高島野十郎展
Imp. 964
2026/07/09
松濤美術館(渋谷)で「没後50年 高島野十郎展」。高島野十郎(本名は高嶋彌壽)の名前はこれまで知らなかったのですが、松濤美術館の宣伝を見たときにどことなく惹かれるものを感じて足を運ぶことにしました。


例によって、公式サイトに掲載されている開催趣旨を以下に引用します。
髙島野十郎(1890-1975)は、福岡県出身の洋画家です。東京帝国大学(現・東京大学)農学部水産学科を首席で卒業しながらも画家の道を選び、独学で絵を学んだ野十郎は、特定の美術団体に属さず、流行や時代に迎合することなく、自らの理想と信念にひたすら忠実であろうとしました。晩年に千葉県柏市へ移る前の約50年、途中に留学や帰郷を挟みながらも東京の渋谷や青山にアトリエを構えていた、渋谷区にゆかりの深い人物でもあります。
没後50年を機に開催する本展は、初公開作品や青木繁、坂本繁二郎、岸田劉生など関連する作家の作品、関係資料を含めた約170点を展覧する、髙島野十郎展としては最大規模の回顧展となります。「蝋燭」や「月」を主題とした代表作はもちろん、彼の芸術が形成されたルーツを遡り、自身のよりどころとしてきた仏教的思想を読み解きつつ、青年期や滞欧期の作品など、これまで大きく取り上げられなかった部分にも焦点を当てます。また、野十郎関係者による書簡やメモ等の資料から、彼がひとりの人間としてどのように生き、周囲とどのような関係を築いたのか、彼の人間像にも改めて迫ります。
「孤高の画家」と称されてきた髙島野十郎の新たな全貌をお楽しみください。
この最後の一行「孤高の画家」と称されてきた髙島野十郎の新たな全貌をお楽しみください
は、なかなか意味深です。高島野十郎は絵の師を持たず画壇との繋がりもなく、生前に何度か個展を開催してはいたもののほとんど無名のままに生涯を終え、その名が知られるようになったのは没後約10年を経た1986年に出身地である福岡県の福岡県立美術館で開催された初の回顧展だったため、過去何度かの回顧展では「孤高の画家」として紹介されることが多かったのですが、今回の松濤美術館での展覧会は、まずこの点を再検討してさまざまな人との交流の存在を明らかにし、日本近代美術史の中に野十郎を位置付けることを試み、その上で野十郎の画業をいくつかのトピックを立てて展観する構成としています。
展示の章立ては、次の通りです。
- プロローグ 野十郎とはだれか
- 第1章 時代とともに
- 第2章 人とともに
- 第3章 風とともに
- 第4章 仏の心とともに
- エピローグ 野十郎とともに
プロローグ 野十郎とはだれか
まずは野十郎の人と作品についての全体像を概観する章。その冒頭に置かれるのは《絡子をかけたる自画像》(1920年)で、暗い室内で横からの光を受けてやや見上げるように鑑賞者を直視してくる野十郎の鋭い眼差し(フライヤー参照)に、まずこちらの心臓を鷲掴みにされる思いがします。この自画像を含む「青年期」に続いて、「渡欧期・戦前期」「戦後期・柏時代」と時代を追い、さらに「月と蝋燭 光と闇」というトピックが立てられており、静物画・風景画の数々が野十郎を特徴づける写実的な表現を示していて、この章の中に珠玉の作品の数々が納められています。いずれ劣らぬそれらの作品の中から、特に気に入ったもののいくつかを以下に紹介します。
- まずもって心惹かれたのは《からすうり》(1935年)で、土壁らしき茶色い背景の手前にたわわに実ったからすうりの赤い実がぶらさがっており、それらにまとわりついている枯れた蔓や葉がもたらした栄養のすべてを貯め込んでいるかのよう。そうした生き生きとした描写にもかかわらず、静謐な空気が漂う不思議な作品です。
- 《すいれんの池》(1949年)は新宿御苑に取材したとされる作品で、広い池のあちこちに浮かぶ睡蓮の白い花と池の周りを囲む濃密な木立がもたらす景観は、人の姿がないこともあってどこかひっそりと閉塞的。先ほど野十郎の名が広く知られるようになったのは1986年の回顧展によってだと書きましたが、実は1980年に福岡ゆかりの画家たちの作品を集めて福岡県文化会館で開催された展覧会にこの作品が出品されて注目を集めたことが、後の野十郎の評価につながったということです。
- 《春の海》(1952年)は画面横幅いっぱいに広がる茶色い有明海の干潟の向こうに春霞を通してぼんやりと姿を見せる雲仙岳を描いており、どこか大陸的なおおらかさが感じられます。
- 《月》1962年は、漆黒の闇に浮かぶ朧月となった満月を描いており、よく見ると画面の下の方に月明かりをかすかに浴びた雲が静かに浮かんでいます。月は野十郎が好んで描いた題材らしく、「月夜の風景」ではなく月そのものを描いているところがその特徴ですが、野十郎自身はむしろ闇を描きたかったのだということです。
- 蝋燭は野十郎を象徴するモチーフで、後で見るように蝋燭を描いた作品は実にたくさんあるのですが、それらのうち現存する最古(大正時代)の《蝋燭》がこの章に置かれていました。22.7cmx15.6cmの小品ですが、光と闇、静と動が一つの画面の中に共存して崇高な存在感を持つ絵です。
- ▲買い求めた絵葉書(左→右):《蝋燭》 / 《月》 / 《からすうり》
第1章 時代とともに
ここには野十郎の作品と共に、この展覧会の目的の一つである「日本近代美術史の中に野十郎を位置付ける」に即して、同郷の青木繁、坂本繁二郎や写実表現を追求して草土社を結成した岸田劉生らの絵画が並びます。岸田劉生の作品は気品のある暗い静物画でしたが、野十郎自身の作品の中で私の「推し」は草原に並んで立つ2本の木を明るく描く《早春》(1921年)です。
第2章 人とともに
ここでは、野十郎の画業を支援し続けた兄(青木繁のパトロンでもあった)や同窓生たち、郷土の人たちや終の住処となった千葉県柏市の人々との関わりを示す作品群が展示されます。大学時代の恩師たちの肖像画からは野十郎が人物画においても高い技量を持っていたことが窺えますが、その技量が自分に向けられた《傷を負った自画像》(1914-16年頃)の痛切な表現には胸を突かれます。また、この章にはいくつかの《蝋燭》が含められていてエピローグの作品と共に2階の特別陳列室で展示されていたのですが、これら《蝋燭》は展覧会に出したり売ったりされることはなく、野十郎にとって大切な人たちへ贈られていったものだそうです。したがってこれらの絵はみな「個人蔵」であり、贈られた人たちもまた野十郎とのつながりを大事にしてきたことの証拠になっています。
第3章 風とともに
ヨーロッパ留学中に描いた絵をいくつか並べてから、水のある風景、道のある風景、そして日本全国を旅して描いた四季の風景の絵を紹介する章。《早春池畔》(1953年)は池の浅瀬が画面の3分の2ほどを占めており、その手前には白い花をつけたコブシの枝が垂れ、ぽつぽつと水草が浮かぶ池の水面には対岸の木々が鏡像となって映り、その向こうに岸辺の実景も描かれていて、見ていると前景・中景・遠景と何層もの景観の間を視線が行き来することになってその場から離れられなくなります。また《夏雲》(1948-59年)は下から3分の1のところに遥か遠くの山並みのシルエットが画面を横切り、下には赤土の轍を手前から奥へと走らせる草地、上にはもくもくと湧き上がる入道雲があって、それらの広がりの中にどことなく懐かしさを感じさせる作品でした。さらに《れんげ草》(1957年)は幾何学的な模様を描く畦道の中にピンクのれんげ草が咲き誇り、その彼方に残雪の山脈を描いたもの。注釈には個展の目録には中央アルプスと記されているが、山の形状から北アルプスの可能性も指摘されている
とあって、どれどれと眺めてみたところ、これはどう見ても鹿島槍ヶ岳から爺ヶ岳を経て南へ続く北アルプスの山々でしかあり得ません。
第4章 仏の心とともに
青年時代から仏教に傾倒していたという野十郎が描いた仏閣に加え、いくつかの風景画や野十郎ならではのモチーフである月と蝋燭を描いた作品群が、この章に位置付けられます。
エピローグ 野十郎とともに
ここまでの展示を踏まえて、あらためて野十郎の作品たちを振り返ってくださいという趣旨の章。ここに属する作品の多くは特別陳列室に展示されていて、ここだけは写真撮影が可能でした。フライヤーの表面を飾る《桃とすもも》(1961年)も、この章に位置付けられています。
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以上、約170点に及ぶ作品と資料を手際よく整理して高島野十郎の生涯を明らかにする充実した展覧会で、「どことなく惹かれるものを感じ」た自分の直感の正しさを自慢したくなりました(笑)。また「月」「蝋燭」といった特別なモチーフを扱う作品以外では風景画が主体をなすのですが、それにもかかわらず久しぶりに数多くの静物画に接し、この静物画というジャンルがもつ精神性の高さをあらためて体感したという点でも、貴重な機会となりました。
ところで、冒頭に記したようにこの展覧会の企画者は、これまで「孤高の画家」と称されてきた髙島野十郎の新たな全貌
を示そうとしていたわけですが、その企図は果たされたのか。何をもって「孤高」とするのかは定義次第でもありますが、特に第2章を見ると、少なくとも「孤独」ではなかった(たとえ生涯を通じて妻帯することがなかったにしても)ことは明らかであり、親しみやすく周囲の人たちから愛された野十郎の人間像が浮かび上がっていました。
こうしたところが美術展の面白く、かつ厄介なところで、作品そのものは画家のものですが、美術展の企画(何をどのように見せるか)は企画者の営為でもあります。だからこそ、美術展に繰り返し足を運べば同じ画家・同じ絵でも違った角度からの光が当てられていて、画家とその作品の重層的な魅力を感得することができるわけです。ただし饒舌に過ぎる解説は興醒めになることもありますが、そこは適度にスルーできる審美眼が、鑑賞者の側に求められているということなのかもしれません。
今回の「没後50年 高島野十郎展」に関して言えば、これが自分にとって高島野十郎を知った初めての機会だったので、むしろ「孤高の画家 高島野十郎」を強調したという過去の展覧会の図録を手に入れて、今回の図録と読み比べてみたいという気持ちがわきました。
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- ▲フライヤー表面:《桃とすもも》(部分)
- ▲フライヤー裏面(左上→右下):《蝋燭》 / 《絡子をかけたる自画像》 / 《夏雲》 / 《満月》 / 《牡丹》 / 《けし》





