昆布売 / 龍田

2022/10/26

銕仙会能楽研修所で青山能。狂言「昆布売」、能「龍田」。いずれの曲も初見です。

かなり早めに青山に着いたのでしばらくぶらぶらしていたのですが、ふと気づくと開場15分前には銕仙会能楽研修所の前に長蛇の列。これはいかなこと?と思いながらあわてて列の最後尾につきましたが、開場時刻になって入場してみるとびっしり敷かれた座椅子はほぼ満員の観客で埋まっていきました。これは鵜澤光師の集客力なのかな?

昆布売

大名出立で太刀を左手に持ち登場したシテ(野村万之丞師)は、家人を方々に遣わしているために供をするものが一人もいないので自分で太刀を持って出たが、適当な者が通ったら持たせようと思うと語って脇座で待機。そこに現れたのは都へ登る途中の若狭小浜の昆布売(石井康太師)ですが、肩に担いだ棒に付された昆布は薄く真っ黒な四角形で海苔のように見えてしまいます。しめしめと喜んだ大名が昆布売に声を掛け是非とも同道してほしいと頼み込むと気のいい昆布売は承知してくれましたが、しばらく歩いたところで大名は無心があると先に一礼の後、供として太刀を持ってほしいと本題を切り出しました。これを断った昆布売と押問答の後に、大名が気色を変えて腰の刀に手を掛け迫ったために昆布売はあわてて大名の要求に従うことになりましたが、そこで大名は破顔一笑、刀に手を掛けたのは戯言だと表情を和らげました。このあたりは、最初下手に出てから依頼より先に一礼をして相手の退路を断ち、最後は威圧して見せる大名のしたたかな交渉術が冴えるところですが、大名が強気に出られるのも身分の違いが背景にあることはもちろんです。

関係修復なった昆布売は太刀を持ち大名に従うのですが、片方の肩に昆布を担いでいる昆布売は空いている方の肩に太刀を担ぐので、大名が昆布を買い取って無造作に投げ捨てると、昆布売は太刀を両手で前に捧げもったり抱きしめて持ったりとサマになりません。あきれた大名が「自分の太刀は左に、主の太刀は右に持つのだ」と説明してやっとそれらしい持ち方になり、以後昆布売を太郎冠者と呼ぶことにして主従の道行の体になりましたが、途端に威張りくさる大名に対し昆布売も急に不機嫌になって右肩を脱ぎ、太刀を振り上げて大名を威嚇しました。

いわばここまでが前置きで、ここから昆布売が立場を変えて大名をなぶる場面が繰り返されます。

まず大名の腰の刀も取り上げて常座に置くと床の昆布を拾って大名に投げつけ、この昆布を売れ!と命じます。まずは「昆布召され候へ」と口上、ついで謡い節、浄瑠璃節、踊り節といずれも昆布売が手本を示し、大名がこれに続いてなかなか上手に売り言葉を発するのですが、それぞれ売り言葉を謡い終えてさあ刀を返せと昆布売に呼び掛けては太刀で脅され「あぶない、あぶない」と狼狽することの繰り返し。このさまざまな節で昆布を売るという趣向がこの曲の見どころ聞きどころのようで、大蔵流では平家節、小歌節、踊り節となるのだそうです。目の前の舞台でも、浄瑠璃節は口三味線まで混じえてユーモラス、踊り節も踊りながら陽気に歌って一見楽しげですが、手本を示す昆布売の目が全然笑っていませんし、大名も踊りに夢中になっているようでいて太刀を返せと求めることを忘れはしません。最後に大名が求めに応じて昆布売の行く末繁盛を「数知らずの君が御代のよろこぶや〜ん〜」と朗々と謡い舞いましたが、それなのに昆布売はからかうような口調で「返すまいぞ」と言い捨てて二振の刀を持って橋掛リを逃げてゆき、気の毒な大名も後を追いました。


昆布売と大名との立場の逆転とそこで繰り広げられる謡尽しが眼目の曲で、同趣向の曲に「二人大名」というのがあるそうですが、そちらは未見です。ただ、この日の舞台を観ていると大名は必ずしも売り口上や踊りに我を忘れているという感じではなく、むしろ一段落して「もう太刀を返してほしい」と求めては脅されおどおどする姿が気の毒になってきます。そして何より、太刀(武器)を振り上げた昆布売が昆布を「売れ!」と言い放つその目がサイコパスのようで恐ろしく、そこに身分を超えた人の本性のようなものを見て戦慄したのでした。

龍田

大和川が大和から河内へと流れ出るあたりを指す龍田(現在の竜田川とは異なる)と言えば、百人一首の千早ふる神代も聞かず龍田川 からくれなゐに水くくるとは(有原業平)や嵐吹く三室の山のみみじ葉は 龍田の川の錦なりけり(能因法師)でおなじみで、龍田川=紅葉という等式が成り立ちます。この曲は、冬の龍田川(前場)と龍田神社(後場)を舞台にして、龍田明神の御神体でもある紅葉の美しさを讃えつつ国土安穏を寿ぎます。


最初に大小前に置かれた一畳台の上に龍田神社の社殿を表す小宮が立てられてから、大口僧出立のワキ/旅僧(野口能弘師)とワキツレ二人が登場。〈次第〉教の道も秋津国、数ある法を納めんと朗々と謡われるとおり、よくある物見遊山ではなく各地の寺社をめぐって経巻を納めてまわる任務を帯びての旅ですが、奈良の寺社を残りなく巡って河内に向かう途次に龍田川に着き、この川を渡って龍田明神に参詣しようと語り合います。

このとき揚幕が上がり、そこに姿を現した前シテ/神巫(鵜澤光師)が脇座へ移動しようとする三人に対して背後からなうその川な渡り給ひそ申すべき事の候と呼び掛けました。不審に思うワキの問掛けの内に橋掛リに出てきたシテの出立は、白と朱色の段にもみじ葉と秋草の文様が散らされた美しい唐織の着流で、面は泣増。心なく川を渡ると神と人との中を断つことになるというシテの指摘に、ワキはなるほど龍田川もみぢ乱れて流るめり 渡らば錦なかや絶えなんという古歌(『古今和歌集』)を思えということかと気付きましたが、しかし今は冬で薄氷が張っているではないかと問い返したところ、舞台まで進んでいたシテは今度は龍田川紅葉を閉づる薄氷 わたらばそれも中や絶えなん(『新古今和歌集』)を引いてワキを戒めました。ここでワキから問われてシテは自分が神巫であることを明かし、ワキたちを違う道から龍田明神に案内することになります。

ここで常座のシテが数歩前に出て大小前の作リ物を振り返っただけで舞台上は龍田明神の境内となり、ワキが感に堪えない声で境内の紅葉を愛で、これが当社の御神木であるというシテの説明を受けてありがたやと作リ物に向かって着座合掌します。さらに地謡による神への祈り(此度は幣取りあへぬをりなるにこのたびは幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに(菅原道真)を引く)と夕暮れの情景描写の中で正面に並び立ったシテとワキの宮廻りが謡われる内に、それまではただの神巫だと見えていたシテが龍田姫であると正体を明かして御身より光を放ちて紅の袖を打ちかづき、作リ物の正面から常座に回るところで扉を押し開き御殿に入る所作を見せて、正面を振り返ってから作リ物の背後に消えました。

アイ語リ(河野佑紀師)は龍田明神の由来をワキに語って聞かせましたが、その内容は後場の詞章の中で繰り返されることになるのでここでは省略。ワキとワキツレが待謡を謡い、太鼓が入って長い〔出端〕の囃子が奏された後、作リ物の中から神は非礼を受け給はず。水上清しや龍田の川と神がかった高い調子の謡が聞こえてきました。やがて錦の引廻しを下ろして現れた後シテ/龍田明神は、薄い黄色系の地に紅葉をあしらった舞衣とくすんだ緑の大口を着し、頭上には鮮やかな紅葉を載せた天冠を戴いて床几に掛かっています。天逆鉾の刃先に似た紅葉の威徳を讃え、天逆鉾を守護する瀧祭明神(男神)とこの龍田明神(女神)とは一体であって、天地治り民豊かなのは当社の故であると縁起を語ると、年ごとにもみぢ葉流す龍田川 みなとや秋のとまりなるらむ(紀貫之)以下数々の古歌を織り込んで龍田山の美しい情景を描くクセを聞きながら立ち上がったシテは一畳台を降り、その優美な姿に似ず力強い足拍子を混じえながらクセ舞を舞いました。

さらにシテが美しい氷の下紅葉を角から見渡した後、手の扇を白い和幣にぎてに持ち替えてますます神がかった姿になると〔神楽〕が奏され、舞われました。リズミカルな〔神楽〕の囃子はところどころにヒャラリと技巧的な笛の旋律が入って厳かながらも明るく、これを聞きながらシテは始めのうち常座で足を踏んで爪先を上げては小さく進む控えめな所作を繰り返した後、幣を前に捧げ持って舞台を回り始め、そのところどころに腰を落として小さく会釈(拝礼)する魅力的な型が繰り返されます。舞台上を巡りながら幣を持つ手を順手・逆手と持ち替えひらりと袖を巻き、角で力強い足拍子を聞かせ、そして幣を大きく前後に振ってから扇に持ち替えると囃子と舞がテンポアップ。引き続き舞台一杯に舞い続けたシテは、やがて常座に戻ってキリへと続く詞章を謡い始めましたが、あれだけ激しい動きの後にもかかわらずその謡には揺るぎがなく、最後は常座で回ったシテが左袖を巻き留拍子を踏んで龍田姫が昇天した姿を示して終曲となりました。


前場の終わりに御身より光を放ちてという詞章がありますが、龍田明神の和魂にぎたまである美しい龍田姫が眼前に降臨したかのような後場の40分は、シテの姿が本当に神々しく輝き続けているようで、見所の集中力を舞台に釘付けにしました。実にすばらしい舞台だったと思いますし、以前観た「野宮」の充実ぶりからしても、鵜澤光師の活躍には今後ますます目が離せません。

上演終了後の谷本健吾師による小講座では、以下二点のトリビアが披露されました。

  • 一畳台の上に置かれた小宮の作リ物はさまざまな曲で登場するが、屋根の向きにヒミツあり。「龍田」「竹生島」といった曲では平側(棟と平行の向き)が正面を向くのに対し、「楊貴妃」「和布刈」の二曲では妻側(屋根が三角形に見える向き)が正面を向く(観世流の場合は、という条件付きだと思います)。これは、前者が現世にある宮であるのに対し、後者は天上・海底だから。
  • 今日の装束は紅葉尽しで、前シテの唐織にも後シテの舞衣や天冠にも、さらには後シテの中啓や蔓桶にも。

→ 実は小鼓にも紅葉があしらわれていました。

配役

狂言 昆布売 シテ/大名 野村万之丞
アド/昆布売 石井康太
龍田 前シテ/神巫 鵜澤光
後シテ/龍田明神
ワキ/旅僧 野口能弘
ワキツレ/従僧 野口琢弘
ワキツレ/従僧 則久英志
アイ/里人 河野佑紀
八反田智子
小鼓 森澤勇司
大鼓 大倉慶乃助
太鼓 澤田晃良
主後見 観世銕之丞
地頭 浅見慈一

あらすじ

昆布売

召使いを連れずに外出した男が、行きずりの若狭の昆布売を刀で脅し、むりやり自分の太刀を持たせる。腹にすえかねた昆布売は、男が油断したすきに太刀を抜いて逆に脅し、小さ刀を取り上げたうえ昆布を男に押し付けて売らせる。売り声にさまざまな節をつけて謡い舞わせたすえ、商売繁盛の文句を男に謡わせておいて、昆布売は返す約束の刀を持ったまま逃げて行く。

龍田

冬、旅の僧が龍田神社へ参詣のため龍田川を渡ろうとすると、一人の女が呼び止めた。薄氷に閉じ込められた紅葉の川面こそ神慮の姿であり、それを乱してはならないと言う女。女は龍田神社の巫女と名乗ると、一行を神社へ案内する。冬枯れの季節となった今なお、鮮やかな紅葉をたたえる神木。その神木の色こそ神徳の顕われだと告げると、彼女は自らを明神の化身と明かし、社殿の内に姿を消してしまう。その夜、僧たちが祈りを捧げていると、社殿の内から光がさし、龍田明神が現れた。この里の秋の致景こそ千秋万歳の姿だと明かし、歌人たちに愛され続けてきた龍田の秋の風情を語る明神。明神は、木々や清流に囲まれたこの里の自然の情趣の中で神楽を舞うと、国土安穏を祝福しつつ、天に昇ってゆく。

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