供していないのではないか、などと悩み込んでしまったのでした。

ただ、キリの詞章のこれに就けても以下、シテが心穏やかに功徳を積み重ね(砂を塔と重ねて)花を仏に手向け(卒都婆問答の中で我も賤しき埋木なれども、心の花のまだあればと語っていることを思い出します)ながら悟りの道に入ろうと心境の変化を見せているところに救いを見出すなら、シテがこの境地に至るためにワキたちはシテの物狂いの姿の目撃者として立ち会わなければならなかったと考えることもできるかもしれません。

うーん、難しいなあ……。

ともあれ、前回「10年後にこの曲を観たら」と記したように、今回もまた「10年後にこの曲を観たら」新たな気づきが得られるだろう、と記しておくことにします。

配役

仕舞 白楽天 鵜澤久
野宮 山本順之
卒都婆小町 シテ/小野小町 清水寛二
ワキ/高野山の僧 大日方寛
ワキツレ/従僧 御厨誠吾
槻宅聡
小鼓 観世新九郎
大鼓 白坂信行
主後見 観世銕之丞
地頭 西村高夫

あらすじ

卒都婆小町

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