アンドリュー・ワイエス展
Imp. 956
2026/04/30
東京都美術館(上野)で「アンドリュー・ワイエス展」。「東京都美術館開館100周年記念」と銘打って、2008年以来かつワイエス没後日本初の大規模な展覧会です。


本展の開催趣旨を公式サイトから引用すると、次のとおりです。
20世紀アメリカ具象絵画を代表する画家アンドリュー・ワイエス(1917-2009)。第二次世界大戦後に脚光を浴びたアメリカ抽象表現主義、ネオ・ダダ、ポップアートといった動向から距離を置き、ひたすら自分の身近な人々と風景を描き続けました。その作品は眼前にある情景の単なる再現描写にとどまるものではなく、作家自身の精神世界が反映されたものとなっています。彼の作品には、窓やドアなど、ある種の境界を示すモティーフが数多く描かれます。境界は、西洋絵画史のなかで古くから取り上げられてきたテーマですが、ワイエスにとってはより私的な世界との繋がり、あるいは境目として機能しています。本展は、その境界の表現に着目して、ワイエスが描いた世界を見ていこうとするものです。
そして同サイトが語る本展の見どころは、次の三点です。
- 1. ワイエスの没後、日本初となる待望の回顧展
- 1974年に東京と京都で33万人を集めた日本で最初の個展以来、1995年、そして2008~9年にもワイエスの展覧会が開催され、日本でのワイエス人気は不動のものになりました。本展はワイエス没後はじめてとなる、国内待望の展覧会となります。
- 2. テーマは「境界」。アンドリュー・ワイエスの精神世界へ
- ワイエスの作品には窓や扉など、「境界」を示すモティーフがたびたび表れます。それらはワイエスにとって生と死、画家自身の精神世界と外の世界をつなぐものだったと考えられます。本展では「境界」に着目し、彼の作品を見つめ直します。
- 3. 日本初公開となる作品多数
- ホイットニー美術館(ニューヨーク)の《冬の野》(1942年)、フィラデルフィア美術館の《冷却小屋》(1953年)、フィルブルック美術館の《乗船の一行》(1984年)をはじめ、10点以上が日本初公開。あらためてワイエスの魅力にふれる機会となるでしょう。
付言すれば今年は合衆国建国250周年でもあり、その節目の年にアメリカの国民的画家の一人とされるワイエスの展覧会が日本で開催されるのは意義深いことです。

ちなみにこちらは我が家に揃ったワイエス展の図録たち。左は1995年にBunkamura ザ・ミュージアムで見た「アンドリュー・ワイエス展」(表紙は《遠雷》(1961年))、中央は2008年に同じくザ・ミュージアムで見た「アンドリュー・ワイエス 創造への道程」(《鉄兜(《松ぼっくり男爵》のための習作)》(1976年))、右が今回の展覧会(《ヒトデ》(1986年))です。
かくのごとくワイエスは長の年月にわたって私の好きな画家であり続けているのですが、印象派の画家などと比較するとその絵に接する機会が極めて限られています。過去に遡れば、1955年にアメリカ水彩画家をまとめて展示する展覧会に9点が出展されたのを皮切りに、1974・1978・1988・1990年とコンスタントにワイエス展が開催されているのですが、私がワイエスに目覚めた1995年以降は上記の通り今回を含めて3回きり。しかも、ワイエスの妻にして有能なマネージャーでもあったベッツィー・ワイエス(1921-2020)が亡くなってからは展覧会を開くことが難しい画家になっているということなので、もしかするとこれが最後の機会になるかもしれないというつもりで東京都美術館に足を運びました。
I ワイエスという画家
生まれ故郷のペンシルヴェニア州と夏の家のあるメイン州を行き来しながら、この二つの地域の身近な人々と風景を描き続けたワイエス。ごく私的な題材をとりあげつつ、卓越した技巧で描かれるその作品の中に深い精神性や普遍性を感じさせるところがワイエスの絵の魅力です。

子供の頃から絵の才能を見せていたワイエスは、15歳になってから著名な挿絵画家であった父に絵の手ほどきを受けたのですが、父はこと絵画に関しては厳格な人で、ワイエスにとっては抑圧的な存在と感じられることもあったようです。展示の冒頭に置かれた《自画像》(1945年)はスケッチブックを抱えて自宅近隣を散策する自身の姿を描いていますが、その思い詰めたような表情や寒々しい背景からは若き日のワイエスの心境が垣間見えるようです。

この展覧会に出展された作品の中では例外的にファンタジックな作風の《クリスマスの朝》(1944年)は、知人の女性が亡くなったことを知り描いたもの。
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画面中央に半透明の人影が描かれているのは、亡くなった女性の魂かもしれません。また、胸の上に組んだ手の陰影を見ると光源が女性の胸のあたりに設定されていて、これは彼方の星の光、あるいは地平線を明るく染めようとしている曙光の反射に見えますが、去っていった女性の魂の残照と見ることもできるかもしれません。しかしこうした幻想性は本展展示作品の中では本作限りのもので、その後にはワイエスの絵の特徴である写実性と象徴性とを実感させる《冬の野》《マザー・アーチーの教会》、細密描写の極致のような《鷹の木》など、どれも思わずその細部に見入ってしまう作品が続きます。

そして、2008年の展覧会でメインビジュアルの一翼を担ったこの《火打ち石》(1975年)とは久しぶりの再会です。太古の氷河の落とし物であるこの岩の孤高の存在感は相変わらずすばらしく、この絵の前でしばらく立ち尽くしました。
II 光と影
1945年にワイエスの父が不慮の事故で亡くなってから、ワイエスは生涯を通じて「生と死」を意識するようになり、そのことが画面の上では光と影として表されているということです。この章には画題に応じて水彩、ドライブラッシュ、テンペラを使い分けてワイエスの身の回りのさまざまな場面が描かれた作品が並びますが、その多くに光と影が織りなす物語が感じ取れます。特に《冷却小屋》に見られる扉の向こうの穏やかに明るい部屋を手前から見通す構図と、《三月の嵐》の納屋の内側から見た外の雪景色のハレーションを起こしたような光の表現を見ると、光の存在が静と動のいずれにも働くことがわかります。

そうした中では、ワイエス夫妻が1958年に住居として買い取った粉挽き小屋と穀物倉を、手前の草が絡みついた有刺鉄線と共に描いたこの《粉挽き場》(1962年)は、「光と影」というより後の章で取り上げられる「境界あるいは窓」に属するのではないかと不思議だったのですが、ともあれそこには有刺鉄線によって守られる自分たちの世界が描かれ、夫妻の姿も二つの建物の間を飛ぶ二羽の白い鳩として見ることができて、とても印象的でした。
III ニュー・イングランドの家―オルソン・ハウス
ワイエスの代表作と言えば、ニューヨーク近代美術館にあって門外不出とされる《クリスティーナの世界》(1948年)ですが、その主人公(制作時のモデルはワイエスの妻ベッツィ)であるクリスティーナとその弟のアルヴァロ、そして二人が住んだメイン州のオルソン・ハウスは、ワイエスにとって長年にわたる重要なモチーフの一つであり続けました。この章には、そのオルソン・ハウスにまつわる絵が数多くの習作と共に並び、ワイエスの関心の深さを知ると共にそれを絵画化する際の意識の流れを追うことができるようになっていました。

まずもって心惹かれたのが、独特の落ち着いた風情をもつこの水彩画《表戸の階段に座るアルヴァロ》(1942年)です。主人公はアルヴァロですが、主題はむしろオルソン・ハウスそのもの。新大陸への入植者が18世紀中頃に設けた丸太小屋を前身として19世紀初頭に建てられ、後にスウェーデン人の船乗りだった姉弟の父が婿入りするかたちでこれを引き継いだものですが、結婚前のベッツィがワイエスを20歳以上も年上の友人クリスティーナに紹介した1939年には二人の両親はすでに亡く、以後30年間にわたってワイエスは姉弟の終の住処となったこの屋敷を描き続けることになります。そういう意味では、この絵はまだワイエスがオルソン・ハウスと付き合い始めてからさほどたっていない時期のものということになりますが、それでもこの屋敷が積み重ねてきた年月の重みや疲れが自然なかたちで示されています。

これも水彩の《三階の寝室》(1947年)。進行性の病によって足が不自由だったクリスティーナのために姉弟は1階のみで暮らしており、夏にこの地に滞在するワイエスはオルソン・ハウスの2階と3階をアトリエとして使わせてもらうことになったのですが、長らく閉ざされたままだった3階の空気を入れ替えようとワイエスが窓を開けたときに風が吹き込んでレースのカーテンを揺らすさまにインスピレーションを得た作品です。この作品単体でも、ワイエスの手によって開かれた窓を通して外界と屋内とがつながれた瞬間を画面に切り取った奇跡のような一枚なのですが、同様の主題を持つ《海からの風》(完成作は本展に出展されていません)の習作群を見ると、ワイエスが窓との距離を徐々に詰め、光の効果よりも風の描写にフォーカスしていく様子が窺えて興味深いものでした。

こちらはテンペラで描かれた《クリスティーナ・オルソン》(1947年)。クリスティーナがオルソン・ハウスの戸口に座って海を眺める静謐な光景がワイエスならではの細密なタッチで描かれており、この展覧会を代表する一枚(フライヤー表面)となっています。ワイエスが「傷ついたカモメを思い起こさせた」と語った彼女の風になびく髪は、上に掲げた《三階の寝室》と同様に外界と屋内とをつないで命ある外界の空気をとりこんでいるようですが、展示されている習作のクリスティーナの髪は束ねられていて動きがなく、この習作と完成作との違いの中に画家の意図が読み取れ、ワイエスが目にしたものを単にそのままに描いているわけではないことがわかります。とはいえ、もし単眼鏡を持っていたならこの絵のドアの木目に要注目。日が当たっているところを見ても日陰になっているところを見ても、その圧倒的な写実技巧には息を呑むこと間違いなしです。

オルソン・ハウスにまつわる作品群(習作を含む)は今回展示された96点の作品のほぼ半数を占めており、ワイエスが(あるいは本展の主催者が)いかにこの館に惹かれたかを示していますが、30年間に及んだオルソン・ハウスとの付き合いは1967年末から1968年初にかけてのアルヴァロとクリスティーナの相次ぐ逝去によって終わりを告げることになります。この章の後半には、そうしたオルソン家の終焉を予感していたワイエスがまるで記録をとるようにさまざまな角度からオルソン・ハウスを描いた一群の絵が並び、そして最後に題名もそのままの《オルソン家の終焉》(1969年)が置かれていました。その習作を見ると、ワイエスは当初もっと右から斜めに屋根を見ていたり、屋根を見下ろす部屋の窓枠が描かれていたりするのですが、最終的にはワイエスの視点は窓の外に出て館の軸線に近いところから館を見下ろす構図に変わっています。もしかすると、そのことによってワイエスはオルソン姉弟がまだそこ(煙突の下)にいるという感覚を示そうとしたのかもしれませんが、てっぺんが崩れかけた煙突と、三角屋根の向こう端とその左上にいる二羽の鳥の姿は、二人がこの家を去ってしまったことを再確認しているようでもあります。
IV まなざしのひろがり
ワイエスはオルソン姉弟や隣人のカール・カーナー、カーナーの介護を担ったヘルガ・テストーフをモデルとした作品群を描き続けました(そういえば今回の展覧会は「ヘルガ」シリーズから一作も選ばれていない点も意外な特徴です)が、やがてより幅広いモチーフに気を留めて描くようになります。
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……という背景情報をもとにこの章の絵を見ていくわけですが、ワイエス夫妻の自宅の母屋を描いた左の《花びら》(1991年)はクラブアップルの花びらの白が明るく、開いた夫妻の寝室の窓が風を取り入れて開放的な感覚ですし、メイン州の海岸近くの家の中から窓の外にヨットの帆を見る右の《乗船の一行》(1982年)も椅子やテーブル、帆の白が目立ちます。ワイエスは人物画も数多く描いていますが、一方で人を描くかわりにその人の存在を暗示する物(たとえばベッツィが摘んできたブルーベリーが山盛りの容器)を主題とすることも多く、この二作にもそうした趣向が見てとれるのですが、どこか対象の喪失(死)を思わせるところもあって、日本的な無常感に通じるものを感じます。

《乗船の一行》の左隣はベッツィの愛犬ノームが行儀良く座っている《灯台》(1983年)で、ドアの向こうの階段を上った先へと見る者の意識が誘われますが、これら二つの絵の間になぜか窓。これは、次のコーナーの主題を端的に示す会場の工夫でした。
V 境界あるいは窓
英語版Wikipediaがワイエスの画業を"Christina Olson and the Olson Farm"、"Kuerner Farm"、"Helga paintings"、"Window paintings"の四つにまとめて紹介し、2014年にはワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー・オブ・アートが"Andrew Wyeth: Looking Out, Looking In"と題して窓を描いた作品に注目した展覧会を開催したように、ワイエスの絵の中で「窓」は常に強く意識される対象でしたが、本展ではさらに「境界」という言葉を導入し、これを生と死をつなぐもの、連続するものの象徴として位置付けようとしています。

先ほどの「IV まなざしのひろがり」との間を画する窓がここに。そして解説は、ワイエスの絵に漂う「喪」の気配が28歳のときの父の死に由来することを指摘していました。

《ゼラニウム》(1960年)は、窓を通して屋内のクリスティーナと彼女が好きだったゼラニウムの花を描いていますが、その奥にはもう一つの窓を通して外の景色が見えており、足が不自由ではあったものの確固たる自立心をもっていたクリスティーナがいる場所が閉ざされた世界ではないことを示しています。また本作は、全体として彩度の低いアースカラーが特徴でもあるワイエスの絵の中で、このゼラニウムの赤やブルーベリーの青のように例外的に用いられる原色を見出す楽しみを与えてくれる作品でもあります。

《薄氷》(1969年)は、本展の目玉展示の一つです。もっと小さいものかと思っていたら思いがけず大きな作品で、しかも対象との間に距離を置かず氷の下に沈む枯葉を画面の全面を使って描いていて、ワイエスの絵としては異質な感じがします。しかしワイエス自身、この絵には思い入れがあったらしく、描かれたその年に購入した日本の購入者に宛てた手紙の中で「この作品は個人的な意味合いを持つ作品であり、沈んだたくさんの葉は自分が重ねた経験や出会った人々を表している」と綴っていたそうです。この絵は一時期行方不明になっていましたが、ワイエスが亡くなった年に所在が明らかになり、現在は三井住友銀行が所蔵。日本の鑑賞者が目にするのは半世紀ぶりということでした。
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この絵はクリスティーナが亡くなった翌年に描かれた、いわば「喪の仕事」として制作されたものですが、それでも氷の下の気泡や氷の上に顔を出した一枚の葉は、生と死が隔絶したものではないことを物語っています。この「顔を出した一枚の葉」に見られる光と影のコントラストは、作品保全のために明るさを落とした会場の照明の中でもそこだけスポットライトが当たっているかのように強い印象をもたらしていました。

そして本展を締めくくる位置に置かれていたのは、双眼鏡で海を眺めるベッツィの姿を窓越しに見る《ヒトデ》(1986年)です。ベッツィが目で追っているのは洋上の船ですが、ワイエスの視線に窓を通して映る海はどこか遠い世界とのつながりを示しているようでもあり、入植者の末裔であるワイエスたちのルーツを示しているようでもあります。しかしそのような詮索はおいて、ただ眺めているだけでも優しい気持ちになれる、すてきな作品でした。
- ▲左:《自画像》《粉挽き場》《洗濯物》《オルソンの家》《クリスティーナ・オルソン》《オルソン家の終焉》
- ▲右:《灯台》《薄氷》《乗船の一行》《ヒトデ》《ゼラニウム》
鑑賞終了後、美術館内の「レストラン ミューズ」で本展のコラボメニューをいただきました。ご覧の通りの軽いランチですが、まずビシソワーズが美味!メインディッシュも海の恵みと大地の恵みの組合せを堪能しました。

なお、美術館内のもう一つのレストランである上野精養軒でもコラボメニューが提供されていましたが、こちらはスープ→魚→肉→デザートのフルコースで6,800円也。私のつましい財布では手が出せませんでした……。





